勇者達の休息
平和な光景だった。
春爛漫の昼下がりの空は青く澄みわたり、あたたかな日差しが降り注いでいる。見渡す限り青々とした草原が広がり、あちらこちらで色とりどりの花々が咲き誇っている。
三人は今、木蔭で小休止を取っているところである。
ルークは柔らかな草の上でごろりと横になったと思った途端、あっさりと眠りに落ちてしまった。
最初はその様子を笑って見ていたアーサーまで、あまりの心地よさのせいか、読んでいた書物を広げたまま、いつの間にか眠ってしまっている。
リエナはルークの近くに腰を下ろし、ゆったりと草原を眺めていた。吹き抜けてくる風は爽やかな新緑の香りがする。呼吸をするたび、心も身体も浄化されていくような清々しさだった。
何度目かの深呼吸を終えたリエナは、傍らで眠るルークに視線を向けた。
ルークはぐっすりと眠り込んでいる。それでも、剣を手許から離すことはないし、もし魔物の気配を感じれば、すぐさま飛び起きて剣を抜くだろう。けれど、今は魔物の気配は微塵もない。リエナは知らず知らずのうちに、ルークの寝顔をじっと見つめていた。
(そういえば、長い間一緒に旅をしているのに、こんなふうに寝顔を眺めたことってあまりなかったわ)
普段でも眠るのは三人のなかでリエナがいちばん最初であるし、ルークは事情が許す限り欠かさずしている剣の稽古のため、朝が早い。ルークが稽古から戻る少し前にリエナが起き、朝食の支度をするのが習慣になっているのである。
(なんだか、いつもとずいぶん感じが違う気がするわ。……こうして寝ていると、ちょっとだけ、可愛い……かも。……いやだわ、ルークはれっきとした男性なんだから、こんなこと思ったら失礼よね)
リエナはそんな印象を受けた自分に驚いていた。何となく理由を考えてみて、もしかしたら、眼を閉じているせいかもしれない、と思い当たる。
ルークは眼の光がとても強い。魔物と対峙したとき、彼の深い青の瞳は、真っ向から斬りつけるような鋭い光を放つ。最近では弱い雑魚などだと、ルークに睨み据えられるだけで逃げ出すものもいるくらいである。もし人間であれば、まともに立っていることすら難しいに違いない。
けれど彼の今の姿は、まだどこかしら少年の面影を残す、19歳という年齢相応のものにしか見えないのである。
気持ちよさそうに寝息を立てているルークの姿に、リエナはふっとやわらかな微笑みを浮かべた。
(わたくしも、眠くなってきたかも)
リエナはちいさな欠伸をすると、ゆっくりと眼を閉じた。
***
「ああ、よく寝た……。リエナ?」
ルークが身体を思い切り伸ばしながら話しかけたが、珍しく返事がない。身体を起こしてリエナの方を見遣ると、彼女も木に寄りかかって、うたた寝をしている。
その姿に、ルークは眼を奪われた。――眠っているリエナが、あまりにも美しかったから。
柔らかくうねるプラチナブロンドの巻き毛が、木漏れ日を浴びてきらきらと光っている。肌理細かな肌は透き通るほど白く、わずかに開いた唇は、朝露を含んだ薔薇の花びらのように瑞々しい。
そのまましばらく見とれていると、リエナがわずかに身じろぎをした。
(あ、危ない)
リエナの身体が、寄りかかっている木から落ちそうになった気がして、ルークは慌てて彼女に近づいた。リエナがちゃんと木にもたれかかっているのを確認して、ルークはほっと息をつく。それでもよほど深く眠ってしまっているのか、リエナが眼を覚ます気配はない。
(こんなとこアーサーのやつに見られたら、また何か言われるな)
それが心配で、アーサーの方を振り返ったが、彼もこの心地よい陽気のせいか、日頃の疲れがいっぺんに出たのか、すっかり眠り込んでいる。それを確認したルークは、静かにリエナのすぐ隣に腰を下ろした。ごく自然に、リエナが寄りかかってくるのを受け止める格好になる。ルークはリエナをそっと見下ろした。
(ますます綺麗になってる。いつも質素なローブしか着てないのがもったいないな。たまにはドレスを着たところを見たい気もするけど、でも、このまんまでも……)
