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俺の女   −2−
 その後すぐに、ルークとリエナは宿の部屋に戻り、ようやく一息つくことができた。けれど、リエナの華奢な身体はまだ細かく震えている。

「悪かったな。やっぱり、行くのをやめておけばよかった。一食くらいめし抜いたって、どうってことなかったんだ」

「でも、ルークが助けてくれたから……」

 そうは言っても、リエナの瞳にはわずかに涙が浮かんでいる。

「どうもこの町の連中は気が荒そうだ。外を歩く時には、絶対に俺から離れるな。――わかったな」

 リエナはちいさく頷いた。そして、うつむいたまま指先で滲んだ涙をそっとぬぐうと、まだ震えが止まらないのか、両腕で自分をかき抱いている。

「リエナ」

 リエナははっとして顔を上げた。涙に濡れた菫色の瞳が、何かを訴えるようにルークに向けられる。たまらず、ルークはリエナを抱き寄せたくて手を伸ばそうとしたが、かろうじて思いとどまった。代わりに、優しく声をかけた。

「怖かったんだな」

 何も言わず、リエナは再び頷いた。と同時に、菫色の瞳から、こらえ切れない大粒の涙が零れ落ちる。ルークはリエナが怖がるのも無理はない、そう思っていた。今は身分を隠して旅を続けているとはいえ、本来は王女である彼女が、あんな不躾で欲望剥き出しの男の視線に晒された経験などあるはずがないのだから。

 それでもリエナは、気丈にもルークに笑顔を向けてきた。

「でも、もう大丈夫よ。――たぶん、これからも、今夜みたいなことはあると思うの。すこしは慣れておかないといけないわね」

「そんなの、慣れる必要ない……! 俺が、リエナを……」

 リエナのけなげな様子に、ルークは今度ばかりはどうしても自制できず、ほとんど無意識のうちに腕を伸ばしていた。

 ――その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。その音で我に返ったルークは、慌てて手を引っ込める。

 扉を開けて、アーサーが部屋に入って来た。ルークはほっとした反面、残念でもあり、少々複雑な気分である。

「遅かったじゃねえか」

「悪い、ちょっと手間取ってね」

「こっちは大変だったんだぜ」

「食堂の女将さんに聞いたよ。なんでも、リエナに絡んできた酔っ払いを追い払ったんだって?」

「まあな」

 ルークは一旦この話を打ち切り、アーサーの持って来た情報を聞くために向き直った。

「で、どうだった? 何かわかったか?」

「ああ、一通りはわかった。でも、今夜はもう遅い。詳しい話は明日の朝にするよ。リエナも疲れただろうしね」

 そう言って、まだ涙を浮かべているリエナに申し訳なさそうな顔を向けた。

「ごめんね、怖い思いをさせて。これからは、もっと僕達で気をつけるから」

「そんな……、わたくしこそ、迷惑をかけてしまってごめんなさい」

「迷惑なんかじゃないよ。性質の悪い酔っ払いはどこにでもいる。リエナのせいじゃないから、いいね?」

「そうだ。お前は何も悪くない」

「ルークの言う通りだよ。――もうそろそろ休んだ方がいい。ゆっくり眠って。この部屋なら安全だから」

「ありがとう……」

********

「リエナは寝た?」

 アーサーがルークに尋ねた。ルークはリエナの眠る寝台のすぐ横の床に座り込んでいる。

「ああ、やっとな。何度も寝返り打ってた。やっぱり、さっきのが相当こたえてたみたいだ」

「ルーク、話がある。こっちへ来てくれ」

 どうやらリエナには聞かせたくない話らしい。いくら眠っていても、枕元で男二人が話をすれば、気配に敏感なリエナは眼を覚ましてしまう。ルークは立ち上がると、アーサーの座る椅子の前まで移動し、直接床に腰を下ろした。

「話って何だよ」

「で、結局どうしたわけ?」

「どうしたって、酔っ払いのことか?」

「そう」

「食堂の女将に聞いたんじゃないのか?」

 ルークはアーサーをちらりと見上げた。

「お前達が店を出たって聞いて、僕もすぐこっちに戻ってきたから」

「大人しく店を出れば何もしないって言ったのに、性懲りもなくリエナに腕を伸ばしてきたから、手首を折って、そのまんま引き摺って、店の外に放り出した。リエナと店を出た時にはもういなかったから、どっか逃げたんだろ? 生命にかかわるような怪我じゃないしな」

