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旅路の果てに
第10章 4
翌日から本格的な治療が始まった。
ラビばあさんが玄関の扉を叩くとルークが出迎えた。ばあさんは家に入る前にルークに確認した。
「リエナちゃんから話は聞いたか?」
「ああ。全部聞いた。ばあさんが頼りだ。これからよろしく頼む」
「任せておけ。ただし、わしの言うことはきちんと守ってもらわねば困るからの」
「わかってる。リエナもこの機会にしっかり治したいって言ってるからな」
ラビばあさんはその後すぐにリエナの居る寝室に向かった。
「リエナちゃん、調子はどうじゃ」
「昨日に比べて、だいぶ身体が軽くなった気がしますわ」
「そうか。薬湯はきちんと飲んだな?」
「はい」
「食事は取れておるか?」
これにはルークが代わりに答えた。
「そっちも大丈夫だ。昨夜、エイミが色々と届けてくれて助かった。ばあさんが頼んでくれたんだってな、感謝する」
「おまえさんが料理できないんじゃ。仕方なかろ? まあ、最初から期待もしとらんが」
ばあさんの口調は遠慮がない。
「ああ、俺が下手に手を出しても、ルビス様の貴重な恵みを無駄にするだけだからな」
ルークも自分に料理の才能が一切ないことは昔から承知している。本当のことを言われているだけに苦笑するしかない。
「本当にありがとうございます。エイミさんから昨夜いただいたスープ、とてもおいしくいただきましたわ。エイミさんはおばあちゃんから作り方を教わったそうですわね。身体が温まったおかげで、よく眠れました」
「リエナちゃんの口に合ったようでよかったわい。ちょいと変わった材料の組み合わせなんじゃが、料理上手のエイミなら安心して任せられるからの。リエナちゃんも起きられるようになったら、覚えておくとよいぞ」
「はい、そうしますわ」
ばあさんは頷くと、薬箱からあれこれと取り出し始めた。煎じて飲む薬草の他にも様々なものがある。横からルークが興味深そうにのぞき込んだ。
「それ全部、治療に使うのか?」
「もちろんそうじゃ。リエナちゃんのような症状にはの、単に薬湯を飲むだけじゃのうて、様々な角度から治療をするのが効果がある。まずは全身の冷えをやわらげることが最初の目標じゃ。これも焦ってはいかん。身体に負担がかからんよう、時間をかけて体質を改善していく必要がある」
そう言いながら、まずリエナの手を取ってみた。
「ふん、冷えておるのは変わらんが、今日の薬湯はこのままでよかろ。後は、これを使う」
ばあさんは手の平よりもかなり大きな平たい袋をリエナに渡した。粗く織った麻袋で、手に取ると乾いた音がした。中には干した薬草らしき乾燥したものが入っている。
「これはの、温熱効果の高い薬草を厳選して入れてあるのじゃ。腰の後ろに当てておくと、身体が温まる。要するに、薬草を使った懐炉じゃな。温石と違うて効果のある時間も長いし、火傷の心配もない」
「本当、手に持っているだけでも、あたたかさを感じますわ」
「それともう一つ」
ばあさんはさっきよりも小振りの袋を取り出してリエナに渡した。これもさっきの麻袋と同じように、乾燥させた薬草が入っているらしい。
「匂いをかいでみとくれ」
言われた通りにすると、ふわりと芳香が立ちのぼる。清々しくてそれでいて優しい、気分が晴れるような香りである。
「いい香り……」
リエナは思わず笑顔になった。それを見たラビばあさんも満足げに頷いた。
「そうじゃろ。これは匂い袋じゃ。安眠と鎮静効果の高いものを中心に、香りのええ物も混ぜてある。枕のそばに置いておくとよく眠れるぞ」
これは、心の緊張をほぐして落ち着かせるためのものである。村に来る前に故郷でひどい心労に苛まれたと聞いて、リエナのために特別に調合してくれたのだった。
「もし、香りが合わなかったり、もっと別の好みがあれば遠慮なく言うがええ。その時には調合を変えるからの」
「ありがとうございます。とても素敵な香りですから、早速使わせていただきますね」
「ひとまず、これで様子見じゃ。後は食事に気をつけることじゃの。無理はせんでええが、食べられるようならなるべく滋養のあるものをな。ところで、台所を貸してもらえるかの」
突然の依頼に、ルークが不思議そうに確認した。
「台所? 薬草なら煎じ方教わったはずだが」
「おまえさんには聞いておらん。台所は女の領分じゃからの。リエナちゃん、貸してもらえるか?」
「もちろん、構いませんわ」
