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      春の夜の月  −1−                              小説おしながきへ

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 今宵は満月――。

 漆黒の墨を流したような夜空に、鮮やかな銀盤が浮かんでいる。月光が壮麗な白亜の城を冴え冴えと照らし、静謐な闇の中にその威容を浮かび上がらせていた。

 城の一室の窓辺に、一人の美しい少女の姿が見える――ムーンブルクの王女、リエナである。
 
 リエナは窓辺のお気に入りの椅子に腰かけ、うっとりと夜空を見つめていた。

(わたくしには、この先どんな運命が待っているのかしら……)

 既に灯りを落とした室内に、淡い月の光が射し込んでいる。月光がリエナの華奢な肢体を薄衣のようにいだき、まさに彼女自身が月の女神であるかのように美しい。

 リエナは月を眺めながら夢想に耽るのが好きだった。未だ初恋も知らぬ清らかな乙女である。リエナはいずれ出会うに違いない、まだ見ぬひとへ想いを馳せていた。

 夜が更けるまで、窓の外を見つめていた。まるで満月に魅入られたように――。

********

ムーンブルク――。

 別名「古の月の王国」と呼ばれる魔法大国である。建国以来、歴史は既に千年を超え、代々強大な魔力を持つ魔法使いが治める国として、世界にその名を知らしめていた。

 現在の国王はディアス9世。鮮やかな銀髪と、鋭く光る灰色の瞳を持つ壮年の王は、歴代の王の中でも取り分け強大な魔力を持ち、数多くの魔法使い達を従える名君として名高い。

 ムーンブルクはもう一つ『ロト三国』の一国としての顔を持っている。約180年前、竜王を倒した勇者アレフとその妃であるローラ姫の第一王女が、当時の王太子の許に嫁いできたことで、王家は新たに古の勇者ロトの血を受け継ぐ役割を果たすことになったのである。現在では姉妹国であるローレシア、サマルトリアとともに、揺るぎない繁栄を誇っていた。

********

「ユリウス殿下」

「何だ?」

 ムーンブルク王太子ユリウスは、手にしていた書物を書棚に戻すと、侍従を振り返った。彼は父王によく似た鮮やかな銀髪と強い意志を感じさせる青灰色の瞳を持った、20歳の青年である。既にその魔力は父王をも超え、ムーンブルク王家でも歴代最高と言われる魔法使いである。