 ルークはあっさりと言ってのけたけれど、いくら自業自得とはいえ、酔っ払いにとってはとんだ災難である。アーサーは苦笑していた。

「そりゃまた、気の毒に」

「リエナにちょっかいを出そうとして、その程度で済んだんだ。運のいいやつだぜ」

「その酔っ払いが、例え指一本でもリエナに触れていたら、今頃どうなってるかわからない、ってわけか」

「……酔っ払いの汚い手が、リエナに触れる、だと? そんなこと、俺がさせるとでも思ってるのか?」

 ルークの深い青の瞳が剣呑に光る。

「確かに、ね。――謝るよ。僕の失言だったようだ」

 アーサーは薄く笑って、ルークに謝罪すると、話題を変えた。

「ところで」

「今度は何だ?」

「こらからも、また同じようなことが起きる可能性は高いと思う」

「確かにな。いくらやつした姿でも、リエナを見たら眼の色を変える男は大勢いるだろうし」

「だから、ルーク。今度から、リエナは自分の女だってはっきり言った方がいい」

「は?」

 いきなりこんなことを言われて、ルークは思わず聞き返していた。

「やっぱり、言ってなかったんだ。もしかしたら、お前がそう言って酔っ払いを追い返したのかと、すこしは期待してたんだけどね」

 アーサーはすこしばかり呆れてはいたが、彼はルークのこういった反応の鈍さには慣れている。気にしたふうもなく、淡々と説明した。

「『俺の女に手を出すな』って、お前がはっきり言って、リエナの肩でもしっかり抱いて、睨みを利かせれば、彼女もそうそうは絡まれない、そういうことだ」

 これでルークにもようやくアーサーの言わんとすることが理解できたらしい。

「それって、要するにリエナにちょっかいを出しそうになったやつには、もれなく俺が制裁を加える、って意思表示ってことか」

「ご名答。お前にしては、冴えてる。そうすれば、いちいち酔っ払いの手首を折る手間もはぶけると思うよ」

 アーサーはあっさりと頷いたが、ルークの方は微妙である。

「お前の言いたいことはわかったけど……、そんなこと俺が言って、おまけに肩を抱くって、リエナが嫌がらないか?」

「酔っ払いに絡まれるのと、お前の女だと言われて肩を抱かれるのと、どっちが嫌だと思う?」

 この二つであれば、ルークにも考えるまでもなく回答は出せる。

「俺の女、の方がまだまし……か」

「そういうこと。ただし」

「ただし?」

「事前にリエナにはちゃんと言っておくんだ。でないと、驚かせてしまうからね」

 ルークは大声を出しそうになったが、かろうじてそれを抑え、小声でアーサーに確認した。

「俺が言うのか!?」

「僕から言うわけ? 勘弁してよ。――それとも、僕の女ってことにしようか?」

 そう言うアーサーの若草色の瞳には、どことなく悪戯っぽい光がある。

「お前、婚約者がいるじゃねえか!」

 この不謹慎とも取れる発言に、ルークは思わずアーサーににじり寄っていた。

「別に、彼女と別れて本当にリエナとつきあうわけじゃないんだから、関係ないと思うけど?」

 対するアーサーの方は、あくまで冷静なままである。

「そりゃ、そうだけど……」

「要は、リエナに男がいるってわからせればいいんだから。それには、僕よりもお前の方が向いてると思うしね」

 確かに、長身ではあるが細身で物腰の柔らかなアーサーよりも、群衆の中でも目立つほど背も高く、がっちりとした体格のルークの方が、睨みは利くはずだった。

「わかったよ……。自分で言やあ、いいんだろ?」

 ルークは渋々頷くしかなかった。

********

 翌日の朝、ルークはリエナに声をかけた。アーサーは朝食後すぐにまた出かけている。

「おい、リエナ」

「なあに?」

「もし……、店で……な」

 アーサーに言われて思い切って声をかけたものの、なかなか次の言葉が出てこない。

「え?」

「もし、昨夜みたいに、お前が絡まれたら……」

 一瞬、逡巡したルークは、ようやく続きの言葉を口にした。

「……俺の女、ってことにするけど、構わねえか?」

