A sweet scary night
秋も深まったある日のことである。旅を続けている三人は、小高い丘にある森に分け入っていた。しばらく歩き続けたところで、ルークが辺りを見回して、仲間二人に問いかけた。
「なんか、今までとえらい雰囲気が違わないか?」
「確かにね。――もしかしたら、魔物の棲みかの森、かもしれない」
アーサーが答えた。明らかに普通の森よりも魔物の気配が濃い。周囲の木の根元には穴が穿たれていて、それはちょうど、小型の魔物の巣の入り口のようだった。辺りは大木の枝葉に陽光が遮られて薄暗く、本来は闇の世界の住人である魔物には如何にもふさわしい。
「気味が悪いな。――魔物が多数いるのがはっきりしてるわりには、俺達に何も仕掛けてこない」
ルークの言う通りだった。不思議なことに、これだけ魔物の気配があるにもかかわらず、自分たちを襲おうとする剣呑な空気が全く感じられない。長い旅をしているが、今までにこんなことは一度もなかった。
「とにかく、こんなところに長居は無用だ。さっさと抜けちまおうぜ」
「そうだね。日が暮れたら厄介だ」
「リエナ、大丈夫か?」
ルークが振り返り、自分のすぐ後をついて来ているリエナに声をかけた。
「ええ、わたくしなら平気よ。先を急ぎましょう」
三人は更に足を速めた。けれど、行けども行けども、森の出口が見つからない。地図を見る限り、そんなに広くはないはずなのに、一向に森から出られないのである。
「……迷ったか?」
ルークの声にわずかに焦りが混じる。いくら剣呑な空気がないからとはいえ、こんなところで一夜を明かすのは避けるに越したことはない。
ふとその時、三人の眼の前に一匹のちいさな魔物が飛び出して来た。魔物は三人には何の関心も示さず、弾力のある身体を飛び跳ねさせて、森の奥へと入っていく。
「今の、スライム、よね?」
リエナが言った。菫色の瞳は驚きに見開かれている。
「ああ、スライムに間違いないぜ。――変な恰好してたけど」
三人にすっかりおなじみとなっているスライムは、いつもとはずいぶん様子が違っていた。なんと、ちいさな青い身体の上に、縁のついた黒い三角帽子をかぶっていたのである。おまけに、帽子の後ろ側に何かが――彼らにはどう見ても、かぼちゃにしか見えなかったが――くっついている。あらためてよく観察してみると、どうやらかぼちゃの形をした籠を、帽子のてっぺんに後ろ向きに引っかけているらしい。
三人に背中を見せてぽんぽん跳ねていくスライムの動きに合わせ、こちらを向いているかぼちゃの籠も揺れていて、何故だか、それが楽しげに見えて仕方がない。
「いったい何なんだ、今のは」
あっけに取られたルークがつぶやいていた。
「僕もあんな個体は初めてみたよ。――それにどう見ても、まだ子供だね」
「そうね。普通のスライムよりもずいぶんちいさいもの。でも、何故あんな姿なのかしら。あの黒い帽子、まるで魔法使いみたいだわ」
「言われてみればそうだね。スライムが魔法使いの仮装をしている、とか?」
「スライムが仮装!? 冗談だろ!?」
わけのわからない光景に、三人はしばらく間、跳ねて行く三角帽子のちびスライムの背中を呆然と見送っていたが、こんなところで時間を潰したくはない。気を取り直して、再び森の出口を探して歩き始めた。
***
「完全に迷ったな」
大きく息を吐いて、ルークが足を止めた。黒い三角帽子のスライムを見かけてから、かなり時間が経っているのに、まだ出口がわからないのである。周りは未だ、鬱蒼とした森の中だった。
彼らは今まで、何度も深い森や洞窟を探索してきている。ルークもアーサーも方向感覚は抜群であるし、さっき迷ったかもしれない、と気づいた時から、常に地図を確認し、時には木に印をつけながら歩いているのである。普段なら迷うことなくとっくに森を抜けているはずだった。
「どう考えてもおかしい。――ルーク、僕の推測だけど、何らかの力が働いて、出口をふさがれている気がする。今夜はこの森で夜を明かすしかないかもね」
「そうだな。これ以上無駄に歩いて体力を消耗するより、その方が無難かもしれん」
男二人がそんな会話を交わしているところで、ちょうど広く開けた場所に出た。ここなら火を焚いて三人横になれそうだし、食べごろの実をつけた林檎の木も数本あって、夕食の足しになる。今夜はここで野宿することに決めた。
***
そろそろ日も暮れてきた。アーサーが薪を拾い集め、ルークは木に登って林檎を取っては、木の下にいるリエナに放り投げていた。
やがて夕食となった。いつもならリエナが料理の腕を振るうところだが、今夜は取ったばかりの林檎に、リエナ手作りのビスケットとお茶だけで簡単に済ませることにした。いくら襲ってくる様子がないとはいえ、これだけ魔物の気配が濃いと、警戒せざるを得ないからだ。
ルークはこんなときにでも、盛大な食欲を見せている。既に数個の林檎を平らげ、リエナに珈琲とビスケットのお代わりを頼んだ。
