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旅路の果てに
第11章 4
夏も盛りとなったある日、ラビばあさんはローレシア城の城下町に来ていた。徒歩で、古くからの馴染みの薬屋に向かっている。
ばあさんは他国の出身であるが、昔この近くで産婆兼薬師として働いていたのでこの辺りには詳しい。トランの村に住みついたのは、裏山で採れる薬草の品質がよく、珍しい効能を持つものが多く自生しているからだった。もう随分前になるが、この薬屋から依頼されて裏山の薬草を独自の配合で調合したものを持ち込んだところ評判になり、それ以来、年に何度か薬草を卸しに来るのが習慣になっている。
この薬屋はローレシアが建国されて間もないころから商いをしている老舗で、ローレシア城御用達の店でもある。評判を聞きつけ、顧客には腕のいい医師や貴族も数多くいた。
小売りもしていて、店先にはたくさんの薬が置いてあり、専門知識を持つ店員が客の相談に乗ってくれる。老舗なのに値段は良心的で、今も相変わらず繁盛していた。
ラビばあさんが店を訪ねると、顔馴染みの店員が愛想よく出迎えてくれた。
「ラビさん、おひさしぶりです」
「ひさしぶりじゃの」
「どうぞお入りください。今、主を呼んで参ります。もうずっとお待ちかねでしたよ」
いつもと同じように、来客用の部屋に通され、店の女店員がすぐに熱い香草茶を運んでくる。
「ラビばあさん、今回はえらくご無沙汰だったな」
出された香草茶に手をつける間もなく、奥からこの薬屋の店主が出てきた。薬屋とは思えぬ、大柄で豪放磊落な雰囲気の人物である。
「すまんの。少々取り込んでおってな。その代わりと言っちゃなんだが、いつものの他にも、新しい薬草も持ってきたぞ」
「おお、そうか。早速見せてくれ」
ラビばあさんは、店主の前の机に幾種類もの薬草を並べた。前回来たのは、秋の終わりである。いつもなら遅くとも春の終わりには来るのだが、今回は思いがけず時間が開いてしまった。リエナの治療に専念しながら、新しい調合を研究していたからである。
「ばあさんの薬草、相変わらずの評判だったぜ。売り切れてずいぶん経つからな、常連客からの催促がすごかったんだ。――こっちのが、新しい薬草だな?」
「そうじゃ。冷えのひどいご婦人向けじゃ。今は暑い盛りじゃが、そのうち必要になるかと思っての。こっちは安眠に効く匂い袋。どちらも試しに持ってきた」
店主は熱心に薬草を確認していたが、終わると満足げに頷いた。
「これだけあれば、当分持つ。助かった。すぐに常連に連絡しないとな。それに、新しい薬もよさそうだ。早速店に置くことにする」
「ほうか。それならよかった」
「ところで、ばあさん」
「なんじゃ、あらたまって」
「ばあさんが来るのを待ちかねてたのは、売り切れたのもあるが、さる筋から特別な薬の注文が来たからなんだ。かなり難しい注文なんで、ばあさんじゃないととても無理だ。先方には待ってもらってるんだが、今なら頼めるか?」
店主の顔は真剣だった。相当な上客からの注文らしい。
「どんな薬じゃ? おまえさんの店なら大概のものは揃うじゃろうに。それを特別にというからには、よほど特殊なものなのかの?」
ばあさんは怪訝な顔をした。店主は頷くと、声をひそめた。
「実はな、ローレシア城に仕える侍医様から直々に受けた注文なんだ」
「ローレシア城から……、じゃと?」
ばあさんの表情がみるみる曇る。事情を知る店主は申し訳なさそうにしながらも、話を続けた。
「ばあさんの気持ちもわかるが、できたら受けて欲しい。受けてくれるのなら、詳しい話をする」
ばあさんはしばらく逡巡していたが、きっぱりと頷いた。やはり薬師として、病に苦しむ人を――しかもローレシア城に関係のある人物であれば、なおさら放っておくことはできなかった。
「よかろ。受けるとしよう。ただし――」
「わかってる。ばあさんの薬だとは言わない。先方には、昔馴染みで腕利きの薬師に特別注文したとだけ伝える。それなら構わねえだろ?」
店主は真面目な顔で頷いた。
これまでも、ラビばあさんの調合した薬草は薬師の名前を出さずに売られていた。ばあさんには、自分の名前を表に出したくない事情がある。トランの村でも、こうして薬屋と取引しているのを知っているのはまとめ役のジェイクとその妻エイミだけだった。しかも、取引先がローレシアであることは伝えていない。
