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旅の終わり
第3章  持つべきものは 2


 夜会の三日後の昼下がり、ルークは中庭でリエナを待っていた。初秋の日差しが穏やかに降り注ぎ、しっとりとした秋の花々の香りを含んだ風が心地よい。ルークはようやくリエナと二人きりで会える、この機会を逃さず告白しようと逸る心を抑えながら、リエナの到着を今か今かと待ち焦がれていた。

 約束の時刻ちょうどに、リエナが中庭に姿を現した。散歩用のドレスに身を包み、お揃いの大きな日除けのついた帽子をかぶっている。リエナもルークの誘いを楽しみにしていたと見え、今日はいつもより顔色もよく、花がほころぶような笑みを見せている。周りに咲き乱れる花々すらかすんでしまうほどのその美しさに、ルークは思わず見惚れていた。

 ただし、リエナ一人で来たわけではない。彼女の後ろには、お付きの侍女が三人、更には護衛の騎士が二人もついてきている。このことに少々ルークは驚いていた。たとえ中庭を散歩するだけであろうと、貴婦人の外出にお付きがいるのは当然だが、普通は乳母や侍女が一人か二人である。リエナは他国の次期女王であるから、護衛の騎士がいるのも頷けなくはないが、それでも数が多過ぎる。ルークは内心で特大の溜め息をついたが、どうせ最初から邪魔者は追い返すと決めていた。その人数が増えただけのことである。

「ルーク殿下。お待たせいたしました」

 リエナに付き添ってきた、女官長の腹心である古参の侍女が跪いた。他の侍女と騎士達もそれにならう。

「リエナ姫。今日はお加減もよさそうでなによりです。では、参りましょうか。――付き添い、ご苦労だった。下がっていい」

 ルークがそう言ってリエナの手を取ろうとした時、古参の侍女が伏せていた顔を上げた。

「お言葉ですがルーク殿下、私どももお供させていただきます」

 侍女の言葉に、ルークは訝しげな視線を向けた。

「供? 不要だ。姫の護衛ならば、私が務める。第一、サマルトリア城の中庭ならば安全なはずだ。――下がれ」

 ルークはわざと強めの口調で言ったが、侍女も負けてはいない。

「リエナ姫様は今日はお顔の色もよろしゅうございますが、まだ本調子ではいらっしゃいません。いくら中庭でのお散歩とはいえ、側仕えの者なしでのお出かけなど……」

「私だけでは不足、だというのか?」

 ルークは故意に侍女の言葉を遮った。

「畏れながら、ルーク殿下。まさか殿下のような高貴な殿方に、ご気分のすぐれなくなられた姫様のお世話をお任せするわけには参りませんゆえ」

「私達は旅の間、すべて自分のことは自分でやってきた。心配には及ばん」

 明らかにルークが不快感を露わにしているにもかかわらず、侍女は跪いたまま、淡々と自分の意見を述べていった。

「それは私どももよく存じております。ですが、それは一介の旅人を装う必要があってのこと。今は、お二方とも本来のご身分にお戻り遊ばされております。私は陛下より直々にリエナ姫様のお世話をいいつかっておりますゆえ、片時もおそばを離れるわけには参りません」

 こうまで言われてしまうば、いくらルークでもこれ以上強くは言えない。それでもリエナの顔を見られただけでもいいのだと無理やりに思い直した。

「致し方ない。――伴を許す」

 渋々ながら許可を出したルークに、古参の侍女は感謝の意を籠めて、深々と頭を垂れた。

 リエナもこの展開が残念で仕方なかった。やっと想いを告げることができると思ったのに、またそれがかなわなかったから。ルークは明らかに自分と二人きりで散歩を楽しみたくて誘ってくれたのがわかるだけに、よけいその思いが強かった。けれど、ルークもリエナも、客分の立場でそうそう我が儘を通すわけにはいかない。ずっとリエナの体調が思わしくないのは確かで、古参の侍女の言い分ももっともだから尚更である。

