旅の終わり
第3章 持つべきものは 1
「まったく……! ルークのやつは……!」
サマルトリア城の自室で、アーサーは内心で舌打ちを漏らしていた。
三人がムーンペタのルーセント公爵邸を後にして、サマルトリアへ凱旋帰国してから既に一週間が経っていた。帰国以来ずっと、三人は祝賀会を始めとする行事続きで慌ただしい日を送っている。
「もうすぐローレシアに帰国だ。あいつ、いったいどうするつもりだ? ――だからリエナと一緒にいられるうちに、さっさと告白しておけばよかったものを」
ルークは旅の目的を果たしたらリエナに告白すると言っていた。けれど、現実はそう甘くはなかったのである。
***
今夜もサマルトリア城の大広間で、アーサーの母王妃主催の夜会が行われていた。リエナは今、大広間の中央でサマルトリアのさる名門の伯爵夫妻とにこやかに会話を交わしている。
リエナの美しい顔にはやや疲れが見える。それでも微笑みを絶やすことなく、次々と話しかけられる貴族達の相手をしている。その様子をアーサーは心配そうに見つめていた。このままでは一向に会話が終わりそうにないのを悟った彼は、ルークを焚きつけてリエナを助けに行かせようかと考えたが、こういうときに限って、どこにいても目立つはずの彼の長身が見当たらない。
アーサーは自分もそっと大広間を抜け出すと、ルークを探した。もともと華やかな席を苦手としているルークである。ここだろうと見当をつけた広いバルコニーに行ってみると、案の定、普段はまず見せない疲れた表情で一人風に当たっていた。
「ルーク」
「何だよ」
声をかけられて、ルークは不機嫌さを隠そうともせず、振り返った。
「こんなところにいたのか。皆が探していたよ」
「俺がこういうの苦手だって知ってるだろ? それより、リエナは? 次から次へ話しかけられて、断り切れずにまた無理してるんじゃないのか?」
「そう思うんだったら、お前が守ればいいだろう?」
答えるアーサーの口調は、少しばかり皮肉なものになっている。
「できるんならとっくにやってる。だがな、俺の方も次々に話しかけられて、誰もが旅の話を聞かせろで、リエナを守るどころか、ろくに近づくことすらできないんだぞ」
ルークは心底うんざりした顔をしている。
「ところで……」
「リエナになら、まだ何も言ってねえよ」
ルークにはアーサーが何を言いたいのか、嫌というほどわかっていた。
「もうすぐローレシアに帰国だ。いい加減に……」
「俺だって、早く言いたい!」
ルークも焦りが募ってきていた。凱旋帰国して以来、ルークはリエナに想いを伝えることはおろか、二人きりで会話をする機会すら皆無の日々が続いていたからである。
「だから、早く告白しておけばよかったんだ。……まったく、手がかかる男だ」
「ハーゴン討伐を終わらせてから告白するって決めてたのは、お前だって知ってるだろうが。やっと言えると思ったら、今度はどいつもこいつも、ことごとく俺の邪魔をしてくれるんだから……!」
実際のところ、ルークがこう言いたくなるのも無理はなかったのである。
死闘の末に破壊神シドーを倒し、ハーゴンの神殿から脱出した直後、リエナは体力も魔力も使い果たした状態で意識を失った。ロンダルキアの祠に戻り、ルークがずっとそばに付き添ったおかげで、まる一日経ってようやく目覚めたが、その後も数日間は寝たり起きたりが続いていた。
ルークは自分でずっと付ききりで看病したかったが、若い女性であるリエナの世話を一人でできるわけもなく、実際にはほとんどを祠の修道女に任せる他はなかった。親切な修道女はリエナを献身的に看病してくれ、必然的にいつも修道女がそばにいることになったわけである。
ようやくリエナの体調が少し回復し、ロンダルキアの祠を後にした三人は、最初にムーンブルク城の廃墟へと向かった。亡きムーンブルク王の御霊と再会して報告を終え、天に召されるのを見送った。
その後ムーンペタへ戻り、ひとまず宿屋で休息をと考えたものの、町の入口で、ムーンペタの領主であるルーセント公爵に出迎えられ、そのまま否応なく公爵邸に滞在することになってしまった。休む間もなく三人は、公爵邸で公爵らを交え、リエナの今後について打ち合わせる。
それと並行して、リエナが無事帰国したとの報を受け取ったムーンブルクの生き残りの重臣達は、ムーンペタにある王家の離宮を拠点に、本格的に復興事業を開始すると決定したのである。
