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旅路の果てに
第9章 8
「アーサー様、お招きありがとうございます」
ローレシア第二王子アデルがアーサーに丁寧に一礼した。アデルは今、サマルトリアを公式訪問中である。離宮で療養中の兄ルークに代わり、王太子代行を務める旨の報告と挨拶をするための訪問だった。
今アデルがいるのは、アーサーが個人的に使っている談話室である。今夜はアーサー個人がアデルを酒席に招いたのだった。形式ばらない私的な席であるから、アーサーも寛いだ姿である。卓上には酒肴が既に整えられているが、これもまだ若いアデルの好みを考慮してか、酒よりもむしろ料理を中心に並べられていた。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。アデル殿」
二人がこうして親しく私的な席をともにするのは初めてだった。ルークとアーサーは言うまでもなく、旅をともにしたかけがえのない親友である。けれど、当時アデルはまだ成人前だったことと、ハーゴンの驚異を恐れた母マーゴット王妃が過剰に心配したこともあり、ほとんどローレシア城から出たことがなかったのである。サマルトリアには幼いころ何度か来たことがあるが、ごく儀礼的な訪問に留まっていたし、昨年の自分の成人の儀にはアーサーが出席して祝福してくれたが、他にも招待客が多く、個別に時間を取って話す機会はなかったのだ。
「一度ゆっくりあなたとも話してみたいと思ってね」
給仕の侍女がアデルの酒杯に葡萄酒を注いだ。料理なども取り分け終わると、アーサーが目配せをする。侍女は目礼して、退出していった。
「さあ、遠慮なくどうぞ。ローレシアの料理は素晴らしいが、たまにはサマルトリアのも悪くないと思うよ」
「頂戴いたします」
アデルは年齢に相応しい健康的な食欲を見せていた。その辺りは兄と似ているなとアーサーは微笑ましく見ていた。
ひとしきり酒肴を楽しみ、和やかな会話が交わされる。話題は深刻なものではなく、趣味の話が多かった。そこに時折、アデルからアーサーにハーゴン討伐の旅についての質問などが加わる。
アーサーの話術のおかげか、アデルは初めての一対一の酒席ではあったが、充分に寛いで――無論、礼を失するような真似はしないけれど――料理と会話を楽しむことができた。
「アーサー様」
アデルは思い切って声をかけた。アーサーにどうしても尋ねたいことがあったのだ。
アデルはルークの出奔の事実を、アーサーが知っていると確信している。無論、アーサーはそんな素振りは微塵も見せていない。しかし、アデルには、こう考える明確な根拠があった。
ルークもアーサーにだけは出奔計画を打ち明けていた可能性があると、アデルは考えたのだ。いくらルークでも、たった一人でリエナ救出の計画を実行するのは容易ではないから、ともに旅をして事情も知るアーサーに協力を求めた。もしそうなら、当然行先も知っているに違いない――その藁にも縋る思いから、アーサーにそれとなく聞いてみたいと思っていたのだ。そう考えていたところに今夜の酒席の招待を受けた。アデルもまたとない機会を無駄にしたくはない。けれど、いざその場になると、うまく言葉が出てこないのだ。
「アデル殿、何か」
問い返してくるアーサーの若草色の瞳がアデルを捉えた。その瞳に、アデルは衝撃を受けていた。
アーサーの瞳には、深い知性と豊富な経験に裏打ちされた者だけが持ち得る、穏やかな光が宿っている。すべてを見透かすかのようなその瞳の前では、どんなに取り繕おうとしても一切通用しないとアデルは悟っていた。
――アーサー様は、僕の疑問など御見通しなんだ。
アデルはもう何も言えなかった。
――兄上とともに、破壊神を倒したほどの御方に、僕の小手先の詮索など通用しないんだ。第一、アーサー様が兄上の出奔をご存じだとしても、僕に話すはずがない。どうして今までそれに気づかなかったのか……。
