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旅路の果てに
第2章 1


 ムーンブルクは、古くから魔法とその研究で名を馳せた国である。『古の月の王国』と呼ばれ、王家は『古の月の神々の末裔』であり、また『月の加護を受ける一族』でもある。歴史は既に千年を超え、代々強大な魔力を持つ王が、大勢の魔法使いを従えてきた。ローレシアとサマルトリアのように、竜王を倒した勇者アレフが約200年前に建国したのとは違い、彼とローラ姫の第一王女が嫁いだことによって、ロト三国となったのである。

 実は、チャールズ卿を始めとするフェアモント公爵家の人々は、もともと現在のムーンブルク王家と同じ一族である。王家は建国以来、強大な魔力で国を治めてきた。そしてそこへロトの血が加わることにより、更に強力な魔法使いが生まれ始めたのである。しかし、同じ王家の人間でもロトの血を引くか否かで、生まれつき持つ魔力に明確な差がつくようになってしまい、そのためロトの血を引かない人間は王族とは認められず、分家して単なる公爵家の一員として生きざるを得なくなった。これが、現在のフェアモント公爵家である。

 フェアモント公爵家のロトの血に対する憎しみは深く、以前より王位奪還の機会を虎視眈々と狙っていた。彼らにとって、今回の大神官ハーゴンによるムーンブルク城崩壊は、またとない好機となったのである。

 リエナが自らハーゴン討伐の旅に出た、と聞いた現当主のフェアモント公爵は、表面上だけは彼女を気遣う態度を見せた。しかし、本心では、いくら強大な力を持つ魔法使いであってもリエナ姫は細腕の少女に過ぎない、ローレシアとサマルトリアの王子が同行したとしても、彼女が旅の途中に生命を落とすのは間違いないと確信していた。そうすれば、王位は自分達のもとへ戻ってくるはず、これで積年の怨みを晴らせると、ほくそ笑んでいた。そして、次男チャールズ卿がリエナ達三人の旅の間に、国内の生き残りの貴族を味方に取り込み、王位奪還の準備を着々と進めてきたのである。

 しかし、予想に反し、リエナはハーゴンのみならず破壊神シドーをも倒して凱旋した。当初の目論見こそ外れたが、王位奪還を諦めていないのは言うまでもない。

********

 リエナは無事にムーンブルクに帰国した。仮の王城となったムーンペタの離宮へ向かう輿の中で、リエナは亡き父王に祈りを捧げていた。――どうか自分を見守っていて欲しい、と。

 離宮に到着したリエナは、貴族達の歓喜の声に出迎えられた。揃って忠誠を誓う彼らの姿に、リエナも、これからはムーンブルク復興だけを考え、精一杯の努力をしようと、決意を新たにしていた。

 リエナのムーンブルクでの新しい生活が始まった。

 まず最初に、リエナが正式に女王として即位することが決定し、同時にムーンブルク復興事業の総指揮官となることが発表された。ただし、戴冠式は国情がもっと安定してから執り行われる予定である。

 そして、体調のすぐれないリエナが充分に養生できるよう、国内最高の侍医と薬師と、新たに大勢の女官が雇い入れられた。

 リエナの居室も、離宮の中でもっとも環境の良い場所にしつらえられた。これから復興事業を始める国情であるから、全体の暮らしは質素であるが、リエナに関してだけは、衣食住ともに、極上のものばかりで揃えられている。

 しかし、こういった表面上の待遇の良さに反し、リエナを待っていた現実は、旅の間には予想すらできなかったものだった。

********

「どういうことですの? チャールズ卿。何故わたくしが議会に参加できないのですか? 復興事業の総指揮官はわたくしであるにもかかわらず、議会で決議された内容すら、報告がないのは何故です? 最初に聞いていたお話とは、まったく違うではありませんか。そればかりか、公式行事はすべてに欠席。これでは、到底次期女王としての責務が果たせるとは思えませんわ」

 毅然とした態度で訴えるリエナに対し、チャールズ卿は気にした様子もなく、平然と答えた。

「リエナ姫、話が違うとは心外ですな。ムーンブルク復興事業の総指揮官は、あくまであなたであることは間違いないのですから。そして、あなたの役割は、直接指揮を執ったり、議会に参加して意見を述べていただくことではありません。あくまで古の月の王国たるムーンブルクの美しき女王として君臨していただくこと、そう申し上げたはずです。第一、まだあなたは体調も万全ではありません。公式行事をすべてご欠席いただいているのも、今の体調ではとてもご無理だと判断したからです。今はまずこの離宮で充分に養生なさる、これが一番の仕事ではありませんか?」

