初春の

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 ルークは離れ座敷の障子を開けた。頭をぶつけないよう、軽くかがんで座敷に入る。そして正面を向いた瞬間、言葉を失っていた。

「……どう、かしら?」

 座敷の中央に立っていたリエナが、おずおずといった感じでルークに問いかけた。ルークはそれでもまだ、絶句したまま、固まっている。

「ほら、ルーク。ちゃんと言いなさいな」

 ルークの後ろに立っている、大柄な着物姿の老婦人が声をかけた。ルークの祖母であるスーザンである。相変わらずの孫息子に一瞬呆れたような表情を見せると、広い背中をぽんぽんとはたいた。

「……ああ。……その、綺麗……だ。綺麗すぎて、びっくりした」

 それを聞いたリエナの頬がほんのりと染まる。

 ルークが目を奪われたのは――リエナの振袖姿だった。

 たおやかなその身に纏うのは、紫の地に四季の花々が描かれた格調高い古典柄の振袖。帯は銀糸でびっしりと刺繍が施されたもので、大振りの文庫に結んでいる。

 まるで、大輪の花が咲き誇ったかのようなあでやかさである。

 ルークはまだリエナをじっと見つめている。それに気づいたリエナはそっと顔を伏せた。結い上げたプラチナブロンドの髪に挿した、精緻な細工の花簪が揺れる。

 ルークとリエナは数日前から、日本にあるルークの祖父母宅に滞在していた。先日晴れて婚約し、リエナの大学卒業を待って結婚することが決まった。そこでルークは祖父母にリエナを紹介すべく、クリスマスを米国で過ごした後、追加で年始に休暇を取って、二人で日本を訪れたのである。

 そして、今日は元旦。二人で初詣に出かけると言ったら、スーザンがリエナによかったら振袖を着てみないかと誘った。リエナはとても喜び、早速スーザンに着付けてもらったのだった。

 はじめて振袖を纏うリエナは匂いたつばかりの美しさだった。透けるような白い肌と菫色の瞳が、優美な古典柄の紫の振袖にとてもよく映えている。リエナ自身も思いがけず晴れ着で身を飾れるよろこびに、眩いばかりに輝いていた。

「リエナちゃん、本当に綺麗。リエナちゃんの雰囲気なら変に現代風にするよりもうんとクラシカルな方がいいと思ったのよ。振袖もあたしの娘時代のだしね。それで、伝統的な着付けにしてみたんだけど、とってもよく似合うわ」

 予想以上のリエナの姿に、スーザンもにこにこ顔だった。リエナが身に着けているのはいずれも、スーザンの若い頃の持ちものである。孫息子の美しい婚約者に自分の振袖を着てもらえたことが、嬉しくてたまらないらしい。

 ずっとリエナに見惚れていたはずのルークが、突然振り向いた。

「じいさん!」

 そこに立っていたのは、ルークの祖父の小太郎である。

「――ふん、それなりには修業を怠ってはおらぬようじゃの」

 小太郎はよく通る声でルークを見上げて言い放った。名前通りの小柄ながら、日本でも有数の剣道場の師範だけあって、その立ち姿には一分の隙もない。袴姿も実に様になっている。

