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旅路の果てに
第2章 2


 リエナが帰国して早くも2ヶ月経った。相変わらずの軟禁状態である。季節は冬を迎え、雪のちらつく寒い日が続き、リエナはよく熱を出すようになった。床に就きがちなリエナを、チャールズ卿は度々見舞いに訪れている。

 ある日のこと、いつものように侍女に見舞いの品を持たせたチャールズ卿はリエナの私室を訪れた。リエナは服装を整え、チャールズ卿に面会した。

「リエナ姫、また熱を出されたそうですね。早くよくなられるよう養生なさらないといけませんよ」

「ありがとうございます、チャールズ卿。これでも今日はずいぶんと気分がよくなりましたのよ。度々のお見舞い、感謝しておりますわ」

 すこしばかり面やつれしたとはいえ、リエナの美しさはいささかも損なわれてはいない。チャールズ卿は安心したように、穏やかな笑みをリエナに向けた。

「それはよかった。実は、今日はあなたに大切なお話をしたいと思いましてね。ご気分がまだ優れないようなら、出直すつもりだったのですよ」

「わたくしに? どのようなお話ですの」

 チャールズ卿は薄茶の瞳に柔らかな光を湛えたまま、ゆっくりと告げた。

「私と結婚していただきたい」

 リエナは驚愕したが、毅然とした態度を崩すことなく答えた。

「今、わたくしと結婚を、とおっしゃいました? ……ずいぶんと突然のお話ですこと」

 この反応はチャールズ卿も予想がついていた。慌てるふうもなく、穏やかに説得を試みる。

「いずれはあなたも夫を迎えなければならないのは、当然ご承知ですね。私なら将来の女王の夫としてお役に立てるはずです。あなたにとっても、ムーンブルクにとっても、よいご縁だと思っています」

「あまりに急なお話ですので、今すぐお返事するわけには参りませんわ。わたくしの結婚となれば、議会の承認も必要ですし」

 今はこう答えるより方法がない。チャールズ卿ももっともとばかりに頷いている。

「それは当然ですよ、姫。ですが、いずれは受けていただきたい。私はあなたを愛しています」

 先程の回答以上のことは何も言えないリエナに向かい、チャールズ卿はゆっくりと言葉を継いだ。

「――あなたの心には別の方がいることは、もちろん承知しておりますがね」

 突然の予期せぬ言葉だった。まったくの無防備だったリエナの心に、鋭い痛みが走る。

「……おっしゃる意味がわかりませんわ」

 リエナはかろうじて、それだけを返した。

「ローレシアの王太子殿下との噂を、私が知らないとでも思われましたか?」

 無言のままのリエナに、チャールズ卿は追い打ちをかけるように、言葉を継いだ。

「あなたはまだ、愛するルーク殿下を待っていらっしゃるのかもしれませんが、それが無理なのは、聡明なあなたのことだ、当然おわかりでしょう?」

 辛辣なチャールズ卿の言葉に、リエナは表情を取り繕うのがせいいっぱいだった。

「私の話はこれだけです。近いうちによいお返事がいただけるのを期待しておりますよ」

 何も答えられないリエナを残し、チャールズ卿は丁寧に一礼すると退出していった。

 リエナはチャールズ卿を自室から送りだしたあと、すぐさま呆然と椅子に座り込んだ。その理由は、チャールズ卿の結婚の申し込みという思いがけない話はもちろん、もう一つ大きなものがあったのである。

(わたくしが、ルークを待っている……?)

 リエナは先程のチャールズ卿の言葉が耳に突き刺さったまま、どうしても離れなかった。まだルークのことを諦めきれない事実を突きつけられ、そればかりか、チャールズ卿にその自分の心を見透かされていたことに、大きな衝撃を受けていた。

(そんなことはないわ。ルークとのことは、もうすべて終わったのだもの。いくら彼が、1年だけでいいから待って欲しいと言ってくれたとしても……)

 必死に自分に言い聞かせ続けても、しばらくは立ち上がることすら難しい状態だった。けれど、今はルークとのことを考えている場合ではない。チャールズ卿が自分に結婚を申し込んだ、その意図は何かを考えなければいけない。リエナは無理やり頭からルークへの想いを振り払った。

 常識的に考えれば、もとは王家と同じ血を持つフェアモント公爵家が、この機に国内での地位をより高いものにしたい、それがもっとも納得いく回答である。けれど、リエナには到底それだけではない気がしてならなかったのである。

 リエナの結婚はムーンブルクにとって非常に重大な問題である。結婚相手は当然のことながらリエナ自身で決められるものではない。ここで一人で悩んでいても、何一つ解決しないのは確かである。思い余ったリエナは、宰相であるカーティスに相談することにした。

