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旅路の果てに
第3章 1


 その後も、密偵からの報告の内容が変わることはなかった。その度に、ルークは父王にリエナの窮状を訴え、自らムーンブルクへリエナを救いに行きたいと直訴し続けた。しかし、王は決して首を縦には振らなかった。王としても、現況が変わらない以上、ルークをムーンブルクに行かせるわけにはいかなかったのである。

 何故なら、ローレシアも重大な問題を抱えていた。王位継承争いである。

 ルークの実母は現在のローレシア王妃マーゴットではない。実母は他国の王女で、名前をテレサという。当時王太子であったアレフ11世の最初の妃だったが、王太子妃のまま、既に薨去していた。マーゴット王妃はテレサ妃の薨去後に、後添いとして迎えられたのである。ローレシア国内でも有数の大貴族エルドリッジ公爵家の令嬢で、アレフ11世とテレサ妃との縁談が調う前の、最も有力なお妃候補だった。

 マーゴット王妃の父エルドリッジ公爵は野心家で、自分の娘を王太子妃として輿入れさせ、生まれた王子を即位させて、すこしでも権力の中枢に近づき、あわよくば実権を握ろうと画策していた。アレフ11世の父である当時のローレシア王アレフ10世は、エルドリッジ公爵の野望を知っていた。何とか別の相手を、と考えていた矢先に、王太子がたまたま国王の名代として他国を訪問する機会があり、王太子は初めて訪れたこの国のテレサ王女を見初めたのである。テレサ王女の父である国王もこの縁談を歓迎した。その後、話はとんとん拍子に纏まり、テレサ王女が王太子妃としてローレシアに輿入れすることが決定した。

 突然の王太子妃決定の報に、エルドリッジ公爵は怒り心頭に発した。それだけでなくマーゴットも、当然自分が王太子妃になるものと思い込んでいたのが突然覆され、大いに自尊心を傷つけられた。マーゴットはテレサ妃を憎み、他人の目が届かないところで、わざと彼女につらく当たることも多かった。

 しかし、またここで事態が変わった。テレサ妃の突然の薨去である。輿入れからわずか1年半後、テレサ妃はルークを出産と同時に亡くなった。15歳という若さであった。

 王太子は愛するテレサ妃を失い、悲しみにくれるが、まだ年若い王太子が独り身でいることなど許されるはずもない。内心で狂喜乱舞したエルドリッジ公爵は、今度こそわが娘を王太子妃にと、アレフ10世に直談判した。アレフ10世も最初は難色を示したものの、この時には他の有力候補の令嬢達はみな別の人物に嫁いでいた。しかもマーゴットは、なまじ最有力の王太子妃候補だったことで、なかなか縁談が纏まらず、独身のままである。アレフ10世もさすがに断り切れず、既に次期王太子となる第一王子ルークも誕生していたため、この縁組を許したのである。

 マーゴット王妃はテレサ妃薨去の3年後に輿入れした。間もなく懐妊し、輿入れの翌年に第二王子アデルを、更に2年後に第三王子を出産した。ちょうどこの頃、ルークが生まれつき魔力を持たないことがはっきりしたが、マーゴット王妃の産んだ王子二人は魔力を持っていた。これにより、ローレシア貴族内の勢力図が少しずつ変わってくる。有力貴族達は、王太子ルーク派と、エルドリッジ公爵家を後ろ盾とする、第二王子アデル派に分かれていったのである。

 現在のルークは何一つ不足のない王太子である。実母は正室であり、自身もずば抜けた剣の腕と次期国王にふさわしい聡明さを合わせ持ち、将来を嘱望されている。しかし、すんなりと王太子位に就いたわけではない。ローレシアは、直系男子のうち長子が王位を継承するが、魔力を持たないロト三国の王など論外であると、第二王子アデルを王太子にとの意見を持つ重臣たちも少なくなかったからである。しかし、エルドリッジ公爵家の勢力が強まることを恐れ、またルークの剣の才能を高く評価していたアレフ11世は、ルークを王太子とした。エルドリッジ公爵は再び激昂したが、ルークが正室所生の第一王子である以上、アレフ11世の決定を覆すことは不可能だった。

