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         魂の色

「ここまで来れば安全だな。リエナ、怪我はないか?」

 ルークは周囲の見渡した後、リエナを振り返って言った。

「ええ、大丈夫よ」

 三人はしばらく前に激しい戦闘を終えたばかりだった。そろそろ日暮れも近く、今夜の野宿の場所を探し、ようやく適当な場所を見つけたところである。それぞれ荷物を下ろし、リエナが魔物除けの呪文を唱えて結界を張った。

 早速手分けして野宿の準備を始める。薪を拾い始めたリエナは、ルークの腕に血が滲んでいるのに気がついた。深い傷ではなさそうだけれど、癒しておくに越したことはない。リエナはルークに駆け寄った。

「ルーク、腕を見せて」

「ん? これか、たいしたことないぜ」

「でも、そのままにしないほうがいいわ」

 そう言って、荷物から魔道士の杖を持って来ると、回復の呪文を唱えた。

「大地の精霊よ、癒しの光を授け給え――べホイミ」

 薄紅(うすくれない)の魔力の光が、ルークの傷ついた腕を包み込む。

「まだ痛む?」

 リエナがルークを見上げて尋ねた。

「いや、全然痛みはねえよ。いつもありがとうな」

 ルークはすっかり傷が癒えた腕を試しに動かしながら、白い歯を見せた。

「それにしても、いつ回復してもらってもすごいもんだぜ」

 魔力を持たないルークにとっては、実際に何度同じ経験をしても、驚きを隠せない。その二人の様子を見ていたアーサーも、笑みを浮かべて言った。

「リエナの回復の呪文は特にじゃないかな。威力がすごいのはもちろんだけど、かけてもらうと、とても心地いいんだよね」

 ルークも大きく頷きながら同意した。

「そう、すごくあったかいんだ。まるで、柔らかい羽毛にくるまれてるっていうか……。あんまりうまく言えないけど」

 男二人に褒められて、リエナはほんのりと頬を染めている。

「色もとても綺麗だよね。魔力の光の色は魔法使いによってそれぞれ違うけど、リエナのものほど美しいのは僕も他には知らないよ」

 人間の魂は、それぞれみな違う色を持っている。普通はそれがどんな色かはわからないのであるが、魔法の使い手だけは、魔力の光として眼で見ることができるのである。

「あら、アーサーの光はとても美しいわ。鮮やかで、それでいて心が安らぐ色じゃないかしら」

 アーサーの魂の色は、初夏の新緑のような緑色である。サマルトリアの国の色でもあるから、王太子の彼には、もっともふさわしい色と言える。

 ここでふと思いついたように、ルークが二人に尋ねた。

「なあ、魂の色って、わりと瞳の色と関連してないか? 俺の知り合いの魔法使いはそういう人間が多いぜ。アーサーは厳密にはちょっと違うけど、どっちも緑色だし。――あ、でもリエナは全然違うか」

「いや、それはあると思う。僕の周りの魔法使いでもたくさんいるし、父上も深緑だから同じだ」

「じゃあ、ルークはきっと深くて鮮やかな青ね」

 リエナがにっこりと微笑んで言った。

「……って言っても、俺は魔力がないんだから、確かめようがないぜ?」

 三人の中で、唯一魔力を持たないルークは苦笑するしかない。

「でもね、ルークは間違いなく深い青だと思うわ。瞳の色と同じっていうだけでなく、あなたは魔力を持たなくても、なんて言うのかしら、魂の輝きがとても強くて、眼で見ることはできなくても、色を感じられる気がして仕方ないのよ」

「魂の輝きが強い?」

 ルークが不思議そうに聞き返した。

「ええ、あなたの場合は、生命力の強さって言い替えるべきかもしれないのだけれど」

「リエナがそう感じるのは、持っている魔力が強い分、他の人間の魔力にも敏感なせいかもね。僕はルークの色を感じることはできないけど、深い青だろうっていうのは、そう思うよ」

 アーサーもそう言ったが、ルークはまだ首を捻っている。

「俺は自分のことでもわからんけど……、だが、青ならうれしいかもな」

 ルークの瞳と同じ深い青は、ローレシアを象徴する色であり、ルークがいちばん好きな色でもある。旅が始まって以来、彼が愛用している旅装束も青であり、昔から好んで青い礼装を身につけていた。実際、この色はルークによく似合い、国を象徴するだけでなく、ローレシアではルークの色だと呼ばれることすらある。

 リエナもルークとの最初の出会いのとき、彼の瞳の色は、ローレシアの海の色かもしれないと感じた。その後、実際にローレシアに滞在中に見た海は、最初の印象通りだったのを鮮明に記憶している。ルークがリエナの菫色の瞳に惹かれたように、リエナもまた、ルークの真っ直ぐに見つめてきた、深い青の瞳に惹かれたのかもしれない。

