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Apple compote
秋も深まってきたある日のこと。まもなく次の目的地の町に到着しようかというところで、街道沿いに一本の大きな林檎の木が生えているのを見つけた。ルークは足を止め、額に手をかざして林檎の木を見上げた。
林檎はちょうど食べ頃を迎えているのだが、旅人達が考えることはみな同じらしく、手の届きやすい下の方は取り尽くされ、てっぺんに近い部分にしか実が残っていない。
「ちょっと待ってろ」
ルークは背に負っていた荷物を地面に置くと、いきなり木に登り始めた。大きな身体に似合わず身軽な彼は、あっという間に数個の林檎を取ってアーサーに投げて寄こし、追加でもういくつか取ると軽く幹を蹴って飛び降りた。
「ほら」
リエナにも林檎を渡すと、自分も白い歯を見せてかじりついた。充分に熟した甘みと爽やかな酸味とが口一杯に広がる。あっという間に一個を食べ終わると、二個めに取りかかった。
「あ、おいしいわ」
うれしそうに微笑んで、リエナもちいさな両手で林檎を持ち、少しずつ口にしている。立ったまま林檎を丸かじりしていても、やはり彼女は上品さを失わない。
アーサーも手にした林檎とルークを交互に見遣りながら笑っている。
「さすがはルークだ。ローレシア城の木に登ってしょっちゅう行方不明になっては、侍従達が大騒ぎして探していただけのことはある」
「まあ、そうなの?」
リエナはルークに笑みを含んだ菫色の瞳を向けた。
「うるせー。こどものときの話だ」
ルークはばつが悪そうに横目でアーサーを睨むと、再び林檎にかじりついた。
短い休憩を終え、三人はまた歩き出した。ルークは三個めをかじりながら、アーサーに声をかけた。
「なあ、町まですぐだろ? 宿を決めて荷物を置いたら、もう一回さっきの林檎を取りに行こうかと思うんだけど」
「お前、まだ食べる気か? おいしいのは確かだけど、取り過ぎても困るだけじゃないかな」
「いいじゃねえか。少しくらいなら持って歩けるし、それでも余りそうなら宿に置いてくればいい」
「まあ、好きにしたらいいけど」
アーサーは苦笑しながらも頷いた。
ほどなくして町に到着し、今夜の宿も決まった。
「さて、行くとするか」
ルークは取った林檎を入れるために中身を空にした鞄を背負い、アーサーに声をかけた。
「僕なら行かないよ」
「何でだ?」
「これから町で買い物と情報収集だ。リエナと二人で行ってきたらいい」
「……どうする? リエナ」
荷物を片づけながら、リエナはちょっと考えた。
「わたくしはここで待っているわ」
「リエナ、行っておいでよ。今日は天気もいいし、たまにはこういう気晴らしもいいものだよ」
いつもならそれ以上は何も言わないアーサーが、珍しく強く勧めた。
「……いや、俺一人でいい」
ルークはそっぽを向いたまま、ぼそっとつぶやいた。
「いくら宿の部屋でも、リエナを一人にしない方がいいんじゃないかな」
アーサーが心配そうにリエナに視線を向けた。
「じゃあ、お前が一緒に買い物に連れて行けばいいじゃないか」
「買い物だけならいいよ。でも、情報収集は……ね」
「お前、そんな危ないところに行くのか? 何されるかわかんねえぞ」
「僕のこと、信用してない? 剣ではお前に勝てないけど、これでも結構強いつもりだけど」
「そりゃあそうだけど……」
そう言いながら、ルークはちらりとリエナの方を見遣った。
「それなら、わたくしも行くわ。木登りはできないけれど、かまわないかしら」
「あ……、ああ。じゃあ、そうするか」
口調だけはしぶしぶといったふうに、ルークは頷いた。その彼の様子に、アーサーは内心で苦笑していた。
********
ルークとリエナは連れ立って街道沿いを歩いていた。秋の午後の日差しも風も心地よい。あちこちの木々の葉も鮮やかに色づいている。
二人はどことなく緊張しているのか、ほとんど口を開かない。いつもと同じようにルークが先を歩き、リエナが後からついて行く。やがて林檎の木に着いた。
「じゃあ、俺が取って投げるから、お前は鞄に入れてくれるか」
「ええ、わかったわ」
先程と同じように、ルークはするすると木に登り始めた。あっという間にてっぺん近くまで登ると、さっそくいくつか取って一つずつリエナに放ってくる。リエナはそれを受け止め、丁寧に鞄に詰めていった。
木に残っている林檎は少ないように見えたが、実際に取り始めると予想以上に数が多く、ルークの鞄はすぐに一杯になった。木の下からリエナが声をかけると、ルークは最後にもう一つ手にして、飛び降りた。