 リエナは一瞬何を言われたのかわからなかったのか、じっと菫色の瞳でルークを見つめていた。ルークはリエナと眼を合わせられず、わざと違う方を向いている。

「……ルーク? あなた、今、何て……?」

「何度も言わせるなよ。もし、お前が酔っ払いに絡まれたら、その、俺の……女ってことにして、あと、もしかしたら、ちょっとだけお前の肩に触れるかもしれないけど、そうすれば、簡単にはちょっかい出されないんじゃないかって……」

 この言葉に、リエナも一気に真っ赤になってしまった。そのまま恥ずかしそうにうつむいて黙り込んでしまったリエナをちらりと見遣ると、ルークは彼には珍しくおずおずと謝った。

「……ごめん、やっぱり、嫌だよな」

「あ、ううん、……そうじゃ、ないの」

 ようやく答えを返したリエナの声には、どこかうれしげな響きが混じっている。しかし、ルークはそれに気づいてはいない。

「……じゃあ、そうするけど。――しっかし、アーサーのやつ……」

「アーサーがどうかしたの?」

 何故ここで急にアーサーの名前が出てくるのか、リエナにはわからない。

「うん? いや、今の話、アーサーが言い出したんだ」

「そう……だったの……」

 リエナの声が寂しさの影を帯びる。けれど、やっぱりルークは気づいていない。

「ああ、あいつも妙なところに気がまわるよな。確かに俺なら、お前に何かしようとした男に怪我させない程度に痛い目みせるくらい、どってことないけど」

 ルークは照れを隠すためか、無駄に饒舌になっている。けれどリエナは逆に、これ以上口を開くことはなかった。

 しばらくして、アーサーが用事を終えて戻ってきた時、部屋の中にはどことなく気まずい雰囲気が漂っていた。リエナはすこしばかり落ち込んでいるふうだし、ルークはルークで、そんなリエナが心配だけれど、どうしていいかわからず、手に負いかねている、といった感じである。

 アーサーは最初、リエナがまだ昨夜の事件を引き摺っていたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。ルークが自分の助言を受け入れて、リエナにあのことを言ったかどうかはまだわからないが、それが原因の可能性もなくはない。リエナが拒否するとは思えないけれど、一度機会をみはからって、ルークにきちんと確認しておいた方がいいだろうと考えた。

********

 数日後、アーサーはリエナがいない隙に、ルークに尋ねた。

「ルーク、リエナにはこの間の食堂でのこと、ちゃんと話をした?」

「例の『俺の女』のことか? ああ、きっちり話しておいたぜ」

「リエナの返事は?」

「一応、嫌じゃないとは言ってもらえた」

 このリエナの返事は、アーサーにとっては予想通りのことである。というよりも、むしろリエナにとっては喜ばしいとまで言えるかもしれないとも思っている。ルークの言い分が正しければ、リエナがあんなに寂しげな顔をしたはずがないのに、彼女の様子ではとてもそうは見えなかったのは不可解だった。アーサーはしばらく考えみて、あることに思い当り、ルークに確認してみた。

「もしかして、僕がお前に助言したからそうするって、リエナに言ったのか?」

「ああ。ちゃんと言っておいた。それなら、あいつにも余分な誤解させずに済むし」

 ルークはあっさり肯定した。自分の不用意な発言のせいで、リエナが寂しい想いをしたことなど、夢にも思ってもみず、それどころか逆に、この発言があった方がリエナに精神的な負担をかけないと考えているらしい。

 まるっきりリエナの気持ちも知らないこの台詞を聞いて、アーサーはルークにあらかじめ余計なことを言わないよう、釘を刺しておかなかったことを後悔していた。そして、あまりと言えばあまりの鈍さに、アーサーが秘かに頭を抱えていたことなど、ルーク本人は到底知る由もない。

                                             ( 終 )


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