もうひとつのちいさな奇跡 −6−
その後も旅を続け、次の目的地に到着した三人は、いつもと同じく最初に今夜の宿を探した。
ほどなくして適当なところが見つかり、扉を開けて中に入っていく。
「いらっしゃいませ」
宿の玄関の中は意外なほど広かった。端にある帳場で年配の女将が出迎える。
リエナがすこし疲れた様子なので、ルークは玄関の隅にある長椅子に彼女を誘い、アーサーが帳場に居る宿の女将に声をかけた。
「一部屋、お願いします」
「一部屋、ですか?」
宿の女将は、背後に居るルークとリエナをちらりと見遣ると、アーサーに問いかけた。
「うちは一番広くても二人部屋しかないんですけどね。今日なら、一人部屋もわりと空きがありますよ」
女将は怪訝な顔をしている。今入って来た三人は明らかに連れに見えるからだ。しかも、後ろにいる男女――青い旅装束の長身の男と白いローブ姿の娘は明らかに恋人か夫婦である。空き部屋がないならともかく、その組み合わせの男女三人で一部屋しか必要ないとは、考えづらいからだった。
「ええ、それで構いません。泊るのは連れ二人だけですから」
アーサーは淡々と答えた。女将の方はまだよくわからない表情のままだったが、これ以上事情を詮索するだけ無駄だと覚ったらしく、無言で鍵を帳場の机の上に置いた。アーサーは礼を言って受け取り、二人のところに戻って来た。
「ルーク、部屋が取れたよ」
「ありがとうよ」
ルークがアーサーの手にある鍵を見ると、一つしかない。
「二部屋、取ったんじゃないのか?」
ルークが尋ねた。無意識のうちに、声に不満が混じっている。
「取ったのは一部屋だよ。今夜はそれだけしか必要ないからね」
「一部屋だけって、お前……」
アーサーはルークの疑問には答えず、意味ありげな笑みを浮かべるだけである。
「明日の朝、ここの食堂で待ち合せよう。――じゃ、僕は行くから」
部屋の鍵をルークに手渡しながらそれだけを言い残し、アーサーは宿の玄関を開けると街へ出て行った。
取り残された格好になっているルークとリエナはしばし呆然としていたが、背後からの視線――この宿の女将のものである――を感じ、慌てて部屋に向かった。
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「何か……調子狂うな」
どさりと床に荷物を置きつつ、ルークがひとりごちた。
リエナも荷物を机の上に置いた。いつも流れるように優雅な所作の彼女に似合わず、どこかぎこちない。
ルークもリエナもいきなり部屋で二人きりになってしまって、どこか緊張してしまっている。
「リエナ」
「……あ、なあに? ルーク」
リエナがルークに視線を向けようとしてかなわず、すぐに顔を伏せてしまった。なめらかな頬はほんのりと薄紅に染まっている。
「いや、その……」
あまりの可憐さに見惚れたのか、ルークは一瞬口ごもっていたが、なんとか言葉を継いだ。
「……疲れただろ? 今日はずいぶん歩いたからな」
「大丈夫よ。ありがとう」
リエナがルークを見上げて答えた瞬間、思い切り抱きしめられた。こうされるのも、あの日以来のことだった。あふれんばかりの幸せに包まれ、リエナは身体を預けると眼を閉じた。
「――ずっと、こうしたくて仕方なかった」
ルークの呟きが聞こえてくる。
「……わたくしも、よ」
ルークがはっとしたようにリエナに深い青の瞳を向けた。リエナも今自分が無意識のうちに口に出した言葉に気づき、ますます頬を染めている。
「お前もそう思ってくれて、うれしいぜ」
ルークはどこか照れくさそうに、それでいて明るい笑みを見せるとリエナにくちづけた。
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一方、アーサーは街中に戻り、いつもと同じく情報収集に励んでいた。ここで調べるべきことはそう多くない。いくらもしないうちに必要な情報はすべて手に入れたが、日暮れまでにはまだすこし間がある。
これからどうしようかと考えながら歩いていくと、小綺麗な土産物屋が眼に留まった。アーサーの顔にいつもと違う笑みが浮かぶ。
しばらくしてアーサーが店から出てきた。そのまま、目立たない路地裏に入っていく。やがて、夕暮れの茜色に紛れ、路地裏から新緑の光の軌跡が飛び立った。
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ルークとリエナも街へ出かけた。いつも通り、薬草などの旅の必需品の購入のために道具屋へ行き、その後、保存食と今夜の夕食の材料を買いに食料品店に寄った。
二人で夕食の献立をどうするか相談しながらの買い物は楽しいものである。この店で扱っている食材は品質が良い。リエナはいろいろな食材を手にとっては吟味しながら、献立を考えている。
「お、リエナ。あれも買って行こうぜ」
ルークの眼に留まったのは、葡萄酒の売り場だった。
「あら、いいわね。あなたは葡萄酒が好きだものね」
