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旅路の果てに
第7章 4


 あっという間に一週間が過ぎた。

 二人ははやくも村の一員としての生活に慣れ始めていた。村人たちも若い二人が懸命に自分たちの村に溶け込もうとしているのを見て、親切にいろいろと面倒をみてくれている。

 ルークは進んで薪割りをしたり、収穫物を各家に届けに行ったり、冬支度に入る村の仕事を積極的に手伝っている。

 リエナも女達にかわいがってもらっていた。自分の出自や美貌を鼻にかけることもなく、誰にでも明るく礼儀正しく接し、わからないことがあれば素直に聞いて、きちんとお礼を言う、そんな彼女の振る舞いに村の女達は好感を持った。裏山で採れるルビスの恵みを使った料理などもいろいろと教えてもらっているらしく、毎日の食卓には素朴であたたかい家庭料理が並ぶようになった。

********

 今、トランの村ではちょうど裏山で秋の収穫が最盛期である。ルークは手伝いがてら大剣を背負い、護衛のために一緒に出かけることになった。リエナは大事をとって留守番である。

 裏山への道を歩きながら、村の男の一人が声をかけてきた。

「おい、ルークよ。そのお前さんの背中の剣、えらいでかくて重そうだなあ」

 ルークは笑いながら答えた。

「ああ、俺のはずっとこんなもんだ」

「それにしても、すげえなあ。ちょっと持ってみてもいいか?」

「いいぜ。でも鞘から抜くなよ、危ねえから」

 男はルークから剣を受け取ったが、その重みで思わずよろけそうになった。

「とんでもねえ。俺でも持つのが精一杯だ。こいつを片腕で振り回すのか……。お前さん、確かに力がありそうだけど、ここまでとは思わなかったぜ」

 男はルークと剣を交互に見ながら、しきりに感心している。

「これでも今の俺には軽いくらいなんだけどな。あんまり軽いとどうも調子が出ねえんだよ」

「これで軽いって!?」

「ああ。昔はもっと重いのを使ってた」

 こともなげにそう言うと、ルークは男から剣を受け取り、背中に負った。『今の俺には軽いくらい』と言った通り、その動作はまったく重さを感じさせない。

 男は心底驚いたようで、まだ眼を丸くしている。

********

 ルークは目の前に広がる光景に驚きを隠せなかった。

 秋の穏やかな日差しのもと、木々には林檎や梨がたわわに実り、また別の木には蔓が絡まり、山葡萄が房を垂らしている。地面に視線を移すと、つややかな栗の実が落ちているばかりか、下草の陰からとりどりのきのこが顔を覗かせていた。村人がルビス様のお恵みと呼ぶのがよくわかるほどに、それらは豊かなものだったのだ。

「どうでえ。すごいもんだろ」

「まさに、大地の恵みだな」

「ああ。俺達トランの住民は、この裏山のおかげで生かされてるんだ。――なあ、ルーク」

「どうかしたか?」

「俺が用心棒を雇いたいって言った気持ち、わかってくれたか?」

「ああ」

 ルークは短く答えた。ジェイクの言う通りだった。ルークとリエナがトランに住みはじめてから口にした豊かな食事の大半は、この大地からもたらされた恵みだというのがよくわかる。この恵みを失ってしまえば、村人は生まれ育った村を捨て、町へ出なければならないのだから。

「じゃ、始めるか」

 ジェイクがいきなりその場で跪いた。村人も次々にジェイクに倣う。

「これから、ルビス様に祈りを捧げるんだ。あんたも一緒に頼む」

「わかった。大地の恵みを分けていただくのだから、当然のことだな」

 ルークは頷いて、自分も跪いた。

 ジェイクがルビスの祈りの言葉を唱え始める。いつもの口調と違い、真剣に祈りを捧げる姿にルークは心打たれた。祈りの言葉こそローレシアとはすこし違っているが、大地の女神への敬虔な信仰心は同じだった。

 やがて祈りを終え、ジェイクが立ち上がった。

「よーし、みんな頼むぜ」

 村人に声をかけた。どうやらそれぞれに得意分野があるらしく、違う場所に散っていく。

 ルークも手伝い始めた。初めてで勝手はあまりわからなくても、やることはいくらでもある。請われるまま高い木の果物を登って採ったり、鉈を使って邪魔な枝を払ったりと、せっせと手伝っていた。

