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旅の終わり
第2章 決意
三人の眼の前に、荒廃した大地が広がっている。
平和を取り戻した、初秋の穏やかな日の光に照らされているのは――
廃墟となったムーンブルク城。
千年を超える歴史を持つ魔法大国にふさわしい、壮麗な白亜の城は、無残にもその屍を晒していた。
リエナは菫色の瞳を大きく見開き、真剣な表情で、眼の前の光景を凝視していた。
そのリエナの様子を、ルークは無言で見守っていた。リエナの脳裏には、あの時の悪夢が蘇っているに違いない。それでもなお、リエナはしっかりとこの大地に立ち、荒廃した祖国を元の姿に戻したいと、決意を新たにしていることが、ルークには痛いほど伝わってくる。
「お父様の御霊に、ご報告したいわ」
リエナは意を決したように前方を見据えたままそう言うと、ゆっくりと廃墟に向かって歩き出した。
ルークとアーサーもそれに続く。三人はまだあちらこちらに広がる毒の沼を避け、慎重に歩みを進めて行った。
三人を取り巻く風景は痛ましいままではあるものの、旅が始まったばかりの頃に三人でここに来た時と比べ、ずいぶんと様変わりしている。
大気には未だに瘴気が濃く残ってはいるが、だいぶ澄んできているし、あれだけ苦しめられた魔物の群れはすっかり影を潜め、気配すらまったくと言っていいほど感じられない。
瓦礫が散在する謁見の間の中央には、玉座がまだ残されていた。鮮やかな紅色――ムーンブルクを象徴する国の色でもある――の天鵝絨はすっかり色褪せ、飾られた数々の宝玉は、魔物の蹂躙を受けて剥がれ落ちている。
「お父様……」
リエナはローブの裾をさばくと、流れるような仕草で跪いた。優雅に一礼すると顔を上げて無言のまま、じっと玉座を見つめ続ける。
玉座にちいさな炎が現れた。炎はだんだんと大きさを増し、人の形を取りはじめる。やがて、鮮やかな銀色の髪を持つ、堂々たる姿の壮年の王の姿が浮かび上がった。
大神官ハーゴンによってその生命を奪われた、ムーンブルク王ディアス9世である。
「人の……、気配がする。誰かが、呼んでいる……。懐かしい……」
王はゆっくりと眼を開いた。見るものすべてを圧倒する灰色の瞳が、辺りを睥睨する。やがて、玉座の前にいるリエナの姿を捉え、それが誰であるかを認識した瞬間、王の瞳が驚きに見開かれた。
「……お前は……? もしや……!?」
「お父様……! わたくしです! リエナです!」
「ま、まさか……!? 見える、見えるぞ! お前はリエナ!」
「わたくしの姿が、おわかりになりますか!?」
「世界に満ち満ちていた、邪悪な気が薄まっている……。もしや……?」
「はい。わたくしたちは、大神官ハーゴンを倒しました。そして、破壊神シドーを」
「なんと……。リエナ、お前が……」
「わたくし一人ではございません。ルークとアーサーとともにですわ。二人がともに戦ってくださったからこそ、わたくしは目的を果たすことができました」
「ルーク殿とアーサー殿……。お二人が、ともにリエナと戦ったと……?」
「陛下」
ずっと後ろで控えていたルークとアーサーが、王の前に跪いた。ルークは顔を上げると真っ直ぐに、深い青の瞳を王に向けた。
「陛下。すべては、リエナのムーンブルク復興に懸ける信念の賜物でございます。私とアーサーは、それを手伝ったに過ぎません」
王はルークとアーサーの姿も捉えたらしい。二人を交互に見つめた。
「――本当によくやってくださった。心より感謝申し上げる。お二人の援助なくして、到底ハーゴン討伐はかなわなかったであろう。これからも、どうかリエナを助けてやって欲しい」
王は安堵の表情を見せると、ルークに声をかけた。
「ルーク殿」
「はい」
王は何も言わず、ルークを見つめてきた。
ルークはそれだけで、王が自分に何を求めているのか、理解していた。そしてルークも、何も言葉を返すことなく、心の中で返答をするに留めた。
(御意、陛下。――リエナは私が生涯かけて、大切にお守りします)