リエナも笑顔で答えた。
「たまには、お前もどうだ?」
酒豪のルークに対して、リエナはほとんど飲めない。けれど、リエナにも二人で酒杯を傾けるのはとても魅力的に感じられる。
「そうね、……ほんのすこしなら」
「よし、決まりだ」
早速、ルークが熱心に選び始めた。この辺りは葡萄の産地なのか、種類も多く、値段も手頃である。近くにいた店員に尋ねると、やはりほとんどが地酒だと言う。
葡萄酒を一壜と、店員お勧めのチーズも買い、二人は店を後にした。
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宿に戻ったルークとリエナは、仲良く厨房で夕食を作り――ただし、例によってルークは、味見以外は立っているだけだったが――今は、部屋で二人きりで食卓を囲んでいる。リエナの手料理はもちろん、買ってきた葡萄酒もお勧めのチーズも予想以上の味で、ルークは至極ご満悦である。リエナもほんのひとくちの葡萄酒で、白い頬がほんのりと染まっている。
しばらくなごやかに食事を楽しんだあと、リエナがちょっと躊躇ったようにルークに問いかけてきた。
「……ねえ、ルーク」
「どうした?」
リエナは、すぐには続きの言葉が出てこない。ルークも今日ばかりはリエナが何を聞きたいのかわかっている。
「アーサーのことか?」
「……ええ」
「やつなら、サマルトリアだ」
リエナの予想通りの答えだった。無言のまま、ちいさく頷きを返す。
「今頃はコレット嬢と一緒に過ごしてるんだろうよ。どうやら、これまでも度々帰ってたみたいだしな」
「あなた、知っていたの?」
「いや、全然気づかなかった。少なくとも俺との二人部屋の時にはいたぜ。多分、うまく一人部屋が取れた時にだけ、帰ってたんじゃないかと思う」
「そうだったの。わたくしも気づかなかったわ」
「まあ、隠し事はやつの得意技だからな。それに……」
ルークの言葉に、一瞬の間が開く。
「……俺達には口外するなって、釘を刺されてるんだろうよ。まあ、ひょんなことからばれちまったわけだけど」
ルークははっきり誰がとは明言しなかったが、リエナにもルークの言わんとしていることは理解できるし、ルークの推測も当たっているだろうと思っている。
「そうね。アーサーとコレット様にもいいことだと思うわ。――特に、コレット様はずっと寂しい思いをしていらっしゃるのだから」
「ああ、俺もそう思う。アーサーも普段は絶対にそんな素振りをみせなくても、本音は心配で仕方ないだろうし」
そう言いながら、ルークはリエナに笑顔を向けてくる。
「おかげで、俺達もこうして二人きりで過ごせる。――今回ばかりは、アーサーに感謝しないといけないのかもな」
********
その頃、アーサーもサマルトリアで至福のひと時を過ごしていた。
部屋のバルコニーに降り立ったアーサーをコレットはいつも通りの笑顔で迎え、再会の熱いくちづけを交わす。室内に戻り、ゆったりと居間の長椅子に腰を下ろした。
「コレット、手を出してごらん」
アーサーはコレットの手に、ちいさな贈り物を置いた。コレットはリボンをほどき、包み紙を開ける。
「あら、可愛い」
中から出てきたのは、赤と緑のリボンをあしらった、ちいさな鈴である。
「前回ここに来た時に泊ってた街で、たまたま教会の聖誕祭に三人で行くことになってね……」
アーサーはいつもと同じように、旅の話をコレットに始めた。今夜の話題はもちろん、聖誕祭である。前回、その聖誕祭の夜にコレットのもとを訪れたのだが、いつもよりもずっと遅い時間だったから、そのことを話す間もなかったのだった。
コレットは眼を輝かせながら、アーサーの話に聞き入っている。もともとほとんどサマルトリアから出たこともなく、アーサーの旅立ち後は屋敷からすら外出することもないコレットにとって、アーサーがもたらす異国の話はどれもが興味深いものである。
「まあ、そんな素敵なお祭りがあるのですね」
「そのときに、街のあちこちにこんな飾りがたくさんあったんだ。どれも赤と緑のリボンが飾ってあってとても印象的だった。この鈴はその街のとは違うけど、今日偶然入った店で見つけた。――君にもそのときの雰囲気だけでも味わってほしくてね」
その後も、コレットに請われるままにアーサーは聖誕祭の話を続けた。一段落したところで、コレットがアーサーに問いかけてきた。
「アーサー様」
コレットの榛色の瞳には、いつもの理知的な光にほんのわずか、悪戯っぽさも含まれている。
「何か、いいことでもありましたの?」
「僕の顔に何かついてる?」
「どことなく、表情が明るいのですわ。――とても、うれしそうに見えますのよ」
「それは、君とこうして一緒の時を過ごせるから」
耳元でそう囁くと頬にくちづけ、それを何度も繰り返す。コレットもくすぐったそうにそれを受けながら、更に問い返した。
「あら、それだけではありませんでしょう?」
「君にだけは、隠し事はできないね」
アーサーも悪戯っぽく、両手を上げてみせた。
