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         あたたかな流れ

 激しい戦闘だった。

 いつも通り、ルークは自ら魔物の群れに突っ込んでいった。アーサーはすぐ近くから剣を振るい、同時に呪文を詠唱し、後方からはリエナの支援を受けながら、一匹ずつ、確実に闇に葬っていく。

 到底無傷というわけにはいかない。ルークは全身にかなりの傷を負い、あちこちから血が滲んでいる。アーサーもいつも以上に負傷していた。

 リエナはルークとアーサーに回復の呪文を唱えた。みるみるうちに傷が塞がるが、その直後にまた魔物の攻撃で傷を負う。その繰り返しで、既に彼女の魔力はほとんど限界に近づいていた。それでも、手にした魔道士の杖を握り直し、気力を振り絞って詠唱を続けている。

 魔力が尽きかけているのは、アーサーも同じだった。残り少ない魔力を温存するため、剣での攻撃を主体に戦い続けている。アーサーの剣はルークとはまったく違う。力こそルークには敵わないものの、持ち前の素早さを生かし、相手の一瞬の隙をついて的確な攻撃を繰り返していく。

 最後の一匹の断末魔が、平原に響き渡った。

 三人は精も根も尽き果てたように、その場で蹲ってしまった。一番の重傷を負っているのはやはりルークだった。リエナは後方支援に徹したおかげで無傷であるが、体力も精神力も限界に近い。それでもかろうじて立ち上がり、ルークの隣までくると、回復の呪文を唱えた。

 やはり、魔力が限界だったのだろう。中級の呪文でも、ルークの傷がすべて塞がったわけではない。それでも、立っていられないほどの傷の大半を癒すことはできた。

「ありがとう、リエナ。――大丈夫か?」

「ええ、平気よ」

 アーサーもリエナへと自分に回復の呪文を唱え、三人は再び立ち上がると、次の目的地を目指した。

 夕暮れも近くなったころ、ようやく町に到着した。町を一歩出れば魔物が跳梁しているとは思えないほどの平和な光景に、三人はようやく人心地がついた。

 宿屋の主人は、彼らの血に汚れた姿を見て一瞬絶句していたが、幸い宿泊を拒否されることはなかった。今夜は客が多いとのことで、あいにく一部屋しか取れなかったが、普段は野宿を続けている彼らには充分である。

 主人から鍵を受け取り、部屋に入るとそれぞれ荷物をおろす。リエナも紅色の頭巾を外して机に置こうとした時、急に足元が覚束なくなった。

「おい、大丈夫か?」

 心配そうなルークの声に、リエナは無理に少し微笑んだ。

「ええ、だい……じょう……」

 すべて言い終わらないうちに、リエナの身体が崩れ落ちた。

「リエナ、どうした!?」

 ルークは咄嗟に身体を支えたが、リエナは意識を失っていた。外を歩いているときは夕暮れの薄闇のせいで気づかなかったが、顔色も蒼白になっている。

「おい、リエナ!?」

 いきなりのことで動転したルークは、何度も名前を呼んだ。しかし、リエナはルークの腕のなかでぐったりとしたまま、まったく反応がない。仕方なくルークはリエナを一つだけある寝台にそっと横たえた。

「すぐに医者を呼ばないと。俺、宿の主人に聞いてくる」

 そう言って、部屋を出ていこうとしたルークをアーサーが引き止めた。

「ルーク、やめた方がいい」

「何だよ、リエナが心配じゃないのか!?」

 掴まれた腕を振り払おうとしたルークに向かって、アーサーは首を振った。

「そうじゃない。医者を呼ぶのはかえってよくないからそう言ってるんだ」

「お前こそ、何を訳わからんこと言ってるんだ!?」

 リエナを心配するあまり、ルークは完全に頭に血が上ってしまっている。

「ルーク、落ち着いて。いいか、リエナは傷を負ったわけじゃない。少なくともさっきの戦闘では、一度も攻撃を受けていないし、最後に僕が回復の呪文をかけたのは覚えてるね」

「ああ」

「恐らくリエナが倒れた原因は精神的なものだ。第一、見ず知らずの男の医者がリエナに触れるのに、お前、我慢できるのか?」

 ルークは言葉に詰まった。

「これは僕の推測だけど……」

 アーサーは考えをまとめながら、ゆっくりと話し始めた。

「リエナは強大な魔力を持つ魔法使いだ。だから、精神力の強さも半端じゃない分、精神の健康状態が、肉体のそれに大きな影響を及ぼす気がするんだ。――意識を失った直接の原因は、今日最後の戦闘で魔力を使い果たしたからだと思う」

