柄じゃないけど今日ぐらい
まだ厳しい寒さの残るある日の午後、ルークは街の目抜き通りを一人で歩いていた。いつもなら、たいていリエナが一緒なのであるが、ここのところの戦闘で破れた服の繕いものをしたいからと、今日は宿で留守番である。
(いっつも、リエナには手間ばっかかけさせてるから、たまにはそれに報いてやりたいけど、何なら喜んでもらえるんだろ)
そんなことを考えつつ歩いていると、ふとある店が眼に留まった。ルークが眼を向けたのは、こぢんまりとした可愛らしい菓子店だった。様々な贈り物用のお菓子を売っているらしいのだけれど、それにしてはどこか奇妙な光景である。何故なら、そこにいる客は男性ばかりだったからだ。
普通こういった店に出入りするのは、圧倒的に女性が多いはずである。しかも、店先にあふれている客はまだ少年と思える若い男から、綺麗に白髪をととのえた老人までいて、みな、どこかしらそわそわとしながら、熱心に品物を選んでいる。
ルークはなんとなく店に近づいていった。理由などは特になく、菓子店と男の集団という異色の組み合わせに少しばかり興味を引かれただけである。彼は大食いではあっても、甘いものは一切口にしないから――唯一の例外を除いて――当然こういう店とは縁がない。
品物を選ぶ男達の後ろから、ルークはひょいと覗き込んだ。一気に甘い香りがルークの鼻腔をくすぐった。
そこに並べられていたのは、一つ一つ丁寧に作られたチョコレートの数々だった。一口で食べられるような可愛らしいもの、ハートや花をかたどったものなど、目移りするほどたくさんの種類が並んでいる。様々な大きさや形の綺麗な箱に入った詰め合わせのほか、好みの品を自分で選んで箱に詰めてもらうこともできるようである。
(そういや、リエナこういうの好きだっけ)
リエナは甘いものが好きである。けれど、普段こういったものを食べる機会はほとんどない。料理上手な彼女は自分で作ったり、たまには買い出しのついでに地元の名物のお菓子を買うこともあるが、持ち歩けて日持ちもする素朴な焼き菓子ばかりだった。
チョコレートも少し大きな街の菓子店でなら売っているけれど、今は普通の旅人と同じ生活を送っている彼らには、高価な贅沢品である。必要な物を購入するのすら遠慮がちなリエナが、自分が食べたいからとおねだりすることなどありえず、旅に出て以来、一度も口にしていないはずだった。
(そうだ。こういうのを買ってってやるのもいいかもな)
値札を見れば、確かに安いものではないけれど、かといって衝動買いを躊躇するほどの値段ではない。ルークはざっと商品を見渡し、可愛らしい小粒のチョコレートの詰め合わせの箱を手に取った。店の帳場では、若い娘の店員がてきぱきと客の選んだ品物を包んでいる。ルークもそこに並び、順番を待った。
「お客様、リボンはどの色になさいますか?」
ルークからチョコレートの箱を受け取った店員が尋ねてきた。
「リボン? 別にそんなんなくても……」
「いけませんわ。大切な女性に贈るお品は、ちゃんと美しく飾ってあげないと」
「大切な、女性……って、何かこれ、意味あるのか?」
「いやだ、今日は、聖バレンタイン。男性が意中の女性にチョコレートを贈る、そういう日じゃありませんか」
「……は?」
「これなら、お相手の方も絶対に喜んでくれますよ。当店でいちばんおいしいと評判の品ですもの。さ、リボンを選んでくださいね」
まさかそんな意味があるとは思いも寄らず、たまにはリエナへ何か、としか考えていなかったルークは硬直していた。けれど、今になって買うのをやめると言うわけにもいかないし、店も忙しいらしく、選んだ品物を包んでもらおうとしている客がたくさん待っている。仕方なく、ルークは店員の娘が差し出した数種類のリボンに眼を向けた。
「じゃあ、これにしてくれ」
そのなかで選んだ色は、淡い薔薇色である。
「かしこまりました。……お客様」
「今度は何だ?」
「カードは如何なさいますか? よろしければ、こちらで選びますけど」
「カード? 何でもいい。適当に頼む」
店員は一枚のちいさなカードを取り出し、ルークに見せた。
「では、こちらを入れておきますね」
「ああ、そうしてくれ」
ルークはろくろく内容も確認せずに頷いた。店員は丁寧に二つ折りにしたカードを箱の隅に忍ばせると、すぐに慣れた手つきで包み始めた。店員の顔には、どこかしら悪戯っぽい笑みが浮かんでいるのであるが、ルークはそれに気づいていない。
「お相手の女性、さぞかしお美しい方なんでしょうね」
手早く薔薇色のリボンをかけながら、店員がまた話しかけてきた。
「……ま、まあな」
ルークはあらぬ方を向いたまま、ぼそっと答えた。その様子をみて、店員は笑いを噛み殺していた。店員は単なるお世辞で言ったのに、ルークが照れくさそうに答えたのが妙におかしかったのである。
「お待たせいたしました」
ルークは代金を支払い、小箱を受け取ると、どこかぎこちない足取りで店を後にした。
(しっかし、まいったな……)
手にした小箱を眺めながら、ルークは溜め息をついていた。別にリエナにチョコレートを買ったことを後悔しているわけではない。たまたま今日が聖バレンタインであることが、妙に気恥ずかしいのである。
(だけど、ローレシアにこんな風習あったっけ? サマルトリアでもムーンブルクでも聞いたことがない。それとも、ここら辺り独特のものなのか。アーサーのやつなら知ってるかもしれんが、まさか聞くわけにもいかないし……)
ここで、ルークは急に心配になった。
(もしかしたら、リエナは知ってるとか!?)