「大収穫だな。――取り過ぎたか?」
「ちょっとそうかもね。林檎の砂糖煮でも作ってみようかしら」
「お、いいな。今夜の宿は厨房貸して貰えそうだし、楽しみにしてるぜ」
そう言いながら、ルークはまた林檎をかじっている。リエナが自分を見ているのに気がつき、慌てて一つ差し出した。
「ごめん、俺ばっか食ってて。ほら」
「あ、いいのよ。わたくしはもうお腹いっぱい」
「相変わらず少食だなあ。まあ、俺と違って細いからそんなもんか」
「あなたは本当によく食べるものね。でも、甘いものは好きじゃなかったわよね?」
「まあな。でも、リエナの作るのだけはうまいぜ」
言ってしまってから、ルークは急に照れくさそうに顔をそむけた。リエナもほのかに赤くなっている。
「……じゃあ、帰るか」
ルークは林檎で一杯になった鞄を背負うと、歩き出した。リエナも慌てて後を追った。
********
二人は宿への帰り道に食料品店に寄り、夕食の材料を買い込んで帰ったが、アーサーはまだ戻っていなかった。ルークは部屋で待つのも退屈だし、いくら宿の中でもリエナ一人で行動させるのは心配だったので、一緒に材料を抱えて宿泊客用の厨房に向かうことにした。
比較的時間が早いせいか、厨房はまだ空いていた。リエナは愛用の料理用ナイフで器用に林檎の皮を剥いていく。料理がからっきしのルークは見物するしかない。それでも手持ち無沙汰でもあり、何か手伝えることはないかとリエナに尋ねた。
「そうね、じゃあ皮を剥いた林檎を適当な大きさに切って、お鍋に入れてくれるかしら」
「いいぜ、それくらいなら俺でもできそうだ」
ルークは張り切って手伝い始めた。料理は駄目でも刃物を扱うのは玄人だ。自分の万能ナイフを取り出し、見事な手捌きで林檎を切っていった……はずだが、大きさがばらばらである。それに気づいたリエナはくすくす笑いながら、やんわりとルークに言った。
「ありがとう、ルーク。もうそれくらいでいいわ。……ごめんなさい、この大き過ぎるのはもう少しちいさく切るわね」
結局、リエナが全部の林檎を刻んで鍋に入れた。そこに砂糖を入れて火にかけ、焦げないように時々かき混ぜながら、ゆっくりと煮込んでいく。林檎を煮ながら同時に夕食用のシチューの仕込みに入る。リエナはまるで彼女の操る魔法のように、手際よく料理を作っていった。
しばらくして林檎の甘い香りが辺りに漂ってきた。厨房もだんだんと宿泊客達が夕食の支度をしたり、外で買ってきた料理を広げたりと賑わいを見せてくる。ルークは相変わらず見物するしかないのだが、不思議と見ていて飽きない。林檎もシチューもそろそろ出来上がり、リエナは林檎の鍋に仕上げに檸檬を絞り入れた。その時、たまたま厨房に入ってきた宿の女将がひょいっと鍋を覗き込み、リエナに話しかけてきた。
「おや、林檎の砂糖煮かい。――そうだ、いい物があるよ。ちょっと待ってて」
そう言って、一旦厨房を出ると、すぐに引き返してきた。
「はい、どうぞ」
女将が手にしているものをみて、リエナはうれしそうな声をあげた。
「あら、肉桂ですね。ありがとうございます」
さっそく煮上がる寸前の鍋に入れて軽く混ぜ合わせた。食欲をそそる、独特の甘い芳香が立ち昇る。女将はリエナに笑いかけた。
「お嬢さん、料理上手だねえ。こっちのシチューもあんたが作ったのかい? 大したもんだよ」
「ありがとうございます」
リエナもにっこり微笑んで礼を言うと、いくつか残っていた林檎を女将に差し出した。
「あの、これよかったら召しあがってください」
「おや、いいのかい? おいしそうな林檎じゃないの、ありがとうね」
「近くの街道沿いになっていたんですよ」
「ああ、知ってるよ。大きな木だもんねえ。あたしも昨日取りに行ったけど、もう手の届かないところにしか残ってなかったんだけど……」
「彼が木に登って取ってくれたんです」
そう言ってルークに微笑みかけた。女将はまじまじとルークを見上げると、にんまりと意味ありげな笑みを浮かべた。
「兄さん、あんた果報者だねえ」
女将はルークの背中をぽんぽん叩くと、林檎を両手で抱えて出ていった。
********
出来上がった料理を手に自分達の部屋に戻ると、アーサーも帰って来ていた。旅の必需品を買い込んだ大きな紙袋が置いてある。人当たりがよく交渉上手な彼は、今日もいい買い物ができたようだ。
「林檎狩りはどうだった?」
「大収穫だったぜ」
「ええ、少し取り過ぎてしまったから、林檎の砂糖煮を作ってきたわ」
アーサーはリエナが手にしている鍋を覗き込んだ。
「おいしそうだね。……でも、すごい量だ。食べきれる?」
「大丈夫だ。俺が食う」
妙なところでルークは自信満々である。