ばあさんは頷きを返し、また薬箱から別の新たな袋を取り出すと、台所へ姿を消した。
「ばあさん、何するつもりだ? リエナ、様子を見てきた方がいいか?」
「大丈夫よ。おばあちゃんにお任せしましょう」
ほどなくして、ラビばあさんは台所から戻ってきた。手には盆を持っている。三人分の茶碗が乗せられ、あたたかそうな湯気が立っていた。
「ほれ、リエナちゃん。よかったら飲んでみるのじゃ」
「ありがとうございます」
リエナが礼を言って受け取った。一口飲んでみると、独特の刺激があり、それでいてほんのりと甘い。
「おいしい……。生姜入りの紅茶ですわね」
「そうじゃ。飲みやすいように蜂蜜を入れてある。気に入ったか?」
「ええ。とても」
リエナはにっこりと微笑んだ。
「ほれ、おまえさんも試してみるか」
ばあさんはルークにも生姜入り紅茶を手渡した。普段のルークは紅茶を飲まないが、せっかく淹れてくれたのだし、リエナがどんなものを飲んでいるのか気になったので相伴に与ることにする。
「……思ったよりうまい。だがこれ、全然甘くないぞ」
「おまえさんのは蜂蜜抜きじゃ。どうせ、甘いものは苦手じゃろ?」
「よくわかったな」
「ふん、年の功じゃよ」
ばあさんは不愛想にルークに返事を返すと、自分も茶碗を手に取った。その後三人で話が始まり、時ならぬお茶会となった。
「そうだ。俺からもばあさんに話があったんだ」
「話? なんじゃ」
「ばあさん、裏山に一人で薬草を採りに行くって聞いた。俺が護衛するぜ」
「いらん」
「いらんて、簡単に言ってくれるが、魔物に襲われたらどうするんだ」
「魔物なら出んぞ」
「何故そう言い切れる? 実際、何度も裏山で出てるぜ。倒した俺が言うんだから間違いない」
「わしが行く場所はの、魔物が近寄らんのじゃ」
「近寄らない?」
これを聞いて、リエナはあることを思いついた。
「あの、その場所には、聖水の原料となる薬草が自生しているのですか?」
「その通りじゃ」
聖水の原料となるこの薬草は、地面に生えている状態で効力を発揮する。しかし、一旦土から抜いた途端、ごく短時間のうちに効力を失ってしまう。それを防ぐために、聖水精製を専門とする魔法使いが特殊な呪文を唱えながら採取するのだ。彼らはルビス神殿に仕える修道士、または修道女でもあるが、攻撃や回復呪文を操ることはない、完全な専門職である。
採取した薬草はすぐに、ルビス神殿に併設された聖水精製専門の工房に運ばれ、法則に則った結界の中で特別な方法で煎じられる。最後にルビス神殿の司祭――この司祭は高位の魔法使いでもある――の祝福を受けてようやく完成する。だから、聖水は貴重品で、薬草と並んで庶民にはかなり高価な品となるのだ。
「それなら、ラビおばあちゃんのおっしゃる通りですわね」
ばあさんの話を聞いてリエナは頷いた。しばらく考えて付け加える。
「――ただ、すべての魔物が防げるとは限りませんわ。本当ならルークに護衛を頼んだ方がいいのですけれど……。それでも、おばあちゃんが一人で採取に行かれるのには、理由があるのですね?」
「そうじゃ。聖水に限らず薬草の原料の野草類はみな、採取の仕方が非常に難しい。自然のままを保って地面を荒さんよう、できるだけ人間が足を踏み入れん方がいいんじゃよ」
「事情はわかりました。それでしたら、わたくしが魔物除けの呪文をかけますわ」
リエナがそう申し出た。
ルークとリエナがトランの村に来た時、村で匿ってもらう謝礼の意味も込めて、ルークの護衛の他にも、リエナの呪文を提供することになっていた。
ただし当初は、初級の回復と解毒だけの予定だった。何故なら、リエナは現代で最高の魔法使いであり、扱える呪文の種類も効果も普通の魔法使いとは桁違いである。あまりに力を見せることで、万が一にでも素性が知れる可能性に繋がっては困るからだった。
それがある時、ジェイクから村の結界をわざわざ別の魔法使いに頼んでいると聞いて――しかも礼金が相当な高額だった――それなら自分がとリエナがルークに相談し、ルークも賛成したのである。この提案に村人達が非常に喜んだのは言うまでもない。それ以後、リエナは村の結界を張り、更には裏山に収穫に出かける時、必要に応じて村人達にも魔物除けの呪文をかけるようになっていた。ただし、いくらリエナの呪文が強力でも、受ける側の防御力が一般人のそれであるから――魔物除けの呪文は、受ける側にどの程度の防御力があるかによって、効果が変わるのである――どうしても効果には限界がある。だから、ルークも変わらず護衛として同行している。
