Spring has come

小説おしながきへ
TOPへ

「……リエナ」

 背後から呼ばれて、リエナは振り向いた。と同時に、逞しい腕に抱きしめられる。

――あたたかい。

 リエナは心からの幸せに浸っている。

 ルークの腕がふと緩んだ。今度はあっという間に抱きあげられ、そのまま軽々と運ばれる。ルークは寝台の端に腰掛けると、そのままリエナを自分の膝の上に乗せた。無骨な大きな手が、しなやかな髪を梳く。

「これなら、お前の顔がよく見えるな」

 ルークの言うとおりだった。すぐ目の前にあるのは、ルークの満面の笑み。あまりに近くて一気に白い頬が染まる。恥ずかしさのあまり、顔を伏せようとしたが、ルークがそれを許さない。

 そのまま抱きしめられ、柔らかく唇を塞がれた。リエナは身体をわずかに震わせる。

 こうして、いきなりくちづけを受けることにもまだ慣れていない。抱きしめられるのも、くちづけを交わすことも心から幸せなのに、どうしても恥ずかしさの方が先に立ってしまう。それでも、懸命に応えようとする様子がいじらしい。

 ようやく解放されてリエナは真っ赤になったまま、ルークの胸にすがり、顔を埋めた。ルークもそんなリエナが愛おしくて仕方がない。

 うれしくてたまらないというばかりに、ルークが白い歯を見せる。なめらかな頬に手をかけ、こちらを向かせた。

「リエナ、可愛いぜ」

 ルークの唇が、再びリエナのそれに重なった。

********

 その時、ルークの背後で、何かがかすかに軋むような音を立てていた。

********

「ルーク」

「何だ?」

「お前、幸せそうだなと思って」

 言葉とは裏腹に、アーサーの声にはどこか揶揄するような響きがある。

「幸せだぜ?」

 アーサーが言外ににおわせたものに気づいているのかどうか、ルークは臆面もなく答えた。

「毎日見せつけられる僕の身にもなってくれないか」

 アーサーはそう言いながら、今度は呆れたように溜め息をつく。

「見せつけてるつもりはないんだが……。第一、お前だって婚約者がいるじゃねえか」

「だからだよ。それにね」

「それに?」

「リエナがちょっと気の毒になったから」

「気の毒? 何でだ」

 本気でわからないらしいルークに、アーサーはやれやれとばかりに溜め息をついてみせる。

「ただでさえ恥ずかしがりなのに、あんなに大っぴらにくちづけされたら居たたまれないと思うけど?」

「……って、お前、どうしてそれを!?」

「リエナ、真っ赤になってただろう?」

「だから、どうしてお前がそれを知ってるんだ!?」

「部屋の扉をきちんと閉めておかなかったのはそっちだ。僕の方が目のやり場に困るんだけど。できたらああいうことは、僕達の二人部屋じゃなくて、リエナの部屋で頼むよ」

 辛辣なアーサーに、ルークは何も言えないでいる。アーサーが追い打ちをかけるように、言葉を続けた。

「ああ、そうだ。次回から、お前達二人で一部屋取る?」

「そんなわけいくか! リエナの髪型を見れば未婚なのは一目瞭然だ。俺と一緒の部屋に泊まれるわけないだろうが!」

 既婚女性は、髪を結い上げるのが習慣である。リエナのようにすべて下ろしているのは嫁入り前の娘だけなのだ。必死にまくし立てるルークに、アーサーは鼻で笑ってみせる。

「そんなこと問題にもならないね。今まで通り、一人部屋と二人部屋を一つずつ取ればいい。僕達三人がどういう部屋割りをするのか、わざわざ宿の人間に知らせる必要はないからね」

「俺はまだリエナにはそこまで……!」

 ルークは慌てて口をつぐんだ。勢いに任せ、とんでもないことを口走りそうになったのだ。

 アーサーの若草色の瞳がどこか悪戯っぽく光った。

「そこまで?」

「な……何でもねえよ」

「はいはい、そういうことにしておいてあげよう」

 アーサーは肩をすくめてみせると、今度は真正面からルークを見据える。

「でも、勘違いしないでね。お前のためじゃない、リエナのためだから」

 ルークにはもう反論の余地はなかった。


( 終 )


小説おしながきへ
TOPへ