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      春の夜の月  −6−                                  TOPへ

 ルークとアーサーが帰国してしばらく後、リエナは再び父王に呼ばれた。

「リエナ、私はこの縁談を纏めようと思っている」

「はい。お父様の仰せに従います」

 リエナは素直に頷いた。王女と生まれた自分の使命を考えれば、嫌いでない相手に輿入れすること自体が、幸運だとも言えるのである。

 リエナはまだ自分がルークを愛せるかどうかまではわからない。それでも、ルークが自分を、王太子妃として、また伴侶としても尊重し、大切にしてくれるであろうことは信じられる。今はそれだけで充分だった。

********

 その後すぐに婚約が内定した。周囲はこの慶事に沸いた。ローレシアにとっても、ムーンブルクにとっても、お互いにこれ以上はない良縁である。今は正式発表の時期や各種の条件を詰める為に、二国を使者が頻繁に行きかっている。

 ムーンブルク王も掌中の珠ともいうべき愛娘を手放すのはもちろん寂しい。しかし、リエナが幸せになれるに違いない伴侶と巡り合えたことで、ようやく大きな肩の荷を下ろすことができて安堵した。幼い時に亡くなったリエナの母親も喜んでくれるであろうと、亡き王妃を偲んでいた。

 義姉ソフィーも心から喜んでくれた。ソフィーはリエナを気遣い、自分がユリウスの許に輿入れが決まった時の不安だった気持ちや、実際に嫁いで来た時にムーンブルク王とユリウスにあたたかく迎えられた喜びなどを、こまごまと話して聞かせてくれた。

 最初にこの縁談を言い出したユリウスは予想以上の好結果に満足していた。リエナにも、あらためて祝いを言った。

「リエナ、本当におめでとう」

「ありがとうございます。お兄様」

 リエナははにかみながら礼を言った。その姿を見て、ユリウスはちょっとからかってみたくなった。

「なんだか、最近一段と綺麗になったぞ」

「嫌ですわ、そんなことをおっしゃって……」

 リエナの透き通るほど白く美しい肌が、今はほんのりと薄紅(うすくれない)に染まっている。

(やはり、リエナはまだ自分の気持ちに気づいていないか……)

 ユリウスにはそれがわかっていたが、近いうちにリエナが自覚するのは間違いない。そう思いながら、より一層美しくなった妹の様子を眩しそうに見つめていた。

「ルークには、私に万が一のことがあったらお前を頼むって、ちゃんと頼んでおいたからな」

 ユリウスのこの言葉に、リエナは表情を曇らせた。

「お兄様、そんな縁起でもないことをおっしゃらないで」

「そうむきになるなよ。半分冗談のつもりだったが、ルークはちゃんと答えてくれたよ。わかったって」

「ルーク様が、そんなことを?」

 リエナは少し意外そうな顔をしている。

「ああ、いいやつだろう? あいつとお前は妙に生真面目なところだけは、似てるな。やっぱりお前にはルークがいいと思った、私の勘は当たっていたよ」

 ユリウスはふっと真顔になると、最愛の妹の肩をいとおしむように抱いた。

「幸せになれよ」

「お兄様……」

 リエナの菫色の瞳には光る物があった。

********

 早速輿入れの準備が始められた。

 リエナは今までにも当然ロト三国の歴史は学んでいるが、あらためてローレシアについて講義を受けることになった。それ以外にも、既に充分身につけている宮廷作法を始めとする王家の女性としての教養も、もう一度徹底的におさらいした。

 同時に輿入れの為の支度も始まった。婚礼の衣装はもちろん、たくさんの道具類、ドレス、宝飾品なども用意し始めることになり、ムーンブルク国内でも選りすぐりの職人たちが腕を振るいはじめた。

 初めて出会った舞踏会の後、ルークとリエナが顔を合わせることはなかった。しかしリエナは少しずつ輿入れの支度が進められていくのを見ながら、だんだんと婚礼の日を迎える心の準備もできてきた。

********

 そして、正式な婚約発表を目前に控えた、残暑の厳しい初秋のある日。

 ムーンブルク城は、大神官ハーゴン率いる魔物の大群により、崩壊した。

 ムーンブルク王ディアス9世崩御。王太子ユリウス、王太子妃ソフィー薨去。第一王女リエナ行方不明。

 千年を超える歴史を誇る、古の月の王国ムーンブルクは、その歴史に幕を下ろそうとしていた。

 ローレシアへこの悲報を伝えたのは一人の勇敢なるムーンブルク兵士だった。この兵士は最後の力を振り絞り、ローレシア王アレフ11世と王太子ルークに伝えると、その場で絶命した。

 ルークは兵士の最期を自らが看取ると黙祷を捧げ、丁重に埋葬するよう命じた。その後、父王に向かって跪いた。

「父上、私にムーンブルク第一王女、リエナ姫救出の命をいただきたく存じます」

「ならぬ」

 アレフ11世は首を横に振った。

「何故ですか! リエナ姫は、私の……!」

「そなたの、何なのだ?」

「……」

 父王が何を言いたいのか、当然ルークにも理解できた。ムーンブルク王、王太子ユリウスが亡くなった以上、仮にリエナが生存していたとしても、王家の人間は彼女のみになる。王家最後の姫と、王太子である自分が結婚することなどありえない。婚約は自動的に白紙に戻っているし、いくらリエナ救出の為とはいえ、自ら生命の危険を冒すことなど許される訳がないのだ。

 ルークは拳を握りしめ、逞しい肩を震わせていた。アレフ11世は非情にもルークに最後通告をした。

「よいな、リエナ姫の救出はすぐにローレシアが全力を挙げて行う。そなたはこの城で待機だ」

 どうしても肯うことができなかったが、アレフ11世はルークの返答など待たず、大至急リエナ救出、被害状況の現状視察及び、難民収容の為の軍隊派遣をすべく、各騎士団を招集する。同時に、サマルトリアへも協力要請の為の使者を派遣するよう手配した。

 急に慌ただしさを増した周囲を、ルークは呆然と見ていた。

(リエナ姫……、どうぞ、ご無事で……!)

 ルークが今できるのは、リエナの無事を祈ること、それだけだった。


                                            ( 終 )

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