でも、もう買ってしまったからには、渡したい。彼女に告白するのはまだずっと先だと決めているが、日頃の感謝の気持ちだけは伝えたかったから。
***
宿に戻ったルークは、早速リエナの部屋を尋ねることにした。今日はうまい具合に、彼女用に一人部屋を取れていたのである。
扉をノックすると、リエナはにっこりと微笑んで出迎えてくれた。
「お帰りなさい」
「ただいま、リエナ」
ルークが部屋に入ると、机の上にはまだ男二人の服が広げてある。
「なんだ、まだ繕い物してたのか?」
「ええ、でももうすぐ終わるところよ。できたら、お部屋に届けるわね」
「いつも悪いな」
「あら、気にしないで。針を持つのは好きだもの」
実際、リエナは料理と同じくらい針仕事が得意だった。もともと刺繍が趣味であったから、旅が始まって以来ずっと、繕い物は彼女の担当になっている。
「おい、手、出せ」
「え?」
「ほら、土産だ」
淡い薔薇色のリボンをかけられた小箱が、リエナの手に乗せられた。
「これを、わたくしに?」
「いいから、開けてみろ」
リエナがリボンをほどき、箱を開けてみると、色々な形の艶やかなこげ茶色の粒が、お行儀よく並んでいる。
「あら、チョコレート」
リエナはうれしそうな声をあげた。
「お前、好きだろ?」
「ええ、大好きよ。ありがとう。でも、どうして?」
「別に意味なんかねえよ。そうしょっちゅう手に入るもんじゃないから、たまにはいいかと思っただけだ」
「うれしいわ。じゃあ、アーサーが戻ったらお茶にするわね。一緒にこのチョコレートをいただきましょう」
「それは駄目だ!」
いきなりルークが叫んだ。
「え、何故?」
「いや、その……。それは、お前に買ってきたんだから。別に、アーサーのやつに食わせることない。全部お前一人で食ってくれ」
リエナと眼を合わせられないままそれだけを言うと、踵を返して部屋から出て行ってしまった。
自分の部屋に戻ったルークは、ほっと胸を撫で下ろしていた。さっきチョコレートを渡した時のリエナの反応を見る限り、彼女が聖バレンタインを知らないと確信できたからだ。
(喜んでくれたことは間違いないし。買ってきて正解だったな)
ルークの顔に満足げな笑みが浮かんだ。
***
一方で、部屋に一人残されたリエナはちょっと驚いていたが、ルークが自分にと、チョコレートを贈ってくれた気持ちがうれしくないはずはない。幸せな気分で、もう一度箱に眼を向けた。
よく見ると、箱の隅にちいさなカードが入っている。手に取って広げてみると、そこに書かれていたのは――
『柄じゃないけど今日ぐらい』
これを見たリエナは思わずちいさく吹き出していた。菓子屋の店内で、ルークがぶっきらぼうにこの品を店員に渡す光景が、ありありと浮かんできたからだ。
(ルーク、ありがとう。あなたからの気持ち、大切にいただくわ)
心にあたたかいものが満ちてくる。リエナは一粒つまもうとして手を伸ばしたが、思いとどまった。
(……ルークと一緒だったら、もっとおいしいに違いないわ)
いつしかリエナのなめらかな白い頬は、リボンと同じ淡い薔薇色に染まっていた。
(そうだわ、ルークもそろそろお腹がすいたころね。簡単なサンドイッチでも用意して、午後のお茶に誘ってみましょう)
リエナはすぐに縫い物を片づけると、宿の厨房に向かった。そこで手早くサンドイッチを作って自分の部屋に戻り、机の上に二人分のお茶の支度を整えると、ルークを誘いに行くことにする。
(そうそう、これは別のところにしまっておいた方がいいわね)
チョコレートの箱に入っているカードを取り出すと、自分の荷物にそっとしまった。あのカードはルークが自分で選んだのか、店の人が気を利かせて入れてくれたのかはわからない。多分、後者だろうと見当はついていたが、ルークの気持ちがうれしいことには変わりない。
その後、二人はゆっくりとお茶を楽しんだ。ルークはうれしそうにチョコレートにつまむリエナに見惚れながら、特製サンドイッチを綺麗に平らげていた。
――そして、あのちいさなカードは今も大切に、リエナの鞄の中にしまわれているのである。
(終)
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