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         自覚  −1−

「ルーク殿下、アーサー殿下。何と御礼を申し上げてよいか……」

 ルーセント公爵が痩躯を折って二人の前に跪き、感謝の言葉を述べた。

 ローレシアの王子ルークとサマルトリアの王子アーサーは、ムーンペタの領主であるルーセント公爵の依頼により、真実の姿を映すという『ラーの鏡』の探索の為、それぞれ父王の命を受けてムーンブルクに派遣されてきた。

 二人は苦労の末『ラーの鏡』を見つけ出し、ようやくムーンブルクの王女リエナの、大神官ハーゴンにかけられた呪いを解くことができたのである。

 リエナは無事に呪いが解けたとはいえ、心労も疲れもたまっている。まずは休息が必要だと、リエナとも面識のある公爵夫人自らが古参の召使い達を指揮し、世話に当たっている。

 ルークとアーサーもそれぞれ客室に案内され、湯を使って疲れを癒した。その後、公爵から晩餐の招待を受けた。

「ルーク殿下、アーサー殿下、リエナ姫をお救いいただき、感謝の言葉もございません」

 晩餐の席でまた深々と頭を下げる公爵に、ルークは声をかけた。

「公爵、あれからリエナ姫のご様子はいかがですか?」

「はい、幸い今は少し落ち着かれた様でございます」

 公爵の言葉にルークも頷いた。

「後は、姫のこれからについてですが……」

 ルークは公爵にそう切り出した。

「ローレシアか、サマルトリアかどちらかで当分の間はお世話させていただくのが、よろしいかと思っています。ハーゴンは当然まだ姫を狙っているでしょうし、いつまでもこちらにご厄介になるのも難しいでしょうから」

「ありがたいお申し出、感謝に堪えません。私どももできればそうしていただきたいと考えておりました」

 ルーセント公爵家はムーンブルクでも一、二を争う大公爵家である。建国以来、優秀な魔法使いを輩出して王家に仕えている。過去には公爵家出身の王妃もいて、王家とは縁も深い。しかし、いくら優秀な魔法使いが大勢いても、単なる公爵家に過ぎないルーセント家が、ハーゴンに狙われているリエナをずっと保護し続けるのは難しい。ムーンブルク王家最後の王女となった彼女を守り切るには、ローレシアとサマルトリアの援助が不可欠である。

 ここでルークは、決心したように言った。

「ローレシアでお預かりしたいと思います。一度は私の妃に、とお話のあった姫ですし……。もちろん、婚約が白紙に戻っていることは承知しておりますので、純粋に同じロトの血を引く者として、お役に立ちたいと思っています」

 ルークの言葉にアーサーも頷いた。

「公爵、私もルークの意見に賛成です。ローレシアは騎士団の強さに関しては、ロト三国随一です。ここはお任せしてはいかがでしょうか。ローレシアまでは私も護衛として同行します」

「本当になんと御礼を申し上げてよいか……。リエナ姫を、どうぞよろしくお願い申し上げます」

 相談も終わり、ルークは父王宛てに、リエナの呪いが無事に解けたこと、彼女を引き取る為の準備をしてほしい旨手紙にしたため、ルーセント公爵に依頼して、大至急ローレシアに送る手配をした。返事が来るまでの間二人は公爵邸に滞在し、リエナも養生と旅立ちの為の準備をすることになった。

 数日後、ローレシアから依頼通りリエナを保護する準備が整ったとの返事が届いた。リエナはまだ疲れも残ってはいるものの、いつまでも公爵邸に滞在するより、より安全なローレシアに移動する方がよいだろうと、手紙が届いた翌々日には出発することに決まった。

********

 いよいよローレシアに向けて、三人での旅立ちである。ルークとアーサーはいつもの旅装束姿、リエナは魔法使いが好んで着る白いローブに紅色の頭巾をかぶり、真新しい魔道士の杖を手にしている。衣服も最低限必要なもののみ揃えた身の回りの品も、一般庶民の持ち物とさほど変わらない。魔道士の杖も、駆け出しの魔法使いがよく持っているありふれた市販品である。王女の身分を隠す為とはいえ、あまりに質素すぎはしないか、と公爵夫人などは眉をひそめたが、リエナ自身は何ひとつ不満を訴えることなく、感謝の言葉を口にして身に着けた。

 しかし、質素な出で立ちであっても、いささかもリエナの美貌と気品を損なわず、むしろ清楚な美しさを強調している。ルークもアーサーも彼女の姿に思わず目を見張ったほどだった。

 出発した日の夕方、三人はムーンペタの町を歩いていた。ルーセント公爵邸はムーンペタの郊外にあり、町まで男の足でも半日近くはかかる。ほとんど外出すらした経験もないリエナの為に、公爵家が町の入口近くまで目立たない馬車で送ってくれたが、それでも町に到着したときにはかなり日が傾いていた。少しでもリエナに疲れをとってもらおうと、今夜はルークとアーサーが合流した宿屋で一泊することに決めた。