王にもルークの心の声が聞こえたらしい。ゆったりと頷くと、リエナに向かって穏やかな笑みを向けた。
「リエナ」
「はい、お父様」
「困難を乗り越え、自ら立ち上がり、大神官ハーゴンを倒したそなたならば、立派な女王になるであろう。ムーンブルクを頼んだぞ」
「お父様、わたくしは必ずムーンブルクを復興してみせます! ですから、どうぞ見守っていてくださいませ……!」
リエナの菫色の瞳に決意の深さを見てとり、王の灰色の瞳にも満足げな色が浮かぶ。
「これで何も思い残すことなく、この世を去れる……」
王はゆっくりと視線を大空に向けると、言葉を継いだ。
「――別れの時が来たようだ。あそこに天国への扉が見える」
王が玉座から立ち上がった。今まではっきりとしていた輪郭が、徐々に滲みはじめる。同時に、王の姿が、鮮やかな銀色――王の魂の色の光に包まれた。
「お父様……!」
「リエナ、息災でな」
王は最後にもう一度リエナに慈愛の籠った眼を向けて頷くと、ゆっくりと浮かび上がった。やがて銀色の光となった王の魂は、澄みきった大空に向かって、昇っていく。
三人が大空を仰ぐと、廃墟のあちらこちらから、さまざまな色の魂が、王の後に続いて昇っていくのが見えた。空から彼らの歓喜の声が聞こえてくる。
どれだけの時間、三人はその場に立ち尽くしていたのだろうか。いつの間にか日は傾き、日が沈もうとする時刻になっていた。
「リエナ」
ルークが声をかける。ずっと涙を流して空を見つめていたリエナは、ルークを振り返り、微笑んだ。
「ようやく、終わったわ。――いいえ、これから始まるのよ。わたくしは、ムーンブルクを復興してみせるわ」
ルークを見つめる菫色の瞳には、新たな決意の光があふれている。ルークはその瞳を、心から美しいと思った。
「俺もできるかぎりのことはする。いいか、お前は決して一人じゃない」
「僕も手伝わせてもらうよ。――ずっとこれからも、僕達三人は仲間だから。それを忘れないで」
「……ありがとう、ルーク、アーサー」
リエナは涙をぬぐうと、もう一度、ルークとアーサーに微笑み、頷いてみせた。
********
ムーンペタにほど近い森の小路に、新緑の魔力の光が降り立った。三人はアーサーの移動の呪文で、ムーンブルク城からここまで移動してきたのである。
茜色に染まった夕空を背に、三人は街道を歩き始めた。
「リエナ、疲れただろ? とりあえず今夜は、ムーンペタで宿に泊ろう」
「そうだね。もう僕達が帰国しているのはみな知ってるだろうけど、ルーセント公爵への挨拶もすぐじゃなくて構わないだろうし」
ルーセント公爵はムーンブルク建国当時からの大公爵家の現当主で、ムーンペタの領主でもある。三人での旅立ち前、呪いが解けたばかりのリエナと男二人が、準備のために公爵家の別邸でしばらく世話になっていたこともあり、リエナはもちろん、ルークとアーサーも懇意にしている。
それならば、何も宿などに宿泊せず、直接公爵邸に行けばよさそうなものだが、そうすると、彼らは本来の身分である王族に戻ってしまう。それが決して嫌なわけではないが、何かと窮屈であろうことは想像に難くない。平和が訪れた今、ゆっくりと三人で長かった旅のあれこれを話し合いたい。そのためには、一介の旅人のまま、宿に行く方がいいのである。――もちろん一番の目的は、ルークはリエナに、リエナはルークに、それぞれ自分の想いを伝えたいからであったけれど。
森の小路を、リエナを真ん中にして三人横に並んでゆったりと歩きながら――魔物が姿を現さなくなった今、もう周囲を警戒して、縦一列で移動する必要はない――彼らは、それぞれの想いに耽っていた。
間もなく日も暮れようというころ、三人はムーンペタの町の門が見えるところまでやってきた。
「何だ? あれは」
ルークが眼を凝らして見ると、門をすぐ出たところで、昼とみまごうばかりに、明々と篝火が焚かれている。そればかりか、立派な馬車が二台に、ムーンブルクの正式な装束を纏った騎士達が、大勢待機しているのがわかる。
