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         それぞれの役割

 三人での旅が始まって、しばらくが過ぎた。

 深窓育ちのリエナも、だいぶ旅の生活に慣れてきたようだ。今、三人は次の目的地を目指し、深い森のすぐそばの街道を歩いている。

 すっかり秋も深まり、木々の葉は鮮やかに色づいている。落ちているどんぐりがお目当てなのか、あちこちを走り回るリスの姿も見えていた。

 今夜はこの森の近くで野宿になりそうだ。日暮れも早くなってきているが、幸い暗くなる前に、ちょうどいい空き地が見つかった。

 場所も決まり、手分けして準備を始める。アーサーは近くの川に水を汲みに行き、ルークは背中の荷物を下ろすと、リエナに声をかけた。

「リエナ、俺はこの辺りの薪を拾いますから、そこで休んでいてください」

「わたくしも、お手伝いしますわ」

「疲れたでしょうから、無理しない方が……」

「お気遣いはうれしいのですけれど、一緒に旅をしているのですから、わたくしもできることはしなければいけませんわ」

 リエナは真摯な眼差しで、ルークをじっと見上げてきた。

 男二人の足手まといにだけはなりたくないと考えているのだろう。実際には、リエナは足手まといどころか、彼女の攻撃・回復の呪文がなければ魔物との戦闘はずっと厳しいものになっているはずだ。そのことはルークもアーサーも身に沁みているが、それでもリエナはまだ足らないと思っているらしい。