 収穫を続けながら、ルークは旅の間の出来事を思い出していた。

 ルークもよく林檎や野苺などを採りに行ったものだ。その時にはアーサーは一緒ではなく、リエナと二人きりの時が多かった。アーサーは聞き上手で人当たりがいい。そのため、新しい町に着いた時には彼が情報収集と買い物を担当し、ルークとリエナが食料調達に行ったり、次に攻略する迷宮の下調べに行ったりしていた。けれど今になって思えば、二人の気持ちに気づいていたアーサーが気を利かせて二人きりにしてくれたのだとわかる。

 そんなことを考えつつ鉈を振るっていると、村の女の一人が声をかけてきた。

「ルーク、ちょっと頼みたいんだけど」

「なんだ?」

「あそこにある蔓を取ってくれる?」

 女が指差したのは、ルークの目の前にある木だった。幹の上のほうから枝に絡まっている。確かに女の背では届かない高さだった。

「あれを取ればいいのか?」

「そう。できるだけ切らないように、長いまんまでお願いね」

「よし、待っててくれ」

 蔓はルークが手を伸ばせば届いたが、思い切り引っ張れば間違いなくちぎれてしまう。力を加減しながら慎重に、幹から剥がすように蔓を取った。

「これでいいのか?」

「上等だよ。ルーク、ありがとうね」

 女は蔓を受け取ると、にこにこしながら礼を言った。

「ところで、何に使うんだ?」

 言われるままに蔓を取ったものの、ルークにはさっぱり使い道がわからないのである。

「飾りにするんだよ。秋から冬に玄関の扉にかけるの。くるっと何重にも輪に巻いて、食べられないけど形の面白い木の実を飾って作るんだよ。ロチェスでも人気があってね、作ったら作っただけいい値段で引き取ってもらえるんだ」

 そう言って、籠から木の実を出して見せてくれた。

「なるほどな。食べるだけじゃなくて、いろんな使い道があるんだ」

 ルークは再び感心していた。こういった恵みを自分達で使うだけでなく、町で売ることによって、村は現金収入を得ているのである。

 秋もたけなわというのに、今日は日差しも暖かく、汗ばむほどの陽気である。今日もたくさん収穫できそうだった。それぞれの籠には様々な恵みで一杯になりつつある。

 収穫が一段落したところで、ちょうど昼時である。みんな手を休めると思い思いの場所に座り、昼食を取り始めた。ルークもリエナが持たせてくれた弁当を広げた。それ以外にも、今採ったばかりの果物がみなのお腹を満たしてくれる。

「おや、ルーク。あんたのお弁当すごいね」

 すぐ近くで同じように昼食をとり始めた女が言った。ルークの眼の前には大量のサンドイッチ――小麦を丸ごと引いて香ばしく焼き上げたパンに、たっぷりの燻製肉とチーズ、リエナ手作りの野菜の酢漬けを挟んだものである――がある。

「すごい?」

「量がものすごくたくさんあるから。うちの亭主も、今は町に出て働いてる息子達もみんなよく食べたけど、あんたはもっと食べるんだねえ」

「俺はいつもこのくらいだけどな」

「いつもこれくらい? あんた、見かけもよく食べそうだけど……それ以上なんて驚いたよ」

「それもよく言われる」

 ルークは笑いながら答えた。

「リエナちゃんも、これだけ食べてくれれば作りがいあるよねえ」

 女もつられて笑いながら、再び弁当をまじまじと見ている。

「それにしても、おいしそうにできてるじゃないの。リエナちゃんは貴族のお姫様だったのに、ずいぶん料理上手なんだ」

 それを聞いていた別の女が話に入ってくる。

「一昨日ね、リエナちゃんが野菜の酢漬けの作り方を教えてほしいって言うから、うちで一緒に作ったんだよ」

「あんたは酢漬け作りの名人だもんねえ」

「リエナもそう言ってたぜ。たくさん酢漬けを持ってうれしそうに帰って来た。そろそろ食べ頃だからって、このサンドイッチにも入れてくれてる――確かにうまい」

 ルークは笑顔でサンドイッチをほおばっている。酢漬け作り名人の女も笑顔になった。

「そう言ってもらえるのはうれしいねえ。ところでリエナちゃん、今までもずいぶん料理してたみたいだね。かまどの火の扱い方もナイフを持つ手付きも、すごく慣れてて驚いたよ」

