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         しのぶれど


          しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

                                    平兼盛

「兄さん、あんたの彼女、見たこともないような別嬪さんじゃないの。――隅に置けないねえ」

 薬草とおつりを渡しながら、道具屋の女将がルークにそっと耳打ちした。リエナは少し離れたところで、並べられた様々な商品を興味深げに眺めている。

「……は? いや、別に、彼女は一緒に旅してるだけで……」

 決まり悪そうに小声で話すルークに、女将は呆れたような声を出した。

「何だい、恋人じゃないの? あんな綺麗なお嬢さん、うかうかしてるとあっという間にとられちまうよ。――ほら、もう他の男が声かけてる……」

 その女将の言葉にぎょっとしてリエナの方を見ると、他の店で用事を済ませたアーサーが店内に入ってきたところだった。

「あれまあ、またいい男だこと」

 女将は年甲斐もなく、アーサーに見とれながら半ば溜息をついていた。

「美男美女であのお嬢さんにはぴったりかもしれないねえ。――兄さん、あんた、がんばらないと」

「が、がんばるって、何を……」

「何をじゃないでしょ? ほら、さっさと行きな!」

 それでもルークがぐずぐずしていると、アーサーとリエナの方から笑顔で近づいてきた。

「ルーク、薬草は買えた?」

 大きな紙袋を抱えたアーサーがルークに声をかけた。

「ああ」

 ルークも薬草の入ったちいさな袋を掲げてみせた。

「じゃあ、次に行きましょうか」

 リエナがにっこりと微笑んだ。

「あんたたち、知り合いなの?」

 三人の遣り取りを目を丸くして見ていた女将が尋ねた。

「ええ。僕達はみんな親戚なんです。ちょっと事情があって、こうやって旅を続けているんですよ」

 アーサーが如才なく答える。彼の顔には、ルークが言うところの「おばさん殺しの笑み」が浮かんでいる。

「なんだい、そうだったの。――今は物騒だから、道中気をつけてね」

 女将はちょっと拍子抜けしたふうだったが、アーサーの笑顔の効果のおかげか、愛想よく三人を送り出してくれた。

 道具屋を出ると、いつも通りリエナを挟んで三人並んで歩き始めた。

 アーサーとリエナは明るく会話しているが、ルークはさっきの女将の言葉が気になって仕方なかった。

(また言われた。……なんでだ?)

 実のところ、ルークはリエナと二人で行動しているときに、店の女将などからしょっちゅう同じようなことを言われ続けてきたのである。ときには、「おめでとうね。あんたたち、結婚するんだろ?」と祝いの言葉までかけられたことすらあった。

 ルークはリエナに心底惚れている。でも、まだ彼女に何も具体的に想いを伝えたりはしていない。何故なら、今はハーゴン討伐の旅の途中であるからだ。第一、ルークとリエナは婚約が内定していたにもかかわらず、正式発表目前、ムーンブルク城崩壊によってリエナの兄で王太子だったユリウスが薨去し、王家最後の王女となったために、婚約は自動的に白紙に戻ってしまっていた。

 こういう事情であるから、今はまだ告白する時期ではないとルークは思っている。だから、自分の想いは心の奥底に秘めて、隠している……つもりである。

(リエナにはまだ何も言ってないから、わかるわけないと思うんだが……)

「ねえ、ルーク。どうかしたの?」

 突然リエナに声をかけられて、ルークははっと我に返った。リエナを見下ろすと、菫色の瞳がじっと自分を見つめている。まともに眼が合って、ルークの心臓が跳ね上がった。

「……い、いや、別に。ちょっと、考え事してて……」

 しどろもどろに答えるルークが苦し紛れにアーサーに視線を向けると、こちらは意味ありげに苦笑している。

(何だよ、アーサーまで)

 そのままルークは黙りこんでしまったが、ちょうど宿に到着した。ルークはほっとして、宿の玄関扉を開けた。

 今夜は運良く二部屋とれていた。宿が混んでいると三人で一人部屋を使うことも珍しくなく、そのときにはリエナに寝台を譲って、男二人は床に寝ることになる。質素とはいえちゃんとした寝台で寝るのは久し振りだった。

「あー、なんか生き返るな」

 寝台に寝転がり、思い切り手足を伸ばしたルークが言った。

「まともな寝床は久し振りだからね」

 買ってきた品物を整理しながら、アーサーもどこかうれしそうだった。

 しばらく休憩してから、三人で宿の食堂で食事を済ませると、それぞれ部屋に戻り明日に備えて早めに休むことにする。リエナは宿の湯殿に湯を使いに行き、ルークとアーサーは部屋で剣の手入れを始めた。