********

 翌日、リエナの呼び出しを受けてカーティスが見舞いに訪れた。今はこの宰相だけが、わずかに現状を知らせてくれ、リエナの相談相手となってくれている。

「リエナ殿下、お加減はいかがでございますか。最近またよく熱を出されると伺っておりますが……」

 気遣いを見せるカーティスに、リエナは穏やかに微笑み返した。

「ご心配をおかけして申し訳ありませんわ、宰相。おかげさまで今はだいぶよくなりましたのよ」

「それはようございました」

「ところで復興事業の方はどのような状況ですの? チャールズ卿は相変わらずわたくしには、順調だ、とだけおっしゃって、詳しいことは何ひとつ知らせてもらえません。あなたの力を持ってしても、もうわたくしが復興事業に参加することが無理なのはわかっておりますけれど、せめて現況だけでも知りたいと思いまして」

 カーティスは頷くと、現況を話しだした。

「現在、廃墟となった旧王城の撤去作業を進めております。現在は3割程終了いたしましたが、作業はまだ最低でも1年以上かかるかと。これが終わりましたら、騎士団の魔法部隊による大地の浄化作業に入る予定にしております。」

 それを聞いて、リエナはちいさく溜息をついた。

「そうですか……。ありがとうございます。大地の浄化でしたら、わたくしもお役に立てるとは思いますが、実際には出番はないのでしょうね……。大変残念なことですけれど」

 悲しそうにうつむくリエナに、カーティスは穏やかに言葉をかけた。

「殿下のおっしゃることはよくわかります。ですが、浄化作業は大変な難事業でもあります。もちろん殿下は御承知でしょうが、強大な魔力が必要なのはもちろんですが、魔法使いの身体への負担も非常に大きい。殿下の今のご健康状態では、私でも反対いたしますでしょう。殿下のご無念はこのカーティスも理解しておりますが、今はまずご健康を取り戻すことが最優先ではございませんか」

「宰相のおっしゃるとおりですわ。自分でも不甲斐なく思っております。気持ちばかり焦っても、どうしようもないこともわかっているつもりです。それでも、どうしても自分の手で、という気持ちを抑えられないのですわ」

 リエナはふっと寂しげな表情を見せたが、気を取り直すように顔を上げた。

「それはそうと、今日は折り入って相談がありますの。聞いていただけますか?」

 カーティスは思い当たる節があるように頷いた。

「チャールズ卿が殿下に結婚を申し込んだ、その件でございますね?」

「やはりもうお聞きになられたのですね。そうですわ。わたくし、まだお返事は何もしておりませんけれど、このお話を受けるかどうか、正直なところは迷っております。わたくしは王家の、ロトの血を残さねばなりません。そのためには、いずれはどなたかと結婚しなくてはならない、それはムーンブルクへ帰国する前から覚悟はできております」

 リエナは面を伏せた。華奢な肩がわずかに震えている。

 そのリエナの様子を見て、カーティスは痛ましくてならなかった。本来ならば今頃は、リエナはローレシアの王太子妃となっていたはずである。カーティスも、ルークとリエナの出会いの場となった舞踏会と、凱旋帰国後のローレシアでの祝賀会の両方に出席している。リエナ本人が口にすることはなくとも、彼女がルークのことを心から愛し、またルークも同じであることは手に取るようにわかるからだ。

 それでも、カーティスもムーンブルクの宰相である以上、復興事業を最優先で考えるべき立場である。個人の感情は抑え、復興のための最善の策を検討しなければならない。

「リエナ殿下は、チャールズ卿の申し込みをどうお考えなのでしょうか?」

 この問いに、リエナはゆっくりと言葉を選びながら、話していった。

「チャールズ卿がわたくしに結婚を申し込まれたこと自体は、おかしなことだとは思いません。復興事業の中心として重要な役割を担っておられる方ですし、今現在のムーンブルクの状況で、他国からどなたかをお迎えするのは現実的ではありませんから、王家に連なる血筋である、フェアモント公爵家のあの方が候補のお一人、というのも理解できます。……ですが、わたくしは……」

 続きの言葉を言い淀むリエナに代わって、カーティスが尋ねた。

「何か、殿下に無礼な振る舞いでも?」

「いいえ、そういったことは何もありません。むしろいつも穏やかにわたくしを気遣ってくださっていますわ。――それでもわたくしは、あの方が何か恐ろしい考えをお持ちのように思えてならないのです」

 そう言うリエナの顔はわずかに蒼ざめていた。カーティスはしばらく考え込んでいたが、リエナを力づけるようにゆっくりと言った。

「チャールズ卿とフェアモント公爵家に関しては、いろいろとよからぬ噂もございます。私ができる限り調査いたしますので、結果がはっきりするまで、殿下は申し込みをお受けなされない方がよろしいかと存じます」

「わかりましたわ。今はそれしか方法はないようですわね」

 蒼白なまま、それでもリエナはしっかりと頷いた。

「それでは、殿下も体調不良を理由に、なるべく時間を稼ぐようになさってくださいませ。――私も早急にご報告に上がれますよう、努力いたします」

 カーティスが帰った後も、リエナはチャールズ卿が自分に結婚の申し込みをした意味について考え続けていた。

(チャールズ卿ご自身はムーンブルクにとってよい縁組だとおっしゃるわ。それはわかる。あの方は上辺だけはとても穏やかで、お優しい。でも内面は……)

