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旅路の果てに
第10章 1


 ルークとリエナが暮らすトランの村の冬は長い。

 三か月もの間雪に覆われるため、冬の間は誰一人として村から出ることはない。そんななか、村の女達はせめてもの楽しみにと、時々手作りの焼き菓子などを持ち寄っては誰かの家に集まっている。

 もっとも、この時には単にお茶とお菓子を前におしゃべりに興じるだけでなく、それぞれ得意な縫い物もするのだ。これらは春になってロチェスの町で売られ、村の貴重な現金収入の一部となる。女達はこうしてせっせと口と手の両方を動かし、毎年長い冬の退屈を紛らわすのが常だった。

 リエナも冬の最初の頃はルークと家にいることが多かった。けれど、日が過ぎるにつれて、体調も心の傷も少しずつ回復してきた。それを知ったエイミがリエナを誘い、その後は、時にはこういった集まりにも出かけて行くようになった。

 春の訪れも間近になったある日、いつもと同じように集まりがあった。当日の朝、リエナは起きた時にすこしだるさを感じて、ルークとどうするかを相談した。ルークは正直なところとても心配ではあるが、外出できないほどひどい様子ではないし、リエナが今日の集まりを楽しみにしていたことも知っていた。リエナはしばらく迷っていたが、何かあったらすぐに迎えに行くからとルークが言ってくれたので、参加することにしたのである。

********

 リエナが村の女の家の玄関の扉をノックした。横にはルークが立っている。心配性のルークはリエナが出かける時には必ず、送り迎えをするのだ。

 玄関が開き、この家の女がにっこり笑って出迎えてくれた。

「リエナちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは。お招きありがとうございます」

「さあ入って。みんなもう来てるよ」

 声を聞きつけて、家の中に居た女達がわらわらと玄関先に集まってきた。例によってルークが隣に立っているのを見て、女達は一斉に囃し立てた。

「ルーク、やっぱり送ってきたんだ。相変わらず仲が良くていいねえ」

「そりゃあルークからしたら当り前さ。大事な大事なリエナちゃんを、本当ならずっと一人占めしてたいんだもんね」

 このように玄関先で女達に盛大に冷やかされるのも恒例行事となっているが、ルークも平然と言い返した。

「よくわかってるじゃねえか。だがな、俺の大事なリエナだって、女の付き合いってのがあるだろ。リエナも楽しそうだから、俺は我慢してるんだぜ」

「はいはい、わかってるよ。ちゃーんとリエナちゃんはあんたんとこに帰すからね。でもね、あんまり心配ばっかしてちゃだめだよ。リエナちゃんに嫌われたらどうするの」

「その程度で、リエナが俺を嫌うわけないだろうが」

 相変わらずの堂々としたのろけっぷりに、リエナは横で頬を染めるほかはない。

「言ってくれるねえ」

 またもや女達の笑い声が上がった。リエナは家の中に迎え入れられ、ルークは後から迎えに来ると言い残して、家に戻っていった。

 今日はエイミを始め7、8人が集まっている。が、この家の亭主の姿は見当たらない。どうやら追い出されたようで、こちらもいい機会とばかりに、どこかの家に上がり込んで酒盛りでもしているのだろう。

 家の中は暖炉の火があかあかと燃え、女達の熱気で充分暖かい。それぞれ思い思いの場所で、好きな縫い物をしながらおしゃべりに興じるのだ。リエナも座って、裁縫道具を取り出した。針を動かし、ときどき相槌を打ちながら女達のたわいない話を聞くのは、とても楽しいひとときである。

「さて、そろそろお茶にしようか」

 村の女達はみな料理上手で、ご自慢の料理や菓子がある。それを持ち寄って皆で飲むお茶は、特に冬の間は大きな楽しみの一つなのだ。

「リエナちゃん、今日は何を作ってきたの?」

「はい、干し葡萄を焼き込んだケーキです」

「そりゃあ楽しみだね。リエナちゃんの焼き菓子、すごくおいしいから」

「ありがとうございます。でもまだまだ、みなさんには敵わないわ」

 リエナもにっこりと微笑んだ。

 この家の女がいそいそとお茶の支度を始めた。他の女達もそれぞれが持ち寄った菓子を食卓に並べはじめた。

 リエナもお茶の支度を手伝いながら、自分が焼いてきたケーキを籠から取り出した。その時、急に眼の前が暗くなった気がした。身体がふらついて立っていられず、その場で崩れ落ちるように座り込んでしまう。