「陛下よりご伝言です。お手が空き次第、執務室にいらして欲しいとのことでございます」

「わかった。すぐ伺う旨、返事を頼む」

 ユリウスには特に思い当たる節もないが、すぐに服装を整えると、侍従に先導され、王の執務室を訪ねた。

「父上、お呼びと伺いましたが」

「ああ、ユリウス。お前に相談したいことがあってな」

 王は決裁書類から眼を上げた。

「私にですか? どういったお話でしょうか」

 王はユリウスに向き合うと、ゆったりと両手を前で組んでおもむろに話を切り出した。

「リエナの結婚相手についてだ。お前も昨年、妃を迎えたことだし、リエナも間もなく15になる。そろそろ本格的に相手を選定する時期だろう」

「リエナにはもう既に国内のみならず、各国から数多くの縁談が来ていると聞いております。父上はもう候補者をどなたにするか、具体的にお考えでいらっしゃるのですか?」

「それがこれといった人物がなかなかおらんのだ。リエナもこのムーンブルクの第一王女だ。しかも父親の私から言うのもなんだが、実に美しい娘に成長してくれた」

 王はいつもの厳しい表情をふっと緩めた。その姿は年頃の娘を大切に思う父親以外の何者でもなかった。

「父上としては滅多な男にはやれぬ、そうおっしゃりたいわけですね」

 ユリウスにとっても、たった一人の大切な妹姫である。幸せになって欲しいと願う気持ちは父王と変わりはない。

「そう言うことだ。相談というのはな、縁談が持ち込まれた相手はもちろんだが、それ以外にも、お前の眼から見てこれという男はいないか、意見を聞かせてもらいたいのだ」

「私ごときの意見をご参考になさろうと?」

 ユリウスの青灰色の瞳が少し意地悪く輝いた。ディアス9世もそれに気づいているが、わざと無視して鷹揚に頷いた。

「お前の人を見る眼は信用しているよ。それに、同年代のお前から見てもらうのも、一つの方法ではないかと思ってね」

「そうおっしゃるのでしたら、一人だけおります」

 ユリウスは、きっぱりと言った。

「えらく自信ありげだな。どこの男だ?」

「ローレシアの、ルークです」

 この回答は、王にとっては予想外の物だった。

「ローレシアの第一王子で、王太子のルーク殿か……」

「意外でしたか?」

「まあな。確かに、身分は申し分ない。私もこどもの頃からよく知っているが、あの若さで、大国ローレシアを統べるにふさわしい器を持っているのは間違いない。剣の腕も既に一流だ。年齢もリエナより2歳上だから、ちょうど良い。だが……」

 王は腕組みをして考え込んだ。

「ルークが魔力を持たないことを気になさっている訳ですね?」

 ユリウスには、王が躊躇している理由が最初からわかっていた。

「はっきり言えばそうだ。ロト三国の王族で魔力が皆無なのは、ルーク殿だけだ。決してそれ自体に問題がある訳ではないが、リエナの相手と考えると、な。リエナはあの歳で既に国内屈指の魔法使いだ。余りに違い過ぎる相手とでは、つらいものがあるのではないか?」

「父上のお気持ちはよくわかります。ですが、いろいろな面で正反対であるのは、むしろあの二人にとっては良いことではないかと思うのですよ」

「ほう? 自信がありそうだな。何か根拠でもあるのか?」

 王の灰色の瞳が鋭く光った。

「いえ、特にはありません。強いて言えば私の勘でしょう。ですが、これだけははっきりと言えます。ルークは必ず、リエナを幸せにしてくれるに違いありません。実は、私は以前からリエナの相手はルーク以外にいないと考えておりました」

「それもお前の勘か?」

「はい。私もリエナの結婚相手のことは気になっていました。私の知っている限り、身分が釣り合う人物の中でリエナの将来を託すことのできる男は、ルークとアーサーしかおりませんので」

「サマルトリアのアーサー殿か……。しかし、アーサー殿には既に婚約者がいるぞ?」

「はい。ですから、もうこちらから話を持っていくわけにはいきません。それに、リエナにはルークがいいと思います」

「しかし、ローレシアからは何も言ってきてはいない。もしこちらから話を持っていったとしたら、後から断る訳にも参らぬ。第一、リエナにとって本当に良い縁組かどうか……。かといって、王族の身分で事前に見合いというわけにもいかぬしな」


 王は顎に手をやると、溜息をひとつついた。

「父上のご懸念はよくわかります。――それでは、こうしてはいかがですか? リエナの誕生日の舞踏会を、顔合わせの席としてはどうでしょうか」

「誕生日の舞踏会をか? 確かにローレシア王宛てに招待状を出しても、実際に来るのは名代のルーク殿だろうが……。リエナにとって、非常に大切な席を顔合わせの席にするのは……」

「ですが、その後は当分機会がありません。それに、あくまで公式の招待客の一人として会うだけですから、万一断ることになったとしても、リエナにもルークにも経歴に傷がつくことはありません」