自分が如何に愚かなことをしようとしていたのか――アデルはアーサーの前で失礼だと思いながらも、どうしても俯き加減になってしまう。
「アデル殿」
アーサーはまるで自分の実の弟に教え諭すように話し始めた。
「今のあなたが為すべきなのは、ローレシアの陛下の御意向に沿って、ルークが本復するまで立派に責務を果たすことだ」
「……はい」
アデルはようやく返事を返した。
「王太子代行の責任は重大だ。常に民を思い、民の立場に立つことを忘れてはいけない。けれど、あなたならできるはずだと信頼しているから、ルークは任せたのだと思うよ」
アデルははっとして顔を上げた。
「兄上が、私を……」
アーサーはゆっくりと頷いて見せた。
「ルークは旅の間にもよく言っていた。自分には自慢の優秀な弟がいる。だから、もし旅で生命を落としてもローレシアは大丈夫だってね。僕も同じ意見だよ。第一、ルークは間違ってもお世辞を言うような男じゃないから、自信を持っていい」
「……はい!」
最後のアーサーの言葉は冗談めいた口調であったが、紛れもない本心だとアデルにもわかる。尊敬する兄がともに旅した親友の言葉に、アデルはようやく迷いが吹っ切れた気がしたのだった。
辞去する時、アデルはアーサーに深々と一礼した。
「アーサー様。今夜は有意義な一時を過ごすことができました。感謝しています」
「こちらも楽しかった。これからもまた、ぜひ機会を持ちたいね」
アーサーは穏やかな笑みで、アデルを見送った。
********
「ローレシアの今後については問題ないようですね」
アーサーが言った。アデルがローレシアへの帰国の途についた直後、父王への報告を兼ねて面談を申し入れたのである。
「そのようだな」
サマルトリア王は短く答えた。
「アデル殿は、良い王になりそうです。ただし、このまま真っ直ぐに成長していけば、ですが」
「その点について、お前の意見はどうだ」
「心配ないと考えています。もし曲がるのであれば、とっくに曲がっていると思いますよ。ローレシアでは厳格なお目付け役も健在なことですしね」
アーサーの言うお目付け役とは、宰相バイロンである。常に王の側を離れず仕える宰相が、今回の訪問には同行していたのだ。非常に珍しいことではあるが、成人したばかりで急に王太子代行という重責を担わされたアデルを補佐するため、特別にローレシア王から同行するよう命じられたのだった。
しかしアデルの王太子振りは、サマルトリア王とアーサーから見ても既に危なげないものになっていた。アデルはルークに似て責任感が強いらしい。自分の言葉で、兄が本復するまでの間は代わりを務める旨の挨拶をきっぱりと告げた姿は、見事とすらいえるものだった。
アーサーの言葉に、王は無言で頷いた。そこにはやや苦笑が混じる。常に無表情な王には滅多にないことだった。
「確かにな。あの母親と祖父に育てられて曲がらずにおれたのだから、今後もよほどのことがない限りは問題ないであろうよ」
王の言う通りである。アーサーも口の端にわずかに笑みを浮かべたが、すぐに表情を元に戻した。
「アデル殿の王太子代行の発表で、ローレシアはルークの捜索に一区切りつけた、ということでしょうね」
「そうだろう。ルーク殿が不在でもローレシアは揺るぎないことを証明するために、わざわざ公式訪問までしてきたのだからな」
「逆に、ムーンブルクの方が不穏になるかもしれません。今後のチャールズ卿の動向如何によってですが」
「あの御仁、煮ても焼いても食えぬ男だ。おまけにリエナ姫に対する執着は尋常ではない。まだ何も問題は表面化しておらぬが、先はわからぬよ」
「無論、絶対に目を離さず、不審な動きは速やかに報告するよう、密偵にも申し付けてあります」
「それでよい。我が国は今後も静観を続ける」
「御意、父上」
アーサーは深々と一礼した。
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