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旅の終わり
第4章  約束 2


 部屋の扉が開き、ルークが入ってきた。

 アーサーは手にしていた書物から眼を上げた。

「何だ、もう帰って来たの?」

「ああ」

「その様子だと、無事目的は達成できたみたいだね」

「ああ。アーサー、感謝してるぜ」

「それなら、よかった」

 長年の想いをようやく伝えられた、ルークの安堵の気持ちはアーサーにもよく理解できた。

「これでやっと、リエナに結婚を申し込めた。ローレシアに戻ったら、父上に話す」

「結婚?」

 アーサーがルークに問い返した。

「ああ。あいつが俺と同じ気持ちでいてくれたら、その場で結婚を申し込むって決めてたんだ」

「そう簡単にはいかないと思うけどね」

 アーサーはいつもと同じく冷静なままだが、ルークも迷いのない声で淡々と返した。

「方法なら、一つだけあるからな」

 それを聞いて、いつもは柔らかな表情を崩さない、若草色の瞳が鋭く光った。

「本気で言ってる?」

「当然だろうが。こんなこと、冗談で言えるか」

 真剣そのものの表情で、ルークの深い青の瞳も斬りつけるような光を放った。アーサーの唇の端がふっと上がる。

「やっぱりね。――お前らしいよ」

 若草色の瞳の光は、既にもとの穏やかなものに戻っている。

「やっぱり、って、アーサー、お前……」

「お前がリエナに告白した後どうするつもりなのか、以前に考えたことがあるんだよ。その時から僕は、お前ならこうするはずだって確信してたから」

「……ったく、その洞察力には恐れ入るよ」

 ルークは呆れたように息をついた。

「聞いていいかな?」

「何をだ?」

「リエナは結婚の申し込みを受けてくれたの?」

 ルークは一瞬口ごもった。

「……無理だって言われた」

「彼女なら、当然そう言うだろうね」

「だが俺は諦めるつもりはない。父上を説得するから、1年だけ待って欲しいと頼んだ」

「リエナの返事は?」

「……何も返事は貰ってねえよ。それでも、俺が約束したことには変わりない」

「陛下を説得する自信は?」

「んなもん、あるかよ。三人で旅立つって決まったときに、父上から直々にリエナとの婚約は解消したって、念押しされたんだぞ。お前もそのことは知ってるはずだろうが」

「それでも、やる?」

「ああ」

「お前のことだから、それもずいぶん前から決めてたんだろうね。でも見方によっては、一人の女性のために王位を継ぐ義務を放り出した、無責任極まる王太子だ」

 ルークはちらりとアーサーを見遣った。

「何とでも言え」

「僕が言うんじゃない。言うのはお前の周りの人間だよ」

「俺は何を言われても構わない。事実だからな」

 ルークは当然のように答えた。

「リエナのためになら、そこまでできるっていうわけ?」

「それ以外に方法がないからだ。お前も承知の通り、国王同士の結婚なんて前例はどこにもない。ましてや、ムーンブルク復興は大変な難事業だ。ローレシアの国政と、ムーンブルク復興の両方をやるなんて芸当は、俺にはとてもできない」

「だから、ムーンブルク女王の王配になると?」

「ああ。幸い、俺には弟が二人いる。だから、ローレシアの後継ぎは俺じゃなくても構わない。しかも、俺達が旅に出てる間に万が一のことを考えて、王太子と同じだけの帝王学も修めてるって聞いている。ありがたいことに、兄の俺から見ても、二人ともが優秀だしな」

「お前が、そこまでしてムーンブルクに行くのは、リエナと復興事業をやるためでもあるってことだね?」

「そうだ。ムーンブルクの生き残りの貴族達を纏めるのだって簡単なことじゃない。リエナたった一人で、それをやりながら復興事業の指揮を執るのは、いくらあいつでも無理だ。だが、俺なら協力できる」