このように、ルークとリエナ、二人がかりでの万全の守りのおかげで、魔物に遭遇すること自体、ほとんどなくなっていた。今では村人は安全に収穫にせいを出すことができている。
そうはいっても、この世界に『次元の狭間』と呼ばれる、魔物の住む異界からの出口が存在する限り、魔物がいなくなることはない。ルークは定期的に一人で裏山に入って見回り、うろついている魔物を退治しているのだった。
「そうか、リエナちゃんは結界の呪文も使えるのじゃな」
「ええ」
リエナが答え、ルークも言葉を添える。
「ばあさん、俺の護衛が不要なのはわかった。だが、リエナの呪文なら構わないだろ?」
「まあ、そうじゃが」
「ただ、わたくしの呪文でも完全に魔物を防げるわけではありませんが……」
やや心配げなリエナに向かって、ルークが言った。
「魔物除けの呪文自体が、受ける側の防御力に左右されるからな。仕方ない」
「そういうもんなのか。一風変わった呪文じゃの」
ばあさんの言葉に、リエナが頷いた。
「はい。それでも、何もしないよりは効果があるはずですし、聖水用の薬草が自生している土地でしたら、他の場所よりも効果が期待できると思いますわ」
ルークがあらためてばあさんに向かって言う。
「なあ、ばあさん。俺達も曲がりなりにも、村の用心棒として住まわせてもらってるんだ。ばあさんが魔物に襲われて怪我でもされたら寝覚めが悪い。頼むから、リエナに呪文をかけてもらってくれないか」
ばあさんはそれでもしばらくの間考え込んでいたが、ようやく頷いた。
「そうじゃな。それなら、遠慮なくお願いするとしようかの」
「わかりました。御用の時には、いつでも呼んでくださいませ。後は念のために、キメラの翼をお持ちくださいね。開けた場所であれば、どこからでも村に戻れますから」
「わかった。リエナちゃん、よろしく頼むぞ」
「わたくしの呪文がすこしでもお役に立てるのでしたら、よかったですわ」
ルークもリエナもほっと胸を撫で下ろしていた。ばあさんの安全が確保できたのもそうだが、これから長期間に亘るリエナの治療への恩返しが――ばあさんは決して礼金を受け取ってくれないからである――すこしでもできる、その思いからだった。
********
その後も毎日欠かさず、ラビばあさんは治療に通ってきてくれた。ばあさんの治療は非常に高度で行き届いたものだった。何しろ、毎日のようにリエナの病状に合わせて微妙に薬草の種類と配合を変えていくのだ。ルークもリエナも元は王族であるだけに世界でも有数の名医を何人も知っているが、その彼らが驚くほどだったのである。
家事も、ばあさんがエイミに声をかけてくれたおかげで、村の女達が順番に引き受けてくれた。今までは当然リエナが一人でこなしていたが、食事の支度や洗濯、掃除なども決して楽なものではない。ルークも旅の間にしていた程度の、自分の分くらいは何とかできるが、それ以上となるとお手上げである。だから、家事に慣れた女達の手は、本当にありがたいものだった。
食事もすべて届けてくれていた。こちらもばあさんが伝えてくれたらしく、生姜や香草を使ったスープなどの身体が温まるものや、もとから小食のリエナがすこしでも口にしやすいようにと、甘い焼き菓子などまで用意されていた。もちろん、大食いのルークのために他にもたっぷりと食事があったのは言うまでもない。
おかげで、リエナは安心して安静を保っていることができた。ルークとも話し合って心が軽くなったせいか、体調は次第に良くなり、一週間経たないうちにリエナはすこしずつではあるが、家事ができるようになってきている。
リエナが台所に立てるようになった後、ばあさんは薬草の他にも、普段の食事の時にも飲めるような香草茶を幾種類も持ってきてくれた。治療の最初の日の生姜入りの紅茶をリエナが気に入ったことが、ばあさんもうれしかったらしい。これらも身体が温まるだけでなく、とてもおいしいものばかりだった。中には、普段は一切甘いものを口にしないルークの好みに合わせた物まであった。これは砂糖や蜂蜜で甘くすればリエナもおいしく飲めるので、二人で同じお茶を楽しむことができるようにとの心配りである。
********
治療が始まって、十日ほどが過ぎた。今日もラビばあさんは大きな薬箱を抱えてやってきた。玄関の扉を叩くと、いつも通りルークが出迎える。
「邪魔するぞ」
「ばあさん、頼んだぜ」
居間で出迎えたリエナはにっこりと微笑んだ。
「こんにちは、今日もよろしくお願いします」
明るい表情のリエナに、ばあさんも頷きを返す。