「それでは、わたくしは単なる飾りに過ぎませんわ。王家最後の一人で、次期女王たるわたくしが、そのような扱いに従うとでも本気でお思いですの? すぐにわたくしを実質的な復興事業に参加させるよう、要求いたします」

 リエナは必死に食い下がったが、チャールズ卿は何ほどにも感じていないらしい。淡々と自分の意見を述べるだけである。

「失礼ながら姫、あなたは亡き兄君で王太子であられたユリウス殿下のように、本格的な帝王学を修められたわけでもありません。むしろ、あの惨事の直前にご婚約が調い、王家の女性としての教養を中心に学ばれていたではありませんか。もちろんあなたがご聡明であることは承知しております。ですが、復興事業は私どもの仕事です。あなたはここで養生なさりながら、お好きな魔法の研究や刺繍をなさっていればよろしいのですよ。後はご健康を取り戻された後、公式行事において女王としてその美しいお姿を見せていただく、これがあなたの役割です」

 このような問答が度々繰り返された。

 そればかりか、リエナに忠誠を誓ったはずの貴族達が、手の平を返したかのような態度を取りはじめた。リエナの復興事業参加の希望は一切受け入れられず、すべてがチャールズ卿を代表とするフェアモント公爵家の指揮で行われている。

 ムーンペタの領主であるルーセント公爵家、リエナの母王妃の実家であるオーディアール公爵家も例外ではなかった。いずれもムーンブルク建国当時からの、王家の信任も厚い大公爵家である。確かにフェアモント公爵家は、王家と同じ血を引いているぶん家格としては上であるが、両公爵家が唯々諾々と従わなければならない道理はない。それにもかかわらず、今は本心はともかくとしても、上辺だけはフェアモント公爵家の指示に従っている。

 リエナは最初、どうしてもこの状況が信じられなかった。ムーンブルクを自分の手で復興するために、これまで生命を懸けて戦ってきた。ようやくその第一歩を踏み出したばかりで、こんなつまづき方をするなどとは、思ってもみなかったのである。

 ――フェアモント公爵家は、もとはムーンブルク王家と同じ一族。それでありながら、ロトの血を引かないがために、王族とは認められず、公爵家となった。表面上は、王家に忠誠を誓いながらも、その実は、ロトの血に憎しみを滾らせている――

 この事実に思い当たった時、リエナは思わず身体が震えだすのを感じていた。自分の周りは敵ばかりかもしれない。誰が真の味方か、そして、誰が真にムーンブルク復興を願っているか、自分の眼でしっかりと判断しなければいけない。

 リエナは慎重に行動を開始した。少しでも現状を把握しようと、まず手始めに、宰相カーティスに相談を持ちかけてみることに決めた。

 カーティスは亡きムーンブルク王の片腕とまで言われた優秀な政治家で、あの惨事の時には、偶然他国へ訪問中だったおかげで生き残ったのである。ルーセント公爵もオーディアール公爵も駄目であれば、現在ムーンブルク国内で唯一、リエナの味方となってくれる可能性の高い人物である。

 しかし多忙なカーティスを呼び出すのも躊躇われるし、下手に接触すると、またチャールズ卿の邪魔が入るかもしれない。リエナは焦りを覚えながらも、慎重に機会を伺っていた。

********

 ある日、リエナの許へカーティスからの使者が伝言を持ってきた。伝言の内容は、見舞いかたがた、連絡したいことがある、というものである。

 リエナもカーティスに会うのは、帰国して挨拶を受けて以来である。この機を逃す術はない。リエナは貴重な機会を活かせるよう、あらかじめ話し合いたい内容をしっかりと頭の中で整理しておいた。

「リエナ殿下、ご無沙汰しております。その後、ご体調はいかがでいらっしゃいますか?」

「お気遣い感謝しておりますわ、宰相。おかげさまで、最近はずいぶんと気分もよくなりましたのよ」

「それはよろしゅうございました」

「ところで、その後復興事業の進捗状況はどのようになっていますの?」

 このリエナの言葉に、カーティスは訝しげな視線を投げた。

「殿下、その件でしたら、チャールズ卿から定期的にご報告申し上げているはずですが……?」

「いいえ、わたくしのところには何も。――チャールズ卿は、わたくしは事業に参加する必要はない、そうおっしゃっていますわ」

 リエナはそっと長い睫毛を伏せた。

「それは、誠ですか?」

「ええ、こんなことで、嘘を申し上げても何もなりませんもの。わたくしの健康がすぐれないことを理由に、議会はおろか、公式行事にすら、欠席しているのは、宰相もご存じのとおりですわ」

