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旅路の果てに
第2章 4


 チャールズ卿からの結婚の申し込みから約1ヶ月後、宰相カーティスが調査報告を持ってリエナの許を訪れた。

「リエナ殿下、お加減はいかがでございますか? フェアモント公爵家に関する調査が終了いたしましたので、ご報告にあがりました」

「ご苦労様でした、宰相。それで、結果は……?」

「それが……、とてもよいご報告とは……」

 表情を曇らせたカーティスに、リエナは自分の予想が的中したのを悟っていた。

「覚悟はもうできておりますわ。王位奪還のために、わたくしに結婚を申し込んだ……、やはりそうだったのですね」

「殿下、何故それを……?」

「わたくし、あれからずっと考えていてようやくわかりましたの。女王の夫の地位を手に入れ、わたくしが子を産めば――王家の後継ぎさえ手に入れてしまえば、未来の国王の父としてこの国の実権を握ることは難しくありません。……ムーンブルク城崩壊は、フェアモント公爵家にとっては、またとない機会であったわけですのね」

「大変遺憾ながら、殿下の仰せの通りでございます」

 覚悟していたとはいえ、リエナは衝撃のあまり、眼の前が真っ暗になっていた。自分にとって悪夢としかいいようのない、あの出来事を、フェアモント公爵家は逆に歓迎していた、到底信じられない、信じたくない事実が眼の前に突きつけられ、身体が小刻みに震えてくる。

 それでもまだ、自分がチャールズ卿と結婚すると正式に決定したわけではない。リエナはカーティスにまっすぐ眼を向けた。

「チャールズ卿が真実ムーンブルクのために尽くしてくださるのであれば、わたくしは結婚の申し込みを受けるのに何のためらいもありません。ですが、あの方の目的はあくまで王位奪還です。それがわかっていて、承諾するわけには参りませんわ。ですが、このままでは無理に押し切られてしまいます。何とかして、それだけは阻止しなければ……!」

 気丈に話し続ける菫色の瞳に涙が浮かんでいる。

 カーティスはこのまだ若い王女がどれだけの覚悟で今の言葉を発したのか、それを思うと、現在の自分の政治的な力のなさが悔しくてならなかった。だがこのままでは、国家存亡の危機である。迂闊に動くわけにはいかない。

「まずはチャールズ卿の結婚申し込みを絶対にお受けなさらないこと。その上で、今は何も行動なさらないのが一番だと存じます。早急に対策を講じます。殿下、今はお気持ちを強くお持ちください。なるべく時を稼ぎ、必ず何か方法を見つけます。よろしいですね」

「……わかりました。宰相、あなたまで大変なことになって……、申し訳なく思います。ですが、今わたくしの味方はあなた一人。これからもムーンブルクのために、わたくしに力をお貸しくださいね」

「殿下、微力ながら、全力を尽くさせていただきます」

 カーティスが退出した後も、リエナはしばらく放心したように座ったままでいたが、まずは自分がしっかりしなければならない、そう気持ちを奮い立たせ、あらためてフェアモント公爵家と戦う覚悟を決めた。

********

 その後もチャールズ卿は、リエナを手に入れるため、彼女の心をほぐそうと上辺だけは相変わらず穏やかにふるまっていた。まめにリエナを訪ね、体調を気遣い、若い王女の気に入りそうな品物を贈った。だが、自分の結婚申し込みに対し、態度をはっきりさせないリエナに次第に焦燥を募らせていった。

 今日もチャールズ卿はリエナの許を訪れている。

「リエナ姫、お加減は如何ですか。最近また熱を出される日が多いと伺っています。幸い復興事業は順調に行っておりますゆえ、どうぞ今はご養生に専念なさってください」

 リエナの表情は、こころなしかいつもよりも硬い。

「いつもお心遣い感謝いたします、チャールズ卿。ですけれど、わたくしの健康を本当にご心配くださるのでしたら、是非現在の状況をご報告いただきたいものですわ。これでは気掛かりで治る病気も治りませんもの」

 リエナの頑なな態度にも、チャールズ卿は余裕の表情を見せている。

「またそのようなことをおっしゃる。何度も申し上げましたでしょう? 復興事業はすべて私どもにお任せくださればよいと。それよりも、私からの結婚の申し込みをお考えいただけましたか? いい加減受けていただかねば困ります」

「そのお話でしたら、それこそ何度もお断りしたはずですわ。次期女王の夫となる方を、わたくしの一存で決めるわけには参りません。当然、議会の承認を受けなければなりませんもの。その為には、まずはわたくしが健康を取り戻す、すべてはそれからですわ」

「相変わらず美しいそのお顔でおっしゃることは手厳しい。まあよろしいでしょう。どのみち、あなたが私を夫として迎えることは既に決定しているのと同じです。近いうちによいお返事をいただけると信じておりますよ。――それでは、これから議会ですのでね。失礼いたします」

 そう言うと、リエナが予想以上の抵抗を見せる忌々しさを押し隠し、表面だけはあくまで穏やかな笑みを浮かべたまま退出していった。

********

 宰相との会談以来、リエナは眠れない夜を過ごしていた。迫りくる恐怖と不安、それらと戦いながら、なんとかよい方法を考えようとしていた。

(ムーンブルクの復興と、王家の血の存続。この二つがわたくしに課せられた使命。けれど、わたくしの手で復興事業を行うことはできなくなった……)