 しかし、ルークはこの意見には納得できなかった。

「ちょっと待てよ。今までだって、魔力切れは何度もあったぜ。でも、こんなふうになるのは初めてじゃないか。何か別の原因があるんじゃないのか?」

「お前の言う通り、普通の魔力切れなら意識を失うことはないだろうね。今回は限界を超えたんじゃないかと思うよ」

「限界を超える? そんなことが可能なのか?」

「少なくとも僕にはできない。でも、リエナはムーンブルク王家直系の魔法使いの中でも最強だ。できても僕は驚かない」

 アーサーはここで一つ息をついた。

「これも僕の推測だけど、今のリエナの状態で、精神的にも肉体的にも傷を負ったとしたら、どうなるかわからない」

「それは、俺にもなんとなくわかる。――リエナは繊細だしな」

 リエナは決して好き好んで戦っているわけではない。それどころか、本来ならば城の奥深くで美しいものだけに囲まれ、読書や刺繍をしているのが似合う姫君である。それにもかかわらずリエナが旅に出たのは、ひとえにハーゴンを倒し、自らの手でムーンブルクを復興したいという一念からだ。普段から気丈に振る舞ってはいるが、明らかに無理をしていることも多い。それが時には痛ましささえ感じさせるほどだった。

 アーサーはルークに視線を向けると、きっぱりと言い切った。

「一番いいのは、ルーク、お前ができるだけそばについていることだと思う」

「俺が?」

 いきなり自分の名前を出されても、ルークにはアーサーの言いたいことがつかめない。

「旅の初日にムーンペタで何があったかは知ってるつもりだよ。悪夢にうなされたリエナを、抱きしめてあげたんだろう?」

「う……」

「そしてリエナはお前にそうされて安心できた。――違う?」

 ルークは何も答えられなかったが、アーサーは気にせず、言葉を継いだ。

「何故そうなのかまでは、僕にもわからない。でも今は、リエナをこれ以上傷つけないことが一番重要じゃないかな」

 しばらくして、ようやくルークが答えた。

「――わかったよ。そばについてる。……っていうか今の俺には、それしかできないから」

「それならルーク、先に湯を使ってこい。その間だけは、僕がリエナについているから」

「いや、俺はこのままでいい」

 よほどリエナが心配なのだろう。ルークは片時もリエナから離れたくないらしい。

「わかった。じゃあ、僕が先に使わせてもらうよ。このままじゃ、宿の中を歩くのも迷惑になるからね。でもお前も、服くらいは着替えておいた方がいい」

 そう言われて、ルークがあらためて自分の姿を確認すると、服はあちこち破れ、更には自分の血と返り血とで汚れ、かなりひどい姿だった。それでも着替える気にもなれず、上に着ている青い旅装束を脱いだだけだった。

 しばらくしてアーサーが部屋についている湯殿から戻ると、ルークは寝台の横の床に座り込んだまま、じっとリエナの顔を心配そうに見つめていた。

「どう?」

「何の変化もない」

 ルークはリエナの方に顔を向けたまま答えた。

「――本当に、俺がこうしてそばについているだけでいいのか?」

「ああ。でも、僕の推測が正しければ、意識が戻るまでにはある程度時間がかかると思う」

「もし……、このまま目覚めなかったら……」

 珍しくルークの語尾が震えている。

「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、リエナに外傷はない」

 ルークは無言だった。そばについている以外、何もできない自分が不甲斐なくて仕方がないと思っているのが、アーサーには手に取るように理解できた。アーサーも自分がここにいても仕方ないのはわかっている。荷物から財布を取り出し、ルークに声をかけた。

「僕は何か食べるものを調達してくる」

 アーサーが出かけて行った後の狭い部屋の中は、重苦しい静寂に支配されている。リエナは苦しそうな表情こそないものの、身じろぎひとつせず横たわったままである。長い巻き毛が頬にこぼれかかっているのを直そうと、ルークはそっと頬に手をやった。ひんやりと冷たく、もともと抜けるように白い肌が今は血の気を失い、透き通るほどになっている。ルークは何もできないまま、ひたすら見守り続けるしかなかった。 

 ほどなくして、アーサーが紙袋を抱えて部屋に戻ってきた。

「さ、ルーク。お前も今のうちに食べておけ」

「――いらねえ」

「気持ちはわかるけど、食べられるうちに食べておかないと、いざという時に困るよ」

 そう言われて、しぶしぶアーサーが差し出した包みを受け取った。ひとくち口にしてみて、初めて自分がひどく空腹なのに気がついた。またたく間に、食べ終わる。

「こんな時だってのに、腹だけは減るんだな……」

 自嘲気味につぶやくと、アーサーも食べながら答えを返した。

「生きてる以上、当たり前のことだよ。リエナの分もちゃんと別に買っておいたから」

 味気ない食事はあっという間に終わり、ルークはアーサーに声をかけた。

「お前は先に寝てくれ。――俺は、ここにいるから」

「わかった。何かあったら起こしてくれ」

 そう言うと、アーサーは二人からなるべく離れた場所を自分の寝床と決め、毛布をかぶって背を向けると床に直接横になった。

 アーサーが眠りについた後も、ルークはリエナが倒れた原因を考え続けていた。

(魔力を限界を超えて使い果たした。そのアーサーの言葉が正しいのだとしたら……)