 王はしばらく沈思していたが、やがて頷いた。

「わかった。確かにお前とルーク殿のつきあいは長い。検討してみよう」

「ありがとうございます。良い結果がでると信じております」

 ユリウスは自信ありげに微笑んだ。

********

 数日後、リエナは父王から大事な話がある、と呼び出された。

「わたくしがお見合いでございますか?」

 リエナは父王の突然の言葉に、美しい菫色の瞳を大きく見開いた。

「ああ、お前も間もなく15歳になる。そろそろ本格的に相手を探さないといけない時期だ。それはわかるな?」

「はい。……あの、もうお相手の方は決まっているのですね?」

「ローレシアの王太子、ルーク殿をと考えている。お前は当然まだ会ったことはないが、ユリウスと親しいのは知っているね」

「ええ、存じておりますわ。お兄様から、お噂を伺ったこともございます」

「お前も将来のローレシア王妃だ。悪い話ではないと思うがね」

「ルーク様は、ご立派な方だそうですわね。ですが……」

 リエナの表情は心なしか、暗い。

「実はな、この話を言い出したのはユリウスだ」

「お兄様が?」

 リエナには思いがけない話である。王も頷いて、話を続けた。

「私も最初に聞いた時には、正直お前には合わないんではないかと思ったよ。だがね、ユリウスが言うには、ルーク殿はお前と正反対だからこそ、いいと言うんだ。それに実際問題として、ムーンブルクの第一王女であるお前と身分も年齢も釣り合う人物はそういない」

「お兄様がそこまでおっしゃるのでしたら……」

「何、とにかく一度顔を合わせてみるだけだ。私も一人きりの大切な娘を、無理に嫌な相手に嫁がせる気はないよ」

 まだ不安げな顔をしているリエナに、王はゆっくりと告げた。

「顔合わせの機会は、15歳の誕生祝いの舞踏会をと考えている」

 それを聞いて、リエナはますます不安になった。ムーンブルクの王族女性は15歳まで公式の席には一切出ない。その代わりに15歳の誕生日には、ムーンブルクの王族だけで執り行われる成人の儀とは別に、各国の王族・貴族を招いて、大々的に舞踏会を開くのが慣例になっている。その自分の大切な席でもし嫌な思いをすることになったら……。リエナの不安な気持ちを、王は感じ取ったらしい。慈愛のこもった眼で愛娘を見つめると、安心させるようにゆったりと言い聞かせた。

「リエナ、お前の最初の大切な公式の席で、何かあったらと考えるのはわかる。だが、心配する必要はない。ルーク殿は立派な王太子だし、もしどうしても嫌なら無理にとは言うつもりもない。あくまで舞踏会への招待だから、断るにしても不用意な噂が立つ心配もないと考えたのだよ」

「わかりましたわ。お父様の仰せのとおりに従います」

 リエナは頷く他はなかった。

 リエナは釈然としないものも感じてはいたが、自分が親の決めた相手と結婚することは生まれた時から決まっている。ましてや、相手がロト三国の宗主国であるローレシアの王太子であれば、これ以上は望むべくもない良縁であるのは間違いない。リエナも王女として生まれた以上、他国の王家に輿入れし、後継ぎを産んで国と国とを結びつけるのが使命であることは充分に自覚していた。

 その為に今までも兄の様な帝王学よりも、宮廷作法やダンス、文学、刺繍など貴婦人としての教養をみっちりと叩き込まれてきた。そして彼女はどこに輿入れしても恥ずかしくないだけのものを既に身につけている。ムーンブルクはロト三国であるとともに古代からの魔法大国であるから、魔法の修行も幼いころからずっと続けていた。リエナは王家の中でも、特に強大な魔力を持っていることでも知られていた。

 古の月の王国であるムーンブルク王家の美貌の姫君の評判は各国に知れ渡り、それこそ星の数ほどの縁談が来ている。その中にローレシアからの話はなかったにもかかわらず、リエナの相手にルークをというのであるから、それだけの人物なのだろうと無理に自分を納得させるより他はなかった。

 リエナは父王の部屋を辞すと、女官に付き添われ、自室に戻った。窓辺のお気に入りの椅子に腰かけ、庭園を眺める。まだ春の訪れは遠いが、手入れのいきとどいた花壇にはいくつか春の花が蕾をつけ始めていた。

(こんな時にマーサがいてくれたら、いい相談相手になったのに……)

