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旅路の果てに
第6章 9


 翌朝、ルークとリエナは支度を済ませると一階に下りていった。今朝は掃除に精を出している宿の女将に、ルークが話しかけた。

「女将、忙しいところをすまないが、少し話を聞かせてもらえないか?」

 女将はリエナの姿を見て、ちょっと眼を瞠った。娘の髪型から人妻のものに変わったことに気づいたらしいが、それについては何も言ってもこない。

「ああ、あんた達かい。いいよ、これだけ済ましたら話を聞くから、そこで座って待ってて」

 そう言って、後ろにある机と椅子を指差した。

 二人が並んで腰かけて待っていると、ほどなくして手早く掃除を済ませた女将が道具を片づけてやって来た。二人の向かいに、よっこらしょと声をかけて座る。

「なんだい、聞きたいことって」

「最近この辺りに魔物が出るらしくて、退治できるやつを探してるって、小耳にはさんだ。それについて、何か知っていることがあれば教えてほしい」

 女将にとっては意外な言葉だったらしい。眼を丸くしたが、すぐに答えてくれた。

「本当だよ。あんたみたいな旅人がどっから聞いたか知らないけど」

「詳しい話、聞かせてくれるか?」

 ルークが頼むと、女将は頷いて話し始めた。

「近所っていっても、ロチェスの周りじゃなくて、もっと山の中に入っていったところなんだけどね」

「山の中?」

「そうだよ。この辺りはね、ちょっと山の中に入ったところにいくつか村があるのさ。トランに……」

 女将は指を折って数えながら、村の名前を順番に言い始めた。

「……だから、全部で五つだね」

「意外だな。そんなにたくさんあるとはな」

 ルークも驚いていた。ロチェスの町は決して大きくない。村があっても、一つかせいぜい二つだろうと思っていたからだ。けれど、女将の言う村の名前に『トラン』があった。早速の収穫である。

「でも最近じゃ、村の若い者はみんな、ここや他のもっと大きな町に出て行ってるって話だけどね。村はどこも冬の間は雪に閉ざされるから、若い者には退屈なのさ。でも、山の中にはルビス様のお恵みが豊富で、食べるぶんには困らない。だから、年寄りは町であくせく働くよりも、村でのんびり暮らす方がいいってわけ」

「――ルビス様のお恵み、ですか?」

 リエナが問い返した。二人とも初めて聞く言葉である。

「よそから来た人は知らないか。村の回りをぐるっと囲ってる山でね、果物やらきのこやら薬草やらがたくさん採れるんだよ。ようは、大地のお恵みってこと」

「なるほど、うまいこと言うな」

 ルークも素直に感心していた。精霊ルビスは大地を司る女神である。ここでも精霊ルビスが深く信仰されている、その証拠だった。

「お恵みはたっぷりあるからね。村だけじゃとても食べ切れないくらい豊富なんだよ。それで、余分に採れたものをロチェスに売りに来るのさ。そうすれば、村も現金収入ができるし、こっちも新鮮なお恵みが手に入る。お互い、持ちつ持たれつっていうことね」

 ここで女将は一つ息をついた。

「それがだいぶ前から、ときどき魔物が出るようになったんだって。でも全部の村ってわけじゃないし、どこの村かまではあたしも知らないんだけどね。村の方は魔法使いに頼んで魔物除けの結界を張ってもらえばいいけど、山の中までは無理だしねえ。かといって、収穫をやめるわけにはいかないし、魔物が出たらとても太刀打ちできないし」

 ジェイクが話していたとおりだった。山に魔物が出れば恵みを収穫できない。収穫できなければ、村の食料も現金収入もなくなってしまう。村にとって、まさに死活問題である。

 女将はルークをしげしげと見つめてきた。

「あんた、傭兵稼業でもやってんの? 確かに若いのに似合わず、腕が立ちそうだもんねえ」

 女将の言葉に、ルークは薄く笑った。

「まあな、そんなところだ」

 これで聞きたい情報はすべて手に入った。これ以上余計な詮索をされる前に、話を切り上げることにする。

「助かった、ありがとよ」

「お安い御用だよ。また何かあったら聞いとくれ」

「ああ、そのときは頼むぜ。それから、今夜もう一晩ここに泊る。前金で払っとけばいいな」

 そう言って、ルークは一泊分よりもかなり多めの金額を女将の前に置いた。

「釣りはとっておいてくれ。少ないが、話を聞かせてくれた礼だ」

「悪いねえ、じゃあ遠慮なくもらっとくよ」

 女将はほくほく顔で受け取った。

「その代わりって言っちゃなんだが、俺達がこの話を聞いたってことを他のやつらには話さないで欲しいんだ。頼めるか」

「かまわないよ。おいしい仕事を他人に取られたくない、ってわけね」

 女将は訳知り顔で頷いた。ルークも敢えて何も答えず、にやりと笑っただけだった。

********

 二人は宿を出た。今度の行き先は、きさらぎ亭だ。今日もよく晴れていて秋の風が心地よい。ルークはリエナの肩を抱き、仲睦まじげに話しながら歩いていく。二人の後ろ姿はどこにでもいる、幸せそうな若い夫婦にしか見えなかった。

