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旅路の果てに
第15章 1


 ――アレンが誕生してから2年後の初秋の夜更け。

 ルークは、居間で落ち着きなさげにうろついていた。その傍らで、2歳になったばかりのアレンが長椅子で健やかな寝息を立てている。

 やんちゃ盛りのアレンであるが、今日ばかりは周囲の様子がただ事ではないと幼いなりにも察しているらしい。わがままも言わず悪戯もせず、めずらしくおとなしくしていたけれど、さすがに退屈になり、村の女達がどっさり持ってきてくれた夕食をたいらげた後は、気がついたら長椅子で寝てしまっていたのだった。気をきかせて手伝いの女が、薄い夏の上掛けをかけてくれていた。

 ルークは、頭を振りつつ、大きく息をついた。今の自分は何の役にも立たないことはわかりきっている。アレンはすっかり寝込んでいて、起きる気配は無い。台所には手伝いの女もいる。ほんのわずかな時間であれば、自分がいなくても大丈夫だろうから、外の空気を吸いに出ることにする。台所にいる女に声を掛け、玄関の扉を開けた。

 さっと冷涼な空気が頬を撫でた。大きく深呼吸をして、夜空を見上げる。

 そこに輝くのは、見事な銀盤。鮮やかな満月が、辺りを照らしていた。

 神秘的な光を浴びながら、ルークは一昨年の出来事を思い出していた。その時にもこうして、落ち着きを取り戻していたのだ。

 二度、三度と深呼吸を繰り返すと、まるで月の加護を受け取った気になる。ムーンブルクの民と同じように。

 ルークは最後にもう一度、月へ見上げた。その後、まるで祈りを捧げるかのように目を閉じ、家の中に戻った。

********

 ルークは居間に戻ると、台所の女に声を掛け、長椅子にどっかりと腰を下ろした。傍らで眠るアレンに視線を向ける。ルークが外へ出ている間に寝返りを打ったらしく、せっかくかけてもらっていた上掛けを半ば蹴とばしてしまっている。ルークは仕方ないやつだと、もう一度かけ直した。

 アレンは健康そのものだった。毎日外で思いっきり駆け回って遊ぶので、こんがりと日焼けしている。漆黒の髪も、青い瞳も――これは父親よりもやや明るめである――成長とともに、ますますルークそっくりになっていく。

 感慨深げに息子の顔を眺めていたその時、寝室から声が聞こえてきた。ルークははっと顔を上げた。なんともいえない笑みを浮かべ、思わず両手の拳を握りしめる。寝室の様子が気になって仕方ないのであるが、今は待つしかない。長椅子から立ち上がり、再びうろつき始めた。

 ルークにとって、長い長い時間――実際は、ほんの十数分にすぎないのであるが――ようやく寝室の扉が開き、中からエイミが出てきた。勢いこんで歩み寄るルークに向かって、満面の笑みで見上げる。

「ルーク、産まれたよ!」

「リエナは無事か!? ――あと、どっちだ!?」

「女の子。リエナちゃんも赤ちゃんも、とっても元気だから、安心してね」

「――そうか」

 ルークは安堵のあまり、一気に緊張がほどけるのを感じていた。続いて、寝室からラビばあさんが姿を現した。

「ルーク、リエナちゃんはがんばったぞ。二人の顔を見てくるがええ」

「アレンはあたしが見ててあげるからね」

 ルークはばあさんとエイミの言葉を聞くやいなや、寝室に駆け込んだ。

********

「リエナ、よくやったな」

 寝台に横たわるリエナが、やわらかく微笑みかえす。流石に疲労の色は濃いものの、母としての充実した姿は、ルークの目にはこの上なく美しく映る。

 そしてリエナの横には、産まれたばかりのちいさないのち。ルークはしゃがんで顔を覗き込んだ。すぐに満面の笑みになる。

「――可愛いな」

「ええ。あなたにそう言ってもらえて、うれしいわ。――あら、アレンは?」

「遊び疲れて、長椅子で寝ちまってる。エイミが見ててくれてるから心配ないぜ」

「そう。今日はずっと構ってあげられなかったから……」

「あいつなりに、大変だってことだけはわかってたみたいだったぜ。機嫌よく飯食って、遊んでもらってぐっすりだ。妹って言葉も覚えたようだしな。明日の朝、起きたら会わせてやろう」