 リエナ自身も、フェアモント公爵家と現王家との確執の歴史は承知している。しかし、まさかチャールズ卿が、自分を亡きものにしてまで、ムーンブルクの王位奪還を画策しているとまでは、まだ思いもよらなかったのである。

 リエナは漠然とした不安を抱いたまま、それでも自分にできる最善を尽くすことを、あらためて決意していた。

********

 その後も、リエナの体調は芳しいものではなかった。チャールズ卿も変わらずたびたび見舞いに訪れている。リエナへはもちろん、彼女に仕える女官などにも気遣いをみせつつも、さりげなくリエナへ結婚申し込みの返事を催促するのが常だった。

 リエナは宰相カーティスと相談したとおり、結婚は自分の一存で決められることではない、また今は体調を回復することに専念したい、そう言って、断り続けている。チャールズ卿もすぐには承諾してもらえないのは当然と考えているのか、その場で回答を強要することは一度もなかった。けれど、見舞いのたびに繰り返される同じ会話に、だんだんとリエナは焦りを覚え、また神経をすり減らすようになってきていた。

********

 チャールズ卿は復興事業の経過を報告しがてら、父フェアモント公爵を訪ねた。公爵はこの優秀な次男が積年の怨みを晴らしてくれることだけが、今の望みである。

「チャールズ、リエナ姫のご機嫌は如何かね。また復興事業に参加したいなどと、我が儘をおっしゃっているのではないか?」

「ええ、相変わらずでいらっしゃいます。あの方は見た目だけは、たおやかで虫も殺せぬようなお顔をなさっておいでですが、さすがにあのハーゴンを倒した英雄の一人だけはあります。芯はとても強情でいらっしゃいますな」

 それを聞いた公爵は忌々しげにつぶやいた。

「そうか。やはり亡きディアス9世陛下の娘であられるか。強情であるところなど、亡きユリウス殿下ともども、そっくりじゃな」

 公爵は舌打ちすると、チャールズ卿に再び尋ねた。

「ところで、リエナ姫はそなたの結婚の申し込みを受けてくださっただろうな?」

「残念ながらまだです。姫が意外なほど強情でしてね。まだルーク殿下のことを忘れられないようです」

「あのような若い娘ひとり陥落させることができんとは、そなたらしくもない」

 不満げな様子でそうつぶやいた公爵は、あることに思い当たった。

「――もしや姫は、既にルーク殿下のものになっておるのではないか?」

 この公爵の疑問に、チャールズ卿はゆっくりとかぶりを振って否定した。

「私がローレシアでお見受けした限りでは、ルーク殿下はそのようなことをなさる方には見えませんでしたがね。仮に父上のおっしゃるとおりだとしても、私には何の差し障りもありません。――近いうちに必ず承諾させてみせますから、もうしばらくお待ちください」

「うむ、頼んだぞ。姫がお前の子を産んでくれさえすれば、その子の摂政としてこの国を手に入れられるのであるからな。――その後のことを考えれば、お気の毒とは思うが」

「父上、その件ですが、少々方針を変更しようと思っています」

 チャールズ卿は口元に笑いを滲ませたまま、公爵には予想もつかなかったことを話し始めた。

「産まれるかどうかわからぬ子の誕生を待つ必要はありません」

「どういう、ことだ?」

 いきなりこう言われても、公爵にはチャールズ卿の意図することが理解できない。

「女王陛下に、万一の時には夫である私に王位を譲る、というご直筆の遺言書を用意していただくことにします」

「遺言書だと?」

「はい。姫はまだご健康にも不安がありますのでね。こちらの方が簡単で確実です。しかも、これならロトの血を排除した上で王位が戻りますから、一石二鳥というものです」

「なるほど、考えたな。確かにこれならば、あの忌々しいロトの血を追い出せる」

 代々のフェアモント公爵家の、積もりに積もった恨みを今こそ晴らす、そして自分も、『国王の父』として、思うがままに、ムーンブルクを牛耳ることができる――王位に就いた息子と、その横に立つおのれの姿を想像して、思わず公爵の口から笑みが漏れる。

 その父の様子に、チャールズ卿の口元にも満足げな笑みが浮かんでいる。

「ところでチャールズ、リエナ姫に子を産ませる必要がないということであれば、形だけの結婚をするつもりか?」

 この問いに、チャールズ卿は薄く笑ってかぶりを振った。

「もちろん私はリエナ姫をいただきますよ。――あれほどの美貌の姫が泣いて許しを乞う、さぞかし美しいでしょうな」

 チャールズ卿の隠された趣味を知っている公爵は、その言葉に思わず震えあがった。まさかリエナが――自分達の主君である次期女王が、その趣味の犠牲になるとは思ってもみなかったのである。しかし、子を産ませる必要がないのであれば、チャールズ卿にとって、リエナは極上の獲物でしかない。公爵は何とか表情だけは取り繕って、鷹揚に答えた。

「この件はお前に任せた。吉報を待っておるぞ」

「近いうちにご期待に添えるかと思いますよ」

 チャールズ卿の薄茶の瞳が凍てつくように光った。




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