 ついつい三人で話し込んでいる間に、夕闇が迫ってきていた。

「おい、いつの間にか暗くなりかかってる。早いとこ火を熾そうぜ」

「すぐお食事の支度もするわね」

 いつもと同じようにリエナが手早く料理を作り、三人で食事を取る。ルークに手伝ってもらいながら片づけをしていたリエナは、ふと背中にぞっとするものを感じた。

「どうした?」

 急に震えだしたリエナを心配したルークが声をかけた。

「なんでもないわ」

 リエナは無理に笑顔をつくったが、まだ震えは止まっていない。

 二人の会話が聞こえたらしく、アーサーも近づいてきた。

「リエナ、大丈夫?」

「二人ともありがとう。――大丈夫よ」

「今日も一日大変だったからね。早めに休んだ方がいい」

 アーサーも心配そうな眼を向けている。

「無理するなよ。何かあったら、遠慮なく起こしてくれ」

「ええ、そうさせてもらうわね」

 そう言って、リエナは早々に毛布にくるまって横になったが、特に魔物の気配もないはずなのに、何故か心が騒ぐ。

 なかなか寝付かれず、かといって、頻繁に寝がえりを打つとルークとアーサーに心配をかけると思い、じっと一人きりで不安と戦い続けていた。

********

「リエナは寝た?」

 アーサーが旅の記録をつけながら、ルークに尋ねた。ルークはリエナから少しだけ離れた場所で剣の手入れをしつつ、彼女の様子を心配そうに見つめている。

「ああ、やっと眠れたみたいだ。でも、さっきまでずっと起きてたぜ。俺達に心配かけたくなくて、不安なのに我慢してる。――いつでも頼ってくれていいのにな」

 それを聞いて、アーサーも同意の溜め息を漏らした。

「確かにお前の言う通りだ。リエナはもっと僕達に甘えてもいいと思うんだよね。他人には想像もつかない苦労をしてきたのに、どんなにつらくても、我が儘も不平も言わない。彼女の場合はもともとの性格もあるんだろうけど」

「ただ、今夜はいつもと違う気がする」

 ルークはリエナに視線を向けたまま、つぶやくように言った。

「違うって、何が?」

 アーサーが手を休めて問い返した。

「また、あの夢を見てうなされるんじゃないかって、そんな気がするんだ」

「そういうところだけは、お前も敏感なわけか。――まあ、その時には、お前の出番だからね」

「あ、あれは、成り行きで……!」

 あせって大声を出しそうになったルークを、アーサーが押し留めた。

「そんなに大きな声を出したら、リエナが眼を覚ます。――成り行きでも何でも、リエナが安眠できるのがいちばん大切なんだから、いいじゃない?」

 アーサーは手にしていた帳面を閉じると、つけ加えた。

「その時には、遠慮はいらないよ。僕は見ない振りしててあげるから」

「どういう意味だよ」

「そのまんまの意味だよ。これ以上は言わなくてもいいよね」

 ルークは何も答えられず、再び手を動かし始めた。

********

 リエナは夢を見ていた。

 自分の身体が、あてどなくゆらゆらと漂っているのがわかる。ものの形も定かではない薄闇の中、リエナは言いようのない不安に取り憑かれていた。

 ふと前方に視線を移すと、懐かしいムーンブルク城が眼に入った。と同時に、魔物のものとおぼしきけたたましい嗤い声とともに、白亜の城が業火に包まれた。無数の慟哭が薄闇の中をこだまし、リエナの耳に突き刺さる。

 忘れることのできない凄惨な光景に、思わず後じさろうとしたが、身体が動かない。そのとき、魔物の群れの中の一匹と目が合った。極上の獲物を見つけた魔物は、不気味な嗤い声を漏らすと、リエナに迫ってくる。

 リエナは夢の中で悲鳴をあげた。

 その時、どこからともなく現れた鮮やかな青い光にふわりと包み込まれた。今まさにリエナに襲いかかろうとしていた魔物は、青い光の凄まじいまでの輝きに眼を潰されたのか、両手で眼を押さえながら逃げ惑う。

「おい、リエナ!」

 はっとリエナは眼を覚ました。眼の前に心配そうなルークの顔がある。

「またあの夢を見たのか?」

 リエナはゆっくりと身体を起こしたが、何も答えられず、菫色の瞳に涙を浮かべたまま震えているばかりである。それでも、ルークはリエナに何が起きていたのか理解できた。ルークの腕がリエナに伸びる。わずかにためらいを見せたが、そっとリエナを抱き寄せると、包み込むように抱きしめた。リエナは一瞬身体を強張らせたが、素直に身体を預けてくる。