 ルーク自身もまた、ごく若いながらも自分の置かれた立場を把握していた。決して自身の王太子位が安泰でないことも理解し、できる限りの努力を重ねたのである。

 騎士の国ローレシアは剣を何よりも尊ぶ国風である。加えて、ルークの剣の才能は魔力が皆無であるという欠点を補ってあまりあるほどであり、またルークも自身の欠点を受け入れた上で、周りが驚くほどの厳しい修業を続けていた。その成果もあって、ローレシア国内でも有数の剣の遣い手として次第に頭角を現していく。そして剣技だけではなく、帝王学もきちんと修め、誰からもロト三国宗主国の後継者と認められるだけのものを身につけたのである。

 ルーク自身の努力が実り、否定的な意見は徐々に影を潜め、やがて表だってルークを王太子としてふさわしくないという人物はいなくなっていった。

 そのルークが大神官ハーゴンと破壊神シドーを倒して凱旋したのである。救国の英雄となったルークは、民から熱狂的な支持を得ている。現在は圧倒的に王太子派が有利である状況で、みすみすムーンブルクへなど遣れるわけがない。

********

 エルドリッジ公爵とマーゴット王妃は、王妃の居間で密談を交わしていた。

 マーゴット王妃は豪奢な絹張りの椅子にゆったりと腰掛け、嫣然と微笑んでいる。

「お父様、凱旋祝賀会でのルーク様のご様子、憶えていらっしゃいまして?」

 対するエルドリッジ公爵も、極上の葡萄酒を満たした酒杯を手に、こみあげる笑いを隠そうとしていない。

「マーゴット、そなたも気づいておったか。どうやら、ルーク殿下はリエナ姫にご執心らしい」

「ええ。ルーク様は、それはそれは熱い眼差しでリエナ姫様を見つめていらっしゃいましたわ。――もう、こちらが恥ずかしくなってしまうくらいに」

 エルドリッジ公爵は苦笑した。

「確かにな。あの場にいた者ならば、誰もが気づいたであろうよ。――ローレシアの王太子たるルーク殿下にしてはお粗末なことよ。自分の感情を他人に、しかもあのような席で覚られるなど、本来あってはならないことだ。もっとも、そのお陰でこちらは絶好の機会を手にしたわけだが」

「あたくしも同じ意見ですわ。これを利用できませんかしら?」

「一時的に手を結ぶか? ムーンブルクへ正式に婿入りすることになれば、当然王太子位を返上しなければならん。上手く話を持っていけば、ルーク殿下自らそれを言い出すやもしれん。そうすれば、次の王太子位は自動的に我が孫、第二王子アデル殿下のものになる」

 マーゴット王妃の顔に、困惑の色が浮かぶ。

「ムーンブルクへ婿入り? 正式に王配として行かせる、ということですの?」

「当然、そうなるだろう。ムーンブルクのフェアモント公爵家は内政干渉と突っぱねるかも知れぬが、仮にもローレシアの王太子だったルーク殿下に、単なる官僚として行っていただくわけにはいかぬではないか」

「そうなりますと……。ルーク様は、ムーンブルク復興指揮の全権を握ることになるのではありません? そればかりか、リエナ姫様との結婚もかなうことになりますわ。それでは、あまりにも……」

「マーゴット、どうしたのだ。まだ昔のことを気にしておるのか? 今のローレシア王妃はそなただ。いい加減、亡くなった人間のことなど忘れなければならぬと、あれほど言い聞かせたではないか」

「ですが……、陛下は……」

「陛下が、ルーク殿下の実の母君であるテレサ様を大切になさっておられたのは事実だ。しかし、既に薨去から20年近く経っておるのだぞ。しかも、輿入れなされたのはわずか14歳の時で、実際のご結婚生活は1年半にも満たなかったではないか」

「陛下はまだ亡きテレサ様をお忘れになっておりませんわ。ご出産と同時での薨去のせいか、遺児であるルーク様をことのほか大切になさって……」

「そなたの思い過ごしにすぎん。陛下はアデル殿下のこともきちんと考えておられる。実際、ルーク殿下がハーゴン討伐の旅に出られている間は、アデル殿下にも王太子としての帝王学も学ばせてくださったではないか」

「確かにそうですけれど……」

 マーゴット王妃の返事は歯切れが悪い。

「それよりも、重大な問題がある。肝心のアデル殿下が、王太子にはなりたくないとおっしゃっているではないか」

「ええ……。あたくしにも、あの子が何を考えているか、わからなくなりましたわ」

「そなたがそんなことを言ってどうする? アデル殿下も15歳になられる。このローレシアの後継ぎとしての自覚を持たれるよう、きっちり舵取りするのが母親の役目であろう?」