ムーンペタの離宮へリエナを迎えるための準備はまだしばらくかかる。そのため三人は、先にサマルトリアへ凱旋帰国してアーサーの父であるランバート9世に拝謁、ここでの行事が一段落ついた後、三人揃ってローレシアへ帰国、同様に行事をこなし、リエナはその後もムーンブルクからの迎えが来るまで、ローレシア城に滞在することになった。
これらが決定した後、慌ただしく公爵邸で支度を整えてサマルトリアに帰国したと思えば、ルークにとって、もっと厳しい日々が待っていたのである。
サマルトリア城では、ルークとリエナが二人きりで会うことは難しい。行事続きで多忙な上、リエナの体調があまり思わしくないこともあって、彼女を一人きりにさせないよう、常に数人の侍女が付き添っている状態だったからである。
ルークはバルコニーの手すりに乱暴にもたれかかると、げんなりとした顔で話し始めた。
「昨日の午後、やっと時間を作って見舞いに行ったときだって……」
***
「ルーク殿下、どうぞ」
女官長に案内され、ルークはリエナの部屋に入った。
ここ数日、リエナは再び体調を崩していた。長く過酷だった旅と帰国後の多忙とで、一度に疲れが出たのが原因だった。心配したルークは忙しい合間を縫って、リエナの見舞いにやってきたのである。
柔らかな絹のドレスに身を包んだリエナは、窓辺の椅子にゆったりと腰かけていた。見舞いに訪れたルークにいつもの笑顔を向けてくれたが、決して調子はよくないらしい。もともと抜けるように白い肌が、更に透き通るほどになっているし、こころなしか痩せた気もする。
ルークに挨拶をするためリエナは椅子から立ち上がろうとしたが、ルークはそれを押しとどめ、声をかけた。
「リエナ姫、お加減はいかがですか?」
ルークの口調は、まるっきり普段のものとは違ってしまっている。もちろんルーク自身はいつもどおりに話したいのであるが、ムーンペタのルーセント公爵邸に到着した時、たった一度名前を呼び捨てにしただけで、公爵らにはっきりと嫌な顔をされてしまった。
リエナはムーンブルクの次期女王として尊敬を受けるべき貴婦人である。既に旅の目的を果たした今、いくらルークがともに戦い、破壊神を倒した英雄で、更にはローレシアの王太子の身分を持つ者であろうと、馴れ馴れしい口を利くべきではないということだ。
これは決してルークをないがしろにしているわけではなく、あくまでリエナに対する態度としてふさわしくないと言う意味であり、ルークにもそれは理解できたから、その時以来ずっと丁寧な口調を崩していなかった。
「お見舞い、感謝しておりますわ、ルーク様。おかげさまで、今日は気分もよくなりましたのよ」
対するリエナの口調も同じく他人行儀なものである。リエナは気分がいいと言ったが、ルークの眼にはとてもそうは見えなかった。ルークははっきりとそう言いたかったけれど、周りにはたくさんの侍女が控えている。儀礼的な返事をするしかない。
「それはよかった。ですが、これからも当分は忙しい日が続きます。くれぐれもご無理なさらないよう」
「お心遣い、ありがとうございます。わたくしも一日も早く健康を取り戻せるよう、養生したいと思っておりますわ」
「ルーク殿下」
ルークが更にリエナに話しかけようとしたところで、女官長の声にさえぎられた。
「何だ?」
内心の不機嫌を押し隠して、ルークは女官長に視線を向けた。
「リエナ姫様は、そろそろお薬のお時間でございます」
要するに、もう帰れ、ということである。ルークは多忙の中、ようやく時間を捻りだして来た見舞いなのに、たったこれだけの会話で帰りたくはない。けれど、ここで無理強いしても何もいいことはないばかりか、リエナにはもちろん、アーサーにまで迷惑がかかる。
仕方なくルークは辞去の挨拶をすると、後ろ髪を引かれながらもリエナの部屋を後にするしかなかった。
***
「……俺とリエナを二人きりにさせてたまるかって魂胆が見え見えだぜ。これで、どうやったら告白できるっていうんだ!? まさか、衆人環視の中で言うわけにもいかんだろうが……!」
ここぞとばかりにまくしたてるルークの言い分は、アーサーにも嫌というほどわかる。
「お前がリエナを想ってることは誰が見てもわかるから、周りも気を遣ってるんだよ」
