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旅路の果てに
第11章 5


 ラビばあさんは昨夜から泊まっている宿の部屋に戻ってくるなり、寝台にへたり込んでしまった。薬屋を出た後、どう歩いてきたかすら記憶にない。それほどに、薬屋が何気なく話したことが衝撃だったのだ。

 昨年秋からトランの村に住み着いた、用心棒のルークと、その妻リエナ。彼らは一体、何者なのか。

(トランのルークは、ローレシアのルーク様なのか……。そして、リエナちゃんは、ムーンブルクの姫君……)

 初めてルークと会った時の記憶がよみがえる。

 病に倒れたリエナを気遣うルークの姿に、ばあさんが知るある人物の姿が重なったのだった。

 それは、勇者アレフ。ほかでもない、竜王を倒しローレシアを建国した初代国王。ばあさんはルークに、肖像画に描かれたアレフの面影を見たのである。ばあさん自身、何故そう感じたのか、自分でもわからなかった。それにルークをよくよく見れば、確かに似ている部分があるという程度だったから、余計に不可解だったのだ。

 もっともその後、今までこの出来事を忘れていた――正確には、有り得ない話だからと納得させて意識の外に追いやっていたのであるが――しかし、薬屋の噂話がきっかけで、その時の記憶がよみがえったのだ。

(わしの錯覚ではなかった……のか)

 もちろん、ばあさん自身、二人がローレシアの王子とムーンブルクの王女であると絶対に言い切れるわけではない。あくまで自分が感じた印象と薬屋の店主の噂話からそう推測したにすぎないのだ。

 けれど、どうしても真実かもしれないとの考えが頭を離れないでいる。

(王子と王女であらせられるのがまことならば、今まで腑に落ちなかったことが、すべて説明できる……)

 これまで不思議に思っていた様々な疑問点が浮かび続ける。そして同時に、その答えも。ばあさんは奔流のように流れ続ける自分の思考を止められなかった。ただひたすらに、流れに任せ、思考を追い続けた。

 ルークの剣の腕。破壊神を倒したほどの戦士であれば、トランの裏山をうろついている程度の魔物など、赤子の手をひねるようなものだろう。

 剣の腕のみならず、ルークの堂々たる風格は単なる騎士階級の人間が持てるものではない。以前、自分が感じた通り、大勢の臣下を従える王者にこそふさわしいものなのだ。もちろんルーク自身は決して、村人を軽んじたり下の階級の人間だという目で見たりしない。それどころか、普段は他の村人と同じように振る舞い、役割をこなしている。けれど、国を継ぐべき者として生を享けた者の存在感はおのずと滲み出ているのだ。そう考えれば、騎士階級に見えなかったのも当然のことだと思える。

 リエナの魔法。ムーンブルク襲撃でただ一人生き残った王女は、稀に見るほどの強大な魔力を持つ魔法使いだと名高い。

 ばあさんは魔法についてはごく一般的な知識しか持ち合わせがない。それでも、驚くほどの効果であることだけはわかる。そして、一流と呼ばれる、騎士団に所属するような熟練した魔法使いでも習得している呪文はせいぜい三種類、もっと普通の、街中で治療や解毒の呪文で生計を立てている魔法使いに至っては、一種類のみだということは知っていた。

 リエナが操るのは、回復と解毒、そして結界の呪文。これだけ習得するには、しかるべき師に弟子入りして相当な修業を積まなければならない。あの若さでそれらを難なく使いこなすのだから、本来の力はそれ以上の可能性がある。素性を隠すために、最低限必要な呪文に絞っていると考えれば納得がいくのだ。

 第一、単なる地方領主の娘が、いくら才能があるからといってここまでの修業をさせてもらえるとは考えにくい。

 けれど、ムーンブルクの姫君であれば別だった。ムーンブルク王家の人々は例外なく優れた魔法使いである。王家のこども達はみな、幼いころから徹底して修業をすると聞いている。当然、リエナも同じように修業を積んできたはずだからだ。

 壁に向かい、一点を凝視しながら、思考は巡り続ける。

(よくよく考えれば、リエナちゃんもただの地方貴族の令嬢とは思えん。リエナちゃんが持つ気品はどう見ても生まれながらのもの。気品だけは、いくら母親が名家の出で丹精込めて育てあげたとしても、やすやすと身につくものではないからの。それでありながら、家事も不自由なくこなしておる。それもおかしな話じゃ。大切にかしずかれたのであれば、小間使いの仕事をするなど考えられんからの)

 地方領主は上流とはいえなくとも、れっきとした貴族である。その家の娘が自分で身の周りのことをするなど有り得ない。当然、乳母や侍女が世話をするはずである。リエナほどの優雅な立ち居振る舞いを身につけた令嬢であればなおさらだった。

 他にもそれを裏付ける根拠がある。ルークとリエナがトランに住むようになった時期である。

 薬屋の話では、ルークは昨年の冬になってから、静養のために湖畔の離宮に滞在すると公式発表されたらしい。けれど、実際には秋ごろからローレシアの民の前に姿を見せなくなったとも言っていた。そして、二人がトランの村に来たのが同じ秋なのだ。