「うまいもんだろ? 俺がまるっきり料理できないからって、見兼ねて始めたんだ。あいつは料理の才能があったみたいだな。あっという間に上達した」

 自慢そうに言うルークに、女達は揃って大笑いした。

「そりゃルーク、あんたに惚れてるからに決まってるじゃないの。女ってもんはね、好きな男に自分の手料理をおいしいって褒められるのが何よりうれしいんだからさ」

「そんなもんなのか?」

 真顔で聞き返すルークに、女達は呆れたようにわざとおおげさに溜め息をついて見せた。

「あんただって、恋女房の手料理が最高においしいんでしょ? それと同じこと」

********

 賑やかな昼食を終えて、午後からもうひと頑張りしようと作業を再開して間もなく、男の叫び声が聞こえた。

「ま、魔物がでたぞ! それも、すごい数だ!」

 それを聞いた瞬間、ルークは声のする方に走り出していた。彼がそこに着いた時、叫び声を挙げた村の男は地面に蹲っていた。驚きで足が動かないらしい。

「そこを動くな」

 ルークはそれだけ言うと、庇うように魔物の前に立ちはだかった。背中の剣を抜く。

 魔物は全部で5匹。すぐ眼の前に2匹とやや離れた場所に3匹。この辺りにではありふれた雑魚ばかりである。

 普段ならこの程度の魔物相手であれば、ほとんど一瞬で戦闘は終わる。しかし今は男を背に庇っている。ひとまず眼の前の2匹を片づけるのが先決だと迎撃の構えをとり、わざと魔物を挑発する。

 魔物はまんまと挑発に乗り、ルークに襲いかかって来た。ルークの背後にいる男は恐怖のあまり眼をつぶった。何か音がしたような気がして恐る恐る眼を開くと、ルークはもうそこには居ず、魔物の屍が二体、地面に転がっているだけである。

 驚いた男が視線を巡らすと、ルークは離れた場所で残り3匹の魔物と対峙していた。

 もう村の男には危険がないと判断したルークは、今度は自分から攻撃を仕掛けていた。大剣が一閃するごとに、魔物は断末魔の叫びをあげる間もなく、その醜い屍を晒す。

 男はルークの鮮やかな剣さばきに眼を奪われていた。呆然と見つめ続け、はっと気づいた時にはルークが自分の目の前に立っている。剣は既に、背中の鞘に納められていた。

「おい、大丈夫か。怪我はないか?」

 ルークは男の腕を引っ張って立たせてやった。その時には村人もみな集まっていた。彼の今の戦いぶりを見ていたらしい。例外なく目を丸くしていた。

「あんた! 大丈夫だった!?」

 村の女の一人が駆け出して来た。男の妻である。

「ああ、大丈夫だ。ルークのおかげで怪我はねえ」

 妻を安心させるために笑顔を向けると、再びルークに向き直った。

「……助かった、ありがとうよ」

「ルーク、ありがとう。本当にありがとう。――もしこの人が死んじまったら、あたしは……」

「おい、みっともない顔みせるんじゃねえぞ。こうしてルークのおかげで無事だったんだ」

 まだ震えの止まらない妻の肩を抱く男に、ルークが言う。

「奥さんの気持ちからしたら当然だろうよ。何事もなくてよかったな」

「俺からももう一度礼を言わせてくれ。ルークのおかげで命拾いした。ありがとうよ。――それにしても、お前、とんでもねえ腕だな。途中からは、恐ろしいのも忘れてお前の剣さばきに見惚れちまってた」

