木漏れ日

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 旅が終わって、早くも一年余りの月日が経過していた。

 どこまでも澄み渡った秋晴れの日、ムーンペタの離宮に於いて、ムーンブルク次期女王リエナとローレシア第一王子ルークの婚約の御披露目の宴が盛大に執り行われた。

 祝いの席には国内で生き残った有力貴族を始め、国外からも大勢の王族貴族の賓客を招いていた。二人とともに戦ったサマルトリアの王太子アーサーも祝いの席に駆けつけ、紆余曲折ののちにようやく婚約の運びとなった二人を心から祝福した。

 婚礼の儀は来年の春、ムーンペタのルビス大神殿にて挙行の予定である。

********

 翌日の午後、ルークとリエナは離宮の中庭の一角につくられたあずまやにいた。めでたく婚約が整い、御披露目が済んでも、リエナの公務が多忙を極めているのは変わらない。ルークも同じで早々にローレシアへ帰国しなければならず、二人でゆっくりと語らうことも難しい。それではあまりにもお気の毒であると、気を利かせた側近らが二人のために用意してくれた時間だった。

 中庭はすっかり秋の色に染まっていた。降りそそぐ日差しが、あちらこちらに柔らかな影を落としている。

 ルークは晴れて婚約者となったリエナを見つめ続けている。腕を伸ばし、そっと華奢な身体を抱き寄せた。リエナはますます美しさに磨きがかかっている。

 夢見るような菫色の瞳はわずかにうるみ、高く結い上げたプラチナブロンドの後れ毛が秋の日差しに煌めいている。纏った深い紅色のドレスが雪をも欺くほどの白い肌によく映え、匂いやかに美しい。そして、左手の薬指にはルークから贈られた指輪。

「綺麗だ」

 ルークは思わず口にしていた。なんの衒いも無い、率直な称賛の言葉に、リエナは頬を染めた。恥ずかしげにうつむこうとするリエナの頬に、ルークの大きな手がかかる。そのまま上向かせた。

 朝露を含んだ薔薇の花びらのようなくちびる。ルークは触れたくてたまらなくなった――今はもう、誰にも遠慮する必要などない。ためらいなくそこへ触れようとしたその瞬間、ルークの背後、あずまやの入り口からやや離れた場所から人の気配を感じた。

「――誰だ?」

 ルークはリエナを腕に抱いたまま首だけで振り返った。決して強い口調ではないものの、相手を威嚇するには充分過ぎるほどの鋭さである。

 丁寧に刈り込まれた生垣の陰から、一人の青年が姿を現した。アーサーである。アーサーはルークの誰何にも動じず、悠然とした足取りでこちらに向かって来る。二人からすこしばかり距離を取ったところで立ちどまった。新緑の緑を基調とした衣装を身に纏った立ち姿は、端正かつ優美でありながらも一分の隙もない。

「リエナに夢中になっていても気配だけは感じるのか。まあ、お前らしいといえばらしいね」

 アーサーが答えた。どこか揶揄するような、笑いを含んだ声音である。

「どうして、こんな場所に湧いて出た?」

「湧いて出る? ――ひどい言い草だ」

 アーサーは軽く肩をすくめ、今度ははっきりと笑い声を漏した。ルークは思い切り不機嫌な顔をしている。

「人払いしたはずだったが?」

「そうらしいね。でも、そこに僕は入ってなかったみたいだ。侍従長にお前達の居場所を尋ねたら、御二方はあずまやにいらっしゃいますからって、案内してくれた」

 その答えにルークの表情が変わる。アーサーは物騒な顔をした親友に向かって言う。

「侍従長を責めないでやってくれ。お前達二人きりなのは承知のうえで、僕を除け者にするわけにはいかないって判断だろうから」

「……わかってる」

「別に僕のことなら気にしなくてもいいよ」

「お前がよくても俺が嫌だ」

「どうして? ――今更じゃないか」

「今更? どういう意味だ」

「旅の間だって、さんざん見せつけてくれたのを忘れた?」

「そんな覚えはない」

「よく言うよ。お前は誰が見たってリエナにべた惚れだった。お前達二人が並んで歩いていたら恋人同士にしか見えなかったんだからね」

 アーサーはおおげさに溜め息をついてみせた。

「それなのに、リエナには何も具体的な言葉で言ってあげなかった。お前の思わせぶりな態度に振り回されるリエナが気の毒で仕方なかった。だからやっと婚約してくれてほっとしてるんだよ。これで意味はわかったよね?」