「ですけれど、アデルはルーク様を兄と慕っておりますわ。そればかりか、凱旋後にははっきり、尊敬しているとまで……」

 公爵は何故それが問題になるのか、理解に苦しんだ。

「兄と慕うのも、尊敬するのも構わないではないか。事実、ルーク殿下は破壊神を倒した英雄であられるのだから。むしろ、それだけの人材をムーンブルクに援助することで恩を売っておくのも悪くない方法だと思うが」

 先程まで饒舌だったマーゴット王妃は、それっきり口をつぐんでしまった。そのため、この日には結論が出なかったが、後日、エルドリッジ公爵はローレシア王に対し、さりげなくルークをムーンブルクへ婿入りさせては、と提案した。しかし、公爵の思惑など最初から承知している王はこれを一蹴した。次には、ルークに直接交渉を試みたが、ルークも公爵の野望を知っている。いくらリエナとの結婚のためとはいえ、ここで公爵の助けなど借りてしまえば、後々まで問題が残る。あくまで公爵とは無関係に、正攻法で父王を説得し、誰もが納得する形でムーンブルクへ行くと決めている。当然ながら、ルークもこれを拒否したのである。

********

 春もほど近くはなったものの、まだ寒気の厳しいある早朝、ルークはいつもと同じように剣の稽古に励んでいた。そこへ、騎士の稽古着に身を包んだ、どことなくルークに似た面ざしの少年が姿を現した。手には剣を持っている。

 少年はルークの方へ近づいてくると、やや緊張した面持ちで声をかけた。

「兄上」

「ああ、アデルか。どうした」

「もしお時間がございましたら、剣の稽古をつけていただきたくて」

「久し振りに、やるか」

 ルークは笑顔になると、頷いた。

「よろしくお願いします」

 アデルは丁寧に一礼すると、剣を構えた。アデルもローレシアの王子であるから、幼い時から厳しい修業を積んでいる。その姿から受ける印象は、15歳という実際の年齢よりも遥かに熟練したものだった。それを認めたルークは一瞬口の端に笑みを浮かべたが、すぐさま真剣な表情で大剣を抜き、迎撃の構えを取った。

「アデル、どこからでもかかってこい!」

「参ります、兄上!」

 アデルは気迫の籠った攻撃を仕掛けてくる。しかし、ルークにとっては何ほどもない。長身を素早くさばき、わずかな差で攻撃をかわした。

「どうした!? その程度か?」

 その後も何度も必死に斬りかかってくるのだが、ルークは軽くかわし続けている。アデルの動きは徐々に鈍くなってきた。その隙をついて、迎撃に徹していたルークが今度は攻撃に転じる。ルークの大剣が一閃した。

「……!」

 ルークは見事に寸止めしたのだが、アデルの方が勢い余って、転倒する。

「ま、参りました……」

 アデルはぜいぜいと息を切らしながら、剣を置くと、両手を上げた。対するルークは息一つ乱していない。弟を助け起こして、白い歯を見せる。

「ずいぶんと上達してるじゃないか」

「本当ですか!?」

 アデルは顔を輝かせた。

「ああ、私が旅に出る前に比べると雲泥の差だ。修行、がんばったな」

 ルークも笑顔で答えた。

「ありがとうございます! すこしでも兄上に近づきたくて……」

 うれしそうに話し続けるアデルを、ルークが遮った。

「おい、アデル。血が出てるぞ」

 見れば、アデルの左手の甲に傷ができている。勢い余って転倒した時に、すりむいたらしい。

「今すぐ、侍従を……」

 ルークはそう言いかけたが、アデルは笑顔のまま首を横に振った。

「いえ、このくらいでしたら、自分で」

 そのまま、自分で回復の魔法をかける。みるみるうちに傷は塞がった。その様子を見て、ルークはまた笑顔になった。

「回復の呪文も習得できたか。――お前も来年には成人の儀を迎えるし、すっかり一人前になったな」

「ありがとうございます。兄上には到底及びませんが、私もローレシア王家の一員として、すこしでも父上や兄上のお力になりたいと考えています」

 やはり、アデルは自分が王位を継ごうという意思はないらしい。自分の母王妃と祖父公爵の野望は当然知っているはずであるが、それを微塵にも感じさせない。ルークはこれなら、自分がムーンブルクへ行っても、立派に義務を果たしてくれるだろうと考えていた。




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