ヴァン・ヴェール
「じゃあ、僕は情報収集に行ってくるから」
目的地に到着して宿も決めて、いつもどおりアーサーが一人で出かけて行った。それを見送った後、リエナがルークににっこりと微笑みかけた。
「ねえ、ルーク。今日が何の日か知っていて?」
「今日?」
しばらく考え込んでいたが、やがて首を振った。
「わからん。特別なことでもあったか?」
「アーサーのお誕生日よ」
「そういや、そうだった。――すっかり忘れてたぜ」
「せっかくだから、贈り物を用意してちょっとしたお祝いができたらいいかしらって思ったの」
「そりゃいいかもな。たまにはやつを驚かせてやるか? いっつもこっちが驚かされてばっかだから、お返しだ」
ルークにしては珍しく冗談めいた口調である。
「そうね。わたくしたちは何も気づかないふりをして、こっそり準備しましょう。この宿には厨房があるから、お祝いのお食事も用意できるわ」
久しぶりの明るい出来事である。リエナも楽しそうだった。
***
二人は早速準備のための買い出しに出かけた。まずはやるべきことを済ませてから贈り物を探しに行くことにする。最初に道具屋で必需品などを揃えた後、店を出たところでルークがリエナに問いかけた。
「ところでアーサーへの祝いの品だけど、お前何か考えてるのか? 俺には何がいいんだか、さっぱりだ」
「ええ。心当たりはあるのよ」
「何だ?」
リエナは微笑むだけでそれには答えず、目抜き通りに向かって歩き始める。ルークも並んで歩き出した。
「このお店で買おうと思うの」
リエナが案内したのは文房具店だった。重厚な店構えの老舗である。
「なるほど。文房具か。アーサーのやつにはちょうどいいな」
「でしょう? 宿を探して通りかかった時に、アーサーへの贈り物にできたらって思ったのよ」
早速二人で店内に入る。
本格的な品を扱う専門店らしく、羽ペンや凝った細工のペン立て、革表紙の帳面、本の栞、様々な色や柄の封筒や便箋、カードが並んでいる。落ち着いた雰囲気の中、年配の紳士がペンを吟味し、また別のところでは上品な婦人が店員相手に本の栞を選んでいる。
「いい店だな」
ルークがリエナを見下ろして言った。
「ええ。ここの品物なら、アーサーに気に入ってもらえると思うわ」
アーサーは自分の持ち物には一切妥協しない。今は身分を隠しての旅だから、本来の身分である王族らしい品物を持つわけにはいかないが、それでも彼の愛用品は簡素でありながらも趣味がよく、どこかしら品のあるもの――無論、若い旅人が持っていて不自然ではない程度ではあったが――ばかりだった。
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しでございますか?」
中年の女性店員が話しかけてきた。店の雰囲気にふさわしい、知的な物言いに好感が持てる。
「封筒と便箋をみせていただけますか? わたくし達のお友達への贈り物ですわ」
リエナが答えた。どうやら、単に文房具だというだけでなく、具体的な品まで考えがあるらしい。
続けてルークが言う。
「俺と同年代の男だ。持ち物には相当なこだわりがあるから、色々と見せてくれ」
「かしこまりました」
店員はにこやかに頷くと、二人の目の前に幾種類もの品を並べてくれた。明るく爽やかな色のものや、一部分にだけ文様が刷られたあっさりとした意匠のものが多い。いずれも選び抜かれた紙を使った上質なものばかりである。
「どれも素敵ですわね」
「ありがとうございます。お若い殿方がお使いになるものですから、あまり重厚なものよりもこういったお品の方がよろしいかと思いますよ」
店員が告げる値もやはりそれなりに高価であったけれど、ペンや革細工のものに比べればずっと手に取りやすい。リエナは限られた予算の中で精一杯の贈り物がしたいと考えて、封筒と便箋を選んだのだろう――ルークはそう考えていた。
「ルーク、あなたはどれがいいと思う?」
リエナがルークを見上げて尋ねた。
「どれもいい品だと思うが……。お前が選ぶ方が間違いないと思うから、任せる」
「あら、あなたも彼の趣味はよく知っていると思うのだけど。――そうね、これはどうかしら」
リエナが選んだのは、若草色の地に、わずかに淡い緑色の繊維が漉き込まれたものである。柔らかな色合いが、アーサーの瞳の色を彷彿とさせる。
「いいじゃないか。字も書きやすそうだし」
「ええ。わたくしもそう思ったのよ」
「お客様。こちらは色が美しいだけでなく、書き心地がとてもよいとの評判の品でございますよ」