「ところで、ルーク」

 手を動かしながら、アーサーが尋ねた。

「うん?」

 ルークも剣に眼を向けたまま、答えた。

「薬草を買った道具屋の女将さんに何か言われた?」

 突然の言葉に、ルークは危うく手にした道具を落としそうになった。アーサーは言葉に詰まっているルークに視線を向けたまま、言葉を継いだ。

「どうせまた、リエナと恋人同士に間違えられたってところだろう?」

「……お前まで、何なんだよ!」

「図星ってわけか」

 アーサーの端正に整った顔に、少しばかり意地悪げな笑みが浮かんでいる。

「――で、今日はなんて言われたわけ?」

「べ、別にお前には関係ないだろ!?」

「まあ、いいじゃない。白状しなよ」

 ぶすっと不機嫌そうに黙り込んだルークに追い打ちをかけるように、アーサーは笑みを浮かべたまま話し続けた。

「そうだね。――綺麗な彼女で、隅に置けないってところかな? ああ、そうだ。もしかしたら、僕が店に入ってリエナに声をかけたときに、見知らぬ男が声かけてるから、早く行かないと、くらいも言われてたりして」

「何で、わかるんだ!?」

 たまらず大声を出したルークに、アーサーは吹きだした。

「本当に、お前ってやつは……。わかりやすいというか、何というか」

 そのまましばらく笑い続け、目尻の涙を拭いながら、アーサーが言った。再びルークは黙り込んで背中を向けてしまったが、しばらくして彼には珍しくおずおずといったふうに、アーサーを振り返った。

「お前……、なんで俺の気持ち、知ってるんだ……?」

「見ればわかる」

 アーサーは端的に答えた。

「なあ、アーサー」

「何?」

「……俺が、リエナに、その……惚れてること、いつから知ってたんだ?」

「お前達が初めて会った時からに決まってる。一目惚れなんだから」

 あっさりそう言われて、ルークは言葉に詰まったが、アーサーは更に追い打ちをかけた。

「でもルーク、お前は隠してたつもりなんだろう?」

 心を見透かされて、ルークは何も言い返せない。

「本当に自覚ないんだね。誰が見たって、お前がリエナにぞっこんだっていうのはわかるのに」

 アーサーは苦笑しながら、途中になっていた剣の手入れを再開した。ルークも再び道具を手にしたが、一言も言葉を発することもなく、黙々と手を動かし続ける。やがてルークはそそくさと手入れの終わった剣を片づけると、荷物から着替えを出した。

「風呂、行ってくる」

「わかった。僕はもう少しかかりそうだから」

 アーサーは途中だった剣の手入れを再び始めたが、まだ顔には笑いが残っている。

 憮然としたルークが扉を開けたちょうどそのとき、リエナが男二人の部屋を訪ねてきた。

「あら、これからお風呂?」

 湯殿から戻ったばかりらしいリエナの姿に、ルークはどきりとした。

 花がほころぶように微笑んで見上げてくるリエナから、ふわりといい匂いが立ち昇る。透き通るように白い肌が湯上りのせいでほんのりと桜色に染まっているのが、妙になまめかしい。リエナの姿をルークはとても正視できず、でも横目ではしっかりと見ながら、ぶっきらぼうに返事をした。

「……あ、ああ。お前も早く寝ろよ」

 そんなルークの態度を気にしたふうもなく、リエナは再びにっこりと微笑んだ。

「ええ、そうするわね。――おやすみなさい」

********

 リエナが部屋に入ると、細身の剣を手にしたままのアーサーが笑顔で出迎えた。

「リエナ、僕に何か用かな?」

「あなたに借りていた書物を返そうと思って。とても参考になったわ。ありがとう」

「それならよかった。じゃあ、明日も朝早いからゆっくり休んで」

 アーサーはリエナから書物を受け取った。

「そうするわ。――アーサー、あなたとても楽しそうだけれど、何かいいことでもあったの?」

「うん? ちょっとね」

 思わずアーサーは思い出し笑いを漏らした。

「あら、殿方同士の内緒のお話?」

「まあ、そんなところかな。――おやすみ」

「おやすみなさい」

 リエナも楽しげな笑みを浮かべると、自分の部屋に戻っていった。

********

 湯に浸かりながら、ルークはどうしても納得がいかなかった。

(いったい、何なんだよ。――そりゃ、俺はリエナに惚れてるけど、あんなふうに言わなくったって……)

 そして、今まで道具屋の女将たちにさんざん同じようなことを言われ続けてきた理由をようやく悟っていた。

(だから、今までかわいい彼女でよかったねだの、大事にしないとばちが当たるだの、言われてきたのかよ……)

 特大の溜め息をつくと、ざぶりと乱暴に顔を洗った。

 釈然としないまま湯殿から戻ったルークは、剣の手入れを終えて書物を読んでいるアーサーに声をかけた。

「お前も、風呂行ってこいよ。――リエナはもう寝たのか?」

「ああ、疲れてるだろうから、すぐに眠れたんじゃないかな」

 そう言いながら、手にしていた書物を閉じて立ち上がった。

「じゃあ、僕も湯を使ってくる」

「ああ、わかった」

「ルーク」

「何だよ」

「リエナを襲っちゃだめだよ」

 アーサーのこの言葉に、ルークは一瞬絶句したまま固まったが、物凄い剣幕で言い返した。

「何てこと言うんだ! 俺がそんなことするわけねーだろ!?」

「どうかな? ――湯上りの彼女、色っぽいからね」

「お前、どこ見てるんだ!?」

「なんだ、お前は何も感じないのか?」

「う……」

 その時ルークの脳裏には、湯殿から帰ってきたリエナと部屋の入口でばったり会った時の、彼女の匂いやかな桜色の肌がありありと浮かんでいた。

「一応、信用はしてるけどね」

 アーサーは意味ありげな笑いを残し、部屋を出ていった。ルークはしばらく呆然と突っ立っていたが、ようやく我に返って寝台に横になる。けれど、リエナの湯上りの姿が眼にちらついて、すぐには眠れそうにない。

 もんもんと煩悩と戦い続けていたとき、ふと脳裏にひらめいた。

(もしかして、俺の気持ち……、リエナも気づいてるとか!?)