「どんな薬が入用なのじゃ?」
「古傷に効く薬だ」
「古傷?」
店主は頷くと、やや言いにくそうに話を続ける。
「そうだ。そしてな、この薬を必要となさっているのは、王太子殿下なんだ」
ばあさんはすぐには返事ができなかった。ちいさな目を丸くしていたが、ようよう言葉を絞り出した。
「王太子殿下が……何故、そのような薬が必要なんじゃ」
「その辺りはこれから説明する」
さらに表情に真剣さを増した店主に、ばあさんも姿勢を正した。
「王太子殿下――ルーク様が大神官ハーゴンと破壊神を倒して凱旋なさったことは知ってるな」
「もちろんじゃ」
ばあさんは頷いた。何しろ、世界中で大きな話題となったのだ。トランの村に引き籠っていても当然知っている事実だった。
「ルーク様は、その戦いの時に重傷を負われた。何でも、腹部から背中に破壊神の爪が貫通したそうだ。今も、腹と背中にひどい傷跡が残っているらしい」
「腹部から背中に、貫通? 破壊神の爪……?」
「ああ、そうだ。普通ならまず間違いなく即死だが、そこはあの王太子殿下であられるから、なんとか持ちこたえたらしい――ばあさん、どうした? 顔色が真っ青だぜ」
ばあさんは呆然とした表情になっている。店主の声も碌に耳に入っていないらしい。普段のばあさんなら、ありえないことだった。
「気分が悪くなったか? すまねえな。ばあさんなら、想像するだけでもどれほど凄惨な状態なのがわかるだろうからな。今、冷たい茶を持って来させるから、待ってな」
店主は一旦席を立つと、茶の支度を命じに部屋から出ていった。
その場に残されたばあさんの脳裏に浮かんだのは――ほかでもない、この春の終わりに思いがけず目にした、トランの村の用心棒であるルークの持つ傷跡だった。ばあさんが見た傷跡は、店主の言う特徴とぴったり一致する。
(一体、どういうことじゃ)
ばあさんの頭は混乱し始めていた。ばあさんも、何故あの傷跡を思い出したのか、すぐには自分でも理由がわからなかったからだ。
考えるまでもなく、ローレシアの王太子であるルーク殿下とトランの用心棒のルークは別人である。たまたま名前が同じで、似たような傷跡を持っているだけなのだ。
(王太子殿下はローレシア城にいらっしゃる。現に、城から薬の注文が来ているのじゃから)
今は余計なことを考えている時ではない。ばあさんは次々と湧き出る疑問を無理やりに振り払った。
そうしているうちに、店主自らが盆を手に戻ってきた。
「待たせたな」
ばあさんも目の前に置かれた冷たい香草茶を一口飲んで、ほっと息をつく。
「手間をかけさせてすまんかったの」
「とんでもない。暑い時分だから仕方ないぜ。――説明を続けてもいいか?」
「頼む」
「ルーク様はな、去年の冬からずっとご静養中なんだ。原因は、さっき言った古傷が悪化したことだ」
「ご静養中? あの王太子殿下が?」
「俺だって驚いた。何しろ、あのお丈夫で有名な王太子殿下だ。だが本当の話だぜ。今は湖畔の離宮で治療に専念なさっている。公式発表されているから、間違いない」
ルークは幼いころから身体も大きく、健康そのものだった。出産時に母王太子妃を亡くしていたが、ルークは小柄だった母に似ず、父であるアレフ11世に似ていた。同時に、ローレシアを建国した勇者アレフの面影を色濃く継いでいる。誰が見ても、紛れもないロトの血筋の王子なのだ。
ルークは公式行事の他にも、民の前に姿を現すことが多かったから、ローレシア城の城下町で暮らす民なら誰もが知る事実である。
「誰だって俄かには信じられないぜ。特に、あの破壊神を倒して凱旋なさった時の様子を知ってるやつらは皆そうだ」
「そんなに凄かったのかの?」
「おうよ、ばあさんもその時に来てればよかったのにな」
店主は腕を組むと、懐かしそうに目を細めた。
「凱旋の式典でな、城下町で行列が練り歩いたんだ。その時ルーク様もお姿を見せてくださったんだが、とにかくすごかった。礼服姿にロトの剣を佩いて、漆黒の駿馬に騎乗されていたお姿は、そりゃあもう堂々としてて、凛々しくてな。この御方が我が国の未来の国王陛下であられるんだと、お姿を拝するだけで心強く思えたもんだ」
「そうだったか、惜しいことをしたの」
「城下町の女達は、娘はもちろん、ばあさんまで一人残らず見惚れてた。男の俺から見ても惚れ惚れするほどのお姿だ。気持ちはわかるぜ」