「では、リエナ姫。参りましょう」

「お誘い、感謝しておりますわ」

 リエナがルークを見上げて答えたその時、ほんの一瞬だけれど、二人の視線が絡み合った。けれどお付きの集団が控えている目の前では、二人ともそれ以上何も言えず、離れて並んだまま、ゆっくりと歩きだした。

 ルークはリエナとしばらく中庭を散策した。お付きの集団は数歩遅れて二人の後をついてきている。中庭を一周した後、ルークはリエナの体調を気遣って、一際美しく手入れされた花壇の前にしつらえられた長椅子に(いざな)った。リエナが腰を下ろした隣の椅子にルークも腰かける。お付きの集団は、またもや少し離れたところで、まるで二人を監視するかのように控えている。仕方なく、二人とも他人行儀な口調のまま、当たり障りのない会話を交わすしかなかった。おまけに久し振りの外出でリエナが疲れるといけないからという理由で、早々に帰ってしまったのである。

********

 その日の夜更け、アーサーの自室で、ルークとアーサーが酒杯を傾けていた。

「今日の午後、リエナと散歩に行ったんだって?」

「ああ、行ったぜ」

 ルークの返事はどことなく投げやりである。

「久し振りに二人きりでゆっくり過ごせたのに、えらく浮かない顔をしてるってことは、また告白しそびれたとか?」

「二人きり……? 冗談じゃないぜ」

「え? お前のことだから、お付きの侍女は当然追い返したんだろう? ……まさか」

 ルークは大きく頷いた。

「そう、そのまさか、だ。あの女官長の腹心の侍女と、他にも侍女が二人。おまけに護衛の騎士まで二人。これだけ邪魔者がぞろぞろとついてきたってわけだ」

「それは多いね。で、追い返せなかった」

「俺は下がれって言ったぜ。それも二回。でも、あの古参の侍女が最後まで踏ん張ったんだ。リエナの気分が悪くなった時、俺に世話させるわけにはいかないってよ。他国の次期女王陛下にわずかでも失礼があっちゃならんってのは俺にもわかる。おまけに、ランバート9世陛下の御名まで出されたら、もうお手上げだ」

 ルークは半ばやけになって、酒杯を持ったまま軽く両腕を上げてみせた。

「父上の御名まで出したって?」

「ああ。陛下から直々にリエナ姫様のお世話をいいつかっております、片時たりともおそばを離れるわけには参りません、だとよ」

 これには、アーサーも驚いていた。

「お前に抵抗できるとは……。すごいね」

「感心してる場合かよ。とにかく何かいい方法を早く見つけないと。こんなことなら、遠乗りにしておけばよかった。リエナが疲れない方がいいと思って散歩にしたのが裏目に出たぜ。あいつは乗馬が得意じゃないから俺と相乗りして、邪魔なお付きのやつらは振り切ればいい」

 ルークは馬術の名手でもある。リエナを自分の前に乗せても、思い切り飛ばせばついてこられる乗り手はまずいない。

 ルークはここまで一気に言ったが、頭を掻いてうなだれた。

「……って、これはどう考えても無理か。最初から、リエナが疲れるってことと、乗馬が苦手ってことで却下、だもんな」

「僕もその通りだと思うよ。それに無理やりお前が振り切ったとしても、間違いなくその直後に騎士団の大隊が捜索に当たる。この辺りの地形を熟知した移動の呪文の遣い手もいるから、あっという間に見つかるだろうね」

「そりゃ、ぞっとしねえな。だが、いくら二人きりになれないからといって、まさか夜中にリエナの寝室に忍び込むわけにはいかないしな。……いや、いざとなったら、それもありか……」

 アーサーはルークのこの言葉を聞いて一瞬耳を疑った。もちろんルークは冗談で言っているに違いないのだけれど、今の切羽詰まった状況を考えると、とてもそうは聞こえないのである。ルークの方は、アーサーの心配をよそにまだ話し続けている。