「確かにそうだけどね。――でも、そういう発言が出るってことは、ムーンブルクの共同統治者になるつもり?」

 アーサーの声はどこか揶揄するような響きを含んでいる。それを認めて、ルークの瞳が剣呑に光った。

「俺がこの機に乗じて、ムーンブルクとリエナの両方を手に入れるってか? ――ずいぶんと軽く見られたもんだぜ」

「お前こそ、僕が本気でそう思ってるとでも?」

 ルークはアーサーを嫌そうな顔で睨みつけ、視線を外すと大きな溜め息をついた。

「試したってわけかよ。……相変わらず食えない野郎だ」

 こう言われても、アーサーは口元にいつもの笑みを湛えているだけである。

「お前だって、ムーンブルクの生き残りの貴族達にそう言われるのは、覚悟の上だろう?」

「ああ、さんざん言われるだろうよ」

「リエナが周りの人間に、ムーンブルクのために、自分達の勧める別の男と結婚しろと言われれば拒否できないのも、当然わかってるわけだ」

「もちろん、承知の上だ。そうなる前に正式に申し込みに行く。ムーンブルクの連中に余計な詮索をされないだけの条件もつけてやる」

 ルークが父王と周囲を説得し、誰もが認める形でリエナと結婚するためには、時間をかけて交渉する必要がある。いくら自分が父王から許可を得ても、その時にリエナが別の男を夫に迎えていれば、もうルークには手も足も出すことはできない。だから無理を承知で、リエナに1年待って欲しいと頼み込んだのである。

 深い青の瞳が鋭く光る。

「リエナを他の男に渡してたまるか」

 アーサーを見据えながら、ルークはきっぱりと言い切った。

「ルーク」

「今度は何だ」

「リエナに結婚を申し込んだのはいいよ。でもそれだけで、すごすごと引き下がってきた、ってわけ?」

「どういう意味だ?」

「それを、僕に言わせるつもり?」

 この言葉を聞いて、ルークはアーサーにきつい視線を向けたが、無言のままである。アーサーは言葉を継いだ。

「お前の我慢強さは尊敬に値するよ。だけど、時と場合によりけりじゃない?」

「皮肉ってるのか?」

「別に。混じりけなしの本音だよ」

 アーサーはちょっと肩をすくめてみせた。

「きちんと手順を踏んでからだ。俺は、リエナの名誉に傷をつけるようなことはしたくない」

「要するに、今夜ずっと一緒にいたら自制できない、か。だから、こんなに早く帰ってきたわけだね」

 ルークは無言だが、それが正しいことは、表情を見ればわかる。対するアーサーはまったく口調を変えずに話し続ける。

「お前の気持ちもわからなくはない。でも、自制する必要はないと思うけど?」

「お前……、無責任なことを言うな!」

 ルークはアーサーに食ってかかった。

「僕は本気で言ってる」

 アーサーの表情は真剣そのものである。それを認めてルークは再び黙り込んだが、やがて、うめくように言葉を発した。

「俺だってリエナが欲しい。今すぐにでもな! だが、それをやっちまったらどうなる? 俺は、あいつを傷つけたくねえんだよ……!」 

「リエナも、お前と同じようにそれを望んでいたとしても?」

 ルークの顔が苦しげにゆがむ。

「仮に……、そうだとしても、できないのは同じだ。俺はあいつに、ムーンブルクに正式に結婚を申し込みに行くと約束した」

「そういうところ、お前らしいと思うよ。でも、リエナの気持ちを考えたことがある?」

 深い青の瞳がみるみる怒りの色に染まる。

「俺にどうしろって言うんだ!? これからリエナの部屋に行って、あいつを抱いてこいとでも!?」

「ルーク、それはお前が決めることだ。このままローレシアに帰国してお前が後悔しないと言い切れるのなら、僕は何も言うことはない」

「お前に言われなくたって、後悔なんかしねえよ」

 ルークはそれ以上何も言うことはなかった。アーサーも無理に話しかけることはしなかった。




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