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旅の終わり
第4章  約束 1


 ルーク、アーサー、リエナは、並んでリリザの町を歩いていた。

 リリザの町も、ロトの血を引く若者三人が大神官ハーゴンと破壊神シドーを倒して凱旋したという報に、町中が湧いている。

 そんな喧騒をよそに、旅装束の三人はほとんど無言である宿に向かっていた。

 到着したのは、旅が始まったときにルークとアーサーが合流した宿である。帳場で客の応対に追われている主人に、アーサーが話しかけた。

「一人部屋を三室取りたいんですが」

「お客さん、申し訳ない。今夜はほとんど一杯なんだ。そっちのお嬢さんだけ一人部屋で、兄さん達は一緒でいいなら、二人部屋が一つ空いてるよ」

「ルーク、どうする?」

 そう言ってルークをちらりと見遣ったアーサーに、宿の主人が声をかけてきた。

「他を当たってもらっても構わないけど、多分どこも一杯だと思うよ」

 大神官ハーゴン討伐後、以前はあれだけ街道に出没していた魔物の姿がまったく見られなくなったせいか、急に旅人が増えているらしい。見たところ、この宿もずいぶんと繁盛しているようだ。

「確かに今からじゃ、空いてるとは限らないしな」

 ルークは一瞬考え込み、後ろで待っているリエナを振り返った。

「リエナ、構わないか?」

 突然声をかけられて、リエナははっと顔を上げると、ちいさく頷いた。けれど、いつもに比べてどことなく仕草がぎこちない。

 ルークも今夜だけは、それぞれに部屋を取りたかったが、自分に残された時間は今夜一晩だけしかない。空いていないものは仕方がないし、既に日が暮れかかっている時刻でもある。これから他を当たって、どこも満室となれば、アーサーが強引に自分の希望を押し通してまでリリザに来た意味がなくなる。それに、どのみち自分がリエナの部屋を訪ねるのだから、これで妥協するしかないと考えた。

「――仕方ねえな。じゃあ、それで頼む」

 嘆息しつつルークが答え、二部屋分の鍵を受け取った。

********

 ルークとアーサーが部屋に入ってからずっと、彼らは無言だった。アーサーは荷物から書物を取り出すと、椅子にゆったりとかけて読み始める。ルークは落ち着かないらしく、そわそわと狭い部屋の中を歩き回っていたが、やがて大きく息をはいた。

「……行ってくる」

 言葉少なに告げて、部屋を後にした。

********

 一方、リエナも部屋に入ると寝台の端に腰かけ、決意を新たにしていた。

(ルークのそばにいられるのも、今夜が最後だわ。わたくしは……)

 ぎゅっと眼を閉じ、深呼吸をする。

 少し気分が落ち着いてきたのを確認すると、荷物から着替えを出し、部屋についている湯殿に行った。丁寧に湯を使い、真新しい肌着を身に着ける。その上からいつもの白いローブを着ると、窓から月を見遣り、もう一度深呼吸をした。

 リエナが意を決して、ルークの部屋を訪ねようとしたちょうどその時、扉をノックする音が聞こえた。どきりとしたリエナが慎重に扉を開けると、緊張した面持ちのルークが現れた。

「リエナ、……入ってもいいか?」

 ほんのわずか、驚きの色を見せたあと、リエナは消え入りそうな声で答えた。

「……ええ、どうぞ」

 ルークが部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。リエナはルークに何か言わなければと思っても、どうしても次の言葉が出てこない。ルークも扉の前で立ったまま、一言も言葉を発しない。