説明する店員の声もどこかうれしそうだった。リエナが選んだ品が、特に吟味されたものだったからである。若者が選ぶとどうしても派手なものになりがちであるが、この二人は見た目だけでなく、本来の用途である書きやすさにまで気を配っている。品物を見る目の確かさもさることながら、贈られる人物の趣味の高さがよくわかる。質素な旅姿の二人であるけれど、おそらく相当な良家の子女であろうと推測していた。
「余計な装飾がないところとかも、アーサーの趣味だな」
「あなたにそう言ってもらえてよかったわ」
「では、こちらになさいますか?」
二人の会話を見計らって、店員が尋ねた。
「ええ、お願いいたしますわ」
リエナがにっこりと微笑んで答えた。
「贈り物でしたら、ご一緒にカードはいかがでしょうか」
「あら、いいですわね」
「ちょうど同じ紙を使った小振りのものがございますよ」
そう言って、いくつかのカードを出してきた。すべて同じ意匠の色違いのものである。リエナは少し考えて、若草色よりもう少し濃い緑色を選んだ。
購入した品物を贈り物用に包んでもらい、二人は店員に笑顔で送られて店を後にした。
その後、食料品店に行って、晩餐の買い物を済ませる。いつもより少しばかり贅沢な素材と、店の自慢だという地酒の葡萄酒――これはルークが張り切って選んだ――も買い込んで、宿に戻ってきた。
***
買ってきた荷物を机に置いて、ルークが言う。
「すぐに厨房に行くか? 荷物なら運んでやるよ」
「ちょっと待ってね。先にやってしまいたいことがあるの」
「何だ?」
「せっかくカードを買ったのですもの。お祝いの言葉を書きましょう」
にっこり微笑んでそう言うと、机に購入したカードを広げた。ほんのすこし小首をかしげると、ペンを走らせ始める。
どんなふうかとルークが覗き込んで、思わず眼を見開いた。リエナは装飾文字で祝いの言葉を書いていた。流麗で、見事としかいいようのない筆致である。
「上手いもんだな。俺にはとてもできない芸当だ」
ルークが賞賛の声をあげた。装飾文字は王族女性の教養の一つだが、これほど美しいものは滅多にお目にかかれない。
「ありがとう。装飾文字を書くのは久しぶりですもの。すこし緊張してしまうわ」
そう言いながらも、リエナの指は滑らかに動いている。装飾文字を書き終わり、かなりの空白を開けると、今度は普通の――こちらも申し分なく美しい文字でメッセージを書いていく。
「わたくしの分はできたわ。後は、あなたがここに書いてくれればおしまいよ」
そう言って、カードを差し出した。さっき装飾文字の下に空白を開けたのは、ルークにも書いてほしいということだったらしい。
「俺も書くのか?」
「もちろんよ」
「なんか、今更というか、変な気もするけどな」
「あら、わたくし達二人からのお祝いですもの。あなたも書いてくれないといけないわ」
真正面から菫色の瞳で見つめられ、そんなふうに言われてしまえば、ルークは拒むことなどできない。
リエナからペンを受け取ると、しばし考えて書き始める。ルークの文字はかっちりとして力強い。それを見ながらリエナは、やっぱりルークらしい文字だわ、と思っていた。
こうして一枚のカードに二人の文字が並ぶと、かたや堂々、かたや繊細にして華麗、いかにも好対照な一対である。
***
「ところで、リエナ」
ルークが尋ねた。二人は厨房で、一緒に晩餐の支度――もっともルークの仕事は荷物運びと味見だけではあるが――をしているところである。
「なあに?」
リエナはナイフを使いながら答えた。
「お前、アーサーへの祝いの品は最初っから封筒と便箋って、決めてたのか?」
「ええ、そうよ」
「何か、意味か理由でもあるのか? アーサーのやつが欲しがってたとか」
リエナは手を止めると、ルークを見上げた。すこしばかり意味ありげな表情をしている。――リエナがこんな顔をするのは珍しいが、やっぱり綺麗だ、などとルークは余計なことを考えていた。
「ねえ。ルーク」
「うん?」
「アーサーも寂しいと思うのよ」
「寂しい? ……何でだ?」
「大切に想う方とずっと離れ離れよ。それにね、寂しいのはアーサーだけじゃないわ」
――わたくしが同じ立場だったら、身を切られるほどつらいもの……リエナはそう考えていたのだけれど、何故か口にはできなかった。
「……なるほどな」