 自らの手で祖国を復興させるために、自分は戦ってきた。けれど現実は、事業の経過の報告すら碌に受けられていない。総指揮官の名前だけはリエナであっても、単なる飾りに過ぎず、すべてフェアモント公爵家の指揮下で行われている。

 そのことを思うたび、リエナの心は痛んだ。けれど、仮に自分で指揮を執れたとしても、周囲の協力なしで復興を行うことは不可能である。何もかもを自分の手で行うことに固執してはいけないのかもしれない、と思い直した。

(とても残念だけれど、我慢しなくてはいけないのかもしれないわ……。フェアモント公爵家は、復興事業に全力を尽くしているのは確かだから。民にとっては、誰がやろうと同じですもの。最終的にムーンブルクが元の姿を取り戻すこと、それが一番大切なのだから……)

 リエナが考えている通り、ムーンブルク復興事業そのものはチャールズ卿が指揮を執り、順調な滑り出しをみせている。その点だけは、リエナも安堵していた。最終的にはフェアモント公爵家がムーンブルクを手に入れるためであることは承知していたが、それでも大変な難事業をきちんと計画通りに遂行していることに感謝の気持ちがないわけではない。

(でも次代に血を残すことは……、わたくしにしかできない)

 その厳然たる事実の前に、リエナは大きく溜息をつかざるを得なかった。

(けれど、今のわたくしの健康状態で、それができるのかどうか……。それでも、女王として後継ぎを儲けるのが最大の義務だとわかっているわ。なのに、仮に授かったとしても、状況次第ではその子は単に道具としてしか扱われない。そうなってしまったら、わたくしは……自分の子を守ることすら、難しくなる……)

 リエナの結婚相手の選定は非常に難しい。ムーンブルクは復興事業に着手しはじめたばかりであり、元の姿に戻るまで何年かかるのか見当もつかない状況である。

 復興事業を順調に進めるには、諸外国の援助はもちろん、生き残った国内貴族の協力が不可欠である。そして古くからのうるさ型の貴族を纏めることができるのは、リエナしかいない。魔法大国の国王は、誰もがひれ伏すほどの魔力を持つ魔法使いでなければ務まらないからだ。その点においては、大神官ハーゴンと破壊神シドーを倒したリエナは、誰もが認める次期女王である。

 しかし、実際に復興事業の指揮を執り、同時に国政も行う、ということになると、また話は変わってくる。リエナも帝王学については一通り学んだものの、王女である彼女に求められていたのは、まったく別の役割――他国へ嫁ぎ、王妃となって後継ぎを儲け、二国間を繋ぐことである。そのために学んできたことは、宮廷作法やダンス、会話術や芸術論などといった、王族女性としての教養が中心だった。

 そのためリエナの夫となる人物は、女王を支え、復興事業と国政を補佐する役割も求められる。単に王配にふさわしい身分血筋を持つだけでは足りず、本人の資質――それこそ、実質的に共同統治者となれるほどの政治的手腕を持つことが望ましい。また、ムーンブルクへの復興援助を期待できるだけの後ろ盾があることが重要な条件となる。

 その点だけを考えれば、ルークは有力な候補の一人となり得る。ローレシアの第一王子であるから、身分血筋についてはこれ以上は望むべくもない。また幼い時から『ローレシアを継ぐ者』としての徹底的な教育を受けており、既に父王とともに、国政にも携わっている。ローレシアはロト三国の宗主国として、大規模な復興援助を行うことも決定している。

 しかし、いくら条件に合うからとはいえ、もしルークがリエナの王配となれば、諸外国は黙ってはいまい。また他国から迎えた王配が優秀であることは、ムーンブルクにとっても諸刃の剣となる。王配が政治的にまったく無能では困るが、逆に能力を持ち過ぎると、対外的にも、またムーンブルク国内でも、余計な軋轢を生みかねない。この機に乗じてローレシアがムーンブルクを取り込むがために、わざわざ第一王子を――しかも、リエナとともに戦い、見事凱旋し、ローレシアの民から熱狂的な支持を受けている後継ぎを、王太子位を返上させてまで送り込んだ、そのように解釈されてしまう。ローレシア王も、このことを一番懸念していた。

 これらの様々な条件を考慮すれば、リエナ自身も、ムーンブルク国内のしかるべき貴族のなかから自分の夫を選ぶことが、一番問題が少ないことは理解している。そして、その条件であれば、最有力候補は間違いなくチャールズ卿だった。元は同じ一族であり、現在もムーンブルクの筆頭公爵家であるフェアモント公爵家の次男を夫に迎えるのが、対外的にはいちばん説得力があり、余計な摩擦を防ぐことができる。

 皮肉なことではあるが、客観的に見ても、チャールズ卿本人が言った通りだった。

(もし、どうしてもチャールズ卿を夫に迎えなければならないとしたら……)

 じっと考え続けているうち、リエナの脳裏にふとある可能性が浮かぶ。

(わたくしが子を――ムーンブルクの後継ぎを儲けたら……。そして、フェアモント公爵とチャールズ卿が、その子の後見として、実権を握ったとしたら……)

 リエナの背中に戦慄が走る。

(わたくしは用済みの人間、いいえ、邪魔者として、生命を奪われてもおかしくは……ない、わ……)




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