「今夜はこのまま俺がそばについてるから」

 リエナにとっては、これ以上ないほど心強い言葉である。ようやく震えがおさまりつつある華奢な身体を抱きしめたまま、ルークは言葉を継いだ。

「無理しなくていいが、眠れるようなら眠っておけよ」

 あたたかく力強い腕の中で、リエナはちいさく頷いた。

 ルークはすぐに腕を離し、リエナも再び横になる。ルークはさっきの言葉通り、リエナのすぐ隣にいた。時折、じっと心配そうに見つめているが、ルークがそれ以上リエナに触れてくることはなかった。それでも、リエナの先程までの不安感はずいぶんと薄らいでいる。

(あの青い光……、思い出した……いいえ、よく知っているわ。そう、今までも何度もわたくしを悪夢から救い出してくれた。まるでわたくしを、守護するかのように)

 リエナは旅に出てからも、しばしばムーンブルク城崩壊の光景の記憶がよみがえり、悪夢に悩まされて続けていた。その度に、青い光はあたたかくリエナを包み込み、救い出してくれていたことを思い出したのである。

(ルークの魂の光、だったんだわ。だからわたくしは、彼の魂の色が深く鮮やかな青だって、知っていたのね)

 ちいさく安堵のため息を漏らすと、リエナは眼を閉じた。不思議ともう恐怖心は去っている。もしまた同じことが起きても、必ず青い光が自分を救ってくれる。リエナは心からそう信じられたから。

 ようやくリエナに安らかな眠りが訪れた。

********

「今度はちゃんと眠れそうだね。――ルーク、お手柄だ」

 眠っていたはずのアーサーが、眼を開けてルークに話しかけてきた。

「見てたのかよ」

 ルークは返事をしたものの、うんざりしたような様子がありありと声に現れている。

「僕は何も見てない。ただ、リエナがうなされて起きたのを知ってるだけだよ」

「信用できるわけないだろうが。……ったく、目敏いというか何というか」

 ルークは声に更に不機嫌さが混じるのを隠そうともしていない。焚火のわずかな明かりに照らされたアーサーの整った顔に、わずかに笑みが浮かぶ。

「別に信用してくれなくても構わない。リエナが眠れるようになってよかったって思ってるだけだから。――じゃあ、後は頼んだよ」

 そう言って再び眼を閉じると、心の中で付け足した。

 ――これだけはどう頑張っても、ルークでないと無理だからね。

********

 翌朝、アーサーが水を汲みに行っている間、リエナは朝食の支度をしながら、おずおずとルークに話しかけてきた。

「ルーク」

「うん?」

「昨夜……」

 リエナが続きの言葉を言う前に、ルークの声が遮った。

「……悪かった。許してくれ」

「え?」

「いや、その……。驚いただろ?」

「ううん、そうじゃないの。――ありがとうって言いたかったのよ」

 リエナは頬を染めてうつむいている。ルークも顔にかっと血が上るのを感じていた。

「あのね」

 リエナはひとつ息をついた。

「……何だ?」

「やっぱり、あなたの魂の色は、とても鮮やかな深い青、だったわ」

 うつむいたまま頬を更に染めて、つぶやくように言葉を継いだ。

「は……?」

 ルークは何故リエナがこんなことを言い出したのか、さっぱり理由はつかめなかったが、リエナはそれっきり何も言ってはくれなかった。

 居心地がいいのか悪いのかよくわからない沈黙の中、しばらく二人はそれぞれの作業に没頭していたが、ルークが意を決したように、リエナに声をかけた。

「なあ、リエナ」

 あらぬ方に視線を向けたまま、話を続ける。

「お前、無理し過ぎてる。もっと俺達に頼ればいい。つらかったらつらいって言えばいいし、泣きたかったら……その……、いつでも……」

 この時、ルークもリエナも同時に、昨夜のほんのわずかな時間の出来事を思い出していた。ルークは、自分の腕のなかで震えていたリエナの華奢な身体を。そしてリエナは、ルークの腕のあたたかさと力強さとを。

「……と、とにかく俺達は仲間なんだから。いいな?」

「……わかったわ」

 そうこうしているうちに、アーサーが水汲みから戻ってきた。その後は三人とも何食わぬ顔をしたまま、いつも通りに朝食を取り、後片付けと火の始末を終えると出発した。

********

 この夜を境に、リエナがムーンブルク崩壊の悪夢に悩まされることは次第に減っていった。

                                             ( 終 )


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