「そうだったのですか……」

 カーティスは一瞬考え込むと、言葉を継いだ。

「わかりました。それではなるべく私が殿下に進捗状況をご報告にあがります。……ただ、殿下のお話を伺う限り、あまり頻繁にはお知らせできないかもしれませんが」

 このカーティスの言い分についても、リエナは納得できているわけではない。けれど、今の自分を取り巻く状況を冷静に判断すれば、カーティスが最大限の努力をしてくれるだろうことは納得できる。一番大切なのは、ムーンブルク復興の指揮を自分自身で執ることにこだわるのではなく、生き残った民のために最善を尽くすことであるのは間違いない。そのためにはまずは自分が健康を取り戻し、いついかなるときにも、常にきちんと状況を把握しておくことが必要だと考えた。

 そして、周りの人間の中で、少なくともこのカーティスだけは、自分に敵意を向けてはいず、純粋にムーンブルクの復興を願っていることだけは間違いないらしい。その事実が確認できただけで、今日のところは、よしとしなければならない。

「……宰相、それでは、これからはよろしくお願いいたします」

 リエナは頷くと、あらためてカーティスに依頼し、カーティスもそれに答えた。

「その点については了解いたしました。――ところで殿下、もう一つ大事な用件がございます。マーサから伝言を預かって参りました」

「マーサから!? 彼女は元気にしていて?」

 リエナは思わず声を上げていた。マーサはリエナの乳母である。幼い頃に母を亡くしたリエナにとっては、実母同様の存在だった。マーサはムーンブルク城崩壊の一年前、家庭の事情で王宮を辞したため、惨劇を免れたのである。

「はい。今もムーンペタの自宅で、一人で暮らしております。この度、殿下がご帰国なされて再度女官としてお仕えしたいと希望していましたが、残念なことに……」

 続きを言い淀むカーティスの言葉をリエナが引き取った。

「フェアモント公爵家の方々が許可なさらない、そうなのですね」

「はい。マーサは殿下方の旅の途中もずっと、ルビス神殿に通い、祈りを捧げていたそうです」

「そうだったの……。マーサからの伝言、確かに受け取りましたわ。宰相、感謝いたします。機会があれば、わたくしは元気にしているとお伝えくださいね」

 リエナもマーサがそばに仕えてくれれば、どれだけ心が休まるかとは思ったが、逆に自分に仕えることで、マーサが不幸に巻き込まれるかもしれない可能性を考えると、寂しいけれどこれでよかったのかもしれない、そう思い直したのである。

 その後もリエナはカーティスを通じ、あくまで現王家を中心とした、以前と同様のムーンブルク復興を訴え続けたが、既にフェアモント家の勢力は強く、宰相もその地位だけは変わらないものの、以前のような政治的影響力は既になく、リエナが復興事業に参加することは無理だった。

 結局のところ、リエナの現在の状況は、体調不良――これは本当であるが――の為の静養を理由とする体のよい軟禁状態である。毎日特にすることもない。リエナは結果としてチャールズ卿の言うとおりになるのが悔しく思いながらも、養生しながら、せめてもの慰めに刺繍をしたり、魔法に関する書物を読むより仕方のない日々が続いていた。

********

 ある夜、フェアモント公爵邸の一室で、フェアモント公爵とチャールズ卿が向かい合って座っていた。この日は新月である。闇夜の中、ごく淡い魔力の光に照らされた室内で、密談が交わされている。

「ご帰国されたリエナ姫のご様子はどうだ」

 フェアモント公爵がチャールズ卿に尋ねた。

「ご体調は万全ではいらっしゃいません。そのため、今は離宮でご静養いただいております」

「そうか。しかし誤算であったな。いくらローレシアとサマルトリアの援助があったとはいえ、あの細腕でハーゴンはおろか、破壊神シドーをも倒すとは……」

 酒杯を手にしたまま忌々しげに吐き捨てた公爵に、チャールズ卿はなだめるように話しかける。

「まあ、よいではありませんか。方針を変更するだけのことですから。そこで考えたのですが――」

「何か妙案でも浮かんだか?」

 続きを促す公爵を受けて、チャールズ卿は頷いて答えた。

「私がリエナ姫と結婚する、この方法はいかがでしょう」

「そなたと結婚?」

 公爵は上目づかいでちらりと息子を見遣った。

「ええ。我がフェアモント公爵家はもともと王家と同じ一族です。また私は次男ですから、家を継ぐ必要もありません。そういう立場の私が王配として姫をお助けする、という名目はちょうどよいものだと思いますが?」