 きさらぎ亭に着いた。宿の扉を開けようとしたところで、中年の男に声をかけられた。

「あんた達、昨日うちでジェイクと話してた若夫婦だろ? ジェイクから、もしあんた達が訪ねてきたら絶対帰すなって言われてんだ。よかったら、こっちで待っててくれねえか?」

 声をかけてきた男の顔には二人とも記憶がない。けれど、男の方は自分達を知っているらしい。ルークが訝しげな視線で見遣ると、男が答えた。

「ああ、すまねえ。俺はこの食堂の持ち主だ。昨日はずっと厨房に居たから、あんた達とは初めて顔を合わせることになるな」

 納得したルークが食堂の主人に尋ねた。

「ジェイクはもう来てるのか? 昼飯時にいるとは聞いてたが。悪いが俺達はきさらぎ亭に用があるんだ。それが済んで、必要だと思えばそっちに行く」

「ジェイクは今出かけてる。それから、きさらぎ亭も俺の宿屋だ。ふだんは宿の切り盛りは女房にまかせてるがな。今の時間、食堂は休みだ。だから話をするんなら、こっちの方が都合がいいぜ。さあ、入った入った」

 二人は食堂に入り、昨日と同じ食卓で主人と向かい合った。主人は二人をしげしげと見つめ、感心したように笑い声をあげた。

「見れば見るほど別嬪の奥さんじゃねえか。ジェイクが言ってたとおりだ。そりゃ、あんたも男前だけどよ。どこで見つけたんだよ、こんな別嬪、見たことねえぜ」

 リエナは、あまりにあからさまに褒められるのが恥ずかしいらしく、すこし顔を赤くしてうつむいている。ルークも内心で開けっぴろげな賛辞に苦笑していた。

「ああ、最高の女だ。――どこで見つけたかは、ちょっと言えねえがな」

 今日も負けずに堂々とのろけ返す。リエナはますます赤くなり、主人はにやりと笑った。

「へえ、言ってくれるじゃねえか。――ところでよ、あんた達、ジェイクの話を受けてくれるつもりで来てくれたんだよな?」

 主人はもう決まったも同然のような顔をしたが、ルークは軽くかわした。

「それはまだ決めてねえよ。疑うわけじゃないが、話が信用できるかどうか、きさらぎ亭でも話を聞こうと思って来たんだ」

 主人は一瞬残念そうな表情を見せた。しかし、ルークの言い分には納得したらしく、真剣な表情で話し始めた。

「嘘じゃねえぜ。トランの村の裏山に、ここ1年ばかり前から魔物が出るんだ。ジェイクも言ってたように、村には結界を張ってもらった。でもよ、あの村は裏山で採れる果物やきのこや木の実を売って、現金を稼いでるんだ。だけどいくらなんでも、裏山全部に結界は張れねえ。かといって、裏山に行けなけりゃみんな飢え死にだ。今んとこはせいぜい怪我人――それも、魔物にやられたんじゃなくて、逃げる時に足をくじいたとかで済んでるけど、この先はわからねえ。それで、ずっと用心棒を探してたんだ」

 きさらぎ亭の主人の話も、ジェイクと同じである。ルークが頷きつつ確認した。

「だから、村に住んでくれってわけか」

「そういうこと。あそこは年寄りばっかで男手が足りないのも本当だしな。だから、あんた達みたいな若い夫婦が行けば、みんな喜ぶだろうよ。若いもんには退屈かもしれねえけど、水も空気もうまいし、いいところなのは間違いねえ」

「村の事情、えらい詳しいじゃねえか」

「女房があの村の出なのさ。ジェイクとも遠い親戚だ。だから、俺にとっても他人事じゃねえんだ」

「なるほどな、話はわかったぜ」

「それじゃ、受けてくれるか!?」

 主人は身を乗り出してきた。

「いや、まだだ。別に信用してないってわけじゃねえぜ? 念のため、女将にも話を聞かせてもらって、あとはこいつと相談だ。どっちにしろ、ジェイクは昼まで戻らないんだろ? 俺達も昼飯はここに食いに来るから、それまでに決める」

「それじゃあ、女房をこっちに呼んでやるよ。宿の店番なら娘がいるし、何でも聞いてやってくれ。その代わり、いい返事を聞かせてくれよ」

「ああ。それから、俺達がここに話を聞きに来たことだが、他の連中には一切伏せておいてくれ」

「わかってるって。こっちとしても、あんたみたいな用心棒をずっと探してたんだ。みすみす他のやつらに取られるような真似はしないよ」

 主人は笑って請負った。




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