「――ところで、古傷の薬とはわかったが、現在のご病状はどうなのかの?」
ばあさんの問いに、店主も表情を引き締めた。
「実のところは、詳しいことはわからねえ。侍医様から聞いた限りでは、傷そのものは完治してるはずだ。ひどい傷跡が残りはしたが、特に異常はなかった。それが、去年辺りから急に悪くなったらしい。具体的には、かなり疼くから痛み止めと、内部の炎症を抑える薬を処方してくれとのことだった」
「痛み止めと、炎症を抑える薬じゃな。古傷なら、痛み止めは長期間使えるものの方がよさそうじゃの。後は、よくお休みになれるよう、何か鎮静作用のある薬もあった方がええじゃろ。これらをそれぞれ処方を変えて、幾種類かずつ調合してみることにする。実際に侍医様にご覧いただいたうえで、どれを使うかお任せしたほうがよかろうからの」
「ああ、そんなところで頼む。他からも手を尽くしていい薬を集めているらしい。当然のことだな。だから、うちもできる限りのものをお納めしたい。ばあさんの薬ならきっと、ルーク様も回復なさるに違いない」
「わかった。ルーク様はわしにとっても大切な御方じゃ。心を籠めて、薬を調合させていただこう」
用件はこれで済んだ。この後は、自然と世間話に変わっていく。ばあさんが茶碗を手に、店主に問いかけた。
「ルーク様がご静養中であれば、何かとご公務にも障りがあるじゃろうな」
「ああ、今は、第二王子のアデル様が王太子代行を務めていらっしゃる」
「ルーク様はそこまでお悪いのか」
「決して良い状態とは言えねえらしい。そういや、公式発表の前……秋ごろからお姿を見せてくださらなくなったな。もしかしたら、その頃から具合が悪かったのかもしれねえ」
「なんとまあ……」
「離宮でご静養なさっていても、お好きな遠乗りにすら一度もお出かけになってないらしくてな、ごく限られた側近と侍女だけが、お側に上がるのを許されてると聞いている。あの殿下がそこまでになるんだ。破壊神との戦いがそれだけ過酷なものだった証拠だ。ルーク様は御身を挺して、世界の人々を守ってくださった……」
店主はあらためてばあさんに向き直った。
「俺達ローレシアの民はみな、ルーク様のご本復を祈ってる。もう一度、あの凛々しいお姿を拝見したいんだ」
「それは、わしも同じじゃ。わしらがこうして平和に暮らせるのも、みなルーク様達が破壊神を倒してくださったおかけじゃからの」
店主は頷き、しみじみと呟いた。
「ばあさんの言う通りだぜ。――凱旋行事でお姿を拝した時には、これでローレシアは安泰、あとはお妃様をお迎えするだけって、みんな楽しみに待ってたんだ」
「お妃様……どなたか候補でもいらっしゃったのか? ルーク様のお妃になれるのであれば、どんなに高貴な姫君でも喜んで輿入れなさるじゃろうに」
「それが、なかなか決まらなくてな。周囲はやきもきしとったんじゃないか?」
「どなたか、心に決めた御方でもいらっしゃったのかの?」
ばあさんは何気なく問い掛けたのだが、店主の答えは驚くべきものだった。
「いや、それはわからねえ。ただ、一度はご婚約が内定してたんだ。だが、公式発表の直前で白紙に戻ってな、それ以来具体的なお相手については、何にも聞こえてこないぜ」
「ご婚約が内定しとった?」
「ばあさん、知らなかったのか? かれこれ5年も前の話だぜ」
店主は驚いたようだった。公式に発表されてなくとも、婚礼の準備のための品などは既に注文され始めていた。だから、城下町は御祝いの雰囲気で、非常な盛り上がりを見せていたからである。
「ああ、知らんかった。そういや、その頃は一年ばかり来れん時があったの。その間の出来事じゃな」
「思い出したぜ。ムーンブルクが襲撃されて、出歩くのが危ないってんで、しばらくはほとんど旅人の姿を見かけなかった時期だな」
「お相手はどこの姫君かの?」
「その襲撃された、ムーンブルクの第一王女殿下だ」
「ムーンブルクの……」
「そうだ。ムーンブルク城が襲われて、国王陛下と、姫様の兄君の王太子殿下が亡くなられたんだ。お気の毒なことに、王族で生き残ったのが姫様お一人きりだった。最後の王族が他国に輿入れするわけにはいかねえからな、それで自動的に婚約解消ってわけだ」
「なんと……」
「――実はな、あと一週間もすれば正式発表されるんじゃないかって、もっぱらの噂だった」
店主が沈痛な表情で話を続けている。