「やっぱり……。私にはお話しくださいますわね?」
笑顔で頷くと、アーサーがゆっくりと話し出した。
「例の、じれったい二人がどうやら進展したらしいんだ」
「……まあ」
コレットの顔に優しい笑みが浮かぶ。
「……よろしゅうございましたこと。私もずっと、気にかかっていたのですわ」
コレットも無論のこと、ルークとリエナが既に婚約を解消していることも、愛し合うことが許されない間柄であることも承知している。それでも、二人がともに旅を続けながら、互いの想いを打ち明けることすら許されないのは、あまりにも理不尽だと考えていたのである。
続けてアーサーは、ルークとリエナがパーティで楽しそうに踊っていたこと、その後二人きりで夜を過ごしたに違いないことを話して聞かせた。じっと話を聞いていたコレットが口を開いた。
「アーサー様、そのとき何か、悪いことをなさったのではありません?」
「どうして、そう思う?」
「だって、宿のお部屋は二つあるはずですもの――リエナ様用にと、もう一部屋、ルーク様とあなた用にですわ」
「やっぱり、君にだけは隠し事は無理だった」
アーサーは笑って、白状した。
「僕は、ルークとの二人部屋に鍵をかけておいただけだよ」
「アーサー様ったら……」
コレットが溜め息まじりにアーサーを見つめる。
「やっぱり、策士でいらっしゃるわ」
「そうかな? 僕が出かけていて部屋は無人なのに、開けたままでは不用心じゃないかな?」
如何にもアーサーらしい物言いである。
「仕方のない方ですこと」
コレットはそう言いながら、ちいさく息をはいた。
「――お二方には、このままお幸せになっていただきたいですわ」
「僕もそれは願っている。ただ、この先どうなるかは、誰にもわからない。でも、間違いなく二人には、特にリエナにとってはいいことだと思うよ」
「ええ。お二方は心から想い合っておいでですもの」
そう話しながら、コレットはふとあることに気づいた。
「あ、でもそうすると、私達のことも……」
「……まず間違いなく、知られてしまったね。ルークはこういったことにはどうしようもないほど疎いけど、流石に今回だけは気づいたようだ」
アーサーがすこしばかり苦笑を漏らした。
「でも、心配ないよ。僕からはっきり言ったわけじゃないし、ルークも自分から白状したわけでもない。言わば暗黙の了解だから、表面上はこのままの関係を続けていけばいい。だから……」
コレットはにっこり微笑んで、アーサーの言葉を引き取った。
「ええ、私も承知しておりますわ。ルーク様とリエナ様がサマルトリアにご帰国なさった時にも、何も気づかない振り……ですわね」
聡明な婚約者に、アーサーは頷いてみせた。
「でも、考えようによっては、ばれてよかったんじゃないかな。これで堂々と君に会いに帰ってこられる」
アーサーは真顔でそう言ったあと、心からの――コレットだけに見せる優しい笑みを浮かべて、しなやかな身体を抱きしめた。
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翌朝、ルークは自分の腕のなかで眼を覚ましたリエナにしみじみとつぶやいていた。
「お前とこうして朝を迎えるって、いいもんだな」
「ええ。……わたくしも」
そう言いつつも、まだ恥じらいをみせるリエナがルークには可愛くてたまらない。頬に手をかけてくちづけると、深い青の瞳を真っ直ぐに向ける。
「一日も早く目的を達成して、結婚しような」
ルークの口調も眼も本気だった。リエナは幸せを感じながらも、胸の内は複雑だった。いくらルークが真剣でも、恋人同士でいられるのは旅の間だけのはずだから。それでもいつの日か、本当に晴れてルークとともに歩む日が来たらどんなにかいいか――そう願わずにはいられない自分にも、気づいていた。
********
「やあ、おはよう」
宿の食堂で、アーサーがルークとリエナを出迎えた。清々しい表情をしているが、どことなく瞼が腫れぼったい。しばらく待っていたらしく、卓上には空の茶碗が置かれている。
「お前、眠そうだな」
ここぞとばかりに、ルークの言葉は容赦ない。
「そっちこそ、今何時だと思ってる?」
アーサーも何食わぬ顔で言い返す。ルークは咄嗟には何も言えなかった。やはりアーサーに舌戦では敵わない。
「鍵は返した?」
それ以上言い返してこないルークにアーサーが尋ねた。ルークとリエナは既に旅の荷物を持っている。
「ああ。朝飯も食ってきた。お前さえよければ、すぐに出発できるぜ」
「僕なら、とっくに準備は終わってるよ」
アーサーが席を立った。勘定を支払い、三人揃って宿を出る。
すっかり日が高くなっている。冬晴れの鮮烈な空気に刺す日差しが眩しい。
「じゃあ、行くぜ」
ルークが仲間二人を振り返る。その姿は既に、一人の戦士以外の何者でもない。
つかの間の休息を終え、三人は再び戦いの日々に戻る。
( 終 )
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