 ここまではっきり言われてしまうと、ルークも自覚があるだけに反論の余地はない。アーサーは口の端にわずかに笑みを浮かべ、言葉を継いだ。

「リエナにくちづけしたいんだろう?」

 これまた図星を刺され、ルークは言葉を失ったままである。

「ほら、ルーク。僕のことなら、その辺にある置物とでも思ってくれたらいい」

「は? 置物?」

 ようよう言葉を絞り出したルークに、アーサーはあっさりと頷いた。

「そう。だから、早く。リエナを待たせたらかわいそうだよ」

 ルークは再び絶句するしかなかった。もっともこういう状況であってもリエナをしっかり抱いたまま離さない。その様子にアーサーは余計に笑いをこらえることができないでいる。

 一方でリエナの方はといえば、何も言えずルークの腕の中で身を固くして真っ赤になっているしかない。けれど幸い、アーサーからはその様子は見えずにすんでいる。

 ルークが唸りつつ、アーサーに視線を向ける。

「待たせたら……って」

「待ってないの? 気の毒に」

「気の毒って、今度はいったい何なんだ」

「二つ意味があるのがわからない?」

 アーサーが薄く笑った。こういう時の彼は、容赦なく追い打ちをかけてくる。

「一つはさっきも言った通り、リエナを待たせたら気の毒だということ。もう一つはもしリエナが待ってくれてなかったら、おまえの方が気の毒って意味だけど?」

 アーサーの言葉は辛辣ではある。しかし、そのようにしか聞こえなくても、彼なりの祝意の表し方でもあるも確かだった。

 アーサーはルークとリエナのこれまでの経緯をすべて知っている唯一の人物だった。二人の出会い、婚約内定、正式発表直前でのムーンブルク崩壊と白紙に戻った婚約。旅立った後も、ルークの真摯な気持ちからであっても不器用としかいいようがない言動と、それに翻弄されたリエナの葛藤と苦悩、それが原因の二人のすれ違いまで、すべて見続けてきたのである。

 旅の最後の夜、ようやく二人の想いが通じ合い、その後も多くの障害を乗り越え、さらにはある重大な事実が判明して正式な婚約にこぎつけた。

 アーサーは二人のために行動を起こしたこともある。それがようやく実を結び、こうして堂々とからかうことができるようになった。うれしくて仕方がないのである。

 そんなアーサーの気持ちを知ってか知らずか、ルークは大真面目に口を開いた。

「俺は待たせるつもりはないんだがな。リエナの方が気にするだろうよ」

 いつもと違うルークの言葉に、アーサーがすこしばかり目を瞠る。

「お前も言うようになったじゃないか。――じゃあ僕は退散する。いつまでもお前達の邪魔をするほど野暮じゃないつもりだしね」

 軽く左手を上げて、アーサーが踵を返した。

「ごゆっくり」

 振り向きざまに二人に言葉をかける。端正な顔に浮かぶのは、惚れ惚れするほど鮮やかな、悪い笑み。

 立ち去るアーサーを見送ったルークが、呆然と呟きを漏らす。

「アーサーのやつ、いったい何しに来たんだ」

 ルークにはいくら考えてもアーサーの真意はつかめない。まあ考えたところで何か益があるわけでもないし、リエナとこうして二人きりでいられる時間は貴重だから、すこしでも無駄に過ごしたくはない。気を取り直して、自らの腕の中へ視線を向ける。

「リエナ?」

 リエナはまだ頬を染めたままだった。美しくもどこか可愛らしいその様子に、ルークはたまらず抱きしめる腕に力を籠めた。

「愛してるぜ」

「……わたくし、も」

 ますます頬を染め、消え入りそうな声で答えるリエナに、ルークは満面の笑みを浮かべた。

「──二人で、幸せになろうな」

 秋の柔らかな木漏れ日が、二人に降りそそぐ。ルークはあらためてなめらかな頬に手をかけ、そっと唇を落とした。


( 終 )


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