ようやくルークもリエナの言いたいことが理解できていた。アーサーには婚約者コレットがいる。サマルトリアで待ち続ける彼女への手紙を書いてもらえたらいい――リエナはそう考えているのである。いかにも女性らしい心遣いだとルークは感心した。男の自分では到底思いつかないことだったから。
***
「よかったわ。間に合って」
宿の部屋の机の上に、晩餐の支度が整っていた。リエナが腕をふるったご馳走とケーキ、ルークが選んだ葡萄酒が並んでいる。せめてもの演出で、食卓の中央に宿の裏庭に咲いていた花を活けた。これだけでもずいぶんと華やかになる。
「立派な祝いの食卓ができたじゃないか。大したもんだな」
ルークはしきりと感心している。
「ええ。すこしでもお祝いらしくしたかったのよ」
リエナも満足げに微笑んだ。
「ところで、アーサーのやつを驚かせてみないか?」
ルークがこんな事を言いだすのは初めてだった。
「あら、楽しそうね。どうやって驚かせるの?」
「とりあえず、俺達は部屋の中で隠れる。アーサーが帰ってきたが、俺達はいない」
「でも、食卓は整っている……ってことね」
リエナが後を引き取った。
「ああ。その後は、訳がわからずうろうろしているやつの後ろに、俺が気配を消して近づく」
「わかったわ」
「で、こうする」
ルークがある物を手に取ると、ちょっとした動作を見せた。リエナはわずかに菫色の眼を瞠って、それからちいさくふきだした。
「素敵な思いつきだわ」
隠れる場所を相談して、リエナは湯殿に行き、ルークは部屋の扉のすぐ横、開けた時に陰になる場所に立つことにした。
***
部屋の扉が軽く音を立てて開き、アーサーが入ってきた。
「ただいま。遅くなってごめん」
二人ともとっくに帰って来ているはずなのに、部屋の中は無人である。それなのに、部屋の中央に食卓には食事の支度が整っている。あたたかい湯気を上げる料理とケーキが並び、おまけに花まで飾られている。まるで、これからパーティでも始まるかのような設えだった。
「ルーク、リエナ。――帰ってるんだろう?」
いい頃合いとばかりに、ルークは扉裏から出ると即座にアーサーの背後に回った。同時に、手にしたものをアーサーの首の後ろに突き付ける。
「えらく物騒なお出迎えだね」
両手を上げてアーサーが言った。言葉はいつもどおりだけれど、声には笑いが含まれている。ルークはやれやれとばかりに溜め息をつきつつ、アーサーの正面に姿を現した。
「何だ、全然驚かないじゃねえか。気配は完璧に消したつもりだったが、駄目だったな」
部屋での遣り取りを聞きつけて、リエナも湯殿から出てきた。
「お帰りなさい、アーサー。ルークに背中に立たれても平然としていられるなんて、流石ね」
「ルークの気配ならほとんどわからなかったよ。でも……」
「でも、何だ?」
「決定的に足らないものがあったから、危険は感じなかったんだ」
「足らないもの?」
「殺気だよ」
「……なるほど、しくじったな」
ルークも白い歯を見せて笑った。
「さあ、アーサー。これを持ってね」
リエナが食卓に用意してあった酒杯をアーサーに手渡した。
「とりあえず、乾杯だ」
ルークが言いながら、さっきアーサーの首に突き付けていたもの――葡萄酒の壜を掲げて見せ、その場で栓を抜いた。
「リエナ、たまにはお前も飲むか?」
アーサーの酒杯に葡萄酒を注ぎながらルークが聞いた。ほとんど飲めないリエナを気遣ってのことである。
「ええ。せっかくのお祝いですもの。ひとくちだけいただくわ」
「わかった」
ルークはリエナと自分にも葡萄酒を注ぐと、酒杯を掲げて声を上げた。
「乾杯!」
三人で軽く酒杯をふれ合わせる。その後続けて、ルークとリエナが声を揃えた。
「おめでとう、アーサー」
酒杯を口元に持っていこうとしたアーサーの手が止まる。
「おめでとう? ……僕に?」
しばし、沈黙が部屋を支配する。
「何か、あったかな?」
アーサーが考えつつ、二人に尋ねた。
「ええ。今日はあなたのお誕生日でしょう?」
「もしかして、お前……」
「……忘れてたよ」
それだけ言うと、二人から気まり悪げに視線を外して酒杯を口にする。アーサーには珍しいことである。
「ねえ、ルーク」
リエナがルークに声をかけた。
「うん?」
「わたくし達の目的、達成できたみたいよ」
あでやかに微笑むリエナに、ルークも満面の笑みを返す。
「お前の言う通りだな」
***
「要するに、僕を驚かそうとしたわけだ」
フォークとナイフを使いながら、アーサーが言った。不満そうなのは口振りだけで、声も表情も笑っている。
「ああ。うまくいったな」
「うまくいったって、半分だけじゃないかな」