更に近づいてみると、篝火の灯りに照らされた馬車には、見覚えのある紋章が輝いている。
「あれは……! ルーセント公爵家の紋章じゃねえか!」
ルークが思わず叫んでいた。そして、もう一方の一際立派な馬車には……、
「ムーンブルク王家のものだね」
アーサーも溜め息をつきつつ、呟きを漏らしていた。リエナは驚きのあまり声を失っている。
三人は、一瞬街道を引き返そうか、それともアーサーの呪文で、どこかほかの町に移動しようか、迷った。けれど、まだ体調が万全でないリエナをこれ以上野宿させたくはないし、かといって、今ここで呪文を発動すると、アーサーの鮮やかな新緑の魂の光の色で、彼らがどこかに移動しようとしているのがばれてしまうに違いない。そればかりか、魂の光の軌跡をたどれば、移動先がある程度は特定されてしまう。
どうするのが一番いい方法か迷っているうちに、向こうの方が先に気づいたらしい。淡い魔力の光が、三人目指して真っ直ぐに伸びてきた。
やがて、光は三人からわずかに離れた場所に降り立ち、如何にも身分の高そうな、痩身の立派な老人と、よく似た面ざしの若い騎士が三人の前に跪いた。
「ルーク殿下、アーサー殿下、リエナ殿下。お迎えに参上いたしました」
深々と頭を垂れたまま、老人が丁重に挨拶した。
「……ルーセント公爵」
一瞬の間をおいて、ルークが返答した。
「この度は、凱旋、誠におめでとう存じます。まずは私どもの別邸にて、旅のお疲れを癒していただきたく、お迎えに参った次第でございます」
公爵が恭しく口上を述べると、三人が何か言う間もなく、もう一人の若い騎士――公爵の息子によって、再び移動の呪文が発動された。あっという間に門に到着すると、大勢の騎士達が一斉に跪き、三人に礼をとる。もうこうなったら、抵抗するだけ無駄である。ロト三国の王太子達が、他国の臣下の前で無様な振る舞いをするわけにもいかない。
三人を代表して、ルークが出迎えた騎士達を労った。
「出迎え、大儀であった」
騎士達は、ルークの鍛え上げられた長身と堂々とした姿に圧倒され、またアーサーの優雅でありながらも、抜きんでた魔法戦士としての技量をもつ者だけが備える、隙のない身のこなしに眼を瞠っている。
最後に、騎士達の眼は一斉にリエナに向けられた。
ムーンブルクの民の誰もが深く敬愛していた王女。その王女が、わずか一日で、何もかもを失った。それにもかかわらず、苦難を乗り越えて立ち上がり、宿敵である大神官ハーゴンを倒し、今またこうして自国に凱旋してきてくれた――騎士達のすべてがその感動に打ち震えていた。同時に、自分達とは比べ物にならないほど、小柄で華奢な姿と、月の女神の再来と謳われるにふさわしい類稀な美貌に、あらためて驚きを禁じ得ないようだった。
三人はやつした旅姿であっても、やはり王族だった。騎士達は生まれながらに高貴な者だけが持つ威厳を、ひしひしと感じていたのである。
「リエナ殿下、ではお手を」
ルーセント公爵がリエナに手を差し伸べた。
「公爵、よろしくお願いいたしますわ」
公爵は差し出されたリエナの手を取り、ムーンブルク王家の紋章の馬車へ誘った。リエナの後に続いて、もう一台の公爵家の馬車に、ルークとアーサーが乗り込んだ。
リエナは馬車の中で、きちんと背筋を伸ばして腰かけていた。菫色の瞳には一切感情が表れていない。次期女王となるべき自分は、常に優雅さを失わず、いつ誰に姿を見られても模範となり、また決して不用意に自分の感情を読み取られることがないよう、振る舞わねばならないからである。
もう一方の馬車の中で、男二人は終始無言だった。アーサーはいつもの穏やかな表情は崩してはいないものの、眼を閉じたまま、じっと考え込んでいる。ルークの方はといえば、無表情のまま腕を組み、ずっと馬車の窓から宵闇の迫る町の様子を凝視していた。
もう今はロト三国を継ぐ者としての義務を全うしなければならない。三人の旅人としての生活は、唐突に終わりを告げたのである。
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