「……って、んな馬鹿なこと、できるわけないか。傍から見れば、俺があいつに一方的に恋焦がれて、思いあまって夜這いかけてるようなもんだ。第一、見つかったら俺の名誉が地に落ちるだけじゃ済まない。父上の御名に泥を塗って、リエナにも取り返しのつかない傷をつけることになる。それどころか、ムーンブルクの次期女王陛下の生命を狙った暗殺者としてそのまま斬り捨てられても、文句は言えない」

「……よかった」

「は?」

「一応、夜這いを実行に移さないだけの分別はあったんだ」

 明らかにほっとした表情を見せているアーサーとは反対に、ルークはますます仏頂面になっている。

「当たり前だろうが。俺の馬鹿な行動のせいで、ローレシアはムーンブルクだけじゃなく、サマルトリアまで敵にまわすことになるんだから」

「今のお前だと、冗談に聞こえないんだよ」

 ルークはそれには答えず、手にした酒杯を一気に呷った。しばらく沈黙が続いていたが、ルークはふっと息をはくと、天井を見上げてつぶやいた。

「ほんのわずかな時間でいいのにな。俺がリエナに気持ちを伝えて、あいつが俺のことをどう思ってくれてるのか、それを確かめたいだけなのに。――正直、ここまで邪魔され続けるとは思ってもみなかったぜ」

 自嘲気味の笑みをわずかに浮かべると、葡萄酒の瓶を取り、アーサーと自分の酒杯に注ぐと言葉を継いだ。

「本当はロンダルキアの祠で告白すると決めてたんだ。実際、もうちょっとで言えそうだったんだがな。――それが、あの献身的な修道女殿のおかげで、絶好の機会を逃しちまった」

 ルークは苦笑した。

「なるほどね。事情はわかる気がするよ」

 アーサーも、あの親切な祠の修道女――気はいいのであるが少々おせっかい気味でもあった――を思い出していた。

「だから俺は、ムーンペタの宿屋で言うつもりだったんだ。ロンダルキアから戻ったら、リエナも真っ先にムーンブルク城で亡き陛下に報告したいだろうし。当然あいつも疲れるだろうから、それが済んだら宿屋で休ませてやればいいって思ってた……」

 ルークもその時の情景がよみがえったのか、何ともいえない表情になっている。

「……なのに今度は、ルーセント公爵自ら、町の入り口で仰々しくお出迎えときたわけだ。その後は公爵邸で、公爵夫人自ら、リエナの世話と看病の指揮を執ってくれたから、ほとんど近づくことすらできなかった」

「ルーセント公爵の側からすれば、当然だろうけどね。――でも、僕にも誤算だったよ。まさかあそこまで早く行動されるとは思ってなかった」

「だがまだ少しは時間がある。ローレシアに帰国すれば、難しいのは変わらなくても、自分の国だからもっと強い態度に出ることもできなくはないしな。――父上は怒り狂うだろうけど」

 こう言ってはみたが、実際にはサマルトリア以上に困難なことは、ルークもアーサーも承知していた。

 ルークとリエナは旅立つ前に婚約を解消している。ルークの父であるアレフ11世が、わざわざルークとリエナそれぞれ別々に念押ししたことを、アーサーもルークから聞いて知っていた。そういった経緯があるから、サマルトリアにいるとき以上に、周囲は二人きりで会わせないようにするはずだからだ。

「ローレシアに戻って、もうどうがんばっても駄目だったら、人前だろうがなんだろうが遠慮しない。堂々とリエナに告白してやる」

 ルークは本気らしい。ルーク本人はもちろん、リエナの立場を考えるまでもなく、決して褒められたやり方ではないのだけれど、今の彼ならやりかねない。これまで抑えに抑えてきた想いが、ルークをそこまで駆り立てているのが、アーサーにはよくわかっていた。

********

 アーサーはルークを送りだし、湯浴みと寝支度を済ませた後も、ずっと考え続けていた。

 いくら状況が厳しいからとはいえ、ルークがリエナに想いを伝えることすらせず、このまま別れ別れになるのは、あまりにも酷である。せめて最後くらい、誰にも邪魔されずにゆっくりと二人きりの時間を過ごしても許されるはずだ、アーサーはそう考えていた。