まるで負け惜しみのようにアーサーが言う。これも珍しいことである。
「あら、アーサーを驚かすのってとても難しいと思うわ。だから、半分だけでも大成功じゃないかしら」
「お前もそう思うよな」
ルークとリエナはうれしそうにお互いに笑みを交わした。
***
食事が終わり、リエナは食後のお茶を淹れて誕生日のケーキを切り分けた。しばしおいしいお茶とケーキ、それに会話を楽しんだ後、おもむろにリエナが言った。
「じゃあ、ルーク。お願いね」
「わかった」
ルークは頷いて、席を立った。
「まだ何かあるの?」
アーサーが珈琲を手に、笑いながら二人に尋ねた。
「これ以上、僕を驚かせるのは難しいと思うよ?」
「今度は別に驚いてもらうつもりはないぜ」
ルークが何かを手に持って戻ったところで、リエナも席を立ち、ルークの隣に並んだ。
「受け取れ。誕生祝だ」
「わたくし達、二人からよ」
アーサーは親友二人と贈り物を交互に見遣った。
「……ありがとう。開けてもいいかな?」
「もちろんよ」
アーサーが包みを開けると、中から若草色の封筒と便箋が現れた。贈り物と同じ色の瞳に、驚きを含んだ笑みが浮かぶ。
「気に入ったか?」
「ああ。実に美しい色だね。それに、わずかに漉き込まれた繊維がとてもいい」
「だろ? リエナの見立てだ」
「だと思ったよ」
アーサーは笑いながら答えた。
「どういう意味だよ」
「僕の好みをよく知ってくれているから」
「気に入ってもらえてうれしいわ。でもね、アーサー」
「何?」
「確かに選んだのはわたくしだけれど、ルークもアーサーの好みだってちゃんとわかっていたのよ」
「珍しいこともあるものだね」
アーサーはわざと眼を瞠ってそんなふうに言ったけれど、彼もルークの趣味の良さ――自分は興味がないといいながら、いざ何かを選ぶと、相手の好みにあった上質なものになることが多いのを知っている。
「ありがとう。――大切に使わせてもらうよ」
アーサーは親友二人に笑みを向けた。それはいつもとは違う、素直で優しいものだった。
***
その夜、リエナが自室へ引き取り、同室のルークが寝静まったのを確認した後、アーサーは机に向かった。頭上には、柔らかな魔力の光の球――アーサーが呪文で灯した灯りが浮かんでいる。贈り物の便箋を広げて、ペンを取った。早速、コレットに手紙を書こうというのである。
さらさらと、ペンが紙の上を滑っていく。なめらかな書き味が心地よく、いつも以上に筆が進む。
(書きやすい。――ずいぶんといい紙を使っているんだ)
今までもアーサーはコレットに手紙を何度も書いている。けれど、旅先で手に入れられる品には限界があるから、ここまで上質のものを使ったことはなかった。
ひとしきり熱心に手を動かした。書き終わったところで読み返して、最後に署名をする。
一つ息をついて、アーサーは振り向いた。もう一度、ルークが眠っているのを確認するためである。ルークはこちらに背を向けて、ぐっすりと寝入っている。晩餐のリエナの手料理と葡萄酒を堪能した上に、久しぶりに宿で、しかも簡素ながら寝台で眠れるのだから無理もない。魔物の気配を感じない限り、眼を覚ますことはないだろう。
アーサーはわずかに笑みをこぼすと書き終わった便箋を取り上げる。
(早くお前も、リエナにこうすればいいのにね)
そう心の中で呟いて、便箋の端に、愛おしげにくちづけた。
***
数日後、コレットはアーサーからの手紙を受け取った。
(素敵な色――まるで、アーサー様の瞳のようだわ)
手紙の内容は、いつもと同じく近況を伝える他に、数日前の自分の誕生日に仲間二人が思いがけず祝ってくれて驚かされたこと、誕生祝いにこの封筒と便箋を贈られたことも記されていた。
手紙を読みながら、コレットは誕生日の贈り物に封筒と便箋を選んでくれたのはおそらくリエナだろうと察しをつけていた。サマルトリアで一人待つ自分を思いやってくれたに違いない――リエナの方が自分などよりも遥かに厳しい境遇でありながら、常に心配りを忘れていないことに感謝の念を抱いた。
(アーサー様は大丈夫。こんな素晴らしい御二方とともに旅をなさっているのですもの。必ず目的を果たして戻ってきてくださるわ)
コレットは手紙を読み終わると、祈りを込めて、端にそっとくちづける。
――その瞬間、一陣の、若草の薫る風が吹いてきたのを感じた。
(終)
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