旅の終わり
第4章 約束 4
翌朝、アーサーが眼を覚ますと、ルークが明らかに一晩中寝ていない顔をして、寝台の上に座り込んでいた。じっと一点を見つめたまま微動だにしない。アーサーは淡々と身支度を整えると、初めてルークに声をかけた。
「食堂に行ってくる。ここに朝食を運んでもらうよう、頼んでくるよ」
ルークは無言のまま、寝台から降りた。
「リエナの部屋に行く?」
「朝飯、一緒に食おうって迎えに行くだけだ」
「別に、朝食くらい抜いても構わないんじゃない?」
「どういう意味だ?」
「それくらい、わかるだろう?」
真剣な表情のアーサーを一瞥すると、ルークは無言で部屋を後を出る。すこしばかり乱暴に閉められた扉を見つめ、アーサーはちいさく溜め息をつくと、自分も食堂に向かった。
***
リエナも真っ赤に泣き腫らした眼をしていた。
(ひどい顔……。でも、最後くらいはルークに笑顔を見せなきゃ……)
鏡に向かって無理に笑顔を作ろうとするが、なかなか上手くいかない。それでも、少しでも涙の痕跡を消そうと、何度も冷たい水で顔を洗った。身支度を整え終わったころ、部屋の扉がノックされた。開けると、明らかに一晩中寝ていない顔をしているルークが立っている。
リエナは無理に笑顔を作り、最後になる朝の挨拶をする。
「おはよう……、ルーク」
ルークも挨拶を返そうとしたが、リエナの泣き腫らした顔を見て、自分同様一睡もできなかったことを悟った。
「リエナ……!」
どうしても耐えきれず、気がついた時にはルークはリエナを抱きしめていた。リエナも一瞬身体を震わせたが、抵抗できなかった。それでも必死にルークを押しやり、懇願する。
「ルーク……。もう、これでお終いにして。お願い……」
「俺は昨日言ったはずだ。必ず父上を説得して、正式に結婚を申し込みに行く」
「あなたの言葉だけで充分よ……。だから……」
すすり泣きながら訴えるリエナを抱きしめたまま、ルークはかきくどいた。
「いいか、リエナ。難しいことは最初からわかってるんだ。それでも、俺にはお前しかいない。お前を誰にも渡したくない……!」
その後のリエナは無言のまま、かぶりを振るだけだった。ルークは部屋を出る時、もう一度リエナを見つめると、きっぱりと言い切った。
「リエナ、憶えておいてくれ。俺は、絶対に諦めない……!」
***
厳しい表情のまま、ルークが扉を開けて入ってきた。
「リエナは?」
アーサーが声をかけたが、ルークは無言のまま、寝台に座り込んだ。そのままむっつりと黙り込んでしまったルークを残し、アーサーは部屋を後にした。
***
アーサーはリエナの部屋を訪ねていた。扉をノックするが、応答がない。一呼吸置いて、もう一度そっとノックすると、ようやく内側から扉が開き、リエナが姿を現した。一瞬はっとしたような表情を見せたが、すぐにうつむいてしまう。恐らく訪ねてきたのがルークではなかったことで、落胆した気持ちを覚られたくないのだろう、とアーサーは思った。ずっと泣き続けていたらしく、菫色の瞳を縁取る長い睫毛はまだ濡れている。
「おはよう、リエナ」
アーサーが優しく声をかけた。
「おはよう……、アーサー」
一瞬の間を置いて、かろうじて挨拶を返したが、リエナの表情は硬い。アーサーはちいさく溜め息をついた。数多い宿泊客が行き来する廊下で立ち話もし難い。アーサーはリエナを促すと、彼女の部屋に入った。
「リエナ……、つらかったね」
「……ありがとう、アーサー。でも、もういいの。もう、これで充分だから……」
うつむいたまま、ぽつりと言う声は細かく震えていた。
「ルークから話は聞いたよ。あいつは本気だ」
「ルークの気持ちは本当にうれしいし、ありがたいの。……でも、これ以上、彼を犠牲にするわけにはいかないわ」
リエナはかぶりを振った。
「リエナがルークを思い遣ってそう言うのはわかるよ。でも、あいつが君の犠牲になったことは一度もない。だから、そういう考え方はやめた方がいい」
そう諭すように話す若草色の瞳は、優しい光を帯びていた。
「でも、どう考えても無理だわ。ルークもわたくしも、国を継ぐ義務があるもの。それを放棄することなんて、どんな事情があっても許されない。アーサー、あなただってわかるはずだわ」
「確かに、リエナの言う通りだよ。この問題は一筋縄じゃいかない。僕だって正直なところ、ルークの選択が正しいのかどうかわからない。ただ……」
アーサーはここで一つ息をついた。
「ルークの君への気持ちは真摯なものだよ。僕が言うまでもなく、リエナはわかっていると思うけどね」
「ええ、……わかっているわ。でも……!」
「旅の間ずっと、ルークは生命懸けでリエナを守ってきた。それだけじゃない、リエナ、君もルークを支え続けてきた。僕はそれを最初からずっと見てきた。だから僕は、君達二人は一緒にいるべきじゃないか、その気持ちも捨てきれないんだ」
「アーサー……」
「僕は君達に何もしてあげることはできない。でもね、二人ともが幸せになって欲しい、それだけは、これからも願ってるよ」
うつむくリエナの瞳から涙が落ちるのが見えた。
「僕達の部屋に朝食を運んで貰ったから、一緒にどう?」
「ありがとう……でも、やめておくわ」
「そう……。じゃあ、もし気が変わったらいつでも来て」
無言のままのリエナを残し、アーサーは部屋を後にした。
***
結局、リエナは出発まで一人で部屋で呆然と座り込んだままだった。アーサーが迎えに行き、ローレシアに帰る支度が整っても、ただ自分の荷物を手に、心をどこかに置き忘れたかのように立っているばかりである。
「じゃあ、いい? 帰るよ」
アーサーが二人に声をかけた。
ルークはリエナに視線を向けたが、彼女はうつむいたまま、無言だった。ルークは最後にもう一度だけリエナを抱きしめたい衝動に駆られたが、無理やりそれを抑えつけるしかなかった。
アーサーが移動の呪文を唱える。鮮やかな新緑の光が三人を包み込んだ。
(終)
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