 リエナの姿を見た宿の女将は彼女の美貌と気品に驚いたようだ。いくら身をやつしてもリエナの姿は目立つ。最初は食事も宿の食堂でと思ったが、気の荒い旅人も多く、行方不明中のリエナがあまり人前に姿を晒すのも問題がある。やめた方がよさそうだと判断して、食事は二人の部屋に運んでもらうよう頼んだ。

 その夜、三人で食事をとる間もリエナは緊張しているようだった。無理もない。ムーンブルク王家の女性は、15歳になるまで人前には出ない。兄を除けば若い男と食事はおろか、話をする機会もほとんどなかったのだから。それでもまだこの二人とはムーンブルク崩壊以前に言葉を交わしているし、充分に気を遣ってくれているのはよくわかるので、リエナもなるべく話すよう努力をしていた。リエナは食欲がないのか、かなり少なめに取り分けた料理も、あまり減った様子がない。それに気づいたルークが心配して話しかけた。

「リエナ姫、あまり食事が進んでいらっしゃらないようですが……。やはりお口には合いませんでしたでしょうか?」

「いいえ、そんなことはありませんわ。充分いただいております」

 逆にリエナは若い男二人の、特にルークの食欲には驚いたようだった。それに気づいたアーサーは笑いながら言う。

「姫はルークの食欲に驚かれたようですね。ええ、当然ですよ。私ですら、彼の食べっぷりには驚かされるばかりですから」

「お前なあ、姫の前でそんなこと言うな。ますます驚かせてしまうじゃないか。……失礼しました。つい、いつもの……」

 謝るルークに、リエナは首をちいさく横に振って微笑んだ。

「どうぞお気になさらないでくださいませね。むしろ、お二方が本当にご親友でいらっしゃるのがよくわかりますわ」

 これで少しは緊張も取れたのか、この後はリエナも食が進んだようで、皿の上にかなり残っていた料理も、最後にはきれいになくなっていた。

 食事が終わり、リエナはルークに送られて自室に引き取った。部屋についている湯殿に湯を使いに行く。リエナはお付きの乳母や侍女の手を借りずに、一人で着替えることすら初めてである。それでも、これからはそれが当たり前だと自分に言い聞かせ、なるべく手早く支度を整えた。

 今日の寝台もリエナが生まれて初めての質素なものだ。敷布も掛け布団も、これまで最高級の絹物しか使ったことがない。洗いざらした木綿の手触りにも最初は違和感があった。けれど、ムーンペタを出た後は野宿が続くのを思えばどうということもない。

 寝台に横たわり、眠ろうとするが疲れているはずなのに、眠れない。眼を開けていても、閉じていても、あのムーンブルク城崩壊の惨状が眼に焼き付いて離れない。リエナは忌まわしい記憶を振り払うかのように、寝返りを打ち続けたが、なかなか眠りはやって来てはくれなかった。

********

「いやああっ!」

 リエナはうなされて目覚めた。

(まただわ……、最近ほとんど毎晩……。お父様、お兄様……何故、何故!)

 リエナはまだ震えが止まらない。両腕で肩をかき抱き、寝台の上に蹲っていた。

 ルークとアーサーはよく眠っていたが、隣のリエナの部屋から不審な物音がした気がして、二人とも目を覚ました。暗闇の中でルークがすぐに起き上がり、部屋を出て行く。それに気づいたアーサーは、ここはルークに任せようと、そのまま眠ったふりを続けると決めた。

 リエナはまだ震え続けていた。どれくらいそうしていたのか、気がついたら部屋をそっとノックする音が聞こえたが、恐怖で身体が動かない。

 ルークは何度ノックしても返事がないのでためらいはしたが、思い切って扉を開けた。部屋の中にはリエナが寝台の上で震えながら蹲っていた。わずかに月明かりが差し込んでいるだけの部屋は暗いが、それでも彼女が蒼白になっているのがよくわかる。ルークは慌てて部屋に入った。

「リエナ姫、大丈夫ですか? 何かありましたか?」

 しかしリエナは答えない。恐怖の為か、美しい菫色の瞳は大きく見開かれている。震えながら、訴えるようにルークに視線を向けた。しかし、てっきり涙に濡れているかと思った瞳は、意外にも乾いたままだった。

 ルークはまるで何かに突き動かされたかのように、リエナの華奢な身体を抱きしめた。

「姫……。私ができる限り、お守りします」

 それだけを言うと、なだめるようにゆっくりとリエナの髪を撫で始めた。リエナも突然のルークの振る舞いに驚いたものの、ごく自然に身体を預けていた。

 リエナはルークの腕のなかで、不思議な安らぎを感じていた。

(あたたかいわ……。さっきまであんなに不安だったのに、今はもう……)

 知らず知らずのうちに、リエナの瞳に涙が浮かんでいた。それはみるみるうちに大粒の涙になり、ぽろぽろ零れ落ちた。気がつくとルークの腕のなかで、リエナは声をあげて泣き始めていた。ルークもずっとそのまま抱きしめ続ける。