 二人は向かい合ったまま、その場で立ち尽くしていた。

 長い沈黙を先に破ったのはリエナである。

「ルーク……、わたくし……」

 リエナがルークを見上げ、続きの言葉を言おうとした時、ルークの声がそれを遮った。

「リエナ、愛している」

「え……」

「初めて……お前と会った時からだ」

 リエナの美しい菫色の瞳が見開かれ、涙が浮かぶ。

「ルーク……、わたくしも、初めて会った時から、あなたを……愛しているわ」

 次の瞬間、リエナはルークの腕のなかにいた。

「ずっと……こうしたかった」

 抱きしめるルークの腕に力が籠る。リエナの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

 ルークの、あふれんばかりの想いが、リエナの心になだれ込んでくる。リエナはもう何も言葉にならず、ただ涙を零しながら、ルークの胸にすがっていた。

 長く苦しい旅の間ずっと、心に秘めてきた想い。それを今、ようやく伝え合うことができた歓びに、二人は震えていた。

 ふっとリエナを抱きしめる腕が緩んだ。ルークはリエナの頬を伝う涙を指で拭うと、そのまま大きな手を頬にかけた。二人の視線が絡みあう。

 ルークは眼を閉じると、そっとリエナの唇に自分のそれを重ねた。

********

 ――夢のような時が過ぎた。

 二人の唇が離れると、ルークは再びしっかりとリエナの華奢な身体を抱きしめる。そして腕を離し、ゆっくりとリエナの前に跪いた。白いちいさな両手を取り、深い青の瞳を真っ直ぐに、涙に潤む菫色の瞳に向けた。

「リエナ、結婚しよう」

「……え?」

「何度でも言う。俺と結婚して欲しいんだ。俺はお前とともに、これからの人生を歩んでいきたい」

 ようやくリエナにも、ルークの言いたいことが理解できていた。しかし、彼女の心に最初に浮かんだのは、歓びの感情ではない。

「無理……よ……」

 本当であればうれしいはずの気持ちとは裏腹に、口から出た言葉は拒絶である。

「わたくしはもう、ローレシアに嫁ぐわけにいかないのよ。そのことはあなただってわかっているはずだわ……!」

「確かに、お前が俺の妃になるのは無理だ」

 ルークもそれをあっさりと肯定した。

「それなら、どうやって……!」

 泣きながらそう訴えるリエナに、ルークは再び深い青の瞳を真っ直ぐに向けた。

「俺がムーンブルクへ行く」

 驚きのあまり、リエナは一瞬言葉を失った。きっぱりと言い切ったルークの言葉は、リエナには予想すらできなかったものであったから。

「ルーク、冗談はやめてちょうだい。あなたはローレシアの王太子なのよ!」

「わかってる。でも、お前と違って俺には弟が二人いる。ローレシアの後継ぎは俺じゃなくてもいいんだ」

「本気で言っているの!? そんなこと、アレフ11世陛下がお許しになるとでも思って!?」

「もちろん本気だ。お前と二人で、ムーンブルク復興をやり遂げる、それが俺の望みだ。そのためには、俺がお前の、ムーンブルク女王の夫となるのが一番いい。必ず父上を説得して、ムーンブルクへ正式に結婚を申し込みに行く」

 そう言い切る深い青の瞳には、一片の迷いも浮かんでいない。

 リエナは何とか説得しようと言葉を尽くしたが、ルークにとってはもうずっと以前から考えて抜いて出した結論である。リエナにもルークの決心が固いことはよくわかった。そして、彼が決して諦めることなく、父王を説得し続けるであろうことも。

「お願い、そんなことはやめて! わたくしはそこまでして……」

 ルークがリエナをもう一度抱きすくめる。リエナは抵抗しようとするが、力で敵うわけもない。

「いいか、リエナ。俺は何の努力もせずに諦めることだけはしたくないんだ」

 リエナは再び言葉を失った。涙がまたあふれてくる。ルークはほんのわずか腕の力を緩めると、もう一度リエナの瞳をを真っ直ぐに見据えた。

「だからお前も、簡単に他の男と結婚するのだけはやめてくれ。……せめて1年、待って欲しい。それだけ約束してくれ」

「無理……よ。できるわけ、ないわ……」

「リエナ、1年だけでいいんだ! 頼む!」

「1年……」

「約束したぞ。いいな」

 リエナには答えるべき言葉が見つからなかった。しかし、その沈黙を肯定ととったのか、ルークはそれ以上何も言わなかった。




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