ルークも、国政に関する事項などについてはいくらでも本心を隠すことができる。それにもかかわらず、どういうわけかリエナへ対する恋愛感情だけは、隠しているつもりで、まるっきりそれができていないのである。
「俺がわかりやすいのは認める。旅の間もさんざんいろんな人に言われてきたしな。だからって、まるで俺が無理やりリエナをどうこうしようって思われてるみたいじゃないか」
自覚しつつもぼやくルークを、アーサーは慌てて否定した。
「いくらなんでもそれはない。でも、周囲が心配する気持ちもわからなくはないよ。リエナは大切な賓客だ。万に一つも、問題を起こすわけにはいかないんだから」
「そんなに俺は信用がないのか……」
ルークはがっくりと肩を落とした。
「別にそういうわけじゃないから……」
親友を慰めつつも、実際のところアーサーには周囲がここまで過剰に心配する理由がわかっていた。それは、ルークだけではなく、リエナもルークを深く想っている、二人が相思相愛であることが、誰の眼にも明らかだったからである。
もちろん、リエナはルークへの想いを読み取られないよう気を遣っていたが、それでも抑えきれない想いは、自ずとルークへ向ける視線や態度に表れてしまう。長年王家に仕え、彼らの人間関係に常に目を光らせている女官長ら大勢の召使い達が、気づかないはずがない。
ましてや、二人は長い間ともに旅をしている。普通なら当然起こりうる問題が懸念されるところだが、二人に限っては、そういった事実はないらしいことも、主だった召使い達にはわかっていた。だからこそ、余計に二人の距離をこれ以上近づけることのないよう、気を遣うのは当然のことだった。
しかし、その事実をアーサーがルークに伝えるわけにはいかないし、今こんなところで彼らが顔を突き合わせて話しても、何の解決にもならない。仏頂面のままのルークに向かって、アーサーは言った。
「とにかく、一度大広間に戻れ。お前がリエナの代わりに皆の話し相手になってくれれば、彼女の負担も少しは減るから」
「……仕方ねえな。わかったよ」
ルークは渋々頷いた。アーサーと二人で大広間に戻った途端、何人もの貴族に取り囲まれた。二人は適当に会話を交わしつつ、アーサーが大広間の中央へ向かい、さり気なくリエナを、彼女を囲む貴族達から連れ出した。リエナは仲間二人の顔を見てほっとしたらしいが、いくら笑顔でいても疲れは隠せない。ルークがリエナを労わって声をかけた。
「リエナ姫、だいぶお疲れのご様子ですから、一足先に退出なさってはいかがですか?」
「でも、皆様がまだいらっしゃいますから、失礼になりますもの。お気遣いはありがたいのですけれど、わたくしなら大丈夫ですわ」
リエナの方は微笑みを絶やすことなくルークを見上げて言ったが、顔色がよくない。無理をしているのは明らかだった。
「私もそうなさった方がいいと思いますよ。明日もまだ行事は続きますから。よろしいですね」
アーサーにこう言われてもまだリエナは申し訳なさそうにしていたが、やはり疲れていたらしく、ためらいがちに頷いた。そのままアーサーに付き添われ、今夜の夜会の主催であるサマルトリア王妃に挨拶を済ませると、自室に引き取ることにした。
アーサーが控えている侍女に目配せすると、リエナを迎えに女官長が侍女達を引き連れて現れた。
「私が部屋までお送りしましょう」
ルークがそう申し出たが、やんわりと女官長に押しとどめられた。やむを得ず手を取って大広間の扉まで付き添うだけにとどめ、儀礼的な挨拶を済ませて後ろ姿を見送ったのである。
***
女官長に付き添われ、滞在している客室に戻ったリエナを、女官長の腹心と言われる古参の侍女が出迎えてくれた。
「姫様、お疲れでございましょう。さ、お湯殿の支度もできております」
リエナは侍女達に手伝わせて、豪奢な重いドレスを脱いで化粧を落とし、丁寧に湯を使う。その後、柔らかな絹の夜着に着替え、鏡台の前で長い巻き毛をまとめてもらった。
ようやく寝支度を終えて侍女達を下がらせ、寝台に横たわると、思った以上に疲れを覚えていた。ロンダルキアの祠で養生したおかげで一度はよくなったはずであるのに、やはり自分でも気づかないうちに無理を重ねてしまっているらしい。サマルトリアでは客分の立場であるから、王族や貴族に対してはもちろん、侍女達の前でもなるべく疲れた姿を見せないよう、ずっと気を張っているから尚更である。