 マーサはリエナの乳母だった女官である。幼い時に実母を病で亡くしているリエナにとっては、母親同然の女性だった。しかし、半年ほど前に家庭の事情で王宮を辞し、今はムーンペタにある自宅に帰っている。

 女官がお茶とお菓子をリエナの前に置いてくれたが、手をつける気にもなれず、ずっと窓の外に視線を向けたままだった。

(ローレシアの、ルーク様。ロト三国の王族で、唯一魔力をひとかけらもお持ちではない方。けれど、その代わりに剣技の天才とご評判の王太子殿下……)

 魔法大国であるムーンブルクとは違い、ローレシアが何よりも剣を重んじることも、当然知識としては知っていた。ルークが騎士の国の王太子としてふさわしい人物であることも、納得はできる。だが、魔法使いである自分が嫁ぐとなると話は違ってくる。

(どんな方なのかしら。お兄様のご親友でもあるのだから、お人柄は良い方なのでしょうけれど……。剣技の達人でいらっしゃる方と何をお話したら……。いくら国の為に嫁ぐのが王女の務めとわかっていても、あまりにも違う方では……)

 リエナはちいさく溜息をついていた。

(お兄様のような、魔法使いの方だと良かったのに……)

 考え続けても、どうしようもないとはわかっていても、できれば自分なりに納得したい。リエナは思い切って兄の部屋を訪ねることにした。早速女官にユリウス宛てに伝言を頼む。その時には、リエナの前に置かれたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

 女官が返事を持って帰るのを待つ間、自室で好きな書物を読んでいたが、文字を目で追うばかりで頭に入らない。仕方なく書物を閉じたところで、侍女が戻ってきた。兄ユリウスからいつでも会えるとの返事だった。

 リエナはすぐにユリウスの部屋を訪ねた。兄は笑顔で妹を迎え入れると、お茶の支度を命じた。それが運ばれてきたところで、リエナはようやくユリウスに話し始めた。

「お兄様。先程、お父様からお話が……」

 口を開いたものの、どうしても次の言葉が出ない。

「ああ、もう聞いたのか? ……うん? どうした?」

「いいえ、何でもありませんわ」

 ユリウスにはリエナが何を気にしているのか、すぐにわかったらしい。

「ははん、ルークに魔力がないのを気にしているな?」

「お兄様、それをおわかりでしたら、何故ルーク様とわたくしを?」

 リエナは理由がわからないと、ユリウスに訴えた。

「私はお前の相手は、ルークしかいないと前から思っていたんだ。あいつならお前を必ず幸せにしてくれるよ」

「ですけれど……」

「確かにロト三国の王族でも魔力が皆無なのはルークだけだ。だから、あいつもこどもの頃はかなり悩んだらしい。だが、こればかりは努力してどうにかなるものでもない。自分は剣を極めると決めて、ずっと修行を続けてきたんだ」

「それは……、よくわかりますわ」

「リエナ、人にはそれぞれ向き不向きがある。お前は魔法、ルークは剣。それではいけないか?」

「お兄様はルーク様を、とてもご信頼なさっていらっしゃるのね。……ルーク様にお会いしますわ。どのみち、お父様のお言いつけに背く訳にはいきませんもの」

 そうは言ったが、リエナの表情はまだ不安そうだ。

「リエナ、そう深刻になる必要はないよ。今回は単なる顔合わせだ。嫌いな男の許に無理に輿入れさせるつもりはないって、父上もおっしゃっただろう?」

「ええ、それはそうですけれど……」

「じゃあ、何も問題はないだろう? 嫌なら嫌って言えばいい。もっとも、私にはお前がそう言わない自信があるけどね」

 ユリウスはリエナを安心させるように笑った。

 リエナは敬愛する兄がここまで言うのであれば、会うだけは会おう、もしどうしても嫌であれば、その時にどうするか考えても遅くはないと、とりあえず心を決めた。


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