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旅路の果てに
第6章 8


 部屋で遅い朝食を終え、二人は今日も町へ出かけることにする。

 ルークは横を歩くリエナを見下ろした。髪型を変えたせいか、ずいぶん印象が変わっている。

 下ろしていた髪を結い上げたので、もう頭巾をかぶることはできない。かといって、頭巾なしで外出するわけにはいかないから、首から肩はそのままに、頭を覆う部分だけを背中に下ろしている。今まで隠されていた、耳の後ろやうなじの透けるように白い肌と、白金に輝く遅れ毛が朝の光を浴びて煌めいているのがなまめかしい。

 視線に気づいたのか、リエナがルークを見上げてきた。新妻の眩しいばかりの美しさに、ルークはこの場でおもいきり抱きしめたい衝動に駆られた――が、まさか往来の真中でそんなことをするわけにはいかない。代わりにリエナの肩を抱く。

 リエナもルークに寄り添い、笑みを交わして、二人仲よく並んで歩いていく。

********

 昼をすこし過ぎたころ、ルークとリエナは町の中心部に戻り、昼食を取るために食堂に入った。なるべく目立たないよう、いちばん奥の席に座る。ルークは相変わらずの大食い振りを見せ、リエナもルークと一緒のおかげか、すこしずつではあるが食欲も戻って来たらしい。ゆっくりと食事を口に運んでいる。

 食事を終え、そろそろ店を出ようかと勘定を頼んだそのとき、二人の眼の前に、壮年の中背でがっしりした体格の男が姿を現した。男は迷うことなく、ルークに声をかけてきた。

「兄さん」

 ルークは男に視線を向けることもせず、何も答えない。

「突然声をかけて申し訳ねえ、兄さん。俺はジェイクって言う。折り入って頼みたいことがあるんだ。話を聞くだけでも、聞いて貰えねえか?」

 明らかに自分に話しかけているのはわかるが、こんなところで余計な関りを作るつもりはない。勘定書を持って来た給仕に食事代を払うと、リエナを促し、席を立った。ジェイクと名乗る男はまだしつこく話しかけてようとしてくる。これも無視して店の入口へ向かおうとした時、ジェイクが言った。

「昨日の午後、路地裏で魔物を倒したのはあんただろ? 」

 ルークの背に、一気に緊張が走った。けれど態度には一切出さず、淡々と否定した。

「何の事だか、さっぱりわからねえな」

 あの戦闘を見られていた。単なる偶然か、それとも既に追手が放たれ見つかってしまったのか――ロチェスに来てまだ三日目だが、可能性は否定できない。いずれにせよ、ここは白を切り通して逃げるに限る。

「急いでるんで、帰らせてもらうぜ」

 リエナの肩を抱き、歩きだそうとするルークをジェイクは引き止めた。辺りを憚るように、小声で話し始める。

「嘘を言っても無駄だぜ、兄さんよ。あんたみたいなのがそう何人もいるわけはねえ。若いのにとんでもなく腕も立つし、ずいぶん旅慣れてるみたいじゃねえか。あんた、傭兵かなんかで食ってんじゃねえのか? それなら悪い話じゃないと思うんだがね」

 ルークは一瞬、ジェイクに視線を向けた。追手にしては、話が噛みあわない。傭兵という言葉といい、話し振りといい、まるで仕事の依頼をするかのようである。

「おっと、そう恐い顔をしなさんな。何も取って食おうっていうんじゃねえんだ。俺はここから半日ばかり入った山のなかの、トランの村のまとめ役をやってる。実は、最近うちの村の辺りで、時々魔物が出るんだよ。もちろん村には結界が張ってあるから中に入ってくることはねえんだが、裏山に出かけて襲われそうになる時があるんだ。若いもんたちはみんな町に出ちまって、残ってるのは年寄りがほとんどだ。もっと若けりゃ、新しいところに越すっていう手もあるんだけどよ、やっぱり自分達の生まれたところから離れたくねえんだ」

