旅路の果てに
第6章 7
人気のない路地裏で魔物と対峙した後、ルークとリエナは早々に宿に戻っていた。
リエナがやや疲れを見せていたし、やはり誰かに見とがめられる可能性も考慮して、町での情報収集を切り上げたのである。
部屋でしばらく休憩を取ることにした。そうしているうちに、開け放たれたカーテンから夕日が長く差し込んでくる。
二人で食事の支度を始める。今夜も、夕食は宿への帰り道で買ってきたものである。ルークが机に料理を並べ、リエナがお茶を淹れた。二人でささやかな食卓を囲む。
愛する人とともに過ごす時間に、リエナは心からのやすらぎを感じていた。
この先にも、様々な困難が待ち受けているだろう。けれど、ルークと二人でなら必ず乗り越えられると、心から信じることができる。
自らが犯した罪の意識が消えることは決してない。罪を償う機会すら、一生与えられない。生涯、責めを負って生きていかなくてはならない。
出奔が正しい選択だったのかどうか、リエナ自身にもまだわからない。けれど、ひとつだけ確かなことがある。
――ルークと二人、新たな人生を歩むと選んだこと。
それはまぎれもなく、リエナ自身の意志。
***
食事も終わり、二人は交替で湯を使う。先に済ませたルークは部屋の灯りを落とし、薄暗いなか椅子に座って窓から外の景色を眺めていた。もう既に店は閉まり、家々の窓からはあたたかい灯りがもれている。
湯殿からリエナが出てきた。ルークと視線が合い、ためらいがちに眼を伏せる。
ルークは立ち上がって窓のカーテンを閉めると、無言でリエナに近づき、柔らかな身体を抱きしめた。リエナは素直に身体を預けてきたものの、これから起こることへの緊張のせいか、細い肩をわずかに震わせている。ルークも抱きしめる腕に、自然に力が籠っていく。
「リエナ、……いいな?」
熱い吐息とともに囁かれた言葉にリエナの緊張が頂点に達した瞬間、ルークに抱き上げられた。寝台まで運ばれながら、リエナは眼を閉じたまま身体を固くしている。ルークがリエナの華奢な身体をそっと寝台に横たえた。ルークの大きな手がリエナのなめらかな頬に触れ、閉じていた瞳がようやく開かれた。
リエナを見つめるルークの瞳は、既に熱を孕んでいる。リエナは羞恥のあまり顔をそむけようとした。けれど、深い青の瞳に捉えられ、眼を離すことができない。菫色の瞳はわずかに潤み、知らず知らずのうちに見つめ返していた。
ルークはそっとリエナにくちづけた。最初は、やさしく触れるだけのものが、だんだんと熱く、深いものに変わっていく。リエナも初めてのことで、驚きは隠せないようだったが、それでも懸命に応えようとする。
ルークの手がリエナの寝間着にかかった。襟元をはだけると、華奢な身体に、意外なほど豊かでまっしろな乳房がこぼれでる。
――リエナの月光を放つかのような、輝くばかりに美しい白い裸身。
それが、何もさえぎるものもなく、今、ルークの眼の前に横たわっている。
薄闇のなかで浮かび上がるリエナの姿は、神々しいほどだった。そのあまりの美しさに、ルークは息を呑む。
「綺麗だ、リエナ。なんて綺麗なんだ……。愛している、もう、絶対に離さない……!」
ルークは、自分がどれだけずっとリエナだけを求め続けていたのか、思い知った。
「お願い、離さないで……。ずっと、ルーク……あなたのそばに、いたい……」
リエナも、自分がどれだけこの日が来るのを待ち望んでいたか、思い知らされた。
ルークは、今までの想いのすべてを籠めて、リエナにくちづけていく。最初は恥じらうばかりだったリエナも、少しずつ、ルークの愛撫に応えていった。
やがて、耐えきれないようにリエナの唇から甘い喘ぎが漏れはじめた。ルークも初めて聞くその声に、ますます煽られていく。
***
何もない。
結婚式も、花嫁衣装も、周囲の祝福の言葉すらなかった。
それでも、リエナは幸せだった。本当に幸せだった。
こんな日が来るなんて……。夢にすら見たことはなかったのに。
――幸せだった。
***
ルークは眼を覚ました。
既に夜が明け初めているらしく、ほのかな朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。
リエナはまだルークの腕のなかでよく眠っている。リエナの寝顔は穏やかだった。自分にすべてをゆだねて眠る姿が、たまらなく愛おしい。
寝顔を見つめながら、ルークは決意を新たにする。
――俺の、この手で、幸せにしてみせる。お前が、心からの笑顔で幸せだと、そう言えるまで。
そっと抱きしめる腕に力を籠めると、なめらかな額にくちづけを落とす。それに気づいたのか、リエナの長い睫毛が揺れ、菫色の瞳が開かれた。はっとしたようにルークを見上げたが、すぐに恥ずかしそうに顔を伏せた。
リエナの仕草の可憐さに、ルークはたまらず頬に手をかけて唇を重ねた。リエナは一瞬驚いたふうを見せたが、恥じらいながらもそれに応えてくる。
あまやかな唇を堪能して、満ち足りた表情の深い青の瞳が、菫色の瞳を覗き込む。
「おはよう、リエナ。……眠れたか?」
「あ……、おはよう……。よく眠れたわ」
リエナは聞きとれるかどうかくらいの、ちいさな声で答えた。
このうえなく幸せなひとときではあるけれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。もう一度くちづけて、ルークがリエナに声をかける。
「リエナ、先に湯を使っておいで。俺は後からでいいから」
「……ありがとう」
リエナは一度は起き上がろうとしたけれど、顔を赤くしたまま、なかなか寝台から出ようとしない。不思議に思ったルークが尋ねた。
「どうした?」
「あの……」
リエナはそのまま口をつぐんでしまった。ルークはしばらく理由がわからなかったが、リエナが上掛けから覗く白い肩を隠そうとしているのに気づき、自分達が何ひとつ身につけていないせいだとようやく思い至った。
明るい朝日の中でリエナの姿を見たい――唐突に、ルークはその衝動に駆られた。思わず口に出しそうになって、必死に言葉を抑え込む。
「……ごめん」
それだけ言うと名残惜しげに抱いていた腕を離し、くるりと背中を向ける。リエナはそっと起き上がり、寝台の足元に落ちていた寝間着を拾うとすばやく肩にはおり、湯殿に駆け込んだ。
ちいさな浴槽に湯を溜めながら、リエナは何気なく鏡に写った自分の姿を見た。いつになく幸せそうな顔をしている。
ふと視線を移すと、はおった寝間着の襟元から覗く白い肌に、いくつもの紅の花びらが散っている。
それが何を意味するのか悟った瞬間、昨夜の記憶がよみがえり、身体が熱くなった。
***
「……遅くなって、ごめんなさい」
湯殿から身支度を終えたリエナが姿を現した。いつもと違う美しさに、ルークは眼を瞠っていた。
「リエナ、……その髪型」
ルークの言葉に、リエナの透き通るほど白い頬が、薄紅に染まる。リエナは昨日まで下ろしていた髪を結い上げていたのである。
「だって、わたくしはもう……」
ルークにもリエナが何故急に髪型を変えたのか、理由はわかっている。思わず抱きしめると、耳元で囁いた。
「そうだ、お前はもう、俺の妻だ」
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