今度は自分の肩にもたれて眠っているリエナを見つめながら、ルークはとりとめもないことを考えていた。
空を見上げると、柔らかな白い雲がゆったりと流れている。眩しいほどの空の青さに、ルークは長い間留守にしている故郷――ローレシアの空と海とを思い出して、懐かしさがこみあげる。
(こうして景色眺めてると、信じられないくらい平和だよな。一瞬、俺達の旅の目的を忘れそうになるくらいだ)
しばらくしてルークは再びリエナに視線を移すと、心から愛おしげに彼女の寝顔を眺め続けていた。
***
長い睫毛がわずかに揺れた。ゆっくりと瞬きをして、リエナの瞳が開いた。まだ夢から醒めきっていないらしい、わずかにうるんだ菫色の瞳に、ルークは再び眼を奪われる。
眼を覚ましたリエナは、自分のすぐ眼の前にルークの顔があるのに驚き、ちいさな悲鳴をあげた。
「わ、ご……、ごめん!」
ルークは慌ててリエナから視線を外すと立ち上がった。
「い、いや、お前、寝ちまってて、木にもたれてたのが、落っこちそうになった気がして……」
しどろもどろに弁解するルークに、リエナもようやくはっきりと今の状況が理解できていた。ほんのりと頬を染めると、おずおずとルークに話しかけた。
「あ……、眠ってしまったわたくしを、支えていてくれたの?」
「あ、ああ、……うん、まあ、……そんなところだ」
ルークは今度はリエナを正視できず、あらぬ方を向いたまま、答えた。
そのとき、リエナはあることに気づいた。ルークは木から落ちそうになった自分を支えてくれたと言っていた。ということは……
(わたくし、ずっとルークに寝顔を見られていたの?)
眼が覚めたときのルークの様子からも、それを確信したリエナは、一気に顔に血が昇るのがわかった。
(いくら一緒に旅をしているからって、こんな無防備な姿をみせるなんて、なんてはしたないことをしてしまったのかしら……)
顔を赤くしたまま、ちらりとルークを見遣ると、彼はまだばつが悪そうに頭を掻いている。
(それでも、とっても気持ちよくお昼寝できたのは、ルークが支えていてくれたおかげ、よね……?)
リエナは恥ずかしく思いながらも、心は今日の春の日差しのようにあたたかい。それだけでなく、身体にも心にもたまっていたはずの疲れが、すっかり癒されているのを実感していた。
(ルーク、ありがとう)
リエナはルークの広い背中に向かって、心の中でつぶやいた。
***
いつの間にか日が傾いていた。これからまた行動を開始しても、いくらも先には進めないし、先に進んだとしてもうまい具合に野宿の場所が見つかるとも限らない。今夜はここで一泊することになった。
「結局、今日は昼過ぎからここで休みっぱなしだったわけか」
リエナの作ってくれた特製シチューをせっせと口に運びながら、ルークがつぶやいた。
「まあ、たまにはいいんじゃない? ここのところ、ずっと突っ走ってきたようなものだったから、ちょうどいい休息になったと思うよ」
三人の中でいちばん最後まで眠り続けていたアーサーが、久し振りに充分に寝足りたらしい満足げな表情で答える。
「わたくしも、とても気持ちよく眠れたおかげで、すっかり疲れも取れたのよ」
ルークにおかわりのシチューを手渡しながら、リエナもにっこりと微笑んだ。
旅が始まってから既に一年半以上が経っていた。ハーゴンとの決戦の時が、次第に近づいて来ている。だからこそ、今この瞬間の穏やかな時間がこの上なく貴重なものである、そのことが、三人にもよくわかっていた。短いけれど、充実した休息を得て、三人はまた明日への活力を得られたに違いない。
食事を済ませても、たっぷりと午睡をしたせいで、すぐには三人も眠れない。いつもよりも少しだけ長く、お茶を片手に会話を楽しんだ。
――あたたかな春の一夜が、こうして更けていく。空にかかる朧月(おぼろづき)が優しく微笑むように、三人を見守っていた。
(終)
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