 ジェイクはお構いなしに、どんどん話を続ける。ルークは簡単には解放されそうにないと判断し、仕方なくもう一度椅子に座った。ジェイクの話の真意はわからないが、本当にあの戦いを見られていたのなら、下手に否定するとかえって面倒なことになるかもしれない――ルークはそう考え、周囲を見渡した。忙しい昼時で、客はみなそそくさと食事を終えると店を出て行っている。自分達の席も店の一番奥であるから、盗み聞きをされる心配はなさそうだった。

「用件は何だ? さっさと言え」

「やっぱり、あんたで間違いなかったんだ」

「勘違いするな。俺はそっちの話を肯定したわけじゃない。――うまい儲け話なら、一口乗りたいだけだ」

「話を聞いてくれるんなら、理由は別になんでも構わねえぜ」

 ジェイクはほっとした表情を見せると給仕を呼んだ。三人分の飲み物を注文して受け取ると、その場で代金を払い、二人の前にも置く。ジェイクも向かい側の椅子に座って、あらためて話し始めた。

「兄さん、トランの村で用心棒をやる気はねえか?」

「用心棒?」

 思いがけない話の展開である。ルークはジェイクに訝しげな表情を見せた。

「そうだ。俺は村のまとめ役として、あんたに用心棒を頼みたい」

 ジェイクは真剣な表情で頷くと話を続ける。

「トランはこの時期、果物やきのこやらが裏山で採れる。それをロチェスで売って現金を稼いでるんだが、だいぶ前から魔物が出るようになった。今まで魔物にやられたのはいないが、これからはわからねえ。だから、あんたに村のみんなを守ってもらいたいんだ」

 ルークにもようやくジェイクの話の要点がわかってきた。

「俺に、村の人間が裏山に出かける時の護衛をしろって話か」

「そういうこと。あんたの腕なら文句なしだ。それだけの腕をもってりゃ、別に傭兵なんかやらなくてもよ、お貴族様の護衛でも、何なら近衛兵にだってなれるんじゃねえか?」

 ジェイクは話しながら、今度はリエナに視線を向けた。

「それにしてもよ。あんたの女房、たいした別嬪だな」

 いきなりそう言われて、リエナが戸惑ったように顔を伏せる。その横で、ルークがあっさり言い切った。

「ああ。最高の女だ」

 ジェイクは一瞬あっけにとられたような表情をしたあと、にやりと笑った。

「確かに、あんたの女房は極上の別嬪だぜ。まるで貴族のお姫様か若奥様みたいだ」

 話が変な方向にずれていきそうになり、ルークはむっとした声で答える。

「さっさと続きを話せ。だいたい、俺の妻が美女なのとそっちの話には何の関係もないだろうが」

「これはすまなかったな。こんな別嬪、初めて拝んだからつい……」

 まだ懲りずにリエナの話題を続けようとするジェイクを、ルークが強引に遮った。

「用心棒と言ったな。他には何をするんだ? 魔物たって、そうしょっちゅう出るもんじゃねえだろ?」

 ジェイクはようやくルークに視線を戻すと、再び話し始めた。

「確かにな。さっきも言ったように、うちの村は年寄りが多い。冬は雪に閉ざされるし、男手が足んねえんだよ。だから、あとは村の男達を手伝って力仕事をしてくれりゃいい。あんたのその身体なら、問題ねえよな。たいして礼はできないけどよ、その代わりに住む家ならあるし、別に家賃もいらねえ。食いもんなら、裏山でたんと採れる。それを村のみんなで分けて、残りを俺がここに運んで売って、後は村の女達が縫物をして、それも売って、暮らしてる。贅沢はできねえけどよ、決して貧しくはないぜ。正直なことを言えば、こっちも用心棒を雇うのは賭けなんだ。傭兵稼業のあんたを目の前にしてなんだけど、ああいった連中は気の荒い奴が多い。礼金だって、最初はこんだけでって言っても、後で必ずもっとってことになる。村の女に手を出されたら――まあ、住んでるのはばあさんばっかだけど、それも困る。でもあんたには別嬪の女房がいるから心配ない」