「修業って、こんな時にまで気配を消して近づくのはやめてくれ! 第一、それなりってどういうことだ!」

「それなりはそれなりじゃ。この距離までわしの気配に気づかなかったのが何よりの証拠――まったく、図体ばかりでかくなりおって」

「またそれかよ。でかくなったのは、俺のせいじゃないっていつも言ってるだろうが!」

 ぼやくルークを無視して、小太郎はじろりとルークに一瞥をくれた。

 リエナは物騒な男二人の遣り取りに眼を丸くしていたが、スーザンは慣れているのか、くすくすと笑いを漏らすだけだった。

 小太郎は、今度はリエナに視線を向けた。たちまち、さっきとは打って変わって満面の笑みとなる。

「おお、これはまた格別な別嬪さんじゃのう」

 小太郎はあらためて、リエナをとっくりと眺めると大きく頷いた。

「ほう、懐かしい。スージーの娘時代の振袖じゃな」

 これを聞いたスーザンはうれしそうに顔をほころばせた。

「ええ、憶えていてくれたのね」

「忘れるわけなかろう? スージーの振袖姿はそりゃあ綺麗じゃったが、リエナちゃんも同じくらい別嬪さんじゃ。実によく似合うておる」

 リエナは小太郎の言葉に、はにかんだように微笑んだ。

「……ありがとうございます。おじいさまとおばあさまに褒めていただいて、うれしいわ」

「まこと、ルークなんぞにはもったいないくらいのお嬢さんじゃ」

「ほんとにねえ。こんなに可愛くてお料理も上手で気立てもよくて。どうしてうちのルークと結婚してくれる気になったのかしら」

「……リエナ、そろそろ行くぞ」

 これ以上ここにいても分が悪いと、ルークはリエナに声をかけた。普段は怖いものなどない彼も、日本の祖父母には頭が上がらないのである。

「ルーク、ちょっと待ちなさい」

 そそくさと出ていこうとしたルークを、スーザンが呼び止めた。

「今度はなんだよ」

「せっかく初詣に行くんだから、あんたも着物、着なさい」

「は? じいさんのじゃサイズ合わないぜ」

「ちゃんとあんた用に、新しいのを誂えておいたのよ」

 スーザンは笑顔で一つウインクすると、傍らに置いてあった畳紙を手に取った。紐をほどくと、中から深い藍色の着物が現れた。

 スーザンは生粋の米国人である。けれど、国際結婚が稀な時代に剣道師範の日本人に嫁いできただけあって、大変な日本通でもある。日本語の読み書き会話はもちろん堪能で、華道と茶道の師範免許を持っている。他にも趣味で琴を嗜み、着物好きが高じて着付けと和裁までこなすのである。ルークの新しい着物も、スーザンが出入りの呉服屋に頼んで反物を持ってきてもらい、自ら選んで縫ったものだった。

「だから、サイズ聞いてきたのか。いくら何でも、この年になったら背は伸びないからおかしいと思った」

「これがルークの着物? 素敵だわ」

 リエナが眼を輝かせた。

「でしょ? 絶対ルークに似合うと思ったのよ」

 女性陣は二人ですっかり盛り上がっている。ルークはやれやれと言った面持ちで、軽く片手を上げた。

「わかった。――リエナ、ちょっと待っててくれ。男の着付けはそう時間かからんから、じいさんの話し相手を頼んだ」

「ええ。楽しみにしているわ」

 リエナはにっこりと微笑んだ。

********

 二人は並んで、神社の境内にいた。ここはルークの祖父母宅の近くにある、祖父の家の氏神である。こじんまりとした神社で、すでに大方の参拝客は帰ったのか、比較的空いている。

 新春のすがすがしい空気の中で立つリエナの姿は際立って美しかった。

 穏やかな光に、露わになった透けるように白いうなじと、煌めく後れ毛が目に眩しい。婚約者の艶姿に、ルークはずっと見惚れっぱなしだった。

 リエナは振袖どころか、着物自体着るのが初めてとは思えないほど、うまく着こなしている。スーザンからあらかじめ作法を教わってきたし、米国人としてはずいぶんと小柄で、もとから立居振舞が優雅なこともあって、振袖がしっくりと似合っている。

 ルークの方は、堂々とした羽織袴姿だった。

 ルーク自身はかなり着物に慣れている。小学校時代から始めた剣道で道着を着るからである。小学校時代、父の仕事の関係で数年間日本に在住していたことがあり、夏休みなどには剣道の稽古も兼ねて、長期間祖父母宅に泊まりこむことも多かった。

 黒髪のルークは、後ろ姿だけ見れば日本人と間違えられそうなほどに――ただし、非常に長身ではあるが――違和感がない。

 どちらもがとても目立つカップルである。通りすがりの人々が、例外なく振り返っていった。

 リエナはとても楽しそうだった。リエナが日本を訪れるのは初めてである。こどもの頃から、両親や兄と色々な場所を旅したが、日本だけはなかなか機会がなかったのだ。ルークのもう一つの故郷でもあり、以前からぜひ一度は来たいと思っていたのである。ルークの祖父母にあたたかく迎えられ、思いがけず振袖まで着ることができた。そして初詣デートなのだから、楽しくないはずがない。

