次へ
戻る
目次へ
TOPへ
旅路の果てに
第2章 3
リエナはその後も、チャールズ卿が自分に結婚を申し込んだ、真の意味を探っていた。
この日も居間で愛読書を広げ、じっと考え続けていた。お付きの女官達の中には、フェアモント公爵家から派遣されてきた者もいる。不審に思われないよう、顔だけは書物に向けられ、頁を繰ってはいるものの、眼はまったく文字を追っていない。
(……もしかしたら、王位の奪還を狙っている?)
このことに思い当たった時、リエナに衝撃が走った。
(可能性はあるわ、フェアモント公爵家は現在のムーンブルク王家と元は同じ一族。ロトの血を持たないがゆえに公爵家となったけれど、今も誇り高い名家だわ。対して王家の生き残りはわたくし一人。もし、わたくしがチャールズ卿と結婚し、後継ぎを儲ければ、その子の後見として、実質的にムーンブルクを支配できる)
今までの王家とフェアモント公爵家の確執の歴史と、チャールズ卿が執拗に自分との結婚を承知させようとしていることを考えれば、はっきりとした確証があるわけではなくとも、この懸念は当たっているように思える。
父王と兄王太子が健在だった頃ならば、仮にフェアモント公爵家が王位奪還の野望を抱き、革命を起こすなどの具体的な行動に移したとしても、まったく勝ち目はない。いくら元は同じ血筋であっても、父と兄の持つ、圧倒的な魔力の前では、フェアモント公爵家は屈伏するしかない。
リエナも今現在の自分は、客観的に見ても父と兄と比べても遜色のないほどの魔力を持っているだろうとは思っていた。あの長く過酷な旅の間に、自分でも驚くほどの成長を遂げたと実感できるからだ。
けれど、いくら自分が魔法使いとして強大な力を持っていたとしても、父や兄の後ろ盾のない、王家ただ一人の生き残りの状況では、軽率な行動を取ることはできない。リエナが正式にムーンブルクの次期女王として即位することが決定している以上、対外的には正当なムーンブルクの後継者であることは間違いないからだ。またいくら名ばかりとはいえ、復興事業の総指揮官として、最終決定権を持っている建前にもなっている。今のリエナの立場で下手に苦情を申し立てたりしたら、諸外国に対し、ムーンブルクの内情が不安定であることを、次期女王自らが喧伝することになってしまう。
そしてリエナが独断で調査するなど絶対に不可能だった。体調も一向によくならないばかりか、実質的に軟禁状態であり、どこで、誰が、自分の行動を監視しているのかわからないのだから。今はただ、たった一人の味方である宰相カーティスからの報告を待つしかない。あとリエナにできることは、どんな事態に陥っても、できる限りのことをする覚悟を決める、それだけだった。
********
年が明けた。比較的温暖なローレシアも今年は寒さが厳しく、底冷えのする日々が続いている。
「何!? それは本当か! いったい、何が起こったというのだ!」
ルークは思わず声を荒げていた。
ある日の夜更け、ローレシア王の執務室での出来事である。ムーンブルクへ潜入させている密偵より、リエナ帰国後初めての定期報告がもたらされていた。厳重に人払いがされ、ここには王の他にはルークと宰相バイロンしかいない。密偵は小柄な身体を更にちいさく縮め、王の前に跪いていた。
密偵の言葉に、ローレシア王もバイロンも表情を強張らせている。ルークのほとんど殺気に近い程の剣幕に、密偵は内心の恐怖感を隠しながら、同じ報告をもう一度繰り返した。
「畏れながら、事実でございます。もう一度繰り返させていただきます。ムーンブルク復興計画は、リエナ殿下が全体の指揮を執る、というのは建前に過ぎず、すべてフェアモント公爵家によって執り行われており、リエナ殿下は一切参加されておられません。またリエナ殿下は体調不良を理由にすべての公式行事を欠席され、民の前にお姿を現わされることもございません。現在の仮の王城であるムーンペタの離宮から、一歩も外に出られることもございません」
密偵の頭上で、ルークのまるで剣で斬りつけるような声が響く。