「リエナちゃん、大丈夫!?」

「……ごめんなさい、急に眩暈がして」

 ようようそれだけを返したが、顔色が蒼白になっている。

「すこし横になってた方がいいよ」

 この家の女に抱きかかえられたところで、別の女の一人が叫んだ。

「ちょっと、リエナちゃん、あんた、出血してるよ」

 見れば、リエナのスカートの腰のあたりに染みができている。

「大変だ、誰かすぐにルークを呼んで来とくれ。ラビばあさんにも来てもらえるよう迎えに行かないと!」

 リエナはすぐに出血の手当てをしてもらって長椅子に横になった。冷やさないよう毛布を掛けてもらっているうちに、知らせを聞いたルークが飛んできた。

「リエナ! 大丈夫か!?」

「……ルーク、来てくれたのね、ありがとう」

「とにかく家に帰るぞ。――みんな、迷惑をかけてすまない」

 そう言って、リエナの身体を抱き上げようとしたが、エイミが止めた。

「ルーク、今は動かしちゃいけない」

「どうしてだ。早く家に帰った方がいいだろうが」

「もうすぐラビばあさんが来てくれるから、あんたもここで待ってるんだ、いいね?」

 ルークは怪訝な顔をして、エイミの方を向いた。

「ラビばあさん? 初めて聞く名前だ。そんな人間がこの村にいたのか?」

「腕のいい薬師だよ。医者のいないこの村では、みんな病気になった時にはばあさんの薬を頼りにしてるんだ。リエナちゃんがよく飲んでた熱さましの薬草もそうだよ。でも偏屈なばあさんでね、ここに移り住んで15年は経つのに、普段は顔を見せないのさ」

 エイミの話で、ルークも一応納得はしたようである。

「ルーク、ちょっとこっちに来て」

 エイミがルークの背中をつついた。

「何だ?」

 そう返すだけで、一向にリエナのそばから離れようとしないルークを、エイミは無理に部屋の隅に引っ張っていく。何かリエナには聞かせたくない話があるらしく、小声で話し始めた。

「いいかい、ルーク。リエナちゃんのお腹には、あんたの赤ん坊がいるんじゃないのかい?」

「……は? あ、あかんぼう?」

 思いもよらない話の展開に、ルークはすぐについていけない。エイミがやや呆れたような声を出す。

「できてたっておかしくないだろ? 何にも聞いてないのかい? もしそうなら大変だ。今無理に動かして流れちまったら、取り返しがつかないよ」

 ルークはここまで言われて、ようやくリエナの状態を把握していた。エイミが続けて言う。

「ラビばあさんはね、薬草も詳しいけど、元は産婆なんだよ」

「元産婆?」

「そう。だから、ちゃんと診てもらわないと」

「……わかった」

 ルークは頷いて、リエナのそばに戻った。ちいさな白い手をしっかりと握る。

「ラビばあさんっていう腕のいい薬師が来てくれるそうだ。もうちょっとの辛抱だからな」

 リエナは頷いたが、明らかに無理をしている。

「ええ。でも、みなさんには迷惑かけてしまって……」

 申し訳なさそうにしているリエナに、エイミが横から声をかけた。

「そんなこと気にしなくていいからね。そこで動かずにちゃんと横になってるんだよ」

 そうこうするうちに、ラビばあさんがやって来た。

「どうしたんじゃ。急に出血したと聞いたが」

 ラビばあさんは、白髪混じりの髪をひっつめに結った、小柄で痩せた老女である。両手で大きな薬箱を抱えている。中にはたくさんの薬草が入っているらしい。

 エイミが簡単に状況を説明した。ラビばあさんはふんふんと頷くと、リエナが横になっている長椅子の前に座り込んだ。

「わしが来たから、もう大丈夫じゃ」

 ラビばあさんの表情には、病に倒れたリエナを安心させるあたたかさがあった。リエナもかすかに笑みを返す。エイミ達の言う通り、腕は確かなものらしい。

 ラビばあさんはリエナを診察しようとしたが、すぐ横で同じように座り込んでいるルークの大きな身体が邪魔をする。リエナの手を握ったまま、一向に動こうとしないルークをいきなり怒鳴りつけた。

