すれ違う

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 ルークの後ろを歩いていたリエナが、ふと彼の足元に視線を向けた。左足のふくらはぎに血が滲んでいる。

 リエナの菫色の瞳がわずかに曇る。つい先程の戦闘で負傷したのだ。けれど、ルークからは回復を頼まれなかった。

 リエナはちいさく溜め息をついた。最近のルークはいつもこうなのだ。

 この辺りでは、とみに魔物が強くなっている。必然的に負傷も増えたが、回復だけでなく攻撃呪文をも操るリエナの魔力にも限界がある。魔力を温存するため、ルークは自分でかすり傷だと判断するとそのままにしておくことが多くなってきた。

 しかし自分の傷には無頓着なのとは逆に、リエナには細心の注意を払っている。わずかでも傷を負えば、絶対に放置することはせず、最優先で治療にあたる。これは旅が始まってからずっと変わらない。

 ルークの傷は幸いそうひどくはない。この程度であれば、歩きながら短縮版の呪文で事足りる。

 もう一度ちいさく息を吐くと、精神を集中する。リエナの花びらのような唇から、回復の呪文が紡ぎ出された。

 ルークは傷ついた左足に、何ともいえない心地よさを感じた。見れば、美しい薄紅の光に包まれている。

 大した傷ではないので放っておいたのだが、リエナの呪文のおかげでみるみる痛みが引いていく。立ち止まり、振り向いた。

「リエナ、ありがとうよ」

「もう、痛まない?」

「ああ、大したことないが、やっぱり楽になったぜ。――お前のおかげだ」

「よかったわ。――でも、怪我をしていたら、遠慮なく言ってね。万が一悪化したら……」

 ふと見下ろすと、そこには菫色の瞳が心配げな色を浮かべている。その美しさに見惚れつつも、ルークは安心させるように頷いてみせる。

「わかった。これからはちゃんと頼むようにするから」

 わずかに間を置いて、付け加える。

「……お前に心配かけるのもなんだしな」

「お願い、そうしてね」

 ルークの力強い笑みに、リエナも、ようやく安心できたようだ。

「じゃあ、行くか」

「ええ、行きましょう」

 ルークは頷きを返すと行くべき方向へ向き直る。そのままほんの一瞬、癒されたばかりの足に視線を落とし、口の端にわずかに笑みを滲ませる。つと顔を上げると、力強く、新たな一歩を踏み出した。

********

――わたくしは、いつもルークの背中を見ている。

わたくしの前を歩いて行く彼。
魔物の群れに立ち向かい、力強く剣を振るう彼。
そして、わたくしの前に立ちはだかり、代わりにいつも傷を負う、彼。
たった今癒した傷も、わたくしを庇って負ったもの。

ルークはどれほどの深手を負っても、決して痛みを訴えることはない。
それどころか、いつも怪我はなかったかと気遣いをみせてくれる。大丈夫よと答えると、あちこちに血を滲ませたまま「よかった」って、白い歯を見せるの。その時、いつもは鋭い光を放つ深い青の瞳が、ふっと柔らかくなる――まるで、わたくしを包み込んでくれるかのように。

もうこれ以上、わたくしのために傷ついてほしくない。けれど、何も言わずに守り続けてくれている――旅が始ってから、ずっと。

――旅の終わりが別れの時。

旅の目的を達成したその後は、それぞれの道を歩んでいくのだから。
もうそばにいることは、許されないのだから。

だからせめて、わたくしは、彼の負った傷を癒したい――ありったけの、想いをこめて。

********

――何度経験しても、心地いいもんだな。まるで、あったかい羽毛にくるまれてるみたいだ。もっともリエナにはそんなこと照れくさくて言えないけどよ。

いつもこうして、俺が放っておいた傷まで回復してくれる。

俺が守ってるつもりだったが、本当のところはあいつに支えられてる――最近、ようやくそれがわかった。
リエナが傷を回復してくれるからこそ、俺は無茶を承知で突っ込める。

だが俺は、守ることをやめるつもりはない。
目的を果たすまで、守り切ってみせる。

リエナを誰にも渡したくない。自分の、この手で、幸せにしたい。

二人でムーンブルクを復興する。それが、俺の望みだ。

――旅が終わったら、俺達の新たな日々が始まる。


( 終 )


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