「お褒めに与り、光栄だ。だが、別に性質の悪いのはいなかったぜ。――じゃあ、収穫に戻るか」

 そう言ってみなと戻ろうとしたところで、男はまた蹲ってしまった。

「あ……、痛て……」

「どうした?」

「さっき驚いた時に足をくじいたらしい。……お前の戦いぶりに比べて恥ずかしいぜ」

 痛がる男の足首を確認してみると、ひどく腫れている。

「俺はこれが商売だ。そら、肩を貸すぜ。村に戻ったらすぐ、リエナに治療を頼むからな」

 その後すぐにみなで村に帰ることに決まった。まだ時間は早いが、男の足の治療は早い方がいいし、収穫も充分にあったからである。

********

 ルークは村に着くと男をそのまま自分の家まで連れていった。残りの村人も荷物を持ったまま、なんとなくみんなでついていく。

「リエナ、ただいま」

「お帰りなさい。あら、どうしたの?」

「足をくじいたらしい。回復の呪文をかけてやってくれ」

「リエナちゃん、すまねえが、よろしく頼む」

「ええ、今すぐに治療しますね。家に入って足を見せていただけますか?」

「いや、できればここでやってくれねえか?」

 男がリエナに言った。ついてきたジェイクも、同じようにリエナに頼んだ。

「みんなも魔法の治療がどんなもんか、見てみたいと思うんだ。だから、ここで頼めたらありがてえ」

 理由を聞いて、ルークもリエナも納得した。確かにここで一度、実際にリエナの魔法を見せておくのは意義がある。

「そういうことですね。わかりました。すぐに魔道士の杖を取ってきますから、ここでしばらくお待ちくださいね。地面に座っていただくのは申し訳ありませんから、椅子も一緒に持ってきますわ」

「じゃあ、あたしが椅子を持ってくるよ。リエナちゃん、この人の怪我を治してやってください。よろしくお願いします」

 男の妻が言って、頭を下げた。

 用意が整うとリエナは男の前に立ち、回復の呪文の詠唱を始めた。

「大地の精霊よ。契約に従いて我に応えよ。苦痛を癒す聖なる光来たれ。――ホイミ」

 魔道士の杖から柔らかな薄紅の光があふれだし、男の足首を包んだ。男はくじいた場所に何とも言えないあたたかさを感じていた。しばらくして光が消えると、リエナはにっこり微笑んで尋ねた。

「終わりました。もう治っているはずですけれど、お加減はいかがですか?」

 男は恐る恐る足首を動かしてみた。腫れはすっかり引いていて、痛みも嘘のように消えている。

「な、治ってる。ありがとよ。恩に着るぜ。それにしても、回復の呪文てのは大したもんだ。噂には聞いたことがあったけどよ、ここまですげえもんとは……」

 ついてきた村人たちも、またもや目を丸くしていた。しばらくして、ようやく我に返り、みんな口々に二人に礼を言った。

 ジェイクも予想以上のリエナの呪文のすごさに驚きを隠せなかった。と同時に、やはりこの若い二人を村に迎え入れたことは正解だったとしみじみ感じていた。

「ルーク、俺はお前とリエナちゃんに謝らなきゃならねえ」

 怪我を治してもらった男が突然言い出した。

「謝る?」

 ルークが問い返した。

「俺は最初、お前達夫婦がトランに来た時、この先に何か面倒事が起きるんじゃないかって心配してた。だがよ、俺が間違ってた。――すまねえ」

 頭を下げる男に、ルークは静かに首を横に振った。

「頼むから頭をあげてくれ。そっちがそう思うのは当然のことだから、謝ってもらう必要はないぜ。俺が用心棒をしてリエナが魔法で治療する、その代わりにトランで匿ってもらっている。俺達にとって、それがどれだけありがたいことか……感謝してもしきれないくらいだ」

「ルークの言う通りですわ。わたくしたちを受け入れてくださったばかりか、とてもよくしていただいていますもの。みなさまの助けがなければ、わたくしたちはここで暮らしていくことはできないのですから」

 これは紛れもなく、ルークとリエナの本心である。村人にもそれが伝わったのか、男は真剣な顔でじっと二人を見つめ、やがて破顔した。

「これからも頼んだぜ」

「それはこちらの台詞だ。――よろしく頼む」

 ルークも笑顔を返した。

 村人達はあらためて、例え理由(わけ)ありで追われていても関係ない、二人はもう立派に村の一員だ――そう思ったのだ。




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