「ふむ……」

「私が姫の――女王陛下の夫の地位を手に入れさえすれば、後は簡単です。姫に私の子を産んでいただければ……」

 チャールズ卿は、口元に笑いを滲ませたまま、言葉を継いだ。

「父上、あなたが摂政の座を手に入れることができます」

 公爵は訝しげな視線を息子に向けた。

「摂政? 女王であり、実母であるリエナ姫がご健在であられるのにか?」

 薄茶の瞳が酷薄に光る。

「女王陛下がずっとご健在である保証など、どこにもありませんでしょう?」

 公爵は思わず音をたてて立ち上がった。卓上の酒杯が揺れる。

「……チャールズ、そなた、まさか……!」

「ええ、そのつもりでおります」

「いくら何でもそれはまずい。万が一発覚したら……!」

 身震いする公爵をよそに、チャールズ卿はまったく動じていない。

「リエナ姫は長い過酷な旅を続けてこられた。現に今も、お疲れからご体調を崩されています。――それが原因であれば、誰も疑いなど持ちませんよ」

 公爵は椅子に座り込んだ。まだ震えは止まっていない。

「今の状況が千載一遇の好機であることは変わりありません。これを逃せば、王位を奪還する機会は永久に失われます」

「確かに……、そなたの言う通りではあるが……」

 考え込んでしまった公爵の様子を見て、チャールズ卿は話題を変えて説得を試みることにした。

「父上、ルーク殿下とリエナ姫の噂はご存知ですね?」

「もちろん聞いておるが……。事実なのか?」

「ええ、間違いありません。しかも相思相愛ですよ……忌々しいことに」

 チャールズ卿は頷いたが、公爵はまだ信じられないようだ。

「しかし、婚約は既に白紙に戻っておるはずだ」

「正式には何も発表されていないことをお忘れですか? ――婚約内定を盾に取って、ルーク殿下が乗り込んできたらやっかいです」

「だが、ルーク殿下は王太子だ。リエナ姫が王家最後の人間である以上、この縁談が纏まるはずがないではないか」

 公爵の意見は至極当然のものであるが、チャールズ卿はそうは思わないらしい。ゆっくりと自分の考えを話し始めた。

「普通でしたらそうです。ですが、ルーク殿下は意志がお強い。姫を愛するあまり、王太子位を弟殿下に譲る可能性がまったくないとは言えません。もっとも、それをアレフ11世陛下がお許しになる可能性はないに等しいのですが……。とにかくあの王子は油断なりません」

「そうなのか? 確かに優秀な後継者と評判は高いが……。実際には剣を振るうだけしか能がないのではないか?」

「本当に剣技だけしか能がないのなら、ハーゴン、シドーを倒すなど、到底不可能ですよ。事実、ローレシアに姫をお迎えにあがった時、探りを入れられましたから」

「探り、だと?」

「ええ、どうやら姫のご健康状態が芳しくないことを理由に、我がフェアモント公爵家がムーンブルクを我がものとせんと企んでいるのではないか、そうお考えになられたようですね」

「では、計画が漏れたと?」

 公爵は真っ青になったが、チャールズ卿はゆっくりとかぶりを振った。

「いいえ、絶対に漏れてはいないはずです」

「では、何故ルーク殿下はその様なことを?」

「ルーク殿下は勘がおよろしいようですな。それに加え、姫を愛するがゆえに、非常に敏感になっていらっしゃる。――もっとも、わがフェアモント公爵家と現王家との確執は有名な話ですから、殿下がそうお考えになるのも頷けますが」

 明らかに自分達に不利な情報であるにもかかわらず、チャールズ卿は淡々と、口元にわずかな笑みさえ浮かべている。公爵は息子が何故ここまで冷静でいられるのか、わけがわからない。

「そんなに悠長に構えておってよいのか? もし、アレフ11世陛下のお耳に入ったら……」

「その心配はありません」

 チャールズ卿はそう言い切ったが、公爵には到底信じられない話である。

「何故、そう言い切れる!?」

「ルーク殿下はもうアレフ11世陛下に話をなさったはずだから、です。けれど、ローレシアではまったく動きがありません。ということは、結論はただ一つ――陛下が一笑に付された、これ以外には考えられませんね」

「まあ、確かにそう考えられるが……」

「ですが、いつまでも安心できるという保証はありません。もしローレシアがルーク殿下を送り込むようなそぶりを見せたら、内政干渉と突っぱねるのですな」

「わかった……。姫にはお気の毒だが……」

 公爵はしぶしぶ了承した。

「では、その方向で準備を始めるといたしましょう」

 チャールズ卿は立ち上がると、まだ震えの止まらない公爵を残して部屋から出ていった。




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