 その時、ルークの脳裏にある考えが浮かんだ。

(限界を超えたのは、あの戦闘が終わって、俺に回復をかけたときか?)

 激しかった戦闘中も、ずっとリエナは後方で呪文を唱え続けていた。しかも、今日は魔物との遭遇する回数がいつもよりも多く、今日最後となった戦闘の前までで、既にリエナがかなり消耗していたのはルークにもよくわかっていた。幸い怪我だけはしていなかったが、戦闘終了後にリエナ自身でなく、アーサーが回復をかけたところをみると、自分の考えは当たっているように思える。

(すまない……。俺の、ために……)

 ルークはリエナを抱きしめたくてたまらなかった。しかし、まさか本人が意識を失っている状態でそうするわけにはいかない。今にもリエナに伸ばしそうになる腕を、かろうじて意思の力で抑え続けていた。

********

 深く深く沈み込んでいた意識が、ふわりと浮かびあがる感覚があった。

(あたたかい……。どうしてかしら……、なんだかとても、安心できるわ……)

 リエナは瞬きをすると、ゆっくりと眼を開いた。

(ここは……?)

 身体の下に、洗いざらした木綿の感触がある。いつの間にか、簡素な寝台に寝かされていた。まだ身体の自由はよく利かないが、ゆっくりと身じろぎをしてみた。すぐ近くに人の気配がするが、もう夜更けなのか部屋の中は暗くてよくわからない。

 窓から差し込むわずかな光を頼りに眼を凝らして見ると、その気配の主はルークだった。リエナが寝ているすぐ横の床に座り込んだまま、寝台に突っ伏して眠り込んでいる。まだ力が入らず、投げ出されたままのリエナの指先にルークの指が触れていた。不思議なことに、そこから何かあたたかいものが流れ込んできている気がする。

「ルーク……?」

 突然聞こえたリエナの声に、ルークは飛び起きた。

「リエナ……? よかった……」

 ルークは安堵の溜め息を漏らした。

「わたくしは……、いったい……?」

 そう言って起き上ろうとしたが、身体に力が入らない。ルークはリエナの身体を咄嗟に支え、もう一度横にならせた。

「無理するな。まだ寝ていた方がいい」

「――ここは? 宿のお部屋なの?」

「そうだ。部屋に入ったところで、お前がいきなり倒れたんだ。そのままずっと意識を失ってた。アーサーも俺も、心配したんだぞ」

「ごめんなさい……。急に眼の前が暗くなったと思ったら、意識が遠くなってしまって……」

「何も謝ることじゃねえよ」

「でも、迷惑をかけたわ」

「迷惑なんかじゃない……!」

 二人の会話が聞こえたのだろう、部屋の端で寝ていたアーサーも目を覚ますと、リエナの寝台に近づいてきた。

「よかった、気がついたんだね」

 そう言って、小声で灯火の呪文を唱える。暗かった部屋の中を優しい魔力の光が満たした。淡い光の下で見るリエナの顔も、まだ疲れが残るものの、蒼白だった頬にもだいぶ血の気が戻ってきている。

「リエナ、お腹すいてない?」

 アーサーがリエナに尋ねた。

「――ありがとう。でも、食欲はないの」

 リエナはちいさくかぶりを振ったが、ルークがもう一度勧めてみた。

「少しでも何か腹に入れた方がいい。口にしてみれば、案外食えるもんだぞ」

「ルークの言う通りだよ。――こいつも、そうだったから」

「……え?」

「大食いのこいつが、リエナが心配で食事も喉を通らないって。そう言ってたわりには、食べ始めたらあっという間に平らげてたんだけどね」

 リエナが思わずルークを見ると、気まずそうにそっぽを向いている。アーサーはその様子に苦笑しながら立ち上がった。紙袋の中から果物を取り出し、適当に切り分けると皿に乗せてリエナに差し出した。

