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菫色の涙
 ロンダルキアにある祠の一室で、リエナは夜中に眼を覚ました。

 まだ夜明けには遠い時間のはずである。同じ部屋で休んでいる仲間二人も、まだ眠っている。そのまましばらく寝台で何度か寝返りを打ったが、もう寝つけそうにない。仕方なく、そっと身体を起こすと横の椅子に掛けてあるショールを取り、肩にはおる。

(何故、こんなにも不安に囚われているのかしら)

 眼を覚ました理由は彼女にもわからなかった。今では、あのムーンブルク崩壊の悪夢に悩まされることはほとんどなくなっている。

 三人は今、このロンダルキアの祠を拠点として、ハーゴンの神殿攻略のための策を探し続けていた。ここの主である祠守と修道女が厚意で、一つだけ空いていた部屋を彼らのために提供してくれたのである。

 魔物との戦いも日毎に厳しさを増してきているが、決して先が見えていないわけではない。一時は突破できないかとすら思えたあのロンダルキアへの洞窟をも、三人で協力して越え、ハーゴンとの決戦の時まであと一歩というところまで迫っている。

 旅を続けるにつれ、リエナは当初に比べ、肉体的にも精神的にも格段に強くなっていた。体力だけはどう頑張っても男二人に敵うわけはないけれど、それでも決して弱音をはかずについてきたのである。それどころか、もし強大な魔力を持つ魔法使いである彼女がいなければ、到底ここまでたどり着けなかったに違いない。

 厳しい寒さを凌ぐために、部屋の暖炉には絶えず薪が燃やされている。そのわずかな灯りに照らされた室内で、リエナはそっと溜め息をつくと、自分の寝台のすぐ横の床で寝ているルークに視線を向けた。

 ルークはたとえぐっすりと眠り込んでいても、野宿の時と同じく剣を手許から離すことはない。アーサーも同じようにして、入口近くの床で毛布を引きかぶり、こちらに背中を向けて眠っている。

 リエナはじっと、自分の傍らで眠るルークを見つめた。今までも、夜寝つけないときや、言い様のない不安感に取りつかれたときなど、ルークが近くにいてくれるというだけで心が安らいだのに、今夜はそれでも心に巣食う不安が消え去らない。

 ――旅が終わりが、ルークとの別れの時。

 唐突に、リエナの脳裏にこの言葉が浮かぶ。今まで、決して考えたことのない――否、考えることを拒否し続けてきた、事実。

 旅が終わった後には、自分には進むべき道――ムーンブルク復興という、なにがあっても果たすべき悲願がある。そしてルークもそれは同じこと。ゆくゆくはローレシアの国王として、国を治めるという義務が待っている。

 けれど、本来ならば今頃は、自分はローレシアの王太子妃としてルークの隣に立ち、手に手を取って、ともに人生を歩み始めているはずだった。それが、あの日、ハーゴンがムーンブルク城を襲い、自分はすべてを失った。尊敬する父も、敬愛する兄も、祖国も、そして、約束されたはずだった、幸せな未来も。

 心が弱っているせいか、今更考えても仕方がないことが頭から離れない。

 リエナは眼を閉じた。今までの出来事が次々と脳裏をよぎっては、消えていく。

 ルークへの想いを断ち切ることなどできはしない。断ち切れないのなら、せめて心のいちばん奥底に、一生大切にしまっておきたい。

 だから旅が終わったら、ルークに告白して、自分の想いに決着をつける。

 そう心に決めたはずなのに、想いは心からあふれ続け、もう止めることなどできなくなっている。

 再び溜め息をつくと、ルークに視線を向ける。どんな時でも、何も言わずに自分を守り続けてくれている、心から愛する男をじっと見つめた。

(わたくしは、いつまでもルークのそばにいたい。それが決して許されないことだと、わかっていても……)

 ――菫色の瞳から、ひとすじの涙が零れ落ちた。

                                             ( 終 )


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