「そのことは先程も聞いた。私が聞きたいのは、お前自身は、その事実から、どのような結論を出したか、だ」
「……これらの事実から、リエナ殿下は、現在実質的な軟禁状態でいらっしゃる……可能性がございます」
密偵はようよう答えを絞り出したが、ルークは密偵に詰問を続けた。
「リエナ姫がご帰国されてまだたった2ヶ月余り、ご帰国前の調査では、このような不審な情報は一切ない、と報告を受けている。いったいこれはどういうことだ? 何のためにお前達を潜入させている? フェアモント公爵家がロトの血を憎んでいるという噂を知らなかったとは言わせんぞ!」
いつもとは打って変わった強い口調のルークに、密偵は顔を上げることができなかった。
「申し訳ございません。……畏れながら、ルーク殿下。確かにリエナ殿下ご帰国前の調査では、一切不審な情報はございませんでした。これは間違いありません。恐らくフェアモント公爵家は、殿下御一行がハーゴン討伐の任務にあたられている間から、巧妙に計画を進めていたと推測されます。そのため、リエナ殿下が凱旋あそばされ、ローレシアにご滞在の時には、既にすべての計画準備が終了し、一切の不審情報が隠匿されていたと思われます」
「言い訳など、聞きたくはない!」
ルークの容赦のない声が飛んだ。
普段のルークは臣下に対してこのような態度を取ることはない。しかしリエナの境遇に関することとなると、やはり激情を抑えることは難しかった。しかしルークも、今ここで密偵を責めても、事態がはっきりするわけでも、改善するわけでもないのはわかっている。できる限り冷静に、密偵に指示を下した。
「大至急、正確な情報を集めよ。特にリエナ姫が現在どういった状況にあられるのか、早急に報告せよ」
ルークの詰問がひとまず終わったとみて、次にバイロンが密偵に疑問点を問い質した。
「仮にリエナ姫様がその状態に置かれているとしても、他の大貴族が黙っておられるとは思えぬ。ルーセント公爵やオーディアール公爵は、どのようになされておるのだ?」
密偵は再び平伏したまま、ゆっくりと答えた。
「両公爵は、表面上だけは、フェアモント公爵に従っておられます」
「表面上、だけとな?」
「左様にございます。両公爵の側近の噂をまとめますと、フェアモント公爵家が全面的に指揮を執るのを歓迎なされているわけではありませんが、そうせざるを得ない状況ではないかと」
バイロンはそれだけで、だいたいの状況を察したようである。王とルークに目線だけで、これで定期報告を終了してもよいことを確認すると、密偵に新たな指示を下した。
「わかった。それではお前はすぐにムーンブルクへ戻れ。他の者の協力も仰ぎ、調査を続行せよ。まずはルーク殿下の仰せの通り、リエナ姫様の現状を最優先で調査し、報告せよ。定期報告もこれまで同様に行い、他にも何か変化があればすぐに知らせるのだ。よいな?」
「かしこまりました。宰相閣下」
密偵は王とルークへも辞去の挨拶の口上を述べると、そそくさと執務室を退出していった。
その後も、三人での話し合いは続いていた。
「まさか、ムーンブルクがこのような事態に陥っているとは……」
バイロンは白い顎髭を撫でつつ嘆息した。王も難しげな表情で腕を組んでいる。
「父上」
ルークが王に向き合った。
「密偵の報告が真実であるのならば、リエナ姫は現在非常に危険な状態にあります。早急に私をムーンブルクへ行かせてください。私自ら調査して参ります」
「ならぬ」
「何故です!?」
「結果としてチャールズ卿に対するそなたの印象が正しかったのは、認めよう。しかし、今そなたが行っても、事態は決してよくならぬばかりか、一層こじれるだけだ。まずは再調査の報告を待ちながら、対策を講じるしかあるまい」
「父上! そのような悠長なことをしていて、もし万一リエナ姫の御身に何かあればどうなさるおつもりですか!」
ルークは必死に食い下がったが、王はゆっくりと言い諭した。
