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旅の終わり
第4章  約束 3


 リエナはルークが自分に告げてくれた言葉を繰り返し思い出していた。

(ルーク、本当はうれしかったのよ。あなたから、まさかあんな言葉を聞けるとは思っていなかったから)

 菫色の瞳から、涙が零れ落ちる。それが、想いが通じ合った歓びゆえにか、これで別離を迎えなければならない哀しみゆえにか、今のリエナにはわからなかった。

(わたくしも、一生あなたのそばにいたい。二人で生きていきたい。ともにムーンブルクを復興できたら、どんなにうれしいか……。でも、あなたにこれ以上の犠牲を強いるわけにはいかないわ……)

 ローブを握りしめる白いちいさな手が、細かく震えている。

(わたくしは、ムーンブルクの女王として、これからの生涯すべての時間を、祖国に捧げなければならない。自らの幸福を求めることなど許されていない。いずれ、生き残った周りの人々が選んだ殿方を、自分の夫として迎えなければならない。そして、その方の子を産み、ムーンブルクの後継ぎを儲ける。――それがわたくしの最大の義務だから)

 どんなにつらくとも、その事実を受け入れる覚悟は、もう既にできていた。

(愛しているわ、ルーク。わたくしも、心から……。抱きしめてくれた力強い腕、あなたのくれた言葉、熱いくちづけ、一生忘れない……。大丈夫、今の、この思い出だけで、わたくしはこれから生きていける……)

 リエナは何度も何度も、自分に言い聞かせた。けれど、その気持ちとは裏腹に、拭っても拭っても、涙はとめどなくあふれてくる。

 断ち切りたい。ルークへの、この想いを断ち切ってしまいたい。告白さえすれば、この想いに決着をつけられるはずだった。それなのに、今のままでは想いはあふれ、リエナ自身が溺れてしまう。

 リエナは自分で自分をかき抱いた。

 明日からは、あなたのそばにいることすら許されない。

 だから、わたくしは、せめて一度だけ、愛するあなたの、あたたかい腕のなかで、朝を迎えたかった。

 わたくしの、この身体すべてに、あなたに愛された記憶を、刻んでおきたかった。

 けれど、それは――かなわぬ夢。

 今はもう、望むことすら許されない、夢。

 ――これで、すべては終わった……。わたくしの為すべきことは……、ムーンブルクの復興。それだけ……。

********

 月明かりすらない暗闇の中で、ルークは寝台に座り込んだまま、じっと考え続けていた。

(これでよかったんだ、これで……)

 ようやく長年の想いを告げ、リエナも同じ気持ちでいたことを確かめられたにもかかわらず、今のルークの心は歓びとは違う、別の感情に支配されていた。

(俺だって……、本当はリエナを……)

 長い旅の間、ルークは何度もリエナに触れていた。ムーンブルク崩壊の悪夢に悩まされ続ける彼女を抱きしめてなだめ、一度などは突然の驟雨に見舞われ、高熱を出したリエナを一晩中抱いてあたためたことすらある。けれど、ルークは決してリエナを傷つけるような振る舞いはしなかった。あくまで、その時には必要だったから、やってきたことである。

 それが、今夜初めて、理由などなしに、ただ愛する女性として抱きしめた。リエナへの想いを自覚した旅の最初の夜以来、自らを拘束してきた枷を外し、ただ、そうしたいから、抱きしめた。

 ルークの腕には、自分の胸にすがって涙を流していた、リエナの柔らかな身体の感触がはっきりと残っている。

 リエナが欲しかった。アーサーに言われるまでもない。それこそ、気が狂いそうなくらいに欲しかった。そしてリエナも、自分が望めばすべてを許すだろうということも、今夜のルークにはわかっていた。――だからこそ、できなかった。

 リエナの名誉を傷つけたくない。その気持ちに偽りはない。けれど、真の理由は別のところにある。それにもルークは気づいていた。

(今夜、リエナを抱いていたら……、間違いなく、このまま別れることになる。あいつは、俺との一夜を思い出にして、すぐにでも別の男と結婚するだろう。――王家の血を残すという、ムーンブルクの次期女王としての、最大の義務を果たすために)

 ルークも、まったく後悔の念を抱かなかったかと言えば嘘になる。いくら自分の意思で決めたこととはいえ、最初で最後の機会を、自ら投げ捨てたことになるのかもしれないのだから。

 ルークは旅の最初の日の出来事を振り返っていた。

 あの日の夜、ムーンペタの宿で悪夢にうなされたリエナを初めて抱きしめ、リエナへの気持ちを自覚し、生命に代えても守り切って、自分の手で幸せにする、ルークはそう誓った。けれど、具体的にどうすればいいかまでは考えが及んでいなかった。何故ならその時にはまだ、ハーゴン討伐自体が達成可能かどうかがわからない、遥か先にある目標だったから、ただ漠然と、自分の願いだけを考えていれば済んだ。

 その後、旅を続けながら、ルークは考え続けていた。――自分はどうしたいのかを。

 自分が王配としてムーンブルクへ行く。そのために、ローレシアの王太子位を弟に譲る。これがルークの出した結論である。リエナが次期女王とならない限り、ムーンブルク王家は存続できない。その事実が動かせない以上、リエナとの結婚を実現するためには、自分が女王の夫になるしかない。

 結論を出した後も、ルークはずっと自問自答を繰り返していた。アーサーに指摘されるまでもなく、自分の義務も責任も重々承知している。ルークはこの世に生を受けた時から、ローレシアを継ぐ者として育てられてきた。ロト三国の王族でただ一人魔力を持たないがために、一時は王太子の地位が危ぶまれたこともある。けれど、ルークは剣の修行に励み、自らの力でうるさい外野を黙らせてきた。その自分が、アーサーとリエナとともに大神官ハーゴンのみならず、破壊神シドーまでを倒した。ローレシアに帰国すれば、民は自分を破壊神を倒した王子として称え、次期国王として迎えるだろうことはわかっている。場合によっては、父王が、その場で譲位を言いだす可能性すらある。

 こういう現状では、ルークも自分の願いが聞き入れられる可能性がほとんどないに等しいことも理解していた。それでも、何もせず、リエナが他の男と結婚するのを眺めることだけは嫌だった。

 ルークは最後まで諦めるつもりはない。

********


 ――それぞれの想いを胸に、三人の長かった旅、その最後の夜が終わろうとしていた。




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