「おまえさんが、この奥さんの亭主かね? 診察の邪魔じゃ、とっとと他の部屋に行っとくれ!」

 ルークも負けずに言い返す。

「リエナは俺の妻だ。病気の妻のそばにいて何が悪い!」

「おまえさんの前じゃ、診察できないんじゃ。奥さんに恥ずかしい思いをさせたいんかね?」

 まだ文句を言いたそうなルークだったが、先程のエイミの言葉を思い出した。もしエイミの言う通りなら、考えるまでもなく、ラビばあさんの言い分が正しいのだ。

「……リエナをよろしく頼む」

 渋々ながら立ち上がり、別の部屋に行こうとするルークに、ラビばあさんは振り向きもせず言い切った。

「わしに任せておけ」

 他の女達も遠慮して、部屋の隅の方に移動した。

「すぐに終わるからの。ええか、しばらくこのままゆったりと横になっておるのじゃ」

 ラビばあさんはあらためてリエナに声をかけた。さっきルークに怒鳴りつけたのとは打って変わって、優しい口調である。いくつか質問をしながら、診察をしてくれた。すべて終わり診断がつくと、ほっとしたように話し始めた。

「……よかった。流産かと心配したが、違っとった」

「……ありがとうございました」

「でも残念ながら、おまえさんのお腹んなかには赤子もおらんがの」

「……わたくしのお腹に赤ちゃんがいないのはわかっていましたわ。お手数をかけて申し訳ありません」

 小声で答えるリエナの様子に、ラビばあさんは何かを悟ったらしい。ゆっくりと頷いて言った。

「今日のところは手当てしておけば心配ない。もう家に戻っても大丈夫じゃ。薬草をあげるから、煎じて飲むんじゃぞ」

「わかりました。あの、薬師様でいらっしゃるのですね?」

「そうじゃ。それと産婆も兼ねとるよ。今までたくさん赤子を取り上げてきた。もっとも、ここに来てからはとんとお産はないがの」

「それでしたら薬師様、わたくしも教えていただきたいことが……」

「ああ、いいとも。わしからもおまえさんに聞きたいことがある。明日にでも家を訪ねるからの、亭主抜きでゆっくり話を聞かしとくれ」

「ありがとうございます。お世話になりました」

「これがわしの仕事じゃから、気にせんでええ。それから、薬師様みたいな大層な呼び方はいらん。ばあさんで結構じゃ」

「それでは、ラビおばあちゃんと呼ばせてくださいませ」

 ラビばあさんはゆっくりと頷くと、安心させるようにリエナの肩をぽんぽんと叩いた。

「今、亭主を呼ぶからの。あの男はおまえさんに心底惚れとる。えらい剣幕で怒鳴られたわ」

 ラビばあさんは笑い声を上げた。

「ごめんなさい……。ルークはわたくしのこととなると周りが見えなくなってしまって。――ご迷惑をかけました」

「気にせんでええ。夫婦仲がいい証拠じゃ。結構結構」

 ラビばあさんはリエナにいたわるような笑顔を見せると、ルークを呼んでくれた。

「リエナ! 大丈夫か?」

 ルークはラビばあさんを押し退けんばかりに、リエナの手を握った。

「ルーク、まずはあなたからもお礼を言って。ラビおばあちゃんに失礼よ。わたくしなら、もう大丈夫」

「……そうだった」

 ルークは、横で薬箱からあれこれと薬草を取り出しているラビばあさんに向かって頭を下げた。

「リエナが世話になった。俺からも礼を言う」

「ふん、礼には及ばん。これがわしの仕事じゃ」

 ラビばあさんは、あらためてルークに視線を向けた。

「そういや、見かけん顔じゃの。……そうか、おまえさんがジェイクの言っとった用心棒じゃな。確かに腕は立ちそうじゃ」

 そのままルークをまじまじと見つめていたが、ラビばあさんの表情が一瞬何かに驚いたふうに変わった。しかしその表情をすぐに消すと、続けて言った。

「大事にならんでよかったの。でもええか、あと何日かはあったかくして寝かせとくんじゃよ。もう家に戻って構わんが、絶対に無理させちゃいけない。薬草を渡すから、ちゃんと飲ませるんじゃ。明日、今度はおまえさんの家に行って、奥さん――リエナちゃんていうたかの、ゆっくり話をするつもりじゃ。おまえさんはその間邪魔だから、どっかに行っとくれ」