 ルークにはそのリエナの気持ちが理解できた。それに薪拾いなら危険もないし、二人でやれば早く終わる。

「わかりました。では、一緒にやりましょう」

 二人は荷物を置いた場所から離れ、薪を拾い始めた。しばらくはそれぞれ黙々と拾っていたが、突然、リエナの立っているすぐ横の木の上から何かが飛び降りてきた。

 驚いたリエナは、ちいさな悲鳴をあげて避けようとした。しかし、その時に木の根元につまずいて転んでしまった。

 ちいさな影は、あっという間に消え去った。どうやら、木の上に作られた巣に棲む小動物だったらしい。その場に座り込んでしまったリエナはほっと一息ついた。

 ルークがリエナの許に駆け寄って声をかけた。

「リエナ、大丈夫ですか?」

「ええ。リスが飛び降りてきて、ちょっと驚いただけですわ」

 リエナは笑顔を作ると、立ち上がろうとした。

「……あ」

「どうしました?」

「いえ、少し足を……」

 つまずいたときに足を捻ってしまったようだ。すぐに回復の呪文を唱えようとしたが、そこで口ごもってしまった。

「いけない……。魔力が……」

「魔力切れですか?」

「ええ、そのようですわ。――ごめんなさい。お手伝いするはずが、かえってご迷惑をおかけしてしまって……」

 しゅんとしてしまったリエナに、ルークはあたたかい大きな手を差し出した。

「そんなこと、気にしなくていいんですよ。――手を貸しましょう」

「申し訳ありません。お願いできますかしら」

 ルークの腕にすがり、自分で立とうとしたが、足首に痛みが走り、リエナは再びしゃがみ込んでしまった。何も言わないが、明らかに痛みをこらえているのがわかる。

「ねんざかもしれません。無理をしてひどくなったらいけませんから、動かさない方がいい」

「ですけれど、このままでは……」

「リエナ、失礼します」

 そう言ったかと思うと、ルークはリエナを抱き上げた。

「え……?」

 リエナは驚いたようだが、ルークは平然としている。

「俺があちらまでお連れします。アーサーが戻ったら、回復の呪文を頼みますから」

 リエナにとっては、こんなことはもちろん初めてである。恥ずかしさで身体を固くしていたが、自分では歩けない以上、こうしてもらうより方法はない。

 ルークはリエナを軽々と抱いたまま、野宿の場所に向かって戻り始めた。

「あの……」

「何でしょう?」

「重く……ありませんか?」

 この後に及んでそんなことを気にしているのか、とルークは若い女性の考えることはよくわからないながらも、律儀に返事をした。

「軽いものですよ。リエナは小柄ですから」

 確かにいくら小柄とはいえ、人ひとりを運んでいるとは思えないほど、ルークの足取りはいつもと変わりない。

「うらやましいわ……」

 ぽつりとつぶやいたリエナの言葉に、ルークは不思議そうな顔を向けた。

「うらやましい?」

 まさか聞かれていたとは思わず、リエナは頬を染めた。それでも、きちんと答えを返した。

「だって、ルークには力がおありですもの。わたくし、非力なせいで、いつもご迷惑ばかりかけてしまって……」

「そんなことは気にしないでください。確かに俺は、力と体力にだけは自信があります。しかしその代わりに、魔力が皆無なのですから」

「それこそ、わたくしが持たないものですわ」

「俺には魔力がないのだから、お互いさまですよ」

 そう言ってルークは笑顔になった。リエナはどきりとして、さっきとは別の意味で頬を染めていた。

 ルークはリエナを自分達の荷物の場所まで運ぶと、そっと降ろした。

「俺はもう一度薪を拾ってきます。姿が見える場所にいますから、ここで待っていてください」

 再び背を向けて戻っていくルークの後ろ姿を見ながら、リエナはまだ動悸が治まらなかった。

(ルークは本当に力が強くていらっしゃるのね。わたくし一人を運ぶくらいは何ともないなんて。でも、魔力をお持ちにならないことで、悩んだ時期もあったと伺ったことがあるわ。それなのに、今はそれを全然感じさせない……)

 リエナがそんなことを考えているうちに、ルークはあっという間に薪を拾い終わり、火を熾し始める。ちょうどそこへ、アーサーも水汲みから戻ってきた。

「アーサー、リエナが足をくじいたらしい。回復の呪文を頼む」

 アーサーは頷いてリエナの前に座った。

「痛みはひどいですか?」

「ええ、恥ずかしいのですが、自分では歩けなくて」

「それはいけません。すぐに回復しますからね」

 新緑の癒しの光がリエナの足を包み込み、光が消えると同時に、痛みも引いた。

「いかがですか?」

 リエナは恐る恐る立ってみたが、もう何ともない。

「大丈夫ですわ。ありがとうございました」

 にっこり微笑むと、リエナはすぐに食事の支度にかかった。最近、料理を始めたばかりなのだが、日に日に腕を上げてきている。今日も、干し肉などのありあわせの材料で、スープを作った。晩秋のこととて、日が暮れた途端に冷え込んでくる。簡単なものでも、こういった温かい料理はうれしいものだ。そのままでは味気ない堅パンも、スープに浸せば、ずいぶんと食べやすくなる。

