小説おしながきへ
                                                     TOPへ

         庇う

 最後に一匹だけ残った魔物が真空の呪文を放った。真空の刃が後方で援護していたリエナめがけて一直線に襲いかかる。このままリエナにまともに当たれば、盾を装備できない彼女は間違いなく重傷を負う。ルークは咄嗟にリエナの許に走ると、左腕の盾で呪文を避けようとした。しかし僅かに間に合わず、真空の刃の大半がルークの左腕を襲った。それでもルークは怯むことなく、リエナを自らの長身で守り、残りの刃を盾で防いだ。

 その隙に、アーサーの閃光の呪文が放たれ、魔物は瀕死の重傷を負った。すかさずルークがとどめを刺し、ようやく魔物は息絶えた。

 ルークは荒い息を吐きながら、リエナに声をかけた。

「リエナ、……大丈夫か!?」

「ええ、大丈夫。あなたのおかげよ、ありがとう」

「なら、よかった。……!」

 負った傷がよほど痛むのか、ルークは苦痛に顔をゆがめ、左腕を押さえた。慌ててルークに駆け寄ったリエナは、彼のあまりの怪我のひどさに一瞬声を失った。

「ルーク、……あなた、その腕! ……腕だけじゃないわ、身体中傷だらけじゃないの!」

「しょうがないぜ。さっきの呪文は結構効いたからな」

 ルークはリエナに無理に笑って見せた。

「ちょっと見せてくれ」

 アーサーがルークの傷の具合を確かめようと近づいてくる。彼も決して無傷ではないが、自然治癒でも大丈夫な程度である。

「アーサー、別に大したことはない。回復の呪文を一回かければ、すぐ治る」

「ごめんなさい、わたくしはもう……」

 リエナの魔力は今の戦闘で既に尽きていた。

「わかってる。アーサー、お前は?」

「僕の魔力も、残りは初級の回復一回分だけだ」

 先程の魔物はかなり手強かった。ルークはもちろん、アーサーもリエナも死力を尽くしてようやく倒せたくらいだった。特に今日は魔物と遭遇する回数が多く、二人の魔力がほぼ尽きても仕方のないほど呪文を数多く唱えている。ルークにもそれはよくわかっている。自分の傷は決して浅くはないが、持ち前の体力に物を言わせて何とかなるだろうと判断した。

「この程度の傷なら、明日の朝にでも回復の呪文をかければ問題ない。この後何があるかわからないから、そのまま温存しておいてくれ」

 しかし、アーサーはそうは思わなかったらしい。

「わかった……って言いたいが、その傷、かなり深そうだ。野宿の場所ならすぐに見つかりそうだし、今のうちに回復しておいた方がいい」

「いや、薬草も尽きたし、二人ともが魔力が空になるのはまずい。俺の心配はいらねえよ」

 最後まで回復を拒否したルークに、仕方なく応急処置だけ施すことにする。しかし、リエナが消毒をして包帯を巻いている間も、ルークが苦痛をこらえているのがはっきりとわかった。彼には滅多にないことだが、脂汗まで掻いている。

 その後は、辛うじて魔物に遭遇することなく、野宿の場所が見つかった。大木の木陰であるが、今夜は雨の心配もなさそうである。アーサーもリエナも魔物除けの呪文を唱えるだけの魔力がもう残っていない。幸い手持ちに聖水が残っていたので、代わりに撒いた。

 食事の間も、日課となっている剣の手入れをしている時も、ルークが痛みをこらえているのは明らかだった。彼は自分から痛いなどとは絶対に言わないが、余程痛むのか、いつもよりも口数が少なく、息も荒い。応急処置で巻いた包帯にも既にだいぶ血が滲んでいる。今夜ばかりはアーサーが一晩中の火の番を買って出た。ルークも素直に頷き、早々に毛布にくるまると横になった。

「ルーク……、ごめんなさい。わたくしを庇ったばかりに……」

 リエナはほとんど泣きそうな顔をして、ルークの隣に座り込んでいた。

「この程度ならかすり傷だ。気にするな」

 心配をかけまいとして、ルークは無理に笑顔をつくろうとするが上手くいかない。ルークはその代わりにリエナを安心させようと、怪我をしていない右手を彼女のローブの袖に伸ばした。 

 その時、リエナの顔にほんの一瞬苦痛が浮かんだ。リエナも怪我をしていたらしい。心配をかけたくない彼女は傷を負ったことを隠し、傷はローブの袖に隠れていて今まで気がつかなかったのである。ルークが傷の場所を見ているのに気づき、リエナは慌てて袖を引っ張ったが、それを見逃すルークではない。

「おい、リエナ。手首、ちょっと見せてみろ」

「え……? 何でもないわ」

 ルークは痛む身体を無理に起こし、半ば強引にリエナの手を引っ張った。細い手首に、避け切れなかった真空の刃が傷をつけていた。リエナの傷は決して深いものではないが、薬草を使わず、回復の呪文もかけずにそのまま自然に治るのを待てば、確実に傷跡が残りそうである。

