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旅路の果てに
第12章 9


「リエナ殿下の居場所は未だ……?」

 ムーンペタの領主であるルーセント公爵が尋ねた。王都を失って以来、仮の王城となっているムーンペタの離宮の一室での会話である。

「はい、手掛かりはおろか、有力な目撃情報すら皆無の状態です」

 沈痛な面持ちで答えたのは、宰相カーティス。ムーンブルク復興事業、特に外交で重要な役割を果たしつつ、同時にリエナ捜索の総指揮を執っている。捜索の指揮は本来チャールズ卿が務めていたのであるが、最近になってますます言動が常軌を逸しつつあるため、カーティスがこちらも指揮せざるを得なくなってきているのである。

「それならば一体、どこへ姿を隠せるというのだ!?」

 怒りに声を震わせているのは、オーディアール公爵である。ルーセント公爵同様、ムーンブルク建国当時からの大公爵家の当主であり、また亡き王妃の兄――リエナの伯父に当たる人物である。普段は温厚で知られるオーディアール公爵も、リエナの出奔問題に絡むと声を荒げざるを得ないのだ。

 ルーセント公爵が口を開く。

「ムーンブルク国内はもとより、もっとも可能性の高いであろうローレシアでもまともな目撃情報一つ得ていない。ここまで完璧にお姿をくらますことができるとは……。やはり事前にルーク殿下と詳細な遣り取りがあったとしか思えないが」

 ルーセント公爵の問いに、カーティスは力なく首を振った。

「お言葉ですが、ルーセント公爵。その可能性は否定されております。リエナ殿下はこちらへお移りになられて以来、常にチャールズ卿の監視下にありました。その状況で、隠密にルーク殿下と遣り取りをするなどどう考えても不可能です」

 ルーセント公爵は痩躯の肩を落とすと、重い溜め息をついた。これも幾度も繰り返し、否定されてきた。ルーセント公爵もわかってはいても、どうしても確認せざるを得ない、それほどに遣り切れない思いを持て余しているのだった。

 オーディアール公爵が話題を変える。

「ところで、チャールズ卿はどうした。このような重要な席に来ておらんとは」

 チャールズ卿だけでなく、父であるフェアモント公爵も来ていない。もっとも、父の方はいてもいなくても大して変わりはないので、最近ではこういった重要な席では話題にすら上らないのであるが。

「チャールズ卿は最近、何かと問題行動が多いそうだな」

 ルーセント公爵の口調は苦々し気なものだった。

「……はい」

 カーティスは肯定せざるを得ない。言われなくとも一番それをよくわかっているのが他ならぬカーティス自身である。卿の言動が日々悪化しているなかで、まだわずかながらカーティスにはまともに――あくまで他の人物に比べてではあるが――接している。それをいいことに、卿への各種連絡はもとより、卿から受けた厄介事の相談まですべて押し付けられているのだから。

「ここのところの卿の振る舞いは目に余る。攻撃魔法を人に向けて発動するなど、魔法使いの風上にもおけん暴挙だ。いつまでもこのまま好き放題させるわけにはいかん」

 自身も優秀な魔法使いであるオーディアール公爵が怒りを隠そうともせずそう言うと、カーティスに向かって言葉を継いだ。

「チャールズ卿の処分はいずれそれなりの措置を取る。リエナ姫の捜索は今後も続けるのだ。良いな」

「最善を尽くします」

 カーティスはこう答えるしかない。

********

 不毛な話合いを終えて、ルーセント公爵は厳しい表情のまま離宮を後にした。迎えの馬車に乗り込むと人知れず溜め息をつく。

――リエナ殿下、あなた様はいったいどこにいらっしゃるのですか?

 ルーセント公爵らがリエナを諦めきれない理由は、無論ムーンブルク王家直系のただ一人の王女だからである。と同時に、もう一点重要な点がある。それは現在――否、王家歴代の魔法使い達のなかでも最大にして最強の存在に間違いないからである。

 これが意味するのは、現在の混乱を極め、懸命に復興に向かって進もうとしているムーンブルクを治めることができるのが、リエナしかいない、言い換えればリエナでなければ、ムーンブルクの魔法使いを従えることができないという事実だった。

 単に血筋を言うだけなら、最悪、チャールズ卿でも構わない。今は臣下に下ったとはいえ、元は同じ血統である。古の月の王国を治めるべき月の神々の末裔の一人であることは間違いないのだ。

 けれど、実際にそれを実現するのは困難を極める。チャールズ卿本人も自力での即位が不可能だと理解しているからこそ、リエナの王配となるという手段を選んだのだから。

 ムーンブルクは『魔法絶対主義』なのだ。歴代の王は、自身が当代で最強もしくはそれに準じる魔力の持ち主である。そこに例外はない。王は、自身の圧倒的な魔力でもって大勢の魔法使いを従え、国を治めなくてはならないのだ。

