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旅路の果てに
第7章 5


 穏やかな晴天だった。秋の柔らかな日差しが降り注ぎ、心地よい風が吹き抜けていく。

 リエナは洗濯物を入れた盥を抱えて水場に出かけた。既に何人もの女達が盛大におしゃべりしながら、せっせと手を動かしている。

「おはようございます」

 リエナはにっこりと微笑んで挨拶をした。

「おはよう、今日もいい天気だね」

 女達も口々に明るい声で挨拶を返すと、リエナのために場所を開けてくれた。

 リエナは礼を言うと、皆と同じように手を動かし始めた。しばらくリエナは女たちのおしゃべりに相槌をうちながら洗濯をしていると、場所を開けてくれた女がリエナの左手を見て、声をあげた。

「あらあ、リエナちゃん、素敵な指輪だねえ」

 これを聞いて、別の女達も次々と話に加わってくる。

「指輪? あたしにもみせておくれ」

「あら、ほんとだ。それにしても細くて綺麗な指だこと」

「ルークに買ってもらったのかい?」

 リエナははにかみながら、ちいさくうなずいた。

「はい。この村に来る少し前にロチェスの町で。……結婚の記念にって」

「結婚の記念だって!」

 女達は盛んに囃し立てた。リエナはその時のことを思い出したのか、透き通るような白い頬が染まっていく。

「よく似合ってる。ルークが選んでくれたの?」

「はい。偶然、お店の前を通りかかって……」

「で、贈ってくれたんだ! 粋なことするじゃない」

「そりゃ、うれしいよねえ」

「おや、この石は? 見たことないけど、なんていうの?」

「月長石です」

「へえー、これ月長石なんだ。白いのしか見たことないからわからなかったよ。この薄紅の色が、リエナちゃんにぴったりだよねえ」

「ねえ、この指輪……」

 じっと指輪を見つめていた別の女が口を開いた。

「ロチェスで買ってもらったって言ったよね。もしかして、目抜き通りにある店?」

 女は続けて店名を言った。まさにその店で、リエナがちょっと驚いたように問い返した。

「ええ、そうです。ご存じなんですか?」

「やっぱり! その指輪、飾り窓にあったのを見たことがある気がしたんだ」

「あの店は、ロチェスの女達の憧れなんだよ。婚約や結婚とか、何かの記念に指輪を買ってもらうのが夢ってくらいにね」

 最初に声をかけてきた女が教えてくれた。

 リエナにもその事情がわかる気がした。あの宝飾店には、初老の店主の眼に適った、この辺りでは選りすぐりの品を揃えてあった。手ごろな品もあったけれど、大半は庶民が簡単に手を出せるものではなかったからである。

 もちろん、愛する恋人や夫からの贈り物であれば何でもうれしいには違いないけれど、やはり憧れの店の品を贈られれば、喜びもひとしおであろうから。

 やがて、宝飾店のことを教えてくれた女が溜め息まじりに言った。

「いいねえ、リエナちゃんは。あーんなにルークに大事にしてもらって。女冥利に尽きるってもんだねえ」

「そりゃあんた、リエナちゃんはびっくりするくらいの別嬪さんだから、ルークみたいな男前が夢中になるのさ。あたしやあんたとは違うよ」

「ルークはリエナちゃんに心底惚れてるもんねえ。もう大事で大事で仕方ない、って見ててもわかるもの」

 これを聞いて、他の女達も口々に冷やかし始めた。

「あたしも、あんな男がよかったなあ。ルークに比べて、うちの亭主ときたら……」

 女達の一人が心底うらやましそうにつぶやいたが、別の女が手を振りながら大笑いした。

「あんた、比べちゃだめだよ。リエナちゃんは別嬪さんなだけじゃなくてさ、ものすごくいい娘だもの。世の中、ちゃーんとその様にできてるさ」

 うらやましそうにつぶやいた女が、リエナににっこりと笑いかけて言った。

「リエナちゃんも、今度は早く赤ちゃん欲しいよねえ」

 それを聞いた女が頷きながら同意している。

「あんだけかわいがってもらってるんだ、すぐに授かるよ」

 リエナは真っ赤になっていたが、女達の言葉を聞いてほんのすこし表情が曇った。しかしそれは一瞬のことで、すぐに消えた。

********

 洗濯を終えたリエナは、盥を抱えて家に帰った。彼女の後ろ姿はいつもよりすこしだけ寂しそうに見える。

 リエナが家に戻ると、ちょうど薪割りを終えたルークが汗を拭いながら表に出てきたところだった。この時にはもう、リエナの様子もいつもと変わりないものに戻っている。

「ただいま、ルーク」

「お帰り」

 言うなり、ルークはリエナを思い切り抱きしめて、お帰りのくちづけをする。しばらくしてようやく唇を離したルークの腕の中で、リエナは恥ずかしそうに顔を伏せた。

「ルーク、こんなところを誰かに見られたら……」

「誰もいないぜ。ちゃんと確認した」

 満面の笑みでそう答えると、再び抱きしめた。

********

 数日後の早朝のことである。目覚めたルークは自分の腕のなかで眠るリエナの様子がおかしいことに気がついた。なんだか熱っぽい。寝汗もかいているようだ。汗をふいてやろうと起き上った時、リエナは眼を覚ました。熱のせいか、すこし赤い顔をしている。

「リエナ、熱があるみたいだぞ。汗もかいてる。今着替えを持ってくるから待ってろ。まだ寝てないと駄目だ」

「平気よ、これくらい。それよりお腹すいたでしょ? すぐ朝食の支度をするから、待っててね」

 そう言って起き上ろうとしたが、身体がふらついている。ルークは慌てて抱きとめ、半ば無理やりにもう一度寝台に寝かせた。すぐに身体を拭いて着替えさせてから、あらためて額に手をやってみると大分熱い。