 ルークとリエナは結婚したばかりだと紹介された。リエナの初々しさを見れば、それが間違いのない事実だとわかる。それならば、二人で旅をした期間はそう長いはずがない。

(トランに来るまで二人で旅をしてきたとは言っておった。その旅とは、駆け落ち後の話ではなく、大神官ハーゴンを倒すための旅だったのじゃ。聞くところによると、それは2年にも亘る長きもの。しかも、王族の身分を隠すために側仕えすら連れていかなかったらしいから、本来ならばお付きの者たちがすることも、すべてご自分でなさっていたのじゃろう。ずっと、ただの旅人として暮らしていた……だから、ルークもリエナちゃんも庶民の暮らしを知っておる。ルークが力仕事を何のためらいもなく引き受けるのも、リエナちゃんがあれほど料理上手であるのも、すべて長い旅をしていたから。その経験があるからこそ、今こうしてトランで暮らすことができるに違いない)

 リエナの教養もそうだった。以前、ばあさんが貸した物語の書物をあれだけ読みこなせたのも、今なら納得できる。

(あの物語の元となった伝承は、亡きローレシア王太子妃テレサ様の出身国のもの。リエナちゃんはその伝承を知っていたのかもしれんの。ローレシアへ将来の王妃として輿入れするのであれば、嫁ぎ先の様々な知識が必要になる。おそらくは、その教育の一環として伝承を学んだのじゃろう。もっとも、書物の物語まで知っているかどうかまではわからぬが……。他国では手に入れられない書物ゆえ、ムーンブルクがローレシアへ依頼して、テレサ様お輿入れの際のお支度の品を借り受けた可能性もあるが……。むしろ書物の題名で、伝承をもとにしたものだとわかったのやもしれんの。その知識を踏まえて、物語を読み込んだ。だからこそ、物語の世界をあれだけ深く理解できた……)

 ただし、リエナは感想を聞かせてくれた時には、伝承そのものについては触れていない。あくまで、書物に描かれた物語の内容に限定してのものだった。いくら貴族の娘でもあの伝承を知るはずがないから当然ではあるけれど、それも自分の素性を知られないがための配慮だとも考えられるのだ。

 そして、ばあさんの最大の疑問点も、あっさりと答えが見つかった。

(二人が対等の身分に見えたのは当然じゃ。ローレシアの王太子殿下とムーンブルクの第一王女殿下にして次期女王――双方が王族、しかも国を継ぐ御方……)

 それでも、一点だけどうしても理解できないことがある。ルークとリエナが何故、駆け落ちという手段を採ったのかだ。

(二人をそこまで追い込んだ事情は何なのか……?)

 王族が駆け落ちするなど、暴挙以外の何物でもない。常識で考えるまでもなく、絶対に有り得ない話なのだ。いくら心から愛しあい、婚姻に至るまでに大きな障害が立ち塞がったとしても、王族として生を享けた以上、祖国に対しての責務が優先されるべきなのだ。

 しかも、二人ともが『国を継ぐ者』なのだから。おまけにムーンブルクの王女は最後の王族である。王女が出奔するということは、王家の血が絶えることを意味する。どんな事情があろうと、自分の感情を優先することは許されない。何があろうと、祖国のために身を捧げることこそが、王族の務めである。国を捨てるなど、決して許されるのことのない大罪なのだから。

 ルークとリエナはそのような大罪を犯す人物にはどうしても見えない。それどころか、祖国のために自らを犠牲にすることを、場合によっては、国に殉じることすら厭わないようにしか思えない。

 事実、彼らのおかげで世界は破滅を免れたのだ。そしてルークは、常人ならば即死するほどの重傷を負った。

 しかし、ルークとリエナは今、トランの村で暮らしている。

 ばあさんはリエナが倒れた翌日、詳しい事情を聞くために二人の家を訪れた。その時リエナと交わした会話を思い出していた。

(リエナちゃんは、故郷で心労があった――つらい日々だったと言うておった。そして、そこからルークが救い出してくれたのだとも――リエナちゃんの身に、いったい何が起きたのか?)

 駆け落ちするということは、王族の身分も何もかもすべてを捨てなければならない。それほどの事情とは……?

 ばあさんはここまで考えを巡らせて、重い息を吐いた。

(わしは何を馬鹿なことを考えておるのだ。まるで、ルークとリエナちゃんが、ローレシアの王太子殿下とムーンブルクの姫君であると決まったようではないか……)

 第一、いくら旅で慣れていても、ずっと大勢の側仕えにかしずかれた二人が市井の民と同じ生活を送れるわけがない。事実、二人ともがトランの村ではごく普通の庶民として暮らしている。そこに無理や不自然さは感じられない。

(わしの思い違いじゃ。トランの村のルークとリエナちゃんは、結婚を反対されて駆け落ちしてきた、騎士とその領主の娘……。他ならぬ、本人達がそう言っておるのだから)

 ばあさんは顔を上げた。

(すべては偶然にすぎん。ローレシアのルーク様とトランのルークが同じ場所に傷跡があるのも、双方が、堂々たる体格を持っているのも、同じくらいの年齢なのも、漆黒の髪に青い瞳を持っているのも、そして、リエナちゃんの名前がムーンブルクの姫君と同じであるのも、みな、そうなのじゃ……)

 ラビばあさんは、ひたすら自分にそう言い聞かせる他はなかった。




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