「そうね。今から起こすのもかわいそうだし、今夜はこのまま寝かせてあげておいてね」

「わかった。――抱っこしてもいいか?」

「もちろんよ」

 ルークは頷き返すと、そっと赤ちゃんを抱きあげた。二人目だけあって、もう手慣れたものである。

「やっぱり可愛いな。瞳の色はまだわからんだろうが、顔立ちはお前に似てる気がする。将来、すごい美女になるぜ」

 既に親馬鹿ともいえそうな台詞に、リエナもうれしそうである。

「やっぱり産声なんかもアレンの時とは違う気がするな。あいつのときよりもおとなしいっていうか、可愛らしいっていうか」

「わたくしもそう感じたわ。女の子だからかしらね」

 二人でしみじみと会話をしていると、背後で扉が開いた。ラビばあさんである。

「どうじゃ。父親との対面は無事済んだかの?」

「ああ。ありがとうよ。ばあさん達のおかげで、今回も無事に産まれてくれた。礼を言わせてくれ」

「なんの。これがわしの務めじゃから、礼なんぞ不要。それにしても、今回も安産でよかった。さ、リエナちゃん。ゆっくり休むがええ」

 ルークも赤ちゃんをリエナの隣に寝かせる。産まれたばかりの娘を見つめるリエナの表情は慈愛に満ち、豊かで限りなく美しい。

********

 翌朝、アレンは緊張していた。

 父とラビばあさんに『いもうとがうまれた』と教えられたのである。正確には、しばらく前から、『もうすぐおとうとかいもうとがうまれる』と聞いていたのだが、なんのことだか正直よくわからなかったのだ。ただ、それがとてもうれしいことだというのは、両親をはじめとして、周囲の大人達の様子からよくわかっていた。

 昨夜から、大好きな母の姿が見えなかったのは寂しかったが、村のおばさん達がたくさんご馳走を作って持ってきてくれて、おじさん達もたくさん遊んでくれたので、なんとか我慢できていた。

 そして『いもうとがうまれた』である。よくよく手を洗わされ、父親とばあさんに連れられて、産屋となっている寝室の扉を開ける。真っ先に目に飛び込んできたのは、寝台に横たわる母の姿である。アレンは驚いたが、まだ上手く言葉にはならず、心配そうに父を見上げた。そんな息子に、ルークは安心させるように頷いてみせる。

「ああ。病気かと心配してるんだな? アレン、そうじゃないから大丈夫だ」

「……ほんと?」

「本当だ」

 ようやくすこし安心したものの、まだ緊張は続いている。繋いだルークの大きな手をぎゅっと握りかえし、おそるおそる、寝室に入る。

「アレン、来てくれたのね。お利口にしていてくれて、うれしいわ」

「……うん」

 よく見ると、母の隣に、ちいさなひとがいる。なんとなく、母に似ているな、とアレンは思った。

「……いもうと?」

「そうよ。アレン、あなたはおにいさんになったのよ」

「おにいさん」

「そう。なかよくしてあげてね」

 ルークもアレンに声をかける。

「アレン、妹を大事にするんだぞ」

「うん、だいじする」

 正直、アレンはまだよくわかっていない。けれど、幼いなりに、両親にとっても自分にとっても、大切な存在であることだけは、理解していた。

 アレンは、寝台のそばに座り込んだ。じっと、妹の顔をみつめる。その真剣な表情に、リエナも思わず笑みを浮かべている。

 しばらくそうやって見つめていたが、ふとアレンの顔がほころんだ。

「かわいい。いもうとかわいい」

「そうだ。可愛いだろ?」

「うん! かわいい!」

 兄との対面も無事に終わった。赤ちゃんは家族に囲まれ、すやすやと眠っている。




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