「ここに来てからずっと気が張ってたのが落ち着いて、疲れがいっぺんに出たんだろうよ」

「でも……」

「でもじゃない。ずっと体調だって悪かったはずだ。ここで無理して悪化させたらどうしようもないだろ? とにかく、今日一日は寝てろ」

「わかったわ。……ごめんなさい」

「謝ることじゃねえよ」

「でも、旅の間だっていつもあなたに気を遣ってもらっていたわ。わたくしを庇ってばかりだったし……」

 申し訳なさそうに言うリエナの頬に、ルークが大きな手をかけた。

「惚れた女を気遣うのも庇うのも、男として当然だろ?」

 面と向かって堂々とそう言われると、リエナも返す言葉はない。

「今、薬湯持って来てやるから、大人しく待ってるんだぞ」

 しばらくしてルークが盆に薬湯を入れた茶碗を乗せて持って来た。旅の間はアーサーかリエナの役割だったが、何とか見よう見まねで煎じてくれたらしい。リエナはルークの助けを借りて身体を起こし、ゆっくりと薬湯を飲み干した。ルークは空になった茶碗を受け取ると、腰を下ろしていた寝台の端から立ち上がって言った。

「じゃあ、これから朝飯作ってくるから」

 これを聞いて、リエナは慌てて起き上がろうとした。

「ルーク、朝食なら、わたくしが……」

「いいから、寝てろ」

 ルークはもう一度リエナを寝かせると、そのまま台所に行って支度を始めた。といっても、ルークの料理の才能は魔法のそれとまったく同じである。リエナは内心冷や冷やものだったけれど、ここでまた無理をして余計に心配をかけるのも申し訳ないと、大人しく寝て待っていた。

 しばらくしてルークが持って来てくれた朝食は、昨日焼いた胡桃入りのパンと、丸ごとの林檎。なるほど、これなら支度も何もない。お茶だけはがんばって自分で淹れたらしく、茶碗からは湯気が上がっている。二人分あるところをみると、ルークもここで一緒に食べるつもりのようだ。

「ほら、できたぞ。一緒に食おう」

「ありがとう、いただくわ」

 しかし、リエナはほとんど食欲もないらしい。ほんの少し手をつけただけだったが、ルークがリエナの残りも全部きれいに平らげた。

「今日一日、俺もなるべく家にいるようにするから。いいな?」

「でも……、村のお手伝いは?」

「一日くらい、大丈夫だ」

「でも、やっぱり……」

「でも、じゃない。いいな?」

「……はい、わかったわ」

 仕方なく、リエナも頷いた。

「よし、いい子だ。……愛してる」

 ルークはリエナをやさしく抱きしめてくちづけると、そのまま寝かせ、朝食の盆を持って、部屋から出て行った。

********

 ルークが朝食の後片付けをなんとか済ませたころ、エイミがお手製のジャムを手に訪ねてきた。ルークからリエナが熱を出したと聞き、寝室で寝ているリエナの様子を見に来てくれた。

「リエナちゃん、大丈夫? 熱出したんだってね。どれどれ、おや大分熱いね。薬湯は飲んだ?」

 リエナの代わりにルークが答えた。

「ああ、手持ちのをさっき煎じて飲ませた」

「じゃあ、大丈夫だね。それはそうと、朝ごはんはちゃんと食べた? どうせ、ルークは料理はからっきしなんだろ?」

 この台詞に、ルークは少しぶすっとして答えた。

「ひでえなあ。俺だって朝飯の支度くらいできるぜ」

「へえ、ルークが料理できたなんて初耳だ。リエナちゃん、何食べさせてもらったの?」

 リエナはすぐには返事ができなかった。リエナの様子に、エイミは呆れたように笑いながら、ルークに向かって言う。

「ほら、リエナちゃんが返事に困ってるよ。何食べたの?」

「胡桃のパンと、林檎だ」

「それだけ?」

「茶は俺が淹れた」

「林檎の皮くらい、剥いてあげたよね?」

「別に皮なんか剥かなくても、かじればいいだろ?」

 予想通りのルークの返事に、エイミはやれやれと溜め息をついた。

「どうせそんなことだろうと思ったよ。お昼ごはんも晩ごはんも届けてあげるから、心配しなくていいからね。うちにもよく効く熱さましの薬草があるから分けてあげるよ。そうそう、洗濯物は? やったげるから、出しておくれ」

「そんな、わたくしが後でできるから、大丈夫よ」

 エイミの申し出を、リエナは申し訳なさそうに断った。

「洗濯くらいなら、俺が後でやっとくから」

 ルークもそう言ったが、エイミはとんでもないとばかりに手を振った。

「駄目駄目、あんたみたいな馬鹿力で洗ったら、全部やぶれちまうよ。こういう時はお互いさまさ。とにかくリエナちゃん、絶対無理しちゃいけないよ。ここに来てからずっと忙しかっただろ? 疲れが出たんだよ。直るまでちゃんと寝てなさい。あ、それからルーク」

「何だ?」

「村の手伝いはしばらくいいから。しっかりリエナちゃんを看病するんだよ」

 言うだけ言うと、まだ遠慮しているリエナをよそに、洗濯物をひったくるように持って帰って行った。

 幸いリエナの熱は二日で下がった。大事を取ってもう一日寝ていたが、後は心配なさそうだった。彼女が病気の間は、エイミを始めとして村の女達が家事を代わりにやってくれた。二人は恐縮していたが、女達は全然気にしていない。あらためてここの村に住むようになってよかったと、二人は心の底からそう思った。




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