「残ったら、明日の朝食にいただけばいいと思うわよ」
リエナは机の上に料理を並べながら、にっこり笑った。
三人での夕食は楽しいものだった。今夜の献立は、シチュー、たっぷりときのこを入れたオムレツ、新鮮な野菜のサラダ。両方ともシチューを煮込んでいる間に手早く作ったものだ。それに、大振りのパンとこの町特産のチーズを添えた。
早速ルークがシチューを口に運んだ。
「うまい!」
満面の笑みで次々と料理を片づけていく。アーサーもリエナの心づくしの手料理に満足そうだ。リエナも品良く料理を口にしながら、うれしそうに二人の様子を眺めている。
「食った、食った。リエナ、ごちそうさま、うまかったぜ」
満ち足りた表情のルークが大きく伸びをした。彼がいつも以上の大食い振りを発揮したが、さすがに林檎は食べきれず、残りは明日の朝食の楽しみにとっておくことになった。
リエナを手伝って食器を片づけているアーサーが、彼女にこっそり耳打ちした。
「これだけ食べれば、育つはずか……」
本人には聞こえていないが、リエナは隣でくすくす笑っている。
********
ルークが部屋で剣の手入れをしているところへ、アーサーとリエナが後片付けから戻ってきた。リエナが湯殿へ湯を使いに行くと、アーサーは日課の旅の記録をつけるために、帳面を広げた。ペンを持つ手を動かしながら、ルークに話しかける。
「お前、甘いもの嫌いじゃなかったのか?」
「そうだけど?」
「――とてもそうとは思えない食べっぷりだったけど」
「リエナの作ったのだけは、うまいんだ」
自分の大剣に視線を向けたまま、ルークは答えた。
「ふうん、まあ気持ちはわかるよ。リエナが料理上手なのは本当だしね」
「なんだよ、その言い方」
アーサーはそれには答えず、話題を変えた。
「ところで、林檎狩りはどうだったんだ?」
「は? さっきも言っただろ。たくさん取れたって」
これを聞いてアーサーはわざとらしいほどの大きな溜め息をついた。
「そうじゃなくて、さ」
ルークは横目でアーサーをちらりと見遣ると、こちらも負けないくらいの特大の溜め息をついて言った。
「やっぱり、そうだったのかよ……」
いつもと違うルークの反応に、アーサーはちょっと面白そうに目を瞠った。
「なんだ、今度は気づいてたんだ」
「どうせ、俺とリエナを二人っきりにさせようって魂胆だろ?」
「ご名答。お前にしちゃ、上出来だ」
「……ったく、余計な気ばっかり回しやがって」
機嫌の悪いルークのつぶやきは無視して、アーサーはもう一度問いかけた。
「それで、どうだったわけ?」
まだしつこく聞いてくるアーサーに、ルークは面倒くさそうに答えた。
「……なんにもあるわけねえだろ? 俺が木に登って林檎取って、リエナに投げたら、鞄に詰めてくれて、いっぱいになったから帰ってきただけだぜ。まあ、帰り道に晩飯の材料買いには行ってきたけど」
「本当にそれでおしまい?」
「お前ってやつは……。いい加減、しつこいぞ」
うんざりした顔のルークではあるが、アーサーは全然気にかけてはいない。
「まあ、僕の意図に気づいただけでも、進歩したわけか……」
「うるせー! それが、余計なお世話だっていうんだ!」
ルークは手入れの終わった剣と道具を片づけたが、アーサーの顔にはまだ笑みが残っている。
********
翌朝、リエナは厨房で朝食の準備をしていた。手伝えるわけでもないのに、またルークがついて来ている。今朝の献立は、甘いものが苦手なルークのためにぎりぎりまで砂糖を減らして焼いたパンケーキである。それに、昨日買ってきた腸詰や目玉焼き、山盛りのサラダを添える。後は男二人の為に香り高い珈琲、リエナは自分用に紅茶を淹れた。
出来上がった料理を部屋に運び、早速三人で朝食にする。ルークは日課の剣の稽古を既にこなしたせいか、朝から昨夜に負けないくらいの大食い振りを発揮し、つぎつぎと焼きたてのパンケーキを口に運んでいる。昨夜の林檎にもしっかりと手を伸ばし、充分に満足して食事を終えた。
食後、後片付けと旅立ちの支度を終えると、三人は宿を出て次の目的地に向けて出発した。取った林檎はまだ残っていたが、ルークが自分の鞄に無理やり詰め込んだ。
今日もいい天気である。この辺りは比較的魔物の気配も薄く、三人は順調に旅を続けていった。ルークはまた時々鞄から林檎を出してはかじっている。何だかんだといいながら、最初は鞄一杯もあった林檎は数日中になくなった。そのほとんどがルークのお腹におさまったことは言うまでもない。
( 終 )
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