リエナが笑顔でルークに珈琲を満たしたマグカップを渡し、続けてお代わりのビスケットの皿を手に持ったその時、近くにある木の根元から視線を感じた。リエナがそちらに眼を向けると、大きな木の根元にある洞から、スライムがじっとこちらの様子を窺っている。
「どうかしたか?」
突然手を止めたリエナに、ルークが声をかけた。
「スライムがね、こちらを見ているのよ」
「大丈夫か? スライム程度でも、念の為に用心しておいたほうがいいぞ」
ルークはいつもの心配症が出たらしい。ルークはたとえかすり傷であっても、リエナに怪我を負わせたくないのである。
「ええ、そうね。でも、本当に見ているだけなのよ」
念の為に、アーサーもスライムを観察してみる。
「心配はいらなさそうだよ。攻撃してくる気配は感じられないから」
そんな会話を交わしていると、スライムが洞から全身を現した。その姿にまたもや三人は驚かされた。このスライムもまた、魔法使いのような三角帽子をかぶっていたから――もっとも、色は黒ではなく、かぼちゃのようなオレンジ色であったけれど。そしてさっきのスライム同様、かぼちゃの籠を頭のてっぺんに引っかけている。
オレンジ帽子のスライムは恐れる様子もなく、飛び跳ねながらリエナに近づいてくる。これも不思議なことだった。これまで多数の戦闘経験を積んだ三人にとって、スライムは敵ではない。普段なら、ルークが一睨みするだけで逃げて行く、そんな弱い魔物である。
リエナの眼の前に来たスライムが、突然声をあげた。
『Trick or treat!』
あまりに驚いたリエナは、ビスケットの皿を手に持ったまま、何も反応できなかった。男二人も、スライムの予想外の行動に、剣を抜くことも忘れている。そんな彼らに焦れたらしいスライムは、さっきよりもっと大きな声で叫んだ。
『Trick or treat!!』
スライムはオレンジ帽子をぶるんと一振りすると、かぼちゃの籠を自分の眼の前に置いた。そして、リエナが持っているビスケットをじっと見ている。我に返ったルークが剣を抜こうとした時、アーサーが眼でそれを制した。
「やめておけ。あのスライムはリエナを攻撃してくるつもりはなさそうだ。しかもまだ子供だ。いくら魔物とはいえ、こちらに敵意を向けていない以上、無駄な殺生は避けた方がいい」
「……わかった」
「それにいざとなれば、リエナの攻撃呪文の方が確実に早い」
ルークはアーサーの言葉に頷いたものの、それでもすぐに攻撃に入れる姿勢は崩さず、リエナとオレンジ帽子のちびスライムの遣り取りを見守っている。
リエナの方も、このスライムからはまったく敵意を感じなかった。しばらくの間、愛敬あるまるっこい顔を見つめていたが、ふとある考えが浮かんだ。
「あなた、このお菓子が欲しいのね?」
リエナが皿のビスケットを指差して言うと、スライムはうれしそうにぽんっと一回跳ねた。思わずリエナも笑顔になる。
「わかったわ。でもごめんなさい。これはルークの分なのよ。あなたには別のをあげるから、ちょっと待っていてね」
笑顔のままリエナはルークに皿を渡すと、傍らにおいてある袋を手に取った。そこから一つ、ビスケットをつまんでスライムに差し出した。
「はい、どうぞ」
スライムは眼の前に置いたかぼちゃの籠を、軽く体当たりして、リエナの方に寄こして来た。
「この籠に入れればいいのね」
そう言って、リエナが籠の中にビスケットを入れた。お菓子をもらえたスライムは満面の笑みで、まるでお礼を言っているかのように、もう一度、高々と跳ねた。
***
「なんか、調子狂うな」
うれしそうに飛び跳ねて行くちびスライムの後ろ姿を見送りつつ、ルークがつぶやいていた。
「さっきのスライム、確かこんなこと言ってなかった? 『Trick or treat』って」
アーサーはいつもと同じく、リエナとスライムの遣り取りをきっちり観察していたらしい。
「ええ。確かにそう言っていたわ」
「異国の言葉だね」
「Trickがいたずらで、treatはごちそうとかもてなし、そんな意味だろ?」
ルークが答えた。
「ルークの言う通りだ。多分、いたずらされるか、もてなしするかどっちがいい? って聞いてるんだろうね。だから今の場合は『お菓子をくれないと、いたずらするよ』って意味になるんじゃないかな」
「なるほどな。そう考えれば、さっきのへんちくりんなスライムの行動もわかるってわけか」
「とても可愛らしいわ。そういえば、この森で最初に会ったスライムも魔法使いみたいな恰好をしていたわよね。もしかしたら、何かお祭りでもあるのかしら」
「スライムの祭りか。面白いな」
ルークは皿に一つだけ残っていたビスケットを口に放り込んで笑った。
***
いつの間にか、すっかり暗くなっていた。すると、またもや不思議な出来事が起こったのである。
彼らの回りの木の穴から、次々とスライムたちが姿を現して来たのだ。
「もしかして、ここ、スライムの集落なのか?」
「どうやら、そうらしいね」