「なんで俺が邪魔なんだ? リエナの病気のことだろうが」

「ほんとに、わからずやの亭主だの。女どうしの話があるんじゃ。男はお呼びじゃない。わかったかの?」

 ルークはまだ納得いかないようで、ぶすっとした顔をしていたが、リエナに目配せされてしぶしぶ頷いた。

 最後にラビばあさんは薬草の煎じ方を説明してルークに渡した。

「ありがとうよ。ところで、ばあさん。今日の診察とこの薬草の代金だが、後から持っていけばいいか? 急いで来たから、今は手持ちが無いんだが」

「代金ならいらん」

 ラビばあさんはあっさりと言った。

「そんなわけにはいかないだろ? 礼金は払わせてくれ」

「わしはいらんと言うたはずじゃ」

 そこへエイミが来て、ルークの袖を引っ張った。どうやらそれでいい理由があるらしい。まだ納得できたわけではないが、今ここで口論しても仕方がない。

「これからもリエナを頼む。どうか、病気を治してやってくれ」

 頭を下げるルークに、ばあさんは力強く頷いた。

「わかっとるよ。わしに任せておけば、心配ない」

 その後すぐに、ラビばあさんは他の女達にも声をかけて帰って行った。ばあさんを送り出したこの家の女が戻って来て、ルークに声をかけてきた。

「ルーク、ラビばあさんが言った通りだよ。診察代と薬草代なら、ほんとにいらないから」

「なんでだ? 薬草だって貴重品だろ」

「ここの裏山ではね、薬草も色々と採れるんだ。もともとラビばあさんは別の国の人らしいんだけどね。他所では滅多にお目にかかれない珍しい薬草がたくさん自生してるからって、この村に住み着いたんだよ」

 続いて、エイミも説明に加わった。

「あの通りのちょっと変わったばあさんだけど、薬草の効き目は大したもんなんだよ。でもね、年寄りなのと、薬の調合と研究に専念したいからって、村の共同作業には出てこなくて、収穫も薬草だけ、それも自分一人で行くんだ。だから、食料や薪は村で採れたのを分けてるんだけど、その代わりに診察と薬草代をただにしてくれてるってわけ」

「なるほどな。要するに、俺とリエナと同じってことか」

「そういうこと。だから、遠慮せずいつでも必要な時には頼めばいいからね」

「わかった」

 詳しい話を聞いて、ルークも代金がいらないことについてはようやく納得したようである。けれど、同時に別の疑問が浮かんだ。

「だが、ばあさんの護衛はいらないのか? 一人で裏山に入って、魔物に襲われたらどうするんだ」

「あたしらも、あんたに護衛を頼んだらって言ったんだよ。でも必要ない、の一点張りでねえ」

 エイミが溜め息をついた。

「理由も言わないのさ。あの通りの偏屈なばあさんだから、それ以上言っても無駄なのはわかってるしね。ただ、一度も魔物に出くわしたことはないみたいなんだよねえ」

 どうやら、エイミにもそれ以上のことはわからないらしい。

「じゃあ、俺が直接聞いてみる。明日家に来るらしいからな。リエナが世話になった恩もあるし、第一、俺も村を守る用心棒だ。仕事として請け負った以上、ほっとくわけにはいかねえからな」

「そうしてもらえるかい、助かるよ」

 エイミもラビばあさんが一人で行動することは、ずっと気にかかっていたらしい。ほっとしたように頷いた。

********

(驚いたわい……)

 ラビばあさんは、帰り道を歩きながら、さっきのルークの姿を思い出していた。

(村に来た新しい用心棒が元は貴族だと聞いてはおったが……。あの御方の若い時に似ておって、一瞬目を疑ったわ。しかも、青い瞳で名前がルークとは)

 ばあさんは、ふっと息を吐いた。

(まあ、あらためて見るとそうは似ておらんし、第一、間違ってもこんなところに居られるはずはない御方じゃからの。これ以上考えることもあるまい。今は、リエナちゃんの病気を治すことに専念するのみじゃ)

 ばあさんは薬箱を抱え直すと、家路を急いだ。

********

「みんな、今日は世話になった」

「ありがとうございました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 リエナは外套の上から更に借りた毛布にくるまれ、ルークに横抱きにされている。まだ歩かない方がいいだろうとのルークの判断で、このまま抱かれて家に帰るのである。

「気にしなくていいよ。お大事にね」

「後から晩ごはん届けてあげるからね。ルーク、ちゃんと寝かせてあげるんだよ」

「わかった。すまないが、よろしく頼む」

 二人は心配そうな顔をした女達に見送られ、家を後にした。

********

 無事家に帰りつくと、ルークはすぐにリエナを寝台に横たえた。そのまま隣に座り込む。

「急に倒れたって聞いたから驚いた。ところで、いったいどこが悪かったんだ? 誰も教えてくれないんだが……」

「明日、ラビおばあちゃんにお話を聞いてからちゃんと説明するわ。だから待ってて、ね?」

 ルークはまだ納得できていない。けれど、どうやらエイミが言った状況とは違っていたらしいし、帰宅も許され薬草ももらっている。第一、病気のリエナをこれ以上追及するわけにはいかない。

「……仕方ないな。いいか、絶対寝てるんだぞ」

「ええ、わかっているわ」

 リエナは頷いて約束し、ルークもその日一日、ずっとそばを離れずにいた。




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