「どうぞ。これなら食べられるかなと思って、買っておいたから」

「ありがとう、じゃあ、いただくわ」

 リエナは身体を起こそうとしたが、まだ多少ふらついている。ルークの助けを借りて寝台の背もたれに寄り掛ると、アーサーから果物の皿を受け取り、ひとくち口にした。

「――おいしい」

「それなら、よかった」

 アーサーは穏やかに微笑んだ。

 やはり食欲がないのか、リエナが食べられたのはほんのふた切れほどだった。それでも、さっきよりもずいぶん気分がよくなっているらしいのは、男二人にもわかる。アーサーも安心したのか、眠そうな声で二人に言った。

「僕も疲れたから、もう一度寝るよ。――ルーク、後は頼んだ」

 そのままさっさと元の寝場所に戻り、毛布をかけて横になった。

 ルークもリエナに声をかけた。

「リエナ、お前も寝るんだぞ」

「ええ、――ルーク」

「うん?」

「もしかして、ずっとそばにいてくれたの?」

 もう一度ルークの手を借りて寝台に横たわりながら、リエナが尋ねた。

「……うん、まあな……」

 その言葉のおかげか、再びリエナにあたたかいものが流れ込んでくる。

「ありがとう」

 そして、リエナは心のなかだけで、そっとつけ加えた。

 ――うれしかった、と。

********

 翌朝、充分に睡眠をとることのできたリエナは、かなり体調も戻ってきていた。起きて湯を使い、着替えを済ませると、三人で朝食をとりに宿の食堂へ向かった。

「ごめんなさい、心配をかけてしまって……」

 眼の前のあたたかい朝食にも手をつけようとせず、リエナは男二人に頭を下げた。

「いいんだよ。こうして元気になったんだからね。――さあ、冷めないうちに食べよう」

 アーサーはリエナに穏やかな微笑みを向けると、ナイフとフォークを使い始めた。

「もう一晩、ここに泊まるぞ。下手に無理してまた倒れたら大変だからな。リエナは今日一日大人しく寝てるんだ。いいな?」

 リエナが回復したせいか、ルークはいつもと同じく盛大な食欲を見せながら、彼女に言い諭した。

「はい、そうするわ」

 リエナも素直に頷いた。

 食事もほぼ終わり、男二人が珈琲、リエナは紅茶を飲んでいるときに、アーサーがさりげなく尋ねた。

「ねえ、リエナ。昨日君が倒れた原因についてなんだけど、もしかして魔力の限界を超えてしまったから?」

 アーサーの問いに、リエナはゆっくりと頷いた。

「多分そうだと思うわ。魔力はもうほとんど残っていないはずなのに、呪文は発動できたから。でもその後、身体から力が抜けてしまった気がして……。わたくしもこんな経験は初めてなのだけれど」

「やっぱりね」

「でもアーサー、あなたどうしてそう思ったの?」

「外傷はない、君の魔力がほとんど限界に近いのは僕にもわかってた、それでも戦闘が済んでから中級の回復呪文を唱えた――それも、ルークにだけね。いつもなら、そのあと自分にもかけるでしょ?」

「……リエナ!」

 いきなりルークの表情が変わった。いつになく、厳しい顔でリエナを見据える。

「お前が倒れて意識がないのがわかったとき、こっちまで心臓が止まるかと思った。――頼むから、無茶だけは止めてくれ……!」

 普段はまず見せないルークの剣幕に、リエナはびくりと身体をこわばらせた。菫色の瞳に、わずかに涙が浮かんでくる。それを見たルークは、それ以上何も言えなくなってしまった。

「……本当に、ごめんなさい……」

 リエナは下を向いてしまった。声が震えている。

「ルーク、そのくらいにしておけ。リエナも、あんまり無茶しないこと。いいね?」

 アーサーが二人をとりなした。

「わかったんなら、もういい。――さ、部屋に戻るぞ」

 ルークはそう言って立ち上がると、食堂の出口に向かって歩き出した。アーサーもリエナを促して席を立った。

 三人が部屋に戻ってすぐ、アーサーはいつも通り買い出しと情報収集に出かけて行き、リエナも横になった。ルークも寝台のすぐ横の床に座り込み、わざとリエナから視線をはずしたまま、つぶやいた。

「――さっきはきついこと言って、悪かった」

「ううん、心配をかけた、わたくしが悪いのだから……」

 リエナはちいさくかぶりを振った。

「――こんな思いは、二度とごめんだからな」

 ルークはそう言い捨てると、座り込んだまま背中を向けた。

 その日一日、リエナはときどき魔法の書物を開くくらいで、大人しく寝台に横になっていた。ルークはリエナ一人を宿に残したまま出かける気にもなれず、窓から外の景色を眺めたり、剣の手入れをしたりしながら過ごした。二人の間にほとんど会話らしい会話もないままではあったが、ルークがリエナのそばを離れることはなかった。

                                             ( 終 )

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