(仕方がない。親友二人のためだ。僕が一肌脱ぐしかないか……)

 大きな溜め息を一つつくと、寝室の椅子に腰かける。

 アーサーはロンダルキアの祠でも、ルーセント公爵邸でも、敢えてルークとリエナが二人きりになるための協力をしようとしなかった。これはあくまで当事者同士で何とかするべきであるし、ルーク自身も、安易に他者に頼ることを潔しとしないのをよく知っていたからである。事実、ルークは最終決戦が終わってからずっと、自分から積極的に機会を作ろうと努力し続けている。けれど、巡り合わせが悪く、ことごとく邪魔が入って失敗に終わっている。

 しかし、このままでは一向に埒が明かないのは、眼に見えていた。サマルトリアはアーサーにとって自国であるから、ある程度の融通は利くが、ルークは客分の立場だから、そうそう無理を通すわけにはいかない。ローレシアでは更に難しくなるのはわかりきっている。アーサーは思案を巡らせた。
 
(どこかいい場所はないか? サマルトリア王家の離宮では、ここと同じだろうし、かといってどこででも、というわけにもいかないし……)

 しばらく眼を閉じて考え込んでいた。

(いっそのこと、リリザに行くか。今までと同じ旅装束で、旅人を装っていれば邪魔も入らない。ルークとリエナを二人だけで行かせるのはどう考えても無理だけど、僕が一緒なら、それも最後に三人だけで積もる話がしたいと言えば、交渉次第では最後の我が儘として聞いてもらえるかもしれない)

 そうはいっても、いろいろと理由をつけて反対されるのは間違いない。どう交渉するか、事前に作戦を練っておく必要がある。アーサーは再び眼を閉じて、沈思しはじめた。

 やがてアーサーの口元に不敵な笑みが浮かぶ。椅子から立ち上がって部屋の灯りを落とすと、寝台へ向かった。

********

 翌朝、アーサーは早速リリザで一泊する話を持ち出した。しかし、単に三人で話がしたいのであれば、ここでも離宮でも、いくらでもできる、身のまわりの世話をする者や護衛なしでの行動などもってのほかと反対された。けれどこの反応は、当然アーサーも予想済みである。言葉巧みに説き伏せ、帰国前日に三人でリリザの宿に普通の旅人と同じように泊ることを了承させた。

 アーサーはその足で、ルークの滞在している客室を訪ね、人払いをした。ルークは堅苦しい行事続きと、リエナへ告白したくても一向にその機会が得られないことで、すこぶる不機嫌である。

「いいか、ルーク」

「何だよ」

 まだ仏頂面をしている親友に、アーサーは真剣な表情で宣言した。

「ローレシアに帰国する前日は、リリザで一泊する」

「は? リリザに泊る? どういう意味だ」

 アーサーは呆れ果てたように溜め息をついた。

「本当にお前はどうしようもないやつだな。親友の心遣いに感謝してもらおうか」

 ここまで言われて、ルークはようやくアーサーの意図を察したらしい。

「……もしかして」

「そうだ。僕が無理やり一晩時間を作った。いいね、繰り返すけど、一晩しかない。ローレシアからも一日も早い帰国をと使者も来ている。リリザからはここへ戻らず、直接僕の移動の呪文でローレシアに帰国することにしておいたから」

 アーサーはここで一つ息をつくと、言葉を継いだ。

「僕も本当なら、こんなおせっかいはしたくなかった。でも、今のままじゃどうやっても埒が明きそうにないからね」

「アーサー」

「何?」

「恩に切るぜ」

「当たり前だ。これでお前がリエナに何も言えなかったら、今後一切、お前とのつきあいは遠慮する」

「わかった。一生分の借りができたな」

「そう思うんなら、さっさと決着をつけるんだね」

 それだけ言い放つと、踵を返し、ルークの部屋を後にした。




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