男二人がそんな会話を交わしているうちにも、スライムたちはどんどん増えてくる。大きさからいって、子供らしい。しかも、みな仮装らしきものをしている。今まで見た2匹のように三角帽子をかぶったのもいれば、幽霊の恰好のつもりか、白い布をすっぽりかぶったり、口から作り物らしい牙を覗かせているものもいる。そして、それぞれがとんがり頭にかぼちゃの籠を引っかけているのである。
同時に、あちらこちらで、灯りがともり始めた。あらためて眼を凝らすと、灯りの下には、籠と同じ形の驚くほど大きなかぼちゃ――こちらはどうやら本物らしい――が置いてあったり、中にはかぼちゃをくりぬいて、魔物のような形の眼鼻を開け、中に蝋燭を入れて、ランタンにしてあるものもある。
闇夜に浮かぶ灯りのなか、そこかしこから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。ちびスライムたちは連れ立って、灯りのついているところの前に立つ。すると、木の洞の中からこちらは大人らしいスライムが出てきた。ちびスライムが声を合わせて叫んだ。
『Trick or treat!』
それに答えて、大人スライムがそれぞれにお菓子を渡している。そうやって、ちびスライムたちは、家々を順番に巡っていく。その様子を興味深げに観察していたアーサーが言う。
「あの子たちは、お菓子をもらいに歩いているみたいだ。そして、さっきの言葉がその合言葉、みたいなものらしいね」
「本当ね。とても楽しそうだわ」
リエナはルークに微笑みかけ、ルークも笑みを返す。
「そうだな。まさかこんなところで、スライムの祭りに遭遇するとは、思ってもみなかったぜ」
アーサーが旅の記録をつけようと灯火の呪文を唱えた。やわらかな球状の灯りが、三人の頭上に浮かぶ。
するとスライムたちが、灯りを目指して今度は三人の方にやって来た。そして『Trick or treat!』と声を揃えた。
「まあ、あなたたちもお菓子が欲しいのね」
リエナ手作りのビスケットはまだ沢山残っている。リエナは笑顔で一つずつ、スライムのかぼちゃの籠にお菓子を入れてやっている。
「お前ら、その菓子はムーンブルク次期女王陛下のお手製だ。――よーく味わって食うんだぞ」
この時には、ルークもすっかり警戒を解いている。生真面目な彼には珍しく、冗談めいた口調だった。
ここでもお菓子がもらえる、とわかったスライムたちは次々にリエナの前に並び、順番にビスケットをもらっている。そうするうちに、たくさん残っていたはずのビスケットも残りが少なくなってきた。
「どうしましょう。せっかく来てもらっても、お菓子が足らないかもしれないわ」
リエナがちょっと困ったようにつぶやいた。辺りを見回すと、何故か、家の玄関の灯りが減っている。そのことで、アーサーは何かに気づいたらしい。
「リエナ。お菓子がなくなったら、すぐ僕に教えて」
アーサーがリエナに声をかけた時がちょうど、列の一番後ろに並んだスライムにビスケットを手渡したところだった。今のが最後の一つである。ぎりぎり数が足りてほっとしたリエナは、すぐにアーサーに声をかけた。
「アーサー、今のでお終いよ」
リエナの答えと同時に、アーサーが呪文を唱えた。三人の頭上を照らしていた魔力の光がすっと消える。
「どうした、アーサー。急に灯り消したりして」
「これが合図なんだよ」
「合図?」
「そう。どうやら子供たちは、灯りがついている家だけをまわっているらしいから。多分、この灯りが『お菓子があるよ』っていう合図なんじゃないかな」
「なるほどな。うまいこと出来てるぜ」
三人の周囲の家々も、既にほとんどが灯りを消していた。あれだけたくさんいたちびスライムたちも、すっかり姿が見えなくなっている。
「みんなお家に帰ったのね」
「そうだな。そろそろ子供は寝る時間だろうからな」
「なんだか不思議な気分だわ。でも、とても楽しかったわよね」
「俺も結構面白かったぜ」
「僕も楽しかったよ。滅多にできない体験だったしね。――ああ、そうだ。僕達は多分、明日は無事に森を抜けられると思うよ」
アーサーが笑顔のまま、仲間二人を見遣った。
「アーサー、何か気がついたのか?」
「これも推測なんだけどね。この森全体に、結界が張られているんじゃないかな」
「結界?」
「そう。スライムの子供たちが、間違って森から抜けだしてしまわないように」
「まあ……」
リエナは柔らかな笑みを浮かべた。ルークも頷いて言う。
「今夜の祭りのために、大人達が張ったのか。それに俺達は引っかかっちまったわけだ」
「そうだったのね」
三人はお互いに笑みを交わした。その後、それぞれの作業に移る。リエナは食事の後片付け、ルークは剣の手入れを始めた。
アーサーはもう一度呪文で灯りをともすと、緑色の帳面を取り出し、まだ途中だった旅の記録の続きを書き始める。もちろん、今夜の不思議な体験も、詳細に記録するつもりである。
(終)
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