「ルーク、そなたの気持ちはわかる。しかし、今は迂闊には動けぬ。リエナ姫の現状も軟禁状態だと決まったわけではない。姫が我が国に滞在なされていた間の様子から考えても、未だ体調が芳しくないことは事実であろう。真実、体調不良で離宮からの外出すらかなわず、公式行事も欠席せざるを得ない可能性もあるのだ。今はとにかくリエナ姫がどのような状況に置かれているか、正確な情報を得るのが一番重要だ。第一、王太子の位にあるそなたが行けば、立派な内政干渉になる。一歩間違えば、重大な外交問題にもなりかねんのだ。そなたも、それだけは避けねばならぬことはわかるな?」
王の言うことが正論であるのは、ルークにも嫌というほどよくわかる。
「それならば、せめて見舞いの使者を……、いえ、やはり私が自分で参ります」
「それも、ならぬ」
ルークの提案を王は即座に却下した。
「ルークよ、わしは今、迂闊には動けぬと言ったはずだ。例え見舞いの名目であれ、今この時点でそなたが公式訪問すれば、別の目的と邪推されるのはわかりきっておる。わずかでも、先方につけ込まれる隙を与えるわけにはいかんのだ」
ルークは王に訴えかけるように凝視していたが、王の態度はいささかも変わりない。ようよう言葉を絞り出した。
「……わかりました。致し方ありません。大至急対策を講じます」
決して納得できたわけではないが、今の状況ではルークもこう答える他に術はない。
「それにいたしましても……」
バイロンが再び嘆息しながら言葉を継いだ。
「ルーセント公爵とオーディアール公爵すら、フェアモント公爵家の言いなりとは……。予想外の事態ですな」
王も同意した。
「要するに、何か、決定的な弱みでも握られたということか。あの両公爵方には似つかわしくないことであるが……」
清廉潔白で知られるルーセント公爵と、国内屈指の魔法使いであり、またリエナの伯父に当たるオーディアール公爵はムーンブルク国内でも尊敬を受けている。しかし数多い一族の中には、家名を汚す行いをする人物が皆無なわけではない。恐らくはそこをつけ込まれたのであろうと、王とバイロンは考えていた。
「それだけフェアモント公爵家の水面下での工作が用意周到に行われた、ということなのでしょう」
このバイロンの言葉に、王も頷いている。けれど、ここまでムーンブルクの内情が不安定であるとは、ルークはもちろんのこと、王も、バイロンも予想すらできなかったのである。
ルークも無言のまま、厳しい表情でじっと考え続けていた。脳裏にリエナを迎えに来たチャールズ卿の、あの凍てつくような視線がよみがえる。
――そこまでロトの血を、憎む、というのか……。
ルークは生まれた時から『勇者ロトの血を受け継ぎ、次代に伝える者』である。勇者ロトは限りない尊敬と憧憬の対象であり、自分がロトの子孫であることを誇りに思っている。そんなルークにとって、憎む、などとは到底理解できるはずもない感情だった。
けれど、見方を変えれば、フェアモント公爵家にとってのロトは、おのれを王族から追い落とした、憎んでも憎みきれない仇敵となる。しかしいくら憎くとも、現在の王家はロトの血を受け継いだことにより、更に強大な魔力を手に入れた。その権力は非常に強く、下手に逆らえば、王位奪還はおろか、公爵家の存続すら危うかったのである。それが2年前、ムーンブルク崩壊という思わぬ王位奪還の機会が訪れた。けれどすぐに行動に移すようなことはせず、三人が旅に出ている間もじっと鳴りを潜め、秘かに計画を練ってきたのであろう。それだけフェアモント公爵家の王位への執念が尋常なものではない、ということだった。
先程から一言も言葉を発しないルークに、王は、しっかりと釘を刺した。
「ルーク。先程も言ったように、今は正確な現状を把握することが最も重要だ。決して独断で事を進めるな。よいな?」
「承知しております、父上。ですが、くれぐれもリエナ姫の御身の安全を最優先していただくようお願いいたします」
「わかっておる」
今は何もできない不甲斐なさに耐えるしかない。執務室を退出するルークの背中は、やり場のない怒りに震えていた。
次へ
戻る
目次へ
TOPへ