「何故、隠してた!? アーサー、リエナの傷を回復してやってくれ」

 リエナは首を横に振った。

「ルーク、必要ないわ。わたくしこそ、かすり傷よ。わたくしに回復の呪文をかけるくらいなら、あなたに……」

 すべて言い終わらないうちに、ルークがリエナの言葉を遮った。

「駄目だ! 化膿して傷跡が残ったら、どうするつもりだ!?」

「あなたこそ……!」

 リエナの大きな菫色の瞳には涙が浮かんでいる。ルークは構わず、もう一度アーサーにリエナに回復の呪文をかけるよう頼んだ。アーサーはルークが一度言い出したら絶対に引かないことを知っている。ましてや、それがリエナの怪我に関してであれば、何を言っても無駄である。アーサーはリエナに回復をかけ、三人とも少しでも早く休んで、体力・魔力を回復するのが最善だと判断した。アーサーはリエナをなだめるように優しく声をかけた。

「リエナ、今はルークの判断に従った方がいい。ほら、腕を見せて」

 それでもリエナは抵抗しようとしたが、その前にアーサーの回復の呪文が発動された。彼女の傷はみるみる塞がり、もとの美しい白い肌に戻った。リエナは自分の手首を悲しそうな表情で見つめていた。華奢な手首に涙が零れ落ちた。

 リエナの傷が癒えたのを見て安心したのか、ルークはすぐに横になった。さっきとは打って変わって穏やかな表情でリエナに話しかける。

「な、リエナ。お前だけは絶対に怪我をしちゃいけない。俺はお前と違って体力には自信があるから」

 リエナはまだすすり泣いている。ルークは深い青の瞳を真っ直ぐリエナに向けた。

「俺なら、大丈夫だから。その代わり、明日の朝になったらお前が回復の呪文をかけてくれ。……いいな?」

「わかったわ……」

 涙に濡れた顔のまま、ようやくリエナも頷いた。ルークもやっとほっとした表情を見せた。

「わかったんなら、早く寝ろ。そうすればお前の魔力も回復する」

 ほどなくしてルークは眠りに落ちた。リエナはルークの傷をじっと心配そうに見つめていたが、自分も少しでも早く休んで体力・魔力を回復させるべきなのはわかりきっている。ルークの姿が見える場所に横になった。

 火の番をしながら、アーサーは慎重に辺りの気配を探っていた。聖水を使ったとはいえ、油断は禁物だ。魔物を防ぐ効果はリエナの魔物除けの呪文の方が遥かに高く、聖水ではすべての魔物を防ぐことは難しい。今のようにルークがほとんど戦えず、リエナも自分も魔力が尽きた状態で襲われたらひとたまりもない。幸い、今のところは辺りに魔物の気配はなく、無事に朝を迎えられそうだった。

********

 夜が明けた。眩しい朝日を浴びて、リエナは目を覚ました。きちんと睡眠を取ったおかげで魔力が戻っている。ここのところの強行軍のせいで完全にではないが、ルークを回復し、今日一日戦うには充分のはずだ。

 リエナが起き上ったのを見て、アーサーが声をかけた。

「おはよう、かなり魔力が回復できたみたいだね。」

「ありがとう。もうすっかりいいわ。――ルークに回復の呪文をかけるわね」

 すぐにリエナはルークの隣に座った。ルークは額にびっしり汗をかいたまま、まだ眠っている。

(ルーク、本当にごめんなさい。すぐに傷を癒すから……)

 透き通るように美しい詠唱の声がルークの頭上に響いた。

「大地の精霊よ、我が前に眠りし傷つきたる戦士に、慈悲深き癒しの恵みを与え給え――べホイミ」

 リエナの魂の色である薄紅(うすくれない)の癒しの光が、傷ついたルークの全身をいたわるように包み込んだ。数え切れないほどあった傷がみるみる塞がっていく。

「……あれ?」

 ルークが目を覚ました。いきなりがばっと起き上ると、左腕を動かし始める。寝ている間に傷がすっかり癒えたことを確認して、ようやく隣でリエナが心配そうに自分を見つめていることに気づいた。

「ルーク……、もう大丈夫?」

 リエナの菫色の瞳がルークの深い青の瞳を覗き込んだ。ルークはリエナに見つめられて、いつの間にか顔が赤くなっているのだが、本人はもちろん、リエナも彼の傷の方にばかり意識が向いているせいか、気づいていない。

「ああ、もう何ともない。お前の魔法はやっぱり凄いな。――ありがとう」

「……よかった。心配したんだから」

 リエナもようやくいつもの笑顔を見せた。

 いつものことながら、アーサーだけはルークの顔色の変化に気づいている。横目で二人の姿を見ながら、内心で苦笑していた。

(本当に世話が焼けるよ。僕に見せつけてるつもりはないんだろうけど、傍から見たら、恋人同士の痴話喧嘩と仲直りにしか見えないって、全然わかってないんだから。――ルークはいったい何時になったら、自分の気持ちを伝えるつもりなんだろうね)

 ルークとリエナはすっかり二人の世界を作ってしまっている。アーサーはわざと大きな声で、ルークに話しかけた。

「ルーク、傷はもういいんだろう? 悪いけど僕は一睡もしてないんだ。少し寝させてもらうから、後は頼んだよ」

 言うだけ言うと、アーサーはさっさと眠ってしまった。ルークは血に汚れた顔を洗いがてら水を汲みに行き、リエナは三人分の朝食の準備を始めた。

 彼らの旅はまだまだ続いて行く。

                                             ( 終 )

                                         小説おしながきへ
                                             TOPへ