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ちいさな奇跡――その後
 もうあと数日で年も暮れようとする、冬の日の午後のことである。

「あら、雪……?」

 執務室で書類の決裁をしていたリエナは、窓の外を見てつぶやいた。すぐそばで控えている年配の女官も雪に気づいたらしい。

「初雪でございますね。今年は例年よりも遅うございました」

「本当にね。昨日までは割と暖かかったのに」

「ずいぶんと冷えて参りました。陛下、熱いお茶でもいかがでございますか」

「ありがとう、いただくわ」

 リエナがにっこり微笑んで答えると、女官はすぐに支度を始めた。リエナはここで少し休憩を取ろうかと、執務の手を休めて立ち上がった。窓辺に佇み、お茶が入るまでの間、純白の雪がさらさらと降る光景を眺めていた。

 その時、リエナの脳裏にふと、旅の途中で起こった、ある出来事の記憶がよみがえる。思わず笑みをこぼすと、振り向いて女官に声をかけた。

「料理長にここへ来てもらうよう、使いを送ってちょうだい」

「かしこまりました、陛下」

 女官には、リエナが料理長を呼ぶ理由がわかっている。湯気の立つ茶碗を執務机に置いて一礼すると、執務室を後にしていった。

********

 食堂の扉が開けられ、ルークが満面の笑みで姿を現した。リエナは一足先に、席についている。

「今夜の晩餐は、リエナの手料理だってな。楽しみにしてたぜ」

「ええ、久しぶりに腕を振るわせてもらったわ」

 リエナは日々、ムーンブルク女王としての激務をこなしている。それでも料理好きな彼女は今でも時折、息抜きも兼ねて、厨房に立つこともあるのである。

 今夜の献立は何かと、ルークは食卓に視線を向けた。そこであたたかそうな湯気をあげている皿の数々は、どこかいつもとは違った感じがする。これはまた新しい料理を味わえると、ルークはうれしそうに食卓に着いた。

 供された料理を早速口にして、ルークがつぶやいた。

「うん? この料理、どこかで……」

 それを聞いたリエナは、にっこりと微笑むだけで、ルークの疑問には答えなかった。その笑みには、どこか悪戯っぽいものが含まれている。

「お前、この料理、今まで作ったことないよな?」

「ええ、初めてよ」

「だけど、どっかで食ったことがある」

「そうよ。――よく、思い出してみて」

 ルークはもう一口料理を口に運び、記憶をたどるようにゆっくり味わうと笑顔で頷いた。

「わかった。あの、聖誕祭の町の教会で、だな」

「そう。思い出してくれて、うれしいわ」

「そう言えば、今夜は聖誕祭か。――あの街の人達も、今夜は賑やかにやってるんだろうな」

 もう数年前のことになるが、三人がハーゴン討伐の旅に出ていた途中に立ち寄った街で、偶然にも聖誕祭と呼ばれる祭りのパーティに参加したことがあった。街の人達が毎年楽しみにしている行事らしく、とても盛大なものだった。会場となった教会には、たくさんのご馳走が並んでいて、その時にリエナは、街の女達にこの料理の作り方を教わったのである。執務中に雪景色を眺めていてその時のことを思い出し、懐かしさから今夜作ってみた、というわけである。

「あの時は、本当に楽しかったわ」

「ああ。聖誕祭だから、宿のも街のも全部、食堂が臨時の休みで、一時は晩飯を食いそびれるかと思ったけど、パーティは楽しかったし、料理もうまかった」

「そういえば、アーサーも教会の司祭さんと熱心に話し込んでいたわよね」

「アーサーは、ああいう地方の伝承を集めるのも好きだからな。パーティに行くのも、やつが一番乗り気だった」

「彼のことだから、きちんと記録に残しているんでしょうね」

「間違いない」

 ルークも笑いながら頷いて、給仕の女官に料理のお代わりを頼んだ。

「やっぱり、リエナの手料理はうまい。この王宮の料理長もいい腕だけど、これは格別だ。――考えてみれば、旅の間は毎日、女王陛下の手料理を食ってたわけだ。それって、ものすごい贅沢だよな」

 あまりにもしみじみと言うルークに、リエナは思わずふき出していた。

「ルーク、いくらなんでも、それは大げさよ」

********

 久々のリエナの手料理を堪能した後、二人は私室の居間に戻り、長椅子に並んで腰掛けていた。二人は酒杯を傾けつつ、引き続き聖誕祭の思い出話をしているのである。

 しばらくしてルークが、唐突にリエナに声をかけた。

「踊るか?」

「あら、あなたから誘ってくれるなんて、珍しいわね」

「ま、たまにはいいだろ。誰も見てないわけだし」

 ルークは酒杯を卓上に置き、少々決まり悪そうに立ち上がると、リエナの前で一礼する。

「一曲お相手願えますか?」

「ええ、喜んで」

 リエナは優雅に微笑みを返すと、手を差し出した。

 ルークがリエナの手を取り、部屋の中央に移動したその瞬間、二人の耳に、あの時の曲が聞こえはじめた。

 ルークはリエナをそっと抱きしめた。リエナもルークに身体を預ける。不思議なことに、伴奏がなくても、ごく自然に二人の身体が動きはじめる。ゆったりとステップを踏みながら、リエナはその時のことを思い返していた。

「あのとき、ね」

 リエナはルークの胸に頭を預けたまま、つぶやいた。

「うん?」

「ずっと、この時が続けばいい、って思ったのよ。そのくらい、幸せ、だったの」

「俺も、だ」

 ルークがリエナを抱く腕に力を籠めた。

「……本当に?」

「ああ」

 ルークはふっと息をはくと、問いかけた。

「パーティの帰り道のこと、覚えてるか?」

「ええ、わたくしが雪道で足を取られそうになって……、あなたが支えてくれたわ。その後もずっと、手を引いてくれたことも……」

「宿に着いて、お前の部屋の前まで来た時……」

 ここでルークはわずかに躊躇いをみせたが、思い切ったように言葉を継いだ。

「あのまま、お前を離したくなかった」

 リエナがルークを見上げた。菫色の瞳がわずかにうるんでいる。どちらからともなく、二人の唇が重なった。

 ――その後も抱き合ったまま、踊り続ける。二人の姿を、清らかな雪明かりが照らしていた。

                                             ( 終 )


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