 ここまで一気に話すと、ジェイクは大きく頷きながらリエナに視線を向けてきた。すかさず、ルークの鋭い視線と声が飛ぶ。

「俺の妻に妙な素振りを見せたら、どうなるかはわかってるんだろうな」

 ジェイクは思わずすくみあがると、冗談じゃないとばかりに手を振った。

「とんでもねえ。いくら別嬪でも、あんたの女房に手を出すような馬鹿な真似はしねえよ。俺だってまだ生命は惜しい。トランは年寄りばっかりで若い独り身の男は誰もいないから、俺以外の男もあんたの女房にちょっかいかけるようなことは絶対にない。保証する。第一、俺にだってれっきとした女房がいるんだ。こんな別嬪じゃねえけどよ、そりゃあ料理上手で気立てのいいやつなんだ」

 またもや話がずれていきそうになる。ルークは再びジェイクに鋭い視線を向けた。

「すまねえ。話を戻すぜ。とにかく俺としては、あんたにうちの村に用心棒として住んでもらいたい。はっきり言って、あんたらは悪い人間に見えねえんだよ。そうじゃなきゃ、魔物を退治するだけして、礼も要求せずにさっさとずらかるなんてこと、しねえよな」

 ジェイクは訳知り顔で頷き、更に話し続ける。

「他人の事情を詮索する気はねえけどよ、あんた、本当は元は騎士様かなんかで、ご主人様のお嬢さんに惚れて、駆け落ちしたってところだろ?」

 ジェイクの話は妙に核心を突いてくる。一瞬答えに詰まったルークに、ジェイクは笑って見せた。

「ああ、別に答えなくったっていいぜ。もしそうなら、うちの村みたいなところが隠れて住むにはいいんじゃねえか? みんな酸いも甘いも噛み分けた連中だ。多少おせっかいかもしれんが、余計な詮索はしねえよ。お互い悪い話じゃないだろ?」

 確かに、ジェイクの話が本当ならば悪い話ではない。ルークは表情を変えないまま答えた。

「よくしゃべるやつだ。だが、そういうことなら考えてみてもいい」

 ルークの態度が変わってきたのを見て、ジェイクは嬉々として椅子から立ち上がろうとした。

「そうこなくちゃいけねえ。すぐに村のみんなに知らせに……」

 もう決まったも同然とばかりのジェイクを、ルークは遮った。

「慌てるな。俺は、考えてみてもいいとしか言ってねえぜ。こっちにも都合ってものがある。だいたい、初対面の相手の話を簡単に信用しろってのか?」

 ルークの言い分は当然である。ジェイクは椅子に座り直すと、二人に謝った。

「すまなかったな。俺は明後日までこの町にいる。ここの隣の『きさらぎ亭』っていう宿に泊ってるから訪ねて来てもらってもいいし、昼なら毎日ここで食ってる。今時分なら必ずいるぜ」

「わかった。話に乗るようなら、こっちから訪ねて行く」

「お互いに悪い話じゃねえはずだ。ぜひ考えてくれ」

 ジェイクはそう言うと、席を立つ。

「いい返事を待ってるぜ」

 もう一度念押しするように繰り返すと、片手を挙げて店を出ていった。二人も続いて店を出た。

********

 宿に着いた。やはりリエナはかなり疲れたようで、すぐに寝台に横になった。しばらくして、寝息が聞こえ始める。ルークは寝台の横に椅子を持ってきて座ると、リエナの寝顔を見ながら、さっきの話をどうするか、考え始めた。

(確かに悪い話ではない、それどころか、俺達のような隠れ住みたい人間にとっては願ったりかなったりだ。あのジェイクと名乗った男も悪い人間には見えない。だが、そううまく話がいくものか? 俺達は一昨日ロチェスに着いたばかりだ。ローレシアもムーンブルクも既に追手を差し向けただろうが、俺達がここにいるのは、いくら何でもまだばれていないはずだ。リエナは森まで飛ぶときに自分の魔力の痕跡はすべて消したと言っているから、行き先の手掛かりは一切残していない。――とすると、あの話は本当か?)