 だからこそ、ムーンブルクは王家の魔力を保ち、より強力にするためにあらゆる努力を惜しまなかった。原則長子が王位を継ぐとされていても、弟妹の方が明らかに魔力が強ければ王とはなれない。

 王家の魔力を保持するためには優秀な子が必要である。そのために王の配偶者も強い魔力を持つことが絶対条件となる。それだけでなく、王家に産まれた子は生後すぐ、それこそ産湯を使った直後に最初の試練――魔力の測定を受けなければならない。古老の中でも特に魔力の感知に優れた魔法使い達が、子の潜在能力を量るのである。

 そしてその試練を乗り越えて初めて、ムーンブルク王家の子と認められるのだ。王子王女誕生の公式発表は無論の事、それどころか父と対面し、母の腕に抱かれることが許されるのもこの試練を終えた後である。

 幸い、産まれた子のほぼ全員が無事に試練を終える。しかしごく稀に――百年に二人かせいぜい三人程度ではあるが――王家の基準値に達しないことがある。その場合、公式には死産とされ、養子に出されるのだ。王家の子と認められない以上、生涯両親の元に戻ることはない。父との対面を許されず、一度も母の腕に抱かれることもないまま、子は魔力の測定が終了したその足で王家直轄の修道院に移され、修道女達から世話を受けながら、養い親が決まるまでそこで過ごす。無論、修道女達にもその子の本当の出自は知らされず、さる高貴な血筋であるがよんどころない事情があって養子に出されるとだけ説明されるのだ。

 養子の先も貴族ではない。養い親となるのは市井の民のうち裕福で人格者でありながらも子を授かることができない夫婦である。また一族に魔法使いがいないことも重要な条件となる。

 また子の魔力は徹底的に封じられる。ムーンブルク王家に産まれた子は誰もが魔力を持っている。単にそれが王家の基準値に満たないというだけであって、決して魔力が弱いとは限らないからだ。

 もし何もせずに放置すれば、いずれ本人が制御できず暴走するのは目に見えている。そして、市井で生きていくのに魔法は必要なく、むしろ中途半端な魔力は災いを呼ぶものでしかない。また養い親もその一族も魔力を持たないから自分の出自に疑念を抱く可能性もある。それならばすっぱりと捨て去った方がいいのである。

 子は王子王女ではなく一人の民として生きていくと定められ、自身が王家の血に連なる者だと知らされることは絶対にない。養い親も実子として育て、子の出自に対しては永遠の沈黙を誓うのだ。

 もっとも一見この残酷とも思える措置も、子の将来を考えれば決して悪い話ばかりではない。魔法絶対主義の王家で役立たずの烙印を押されるよりも、市井で暮らす方が本人の将来のためには良いのだ。養い親は資産家であるのが条件であるし、それに加えて養育のために莫大な持参金が支払われるから、経済的に困窮する可能性もほぼない。

 何より、養い親に慈しまれ、自身の他の才能――王家の子は魔力を持たなくとも容姿や芸術などの才に恵まれている――を活かして生きていけるからである。

 ここまでしてきたからこそ、ムーンブルクは王家の魔力を保持し、千年以上に亘り、魔法大国として君臨し続けてきたのである。

 故に、チャールズ卿は明らかに力不足である。彼自身、優秀な魔法使いである点は間違いないが、あくまで臣下であるからそう評価されるに過ぎない。ロトの血を引く現王家の人々――リエナはもちろん、ハーゴン襲撃で生命を落とした先代国王ディアス9世、第一王子で王太子だったユリウスらとは比べ物にはならない。

 そもそもチャールズ卿の生家であるフェアモント公爵家が王権争いに敗北した一族である。王家の中でもロトの血――勇者アレフの血を引かないがために魔力が劣った人間らが臣下に落とされたのだ。

 だからもしチャールズ卿がリエナの王配としてではなく、即位を強行して王となったとしても、貴族らは無論のこと、大勢の魔法使い達――騎士団に所属する者から市井で回復や解毒の呪文を生業とする末端の者までの誰もが、表面上の忠誠を誓うのみで、本心では自分達の頂点に立つ者とは認めまい。

 だからこそ、リエナが必要なのだ。リエナがいなければ、ムーンブルクが魔法大国として存在することそのものが不可能なのだ。

 ルーセント公爵は馬車の外に視線を移した。既に夜は更けているが、曇り空で月は見えない。まるで現在のムーンブルクの状況のようだと再び溜め息をついた。

――リエナ殿下、あなた様は、何故ムーンブルクを見捨てられたのですか? あなた様は何のために戦ってこられたのですか?

 もしリエナが見つかれば、不敬であると承知していても直接問い質したい――ルーセント公爵はその思いを抑えきれずにいる。




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