 思わず、ルークは毛布を蹴飛ばして起き上った。すぐ隣の部屋で眠っているリエナが気になって仕方がない。しばらく身体を起こしたまま、寝台の上で考え込んでいたが、今ここでいくら考えても結論が出るわけはない。

(――リエナは、俺に対していつも普通に話したりしてる。……ってことは、まだ気づいてない……はずだよな。うん、そのはずだ)

 無理やり納得した気になると、急に眠気が襲ってくる。再び寝台にごろりと転がると、毛布を引きかぶった。

 しばらくしてアーサーが部屋に戻ってきた時には、ルークは既にぐっすりと眠っていた。

********

(失敗したよな……)

 翌朝の朝食後、剣を片手に、ルークは宿の裏の空き地に向かって歩いていた。よく晴れて気持ちのいい青空が広がっているのに、ルークの表情はどんよりと曇っている。

 今朝、リエナとちょっとした行き違いがあったのである。いつもどおりほとんど夜明けと同時に目を覚ましたルークは、日課の剣の稽古を済ませ、リエナを朝食に誘おうと、アーサーと一緒に彼女の部屋を訪ねた。いつもならきちんと身仕度を済ませて待っているリエナが、珍しくまだ着替えていないと言う。宿に泊まるのは久し振りだから、少し寝過ごしたのだろうとルークは軽く考えたのだが、それにしてはリエナの様子がどことなくおかしい。

 よく見れば、リエナは寝間着を裏返しに着ていた。ショールの前をかきあわせて隠していたのを、無意識のうちに、じっと見てしまっていたらしい。ルークの視線に気づいたリエナは、彼女らしくなく少し乱暴に扉を閉めてしまった。

 リエナが何故あんなことをしたのか、ルークは純粋に訳がわからないだけだったのだが、自分の不躾な視線がリエナを傷つけたとアーサーに指摘され、朝食の間も一言も彼女と話ができなかったのである。

(本当にリエナに悪いことした。――でも、アーサーはこれ以上謝ったりするなって言うし。本当にこのままでいいのか?)

 もやもやした気持ちのまま出発する気にもなれず、もう一度集中するために、再び剣の稽古をしようというのである。

 まだ比較的時間が早いせいか、空き地には人の気配がなかった。ルークは剣を抜いて構えると、呼吸を整え、精神を集中する。裂帛の気合とともに、大剣を振り下ろす。そのまましばらく稽古を続けるうち、だんだんと無心になってくる。

(こんなもんか……)

 心の中の雑念が治まったところで、ルークは荒い息を吐きながら、剣を鞘に納めると、額を流れる汗を拭った。

 部屋に戻ると、リエナが自分達の部屋から出てくるところだった。どうやらアーサーと話をしていたらしい。さっきまで暗かった表情がすっかり元に戻っている。

「終わったのね。じゃあ、支度が済んだら出発しましょう」

 リエナは自分を見上げて、にっこりと微笑んでいる。

「あ……、ああ。そうだな」

 ルークはまた理由がわからないものの、リエナのご機嫌が治ったのは喜ばしいことであるからそれ以上何も言わずに見送った。

「お帰り。すっきりした?」

 アーサーは訳知り顔で出迎えた。

「まあな。ところで、リエナと何か話でもしてたのか?」

「そんなところだ」

「お前、本当に女性の扱いっていうか、話するっていうのがうまいよな。――何か、こつでもあるのか?」

「そんなもの、あるわけないだろう? 自分の言葉で、相手がどう思うかに気をつけてるだけだよ。ただ……」

「ただ?」

「僕は普段から、コレットやルディアともいろいろと話してたからね」

 要するに、幼馴染みの婚約者と妹姫に鍛えられた、ということである。

「俺は弟しかいないし……」

「まあ、それもあるかもしれないが、お前は単に鈍いだけのような気もするけど」

 昨夜の会話を思い出したのか、アーサーは笑っている。

「お前には、敵わねえよ。――もう一度、風呂行ってくる」

 着替えを手に湯殿に向かったルークの背中を見送りながら、アーサーはやれやれといったふうに、ちいさな溜息を漏らした。

                                             ( 終 )


<補足>

「いとせめて」と対になったお話です。同じエピソードをルーク視点で書いてみました。
 冒頭の和歌は『拾遺和歌集』と『百人一首』に所収のもの。ルークに合う和歌ということで、最初に浮かんだのがこれでした。

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