 三人で火を囲んで食事を始めると、ルークがスープの椀を抱えて満足そうにつぶやいた。

「うまいなあ……」

「本当ですか?」

 あまりにルークの口調がしみじみとしたものだったので、リエナは思わず聞き返していた。

「本当にうまいです。リエナが料理してくれるおかげで、野宿のめしが天国になった」

 満面の笑みで、ルークはそう答えた。

「まあ、それはいくら何でもおおげさですわ」

 リエナは面映ゆいものも感じているが、アーサーも穏やかに微笑んで同意した。

「僕もそう思いますよ。リエナもよくおわかりかと思いますが、こいつと二人のときの食事は、本当に悲惨でしたからね」

「仕方ないだろ? お前も俺も、料理はからっきしなんだから」

「まあね。とにかく何もしないでそのまま食べるのが、いちばん間違いなかったくらいだから」

「そうだな。せいぜい、干し肉を炙るくらいだもんな」

「それだって、しょっちゅう焦がしてたじゃないか。まったく、お前が食材に何かすればするほど、食べ物という概念から外れていくんだから」

「うるせー。お前だって、似たようなもんだろうが」

 男二人の会話に、リエナは思わず笑みがこぼれる。ルークが心底感心したように、リエナに話しかけた。

「リエナにはいろいろな才能がありますね。料理に、魔法。俺にはないものばかりだから、うらやましいです」

「あら、ルークこそ、あんなに力がおありですわ。今日だって……」

 そう言いかけて、抱き上げられたときのことを思い出し、また少し頬を染めた。けれど、今の灯りは焚火だけである。男二人には気づかれずに済んだようだ。

「俺は力しか取り柄がないだけですよ」

 ルークは少しばかり自嘲気味に笑った。

「そんな……」

 リエナはルークが魔力を持たないことを今でも気にしているのかと思い、触れてはいけない話題だったのかと反省した。そのリエナの様子ににアーサーが気づき、さりげなく切り出した。

「確かに、ルークは魔力を持ちません。リエナもご承知のように、ロト三国の王族では、こいつだけです。でも、僕はルークはそれでいいと思っていますよ」

「お前なあ、そう簡単に言ってくれるなよ。俺だって、悩んだんだぜ」

 ルークは少々不満げである。

「こどものときの話だろう? 今はもう吹っ切れたって言ってたじゃないか」

「まあな。だが、俺の魔力が皆無だってわかったときの、周りの落胆振りは相当なもんだったらしいからな。それでも、俺が生まれたのがローレシアでよかった。とにかく、剣の修業をがんばれば、王子だって認めてもらえるんだから」

「確かにルークの剣の修行振りは凄かった。師匠の方が音を上げるほど、毎日励んでたって聞いてるよ」

「そうでもないぜ。呪文の方は、もともと魔力を持ってないから、どんなに努力してもどうしようもないけど、剣の修行の方はやればやるだけ成果が上がったから、おもしろかったしな」

 それまで口を挟まず、じっと男二人の会話を聞いていたリエナが、真剣な表情で言った。

「それは、ルークがたいへんな努力をなさったからですわ。いくら才能があっても、それだけでは一流にはなれませんもの」

 リエナは本心でそう思っていた。

「リエナの言う通りですよ。こいつの剣の才能は、騎士の国であるローレシアでも有数のものだと思いますが、厳しい修業を積んだからこそ、今の腕前になったのは間違いありませんから」

 皮肉屋の一面を持つアーサーが珍しく面と向かって褒めたのが、ルークには意外だった。

「お前がそんなふうに言うなんて、何か悪いもんでも食ったのか?」

「僕が食べているのは、リエナの手料理だ。お前こそ、たまには人の話を素直に聞け」

「素直にって、何だよ。お前にだけは言われたくない」

 ルークはぶすっとした顔をしたが、ふっと一つ息を吐くと、心底うらやましそうに言った。

「――でもお前は、剣も魔法も両方できるからいいよな」

 このルークの言葉に、リエナも頷いた。

「本当ですわね。アーサーはどちらも得意でいらっしゃるもの。剣と魔法の両方を、あれだけ習得なさるのは並大抵のことではありませんわ」

「リエナもそう思いますか?」

「ええ。アーサーの呪文の種類の豊富さも、威力も、魔法だけをずっと修行してきた方達と比べても遜色ありませんもの」

 リエナに褒められて、今度はアーサーが自嘲気味に笑った。

「でも、僕の場合は両方とも中途半端かもしれませんよ。剣はルークに、魔法はリエナに到底及びませんから」

「何言ってるんだ? その両方が同じくらいできること自体、普通じゃないんだから。確かにサマルトリアには優秀な魔法戦士が多いけど、だいたい、どっちかが得意で、もう一つはまあできる、ってところだろ?」