 どのくらいの時が経ったのか、リエナはようやく泣きやんだ。そして自分がルークの腕のなかにいることに初めて気づいたように、はっとして身体を離した。ルークも慌てて寝台から立ち上がる。リエナは掛け布団を引き上げて夜着姿を隠すと、おずおずとルークの方を見て声をかけた。

「あの……」

 背中を向けて部屋を出ようしていたルークは、もう一度振り返った。

「何でしょうか?」

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。もう大丈夫ですわ。……ありがとうございました」

 菫色の瞳はまだ涙に濡れていたが、先ほどまでのひどい怯えの色はない。

「いえ、先程は無礼な振る舞いをしてしまいました。……お許しください。」

 ルークは深々と頭を下げた。

「いいえ、そんなことは……。あの、ルーク様。もしよろしければ、わたくしの話を聞いていただきたいのですけれど……」

「私は構いません。姫がお話しになりたいのでしたら、お相手いたします」

 ルークは部屋の隅にあった椅子を持って来ると、寝台のそばに置いて座った。リエナは心を落ち着けるように、しばらくうつむいたままだった。ルークはリエナが話し始めるのを辛抱強く待っていた。ようやくリエナは顔を上げ、ゆっくりと話し始めた。

「ルーク様……。わたくしのことを、さぞや冷たい人間だとお思いでしたでしょうね……」

「……どういうことでしょうか?」

「ルーク様とアーサー様にお助けいただいた後、一度は取り乱してしまいましたけれど、その後はずっと普通に振る舞っておりましたから……。公爵邸の方々はもちろん、召使い達までもが、噂していたようでしたわ。わたくしが一度も涙を見せない、なぜあそこまで冷静でいられるのかと……」

 ルークは黙ったまま、じっと真剣に聞いていた。

「わたくし、何度泣きたいと思ったかしれませんでした。起きていてもあの惨状がいつも眼の前に繰り返され、眠っても度々うなされましたわ。その度に泣きたいのに、どうしても涙が出なかったのです」

「リエナ姫……」

「不思議ですわね。先程ルーク様に慰めていただいて、初めて泣くことができましたの。お見苦しいところをお見せして、恥ずかしく思いますが……。感謝していますわ」

 そう言うとゆっくりと頭を下げた。ほつれた髪がこぼれかかる。

「姫のおつらいご記憶を考えれば当たり前です。この先、私がお役に立てることがあれば、何なりとおっしゃってください」

「ルーク様、お優しいのですね。本当にありがとうございました」

 リエナはほのかに微笑んだ。ルークはなぜか動悸がし始めた気がして、慌てて立ち上がり、辞去の挨拶をする。

「こちらこそ、数々の無礼をお許しください。それでは、これで失礼します」

 ルークが部屋を出て行った後も、リエナはしばらくそのままで座っていた。

(ルーク様……。あたたかかったルーク様の腕のなかで、ようやく泣けたのだわ……。でも、わたくし、なんてことを……。いくらうなされたわたくしの様子を見に来てくださったとはいえ、殿方をお部屋に入れたばかりか、あんな振る舞いを許してしまって……。ルーク様は、もう婚約者ではないのに……)

 手にしていた布団を、もう一度しっかりと抱きしめる。彼女は気づいていないけれど、いつの間にか頬が薄紅(うすくれない)に染まっている。

(それでも……、心が軽くなったのは何故? わたくしは、もしかしたら……)

 一方ルークも部屋に戻り、自分の寝台に横になったが、なかなか寝付かれなかった。何度も寝返りを打ち、珍しく溜息までついていた。アーサーもルークが出ていったあとも、リエナが心配でずっと起きていた。ルークが戻ったら様子を聞こうと思っていたが、彼の様子から何が起こったのかだいたい見当がついたので、眠ったふりを続けている。

 ルークは自分の中に湧き起こっている、初めての感情に戸惑っていた。

(リエナ姫……。ずっと泣くことができなかったと言っていた。一人でずっとそれに耐えていたというのか。たった一人で……。これは、この感情はいったい何だ? 俺は、姫を……)

 ルークはリエナを抱きしめた時、彼女のあまりの細さに驚いた。こんなに華奢な身体で、悲しみに耐えてそれを受け入れようとしている、その事実に衝撃を受けていた。

(ユリウス……、なんで逝っちまったんだ? リエナ姫一人を残して……)

 初めて出会った夜の、リエナの亡き兄ユリウスの言葉を思い出していた。

『私に万が一のことがあったら、リエナを頼む』

(お前の言葉……、遺言と思ってできるだけのことをする)

 亡き親友の為に、長い間じっと眼を閉じて黙祷を捧げた。やがて顔を上げたルークの深い青の瞳には、新たな決意が現れていた。

(リエナ姫を自分の生命に代えても守る。そして、自分の手で幸せにしたい)

 ルークは初めて心の底からそう思った。


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