「ルーク様は、ムーンブルクの姫様の成人の御祝いに出席されたんだ。そこで姫様を見初められたとか、色々と噂が聞こえてきたぜ。ローレシアとムーンブルクって組み合わせは珍しいが、まあ、王族同士だからな。よくある政略結婚なんだろうが、それでもめでたいことには変わりねえ。ムーンブルクの第一王女殿下なら、ルーク様のお相手としては申し分ないし、なにしろ、驚くほどお美しい姫様らしかったしな」
ばあさんは、返す言葉もなく、ただ呆然と店主の話を聞いている。
「後は、ばあさんもよく知ってる話だ。ルーク様はハーゴン討伐の旅に出発なされた。サマルトリアのアーサー様とムーンブルクの姫様も一緒にだ。……もしかしたら、ルーク様と姫様は恋仲だったかもしれんな」
「……恋仲?」
単なる店主の思いつきだったのだが、ラビばあさんは衝撃の余り、そう言ったきりで言葉を失っていた。頭の中で、様々な出来事が浮かんでは渦を巻いていく。
「ああ。もし噂通り、ルーク様が姫様を見初めたのなら、当然そうならないか? 旅となれば、ずっとご一緒に居ることになるんだぜ? あんな立派なルーク様と旅をしたんだ。婚約解消したとはいえ、一度は未来の夫君と決まったお人に大切にされれば、姫様の方だって満更じゃないだろうよ。しかも、サマルトリアのアーサー様はとっくにご婚約なさってたんだから、誰も邪魔する輩はいねえしよ。ルーク様のお相手が中々決まらないのは、案外それが理由かもな」
ばあさんはまだ呆然としていたが、ようやく立ち直った。
「そういえば、王女殿下は、なんというお名前だったかの……」
「何だったかな……?」
店主は思案顔になった。
「以前に、どこかで聞いた気もするが……覚えがない。まあ、あのムーンブルクの姫様だ。そうそう下々の者にお名前を教えたりはしないからな」
ムーンブルクは他の国々とは違い、やや秘密主義のところがある。特に王族女性は成人まで公式の場に一切出ないために、市井の民が名前を知る機会はなかなかないのだ。だから店主も先ほどからずっと、『姫様』と呼んでいるのである。
「そういや、姫様もずっとご病気だそうだ」
「姫様も?」
「ああ、ムーンペタの薬屋仲間の噂で聞いた。何でも絶対安静で、凱旋なさってからずっとご療養中らしい。どうやら旅そのものが原因らしいが、これは当然だろうな」
ばあさんも頷いた。
「か弱いおなごの身で過酷な旅を続けられたのじゃ。早くよくなられるといいの。それにしても、ルーク様と姫様が恋仲とはの……」
「おいおい、ばあさん。別に御二方がそうだと決まったわけじゃねえぜ。あくまでそうじゃないかって、俺が勝手に思っただけで。だいたい、ルーク様のお相手が決まらないのは、今はご静養中だからだろうしよ」
「いや、もし事実なら、何とか添わせてさしあげることはできんかったのかと思っての」
ラビばあさんの言葉を、店主はあっさり否定した。
「そりゃ無理だぜ。どっちも国の後継ぎだ」
「確かにそうじゃな。――すっかり邪魔したの。おまえさんの話のおかげで、つい長居してしもうたわ」
店主が苦笑した。店主は元から話好きな上に、ばあさんは色々な意味でいい話し相手なのである。だから、こうやって茶飲み話が長引くのもいつものことだったのだ。
「じゃあ、ばあさん。薬は頼んだぜ。できるだけ早く届けてくれると助かる」
「わかっとる。出来次第、すぐに持ってくるから待っとってくれ」
「よろしく頼む」
ばあさんが席を立ったところで、店主がいきなり言った。
「思い出した」
「思い出したって、何をじゃ?」
「ムーンブルクの姫様の名前だ。リエナ様だ。さっき話したムーンペタの薬屋仲間がぽろっと漏らしたのを、今思い出した」
「リエナ、様……?」
「そうだ。お名前に相応しい、それはそれは美しい姫様らしいって、薬屋仲間がさんざん自慢してたんだ。亡くなられた王太子殿下――ユリウス様って言うんだが、こちらがまた素晴らしい御方らしくてよ、薬屋仲間がムーンブルク王家は美男美女揃いって言うんで、こっちもルーク様もアデル様だって、それは男らしくてご立派な御方だ、勇者ロトや勇者アレフの再来に違いないって、自慢し返してやったんだ」
ラビばあさんはもう店主の話を聞いていなかった。衝撃が強すぎたのだ。
まだ話し足りなさそうな店主に対して、ばあさんは何とか繕って話を切り上げると、店を後にしたのである。
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