「もちろん、僕もそれなりには修業を積んできてるよ。剣も、魔法も。でも、どちらも奥義を極めるまではとても到達できそうにない」

「お前、それは贅沢ってもんだ。どちらか一つでも、そこに到達できるのは、ほんの一握りだ。剣一筋の俺だって、奥義を極めるなんて、できるかどうかは自信ないぜ」

「お前ができなきゃ、誰もできないんじゃないかな。今だって、毎日戦闘続きなのに、ちゃんと稽古してる。なかなかやれることじゃない」

「当たり前だろ? 俺が戦う方法は剣しかないんだから。お前だって、剣の稽古も魔法の研究もやってるの、知ってるぜ」

「まあね。少しでも強くなりたいのは僕も同じだから。――リエナも、よく古代の魔法の書物を読んでいますね」

「ええ。わたくしの魔法こそ、まだまだ修行が足りませんもの。特に攻撃魔法はそうですわ。確実に発動させることができるのは、真空の呪文だけですし」

 結局のところ、三人は三人とも、毎日修業を怠っていない、ということだ。

「これからも、自分の得意分野を伸ばしていくのがいいのかもしれませんね。――幸い、僕達三人は、それぞれ持っているものが違う」

 アーサーがそう結論して、ルークの方を見遣った。

「でも、やっぱりルークは強いよ。魔力を持たずに生まれた事実をきちんと受け入れて、剣一筋に生きるって決めたんだから」

 またもや面と向かって褒められて、ルークは妙に居心地の悪い思いをしていた。

「そんな大層なものじゃねえよ。結局のところ、魔力があろうとなかろうと、俺は俺だと思っただけだ」

 半ば照れ隠しもあったが、ルークはきっぱりと言い切った。

********

 食事も、後片付けも終わり、リエナは早々に毛布にくるまって横になった。野宿にも慣れてきたせいか、きちんと睡眠もとれるようになってきている。今夜も日中の疲れもあって、既にぐっすり眠っている。

 男二人はそれぞれ剣の手入れをしながら、小声で話し込んでいた。

「ルーク、今日怪我したリエナをここまで運んだんだろう?」

「うん? ……ま、まあな」

「どうやって?」

「どうやってって……。肩貸すわけにもいかないし……」

「なるほどね。よかったじゃない。で、どうだった?」

「どうって、軽かった。見た目通り、華奢だし」

「それだけ? ムーンブルクの姫君を抱いて運ぶなんて栄誉に与れる男は、そういないはずじゃないかな」

「お前はどうして、すぐそういうふうに考えるんだ!?」

「そう考えないお前のほうが、おかしいと思うけど」

 答えられず、黙り込んでしまったルークは手入れの済んだ剣を片づけた。しかし、アーサーはまだ話し足りないのか、別の話題を振ってきた。

「それにしても、やっぱりお前は馬鹿力だよ。いくらリエナが小柄でも、それなりには疲れないのか?」

「別に? やろうと思えば、お前だって簡単にできるぞ。ただし、野郎を抱き上げるなんて、頼まれても嫌だけどな」

「僕も御免こうむるよ。それくらいなら、這っていった方がずっとましだ」

「ああ、そうしてくれ。そういや、騎士団にいたときには、よく負傷者をかついでたっけな」

「――まさかとは思うけど、リエナをかついではいないよね?」

「んなわけないだろ。ちゃんと横抱きにしたぞ」

「ふーん、それでも、本当に下心はない?」

「どうして話をそこに持っていきたがるんだ! そりゃあ、俺だって……」

「俺だって、何?」

「役得だったかも、とは思った。本当に華奢だし、柔らかいし、……何かいい匂いもしてた」

 ばつが悪そうにぼそぼそと話すルークに、アーサーは思わず吹きだした。

「……お前、しっかり観察してるじゃないか。安心したよ」

 それには答えず、ルークは乱暴に毛布を引きかぶると、ごろりと横になった。

「俺はもう寝る。交替の時間になったら起こしてくれ」

 そのまま背を向け、あっという間に眠ってしまった。相変わらずのルークの様子に、アーサーはちいさく溜息を一つついて、つぶやいた。

「――前途は多難、かな」

 自分も手入れの済んだ剣を片づけると、旅の記録をつけるために帳面を取り出し、小声で灯火の呪文を唱えた。

                                             ( 終 )

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