 ルークはもう一度、ジェイクとの遣り取りを思い出してみた。自分の記憶の限りでは、不審な点は無いと判断できる。

(俺だけでこれ以上考えても、すぐには結論を出せない。今俺の手の内にあるのはジェイクの話だけだ。とにかくもっと情報を集めるしかない。トランの村はロチェスから半日山に入ったところにあるというから、他のやつらも何か知っているかもしれない)

 腕を組み直し、更に考え続ける。

(そうだ、手始めにこの宿の女将に聞いてみるか。トランの村に限らず、この周辺に魔物が出る噂があるのかだけでも探ってみる価値はある。今日はリエナにこれ以上は無理をさせたくないし、ジェイクも明後日までいるらしいから、明日一日かけて確認すればいい。後でリエナが目を覚ましたら、意見を聞いてみよう。こいつは人を見る目に関しちゃ相当なもんだ。リエナが信用できるっていうなら、賭けてみる価値はある。一度話に乗ってみて、やばいと思えばまたどこか違う場所を探せばいい)

 ルークは、とりあえずこう結論した。

********

 日が暮れかけたころ、リエナが眼を覚ました。すぐに部屋で食事にする。今夜も町で買ってきた料理である。宿や町の食堂に行けばあたたかいものが食べられるが、なるべくリエナを人前に出したくない。特に夜はどうしても男達は酒が入るから、リエナのような若い美女を連れて行って、変にちょっかいを出されても困る。

 夕食をとりながら、二人は昼に会ったジェイクという男について話し合っていた。

「リエナ、さっきのジェイクっていう男をどう思う? 意見を聞かせてくれ」

 リエナはしばらくの間真剣な顔で考えていたが、頷いて言った。

「そうね、悪い人には見えないわ。お話の内容におかしく感じたところはなかったし、信用するところまでは無理でも、嘘を言っているとは思えないわ」

「俺も同じ意見だ。ただ、あんまりにもうまいこと行きすぎてるんじゃないかと心配だったんだがな。だが、いくらなんでも追手がもうここまで来てるとは思えない。もう少しあの男の話が信用できそうか確認して、大丈夫そうなら乗ってもいいと思ってる」

「信用できるかどうか、どうやって確認するつもり?」

「あの男の話が本当なら、定期的にこの町に来てるはずだ。とりあえず、宿の女将にあの男の村の話を聞いてみようかと思う。俺達の持ってる地図にも載ってない程ちいさい村だ。だが、ここで長年商売してる女将なら、本当にその村があるのかどうか、村から品物を持ってきて売ってるか、魔物が出る噂があるかどうかくらいは、知ってるんじゃないか?」

「確かにそうだわ」

「俺が女将に聞いてみる。ただし、ジェイクやトランの村について調べていることに気づかれたくない。何とかその辺はうまく聞き出すから」

 ルークの方からトランの村やジェイクという名前を出せば、女将の記憶に残りやすい。ルークとリエナの姿形は目立つし、宿屋という商売柄、女将も二人が数日間泊ったことは憶えているだろう。万が一、追手がロチェスに来て女将に二人の行方を尋ねた時のために、わずかでも自分達の行き先について手がかりになるような会話をするわけにはいかないのである。

「わかったわ。じゃあ、お話を聞くのはあなたに任せるわね。女将さんにお話を聞いて本当のようなら、次はきさらぎ亭だったわね、ジェイクさんの泊っている宿の人にもお話を聞いてみるのはどうかしら」

「そうだな。きさらぎ亭はジェイクの定宿らしいから、めぼしい情報が手に入るかもしれない」

「ジェイクさんのお話が正しいことがわかれば、あなたはトランの村に行くつもりなのね?」

「ああ。もし話に乗ってやばいと思ったら、その時はまた違う場所を探せばいい。お前の移動の呪文を使えば逃げるのは簡単だし、第一、俺達二人をまとめて殺れるようなやつはそうそういないはずだぜ」

「それでは、これで決まりね」

 二人の明日の行動予定が決定した。




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