ひとひらの雪
夕刻から急に寒さが厳しくなってきていた。
既に日は暮れ、並んで歩くルークとリエナの吐く息も白くなっている。
ルークは隣で歩くリエナをそっと見下ろした。夜目にも鮮やかなプラチナブロンドの髪が、華奢な肩の上で揺れている。その時、リエナの髪に何かがきらりと光るのが見えた。
「おい、リエナ。ちょっと止まってくれ」
「え?」
ルークは何も言わず、リエナの髪に手を伸ばした――しかしそれは、触れるか触れないかのうちに一瞬の輝きだけを残し、儚く消え去った。
驚いたルークは、自分の手にあるリエナのひと房の髪を、無意識のうちにじっと見つめてしまっていた。
――雪、だったのか……。
納得したルークが手を離そうとしたその時、髪からふわりと柔らかな香りが立ち昇る。ルークはしばし陶然としていた。甘やかな香りの心地よさに、リエナの髪を離すことすら忘れてしまっている。
「……ルーク?」
リエナの声にはっとしたルークは、自分が近づき過ぎていることにようやく気づいていた。今の二人の距離は、息もかからんばかりに近い。
ほんの一瞬見つめ合い、次の瞬間には、お互いに眼を逸らせてしまっている。慌ててルークはリエナの髪から手を離した。
「あ、悪い。雪だった」
「雪?」
「そうだ。お前の髪に何かついてたから取ってやろうと思ったら、雪だったんだ。――驚かせて悪かったな」
リエナが空を見上げると、漆黒の夜空から純白の雪が落ちてくる。
「初雪、ね」
リエナがつぶやきを漏らした。舞い落ちる雪がリエナの髪を彩り、またもやルークは眼を離せなくなっている。
再びルークの視線を感じたリエナは、ちらりとルークを見遣ると、ほのかに頬を染めたままそっとうつむいた。ルークの方も、またもや無意識のうちに見つめてしまっていたことを気づかれて、ついいつもの癖で視線を逸らしてしまう。
ルークはあらぬ方を向いたまま、照れを隠すかのように、リエナに声をかけた。
「――どうりで冷えてきたと思った。風邪引かないように気をつけるんだぞ」
「ありがとう。大丈夫よ」
うつむいたまま答えながら、リエナはつい今しがた自分に向けられたルークの視線が、どうしても忘れられなかった。
ルークの、激しいまでに籠められた熱を感じる、視線。
それだけではない。リエナは何度もルークに触れられてきた。悪夢にうなされれば、抱きしめてなだめられる。意識を失ったり足を怪我して歩けなければ、横抱きにされて運ばれる。足場が悪いところでは、手を引かれたり、抱き下ろされたりもする。
そして、ともに旅をする男二人のうち、ルークだけがそうするのだ。アーサーは決して、リエナに触れることはない。まるで最初から、ルークの役割と決められているかのように。
ルークの行動は誰が見ても、大切な女性に対するもの以外のなにものでもない。けれどリエナには、ルークのこれらの行動はすべて、れっきとした理由があってしている――さきほどなら髪についている何かを取る――ことも、理解していた。そして何らかの理由がない限り、決して触れてこないことも。
――ルークはいつもわたくしのそばにいて、大切に守ってくれている。
けれど、ルークにあるのは、常に行動だけだった。具体的な言葉――それこそ、リエナが自分でも気づかないうちに望んでいるもの――は何もない。
言いようのない寂しさが、リエナの心をよぎる。
――何故ルークは、ここまでわたくしのことを……?
唐突に、リエナの心の底で浮かんだ疑問。けれど、それは心の表面にたどり着くことなく、消え去った。
リエナはこれまで何度も何度も、自分でも気づかないうちに、この疑問を抑えつけていた。今はまだ、答えを求めたくない。求めることさえしなければ、もし望んだ答えと違っていても、傷つかないでいられるから――。
すべてはその時が来たらわかること。リエナは無意識のうちに、心の奥底にあらゆる感情を押し込めた。
無言のまま、二人は再び並んで歩きだした。
音もなく降り続く、雪。
穢れない雪が、世界を白銀色に染めていく。
リエナの心もまた、雪の色に染められていく――。
(終)
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