すぐ隣の控えの間には、先程リエナを出迎えてくれた古参の侍女が、いつ用事を言いつけられても対応できるよう常駐している。サマルトリアでは帰国以来ずっと、この侍女が付ききりで世話をしてくれていた。いくらリエナがムーンブルク最後の王族であり、次期女王であっても、あまりに丁重な扱いに、時には逆に恐縮してしまうほどではあるけれど、心を籠めて仕えてくれているのもわかるだけに、リエナはすこしばかり気詰まりなものを覚えながらも、素直に感謝もしていた。
リエナはすぐには眠れぬまま寝返りを打つと、ちいさく溜め息をついた。
(今日もまた、ルークと話せなかったわ……)
リエナは旅の目的を果たしたら、ルークに想いを告げると決めていた。それなのに、ロンダルキアの祠でも、ムーンペタのルーセント公爵邸でも、そしてこのサマルトリアでも、まったくその機会が得られない。
(このまま、何も言わずに別れなければならないなんて……。仕方ないことなのかもしれない、でも、わたくしは……)
自分のこれからの義務を考えれば、とるべき道は一つしかない。お互いに国を継ぐべき立場にあるから、正式に結婚するなど、絶対にできないのもわかりきっている。
だからこそ、自分の長年の想いに決着をつけるために告白しておきたかった。それだけは、リエナも諦めきることなどできはしない。
***
「本当に、どいつもこいつも……!」
夜会がお開きとなり、寝支度を終えたルークは侍女達をすべて下がらせると、どさりと長椅子に座り込んだ。そのまま足を投げ出し、長身を持て余すかのように身体を伸ばす。
ルークは焦りを覚えていた。今のままでは、どうやってもリエナに告白することができない。自分の想いを伝え、彼女の自分に対する気持ちを確かめないことには、ずっと以前から決めている次の行動に移せない。
(やっぱり、アーサーが言う通り、もっと早くに告白しておくべきだったのか……?)
珍しく、わずかに後悔の気持ちが頭をよぎる。けれど、告白するのは旅の目的を果たしてからというのは、旅の初めにルーク自身が考え抜いて出した結論である。それが間違っていたとは思えないし、第一、今になって後悔するのはルークの性に合わない。やるだけやって駄目だったなら、別の手段を取るまでである。
(二人きりでゆっくりと話ができる、何か、いい方法はないか……?)
両腕を頭の下に組み、長椅子に寝そべって豪華な装飾が施された天井を見上げたまま、しばらく思案を巡らせた。
(そうだ、散歩にでも誘ってみるか。本当なら遠乗りに行きたいところだけど、そこまでの無理はさせられない。屋外で散策するにはいい季節だし、ここの中庭の花を眺めるくらいなら、疲れさせることもないだろう)
そう決めると、早速明日使いを送ることにした。
***
翌日、リエナのもとに、ルークからの使いがやってきた。リエナへ散歩の誘いである。使いを出迎えたリエナ付きの古参の侍女は、すぐに女官長に相談した。
女官長はルークとリエナに二人きりになる機会を与えることになると、内心では難色を示した。しかし、ローレシアの王太子であるルークの誘いを、女官長の独断で断るわけにもいかず、断る理由も中庭の散歩であれば、リエナが疲れるから、というのも不自然である。どのみち受けるにしろ、断るにしろ、最終的に決めるのはリエナ本人であるから、渋々ながらリエナに伺いを立てた。
ルークから散歩の誘いがあったと聞き、リエナは秘かに胸を躍らせた。けれど、そのうれしさを覚られないよう、細心の注意を払い、つとめてさりげなく女官長に答えた。
「ルーク様からのお誘いでしたら、お断りするのも失礼にあたりますわね。幸い、わたくしも気分が落ち着いて参りましたし、すこしの時間でしたらご一緒できますでしょう」
リエナの言い分ももっともである。女官長は誘いを受ける旨返事を持たせ、使いを返した。
(これで、やっとルークに……)
ようやくルークに想いを伝えられる、リエナはこの絶好の機会を逃したくない。当日になって体調を崩さないよう、その日の夜はいつもより少し早めに床に就いた。
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