 リエナには、見るものすべてが目新しい。ルークに教えてもらいながら、お賽銭を投げてお参りをする。

 無事に参拝を済ませた二人は、社務所に寄った。

「これは何?」

 リエナが前に並ぶそれらは、色とりどりの美しい布の小袋に綺麗な飾り紐がついている。初めて見る美しい小物に、リエナはまた眼を輝かせている。

「あ、それか? 御守りだ」

「御守り?」

 日本語がわからないリエナのために、ルークが簡単に説明する。

「誰にでも、色んな願い事があるだろ? それが成就するようにって願うんだ。それぞれ目的ががあって、学業とか健康とか、中には縁結びなんてのもあるぜ」

「素敵ね。わたくしも一つ欲しいわ」

「どれがいい?」

 しばらく迷って、大学生のリエナは淡いピンク色の学業成就のを選んだ。

 御守りを売っている巫女は、さきほどから自分の眼の前で仲良さげに話している外国人カップルが気になって仕方なかったらしい。社務所前には他の参拝客がいないこともあって、ちいさな紙袋に入れた御守りをリエナに渡しながら二人に話しかけてきた。

「お二人とも、着物がよくお似合いですね」

 日本語でだった。ルークとリエナは当然英語で会話しているが、二人の様子から、ルークの方は日本語が理解できると察したようである。

「ありがとうよ」

 ルークも日本語でそう答えながら、横にいるリエナに簡単に通訳する。リエナは気恥ずかしいのか、はにかんだ微笑みをみせた。

 巫女はルークが気さくに日本語で答えてくれたのに気を良くしたのか、続けて話しかけてきた。

「日本は初めてじゃなさそうですね? あ、彼女さんは違うかしら」

「俺はこどもの頃に何年か住んでたんだ。彼女は初めてだけどな」

 これも日本語で答えた。ルークは簡単な日常会話程度なら不自由はない。祖父母宅に滞在中には、大部分を日本語で過ごしたことと、剣道を通じて日本人の友人がいるおかげである。

「どうりで、日本語がお上手なわけですね」

 そうして、巫女は笑顔で付け加えた。

「――どうぞ、お幸せに」

 ルークから通訳してもらった巫女の言葉は、リエナにとっても嬉しいものである。

「ありがとうございます」

 これだけは覚えたばかりの日本語で礼を言った。

 その後、一緒におみくじを引く。幸い二人ともが大吉である。新春から縁起がいいと喜び、近くの木におみくじを結びつけた。

 境内でたくさんの写真を撮った。ルークがリエナの姿を撮り、もちろん、自撮りでのツーショットもある。

 振袖姿のリエナの姿は、ルークにとって特別に美しく愛おしいものである。早速壁紙や待ち受けにしようと考えている。

********

 初詣からの帰り道、リエナはずっと上機嫌だった。

「御守りが買えてうれしい。ずっと大切にするわね」

 リエナはそう言ったが、ルークがちょっと困ったように笑った。

「残念だが、ずっとってわけにはいかないんだ」

「あら、何故?」

「御守りってな、有効期限があるんだ」

「期限……? どれくらいなの?」

「まあ、だいたい一年、ってとこかな。物によっては、願いが成就するまでのとかもあるらしいが」

「あら、そうなの? 期限が切れたらどうするのかしら。まさか、捨てるわけにはいかないでしょう?」

「ああ、正式には買った神社に返すんだ」

 それを聞いたリエナの顔がほんの少し曇った。

「あなたとの旅行の記念にって思ったのだけれど……。ここまで返しに来るのは難しいから、買わない方がよかったのかしら」

「別にきっちり一年って決まってるわけじゃないし、返せるときにまで大切にしまっておけばいいと思うぜ。――また一緒に遊びに来ればいい。リエナさえよければ、じいさんばあさんは大歓迎だ」

「そうね」

 笑顔で言うルークに、リエナも心から嬉しそうな笑みを見せた。


( 終 )


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