もうひとつのちいさな奇跡 −5−
翌朝、リエナは湯殿で身支度を整えながら、昨夜の記憶をたどっていた。
存在を確かめるように自分の肌の上をすべる大きな手、熱い吐息とともに囁かれる言葉、刻印するかのようにあらゆる場所に繰り返されるくちづけ、それらひとつひとつが、鮮明に思い出される。未だ身体の中心に残る、鈍い痛みすら愛おしい。
甘い夢の余韻にたゆたいながら二人で眠りにつくことが、そして愛する男の腕のなかで目覚めの時を迎えることが、こんなにもこころ安らぐことだったなんて……。
まさか旅の途中でルークと恋人になれるなんて思ってもみなかった。そればかりか、ルークに求婚され、自分もそれを受けた。けれど、実際には簡単なことではない。互いの立場と責任を考えればまず実現は不可能なこともわかっている。それでも、今だけは、ルークとともに戦い、ともに生きて行くことができる。
その事実だけで、リエナは幸せだった。今はまだ、旅が終わった後のことは考えたくない。
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リエナが湯殿から戻ると、ルークは既に身支度を終え、寝台の端に腰掛けていた。
「じゃあ、一旦俺は部屋に戻る。アーサーのやつがまだ寝てても、廊下で待ってるから気にするな」
「ええ。わかったわ」
ルークは立ち上がるとリエナを抱き寄せた。その仕草にもうためらいは感じられない。リエナも身体を預けると、ルークを見上げる。
「次はいつお前を……」
「……え?」
思わず口から出てしまった言葉らしい。ルークは最後まで言うことなく、照れ隠しのようにリエナにくちづけた。
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ルークが自室の扉に手をかけた。慎重に取っ手を回してみると、やはり鍵がかかっている。アーサーはまだ寝ているのかと手を離した瞬間、軽い音をたてて内側から扉が開かれた。
扉の向こうにはアーサーが立っていて、何事もなかったかのようにルークに声をかけてきた。
「ルークか。おはよう」
「おはよう、じゃねえぞ。お前、昨夜はどうしてたんだ? 第一、そのなりは何なんだ?」
アーサーはしっかりと外套を着込んでいた。おまけに、たった今まで外出していたように鼻の頭を赤くしている。室内には火の気がなく冷え切っているし、見ればこの寒さのなか部屋の窓が開け放たれ、厚手のカーテンが寒風に吹かれて揺れている。
「ルーク、お前はずいぶんとあたたかそうだね」
アーサーはルークの疑問には答えず、淡々と話している。その言葉といつもと同じ口調に、ルークは自分がリエナの部屋で一晩過ごしたことをアーサーに気づかれたらしいと覚っていた。
ルークはこれ以上追及するのをあきらめた。アーサーが昨夜どこで何をしていたのか、こういったことには疎いルークも、流石に今日ばかりは見当がつく。第一、尋常ならざる観察眼と洞察力を持つアーサーに対して下手に問い詰めれば、逆に自分がすべてを白状させられる破目に陥ることが目に見えている。
ルークは無言のまま窓を閉め、暖炉に向かうと火を熾し始めた。
アーサーもルークの行動に、お互いこれ以上追及しないと暗黙の了解が成立したと解釈していた。
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