風に乗る

小説おしながきへ
TOPへ

「やっと着いたか……」

 ルークが、額に滲む汗を拭った。

「けっこうきつかったね」

「リエナ、大丈夫か?」

 ルークがリエナを気遣い、声を掛ける。

「ええ」

 目の前には広大な風景が広がっている。今三人がいるのは、ドラゴンの角と呼ばれる双子の塔。

 いつ果てるとも知れぬ戦闘を繰り返し、最上階にようやく辿り着いた。ほとんど光が入らず薄暗い塔の内部とは打って変わって、最上階の一角からは光が溢れている。その眩しさに、ルークは目を細めた。

 見渡せば、遥か先の北側にもそっくり同じ形の塔が建っている。その向こうに広がるのは、まだ見ぬ大地。

 足元を見下ろせば、満々と水を湛えた大河が、今彼らがいる大陸と目的地となる北側の大陸との間に横たわっている。

 三人はしばし、その光景に目を奪われていた。

「しかし、いつ誰がこの塔を建てたんだ?」

 ルークの疑問に、アーサーが答える。

「色々な説があるみたいだけど、定説と言えるほどのものはないね。わかっているのは、過去には北と南、二つの塔を繋ぐ吊り橋があったことくらいだ」

「その吊り橋さえあれば、こんな苦労はしなくてよかったのにな」

 ルークはそう言いつつ、背中に負った荷物を下ろし、自分もその場にどっかりと座り込んだ。

「僕もお前が文句を言いたい気持ちはわかるけど」

 アーサーがちょっと笑って話し続ける。

「吊り橋があったことは事実でも、どうやってそれを架けていたのかもわからないんだよ。この塔の造りからいって、吊り橋を支える土台の部分などは見当たらないし、二つの塔の間の距離だって相当なものだからね」

「単に二つの大陸を繋ぐ役目なら、別に吊り橋じゃなくても、普通の橋を架けとけばいいだろうに」

「確かにね。ただ、この間を横切る大河の流れの速さは尋常なものじゃないんだよ。深いこともあって、川底に杭を打つことすらできないんだ。船を使えればいいけど、とても渡れないからね、わざわざ大きく迂回しないと向う岸に辿り着けないんだから」

「それもわかるが、じゃあ何でこんな高い塔の必要があるんだ?」

「その辺を含めて、謎が多いんだよ」

 男二人の会話を聞きながら、リエナは長い髪を手で押さえた。風が強い。たっぷりとしたローブの裾が風に煽られ、油断すれば小柄な彼女は飛ばされてしまいかねないほどだった。

「わけがわからん話だな」

 そう言いつつ、ルークが荷物から大きな布地のようなものを取り出した。立ち上がると、布地を両手で大きく広げる。

 ――風のマント。

 爽やかな薄い青が広がった。マントの留め金に施された青い石が陽光を受けて煌めいている。長い間、宝箱の中で眠っていたとはとても思えないほどに、その色合いは鮮やかである。

 ルークが風のマントを身に纏う。長身のルークが装備すると、鋭い光を放つ青い瞳と相まって、薄青の翼を持つ猛禽類を思わせる。

「ルーク、似合うじゃないか」

「世辞はいらん」

 からかわれているとでも思ったのか、ルークはどことなく不満げに言い返す。

「お世辞じゃないよ。お前にそんなこと言ったって、何の利益もないからね」

 アーサーは苦笑しているが、ルークの方はどうにも居心地が悪いのだ。

「お前らしくないことを言うからだ」

 リエナはルークの背中をずっと見つめていた。けれど、ルークが自分の方を向いた瞬間、その姿から目を離せなくなっていた。風に乗り、ルークが大空を羽ばたく姿が目に見えるようだったのだ。

「リエナ、どうした? やっぱり疲れたか?」

 いきなりルークに声をかけられて、リエナはすぐには言葉が出てこない。

「……いいえ、何でもないわ。ごめんなさい」

「謝ることじゃない。そろそろ行くが、用意はいいな?」

「ええ」

「ルーク、リエナを落とさないようにね!」

「誰が落とすか!」

 ルークはアーサーに盛大に文句を言いつつ、リエナの細い肩をしっかりと抱きかかえる。リエナも落ちないようルークの腰に腕を回した。ルークがリエナを見下ろした。

「リエナ、大丈夫だな?」

「ええ。よろしくね、ルーク」

 リエナを抱きかかえたまま、ルークが振り返った。

「アーサー、お前は適当にどっか掴まってろ」

「リエナとはずいぶん扱いが違うんじゃない?」

「お前とリエナを一緒にできるか」

 苦笑しながら手首を掴んだアーサーに向かって言い放つと、ルークはゴーグルを下ろした。アーサーもそれに倣う。

「行くぜ!」

 リエナの足が地面から浮いた、と思った瞬間、ルークは塔の端を蹴っていた。

 マントが風をはらんだ。滑らかに風を切っていく。

 いくらもしないうちにふわりと周囲の空気が変わる。目を開けていられないほどだった風が、まるでそよ風のように感じられる。風のマントに封じられた魔力が三人を包み込んだのだ。

 眼下に広がる川面はきらきらと光り、視線の先に広がる大地の鮮やかな緑が目に眩しい。

 身体の中から湧き出る高揚感に身を任せ、青い鳥となった三人は対岸へ向かって進んでいく。

 地面がぐんぐんと近づいてきた。あとわずかで地面に到着する瞬間、アーサーはルークから腕を離し、軽やかに着地する。ルークはリエナの衝撃をやわらげるため、空いた手で長いローブの膝の裏側から腕を回して抱きあげる。その直後に、ルークも新たな大地に降り立った。

「着いたぜ」

 思いがけず横抱きにされて、リエナの胸は高鳴っていた。ゴーグルを下ろしているので、ルークの深い青の瞳の表情は窺えない。けれど、いつもの鋭さとは違う、優しい光を湛えているに違いない……リエナは咄嗟にそう考えてしまう自分がどうしようもなく恥ずかしい。

 ルークの方も、緊張からかほんのりと頬を染めているリエナに見惚れていた。自分の両腕にかかる柔らかく心地よい重みに、ずっとこのまま抱いていたい――ついそう考えてしまう。

 ルークは慌てて不埒な思いを振り払い、そっとリエナを地面に下ろした。

「ルーク、ありがとう」

 リエナが見上げるとゴーグルを元の位置に戻したルークと視線が合った。何となく気まずくて、どちらからともなく視線を逸らしてしまう。

「……ああ」

 ぶっきらぼうにそれだけ答えると、ルークは役目を終えた風のマントを肩から外す。

 例によってアーサーが、そんな二人の様子を眺めては内心でちいさく溜め息をついている。

********

 長いような、短いような、不思議な時間だった。新たな土地に向けて、彼らの旅は続く。


( 終 )


小説おしながきへ
TOPへ