「ふん、顔色もよいの。さて、今日からはこれも使う」
そう言って、ばあさんがちいさなものを薬箱から取り出した。見ると、木綿の布に薬草を包み、紐で縛ってある。
「これ、何だ? 初めて見るな」
ルークが聞いた。
「足湯用の薬草じゃ。リエナちゃん、煎じ方を教えるからの。一緒に台所に行くぞ」
しばらくしてばあさんだけが戻ってきた。薬湯用のちいさな薬缶を持っている。
「ルーク、台所から椅子を持ってきてくれんか」
ルークが言われた通りに椅子を持って来たところで、リエナも居間に戻って来た。
「おばあちゃん、これくらいでいいかしら?」
リエナの方は、湯を満たした手桶を持っていた。
「おお、それでよいぞ。どれ、温度もちょうどいい塩梅じゃ」
ばあさんは、薬缶の薬湯を桶の湯に混ぜて、椅子の前に置いた。
「さあ、リエナちゃん、これに足をつけとくれ」
リエナは椅子に腰かけ、言われた通りに足をつけてみた。冷え切った足先がじんわりと温まってくる。それにつれて、身体全体がぽかぽかとしてきた。
「あたたかいわ。とてもいい気持ち」
にっこり微笑むリエナに、ラビばあさんも頷いている。毎日治療に通ってきてもらううちに、リエナのばあさんへの口調もずいぶんと打ち解けたものに変わってきている。それだけ、信頼できるということなのだろう。
「それならよかった。リエナちゃんの体質には合いそうじゃの。しばらくの間は毎日やっとくれ」
ルークもリエナの足元の桶を興味深そうに見ている。
「気持ちよさそうだな」
「わし特製の冷えをとるための足湯じゃよ。ただし、おまえさんみたいな血の気の多いのが使うと、大変なことになるがの」
いつもながらのラビばあさんの口調に、ルークも苦笑している。
「ひでえこと言うなあ」
「本当のことを言うて何が悪い? ところでおまえさんに話があるんじゃが」
「何だよ。また怒鳴られるのか?」
ルークの口調はやや不満げである。ばあさんとの初対面での会話を思い出したのだ。
「何を人聞きの悪いことを言うておる」
「最初にいきなり怒鳴ってきたのは、ばあさんの方じゃねえか」
「おまえさんが、わからずやだからじゃ。ほんに、ちっとも進歩しとらんの」
平然とそう答えるばあさんには、流石のルークも返す言葉がなかった。けれど、ばあさんの方は一向に気にした風もない。
「で、話って何だ」
「ええか、ルーク。毎晩、リエナちゃんをちゃーんと抱っこして寝るんじゃぞ。わかったな?」
「……は?」
一瞬、何を言われたのかわからないルークは、思わず聞き返していた。
「……ば、ばあさん、今何て言った?」
「リエナちゃんを抱っこせいと言うたんじゃ。聞いとらんかったのか?」
「だ、抱っこって……」
ルークはほとんど固まっていた。リエナは真っ赤になっている。ラビばあさんは、平然としたまま話を続けている。
「要は、『あんか』じゃ。それも、特大のな。おまえさんは血の気も多い分、体温も高いじゃろ? 今みたいに寒い時分は寝とっても冷える。おまえさんがあっためてあげればよかろ?」
ルークは絶句したままである。もちろん言われるまでもなく、ルークは毎晩、リエナをしっかりと腕に抱いて眠っている。けれど、まさかの不意打ちに、すぐには返事ができないのである。
「そら、ルークわかったかの? 何を恥ずかしがっておる。夫婦なんだから当たり前のことを言うたまでじゃよ。返事は?」
ばあさんはルークの沈黙を別の意味に取ったらしい。わざわざ念押しまでしてきた。
「わかったよ。――強烈なばあさんだな」
ほとんど聞き取れないほどのルークのつぶやきを、ラビばあさんはしっかりと聞いていた。
「何か言うたかの?」
「何でもねーよ!」
ルークはラビばあさんを横目で見ながら、言い返した。
「それからもう一つ」
「まだあるのかよ!」
今度は何を言われるかと身構えたルークに、ラビばあさんはあっさりと次の言葉を口にした。
「もう睦み合うてもよいぞ」
「……は?」
「そうすれば、外からだけでなく内側からも、あったまるじゃろうが」
再び絶句しているルークを無視して、ラビばあさんは至極真面目に話し続けている。
「……二人ともどうしたんじゃ? わしが何か変なことでも言うたかの? ただし、ルーク」
ばあさんはわざわざルークに向き直った。
「リエナちゃんに無理をさせちゃならんぞ。しばらくの間は、やさしゅう、な」
ルークは頭を抱えてうなるしかなかった。
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