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旅路の果てに
第7章 6


「リエナ姫はまだ見つからないのか! もう一月近く経っている。各領事館の人間達はいったい何をしている!?」

 チャールズ卿は部下を怒鳴りつけた。領事館からの調査結果を報告してきた部下は、叱責の激しさに思わず身体をすくませていた。

「申し訳……ございません」

「再度、徹底的に捜索するのだ。一刻も早くリエナ姫を探し出せ! どんな手段を採っても構わん!」

 報告書を握りしめて激昂するチャールズ卿に、部下はおそるおそる異議を唱える。

「お言葉ではございますが、捜索はあくまで秘密裏に行う必要がございます。しかも、手掛かりと呼べるものは皆無に等しく、今しばらくのご猶予を……」

 平身低頭している部下の言葉を、チャールズ卿が遮った。

「何を愚図愚図と言い訳をしている」

「……ですが」

 顔を上げ、更に何か言おうとする部下を、チャールズ卿の凍てつくような視線が貫いた。

「――早く行け!」

 凄まじいまでの剣幕に部下は震え上がり、深々と一礼すると這う這うの体で退出していった。

********

 チャールズ卿はその後も執務室でいらいらと歩き回っている。

(いったいどこに逃げやがった?)

 ルークとリエナが長いハーゴン討伐の旅で、身分を隠す術を身につけていたことはチャールズ卿も知っている。旅人を装って身をやつしさえすれば、ごく短期間――街に立ち寄り、宿に一泊するくらいの間なら、周囲の眼をごまかすこともそう難しくはないだろう。けれど、いつまでも流れ者のように旅を続けることはできない。何故なら、リエナの体調不良を知っているルークが彼女に無理をさせるはずがなく、必ず早い段階でどこかに定住するに違いないからだ。

 二人の姿は非常に目立つ。ルークの堂々たる長身もそうだが、殊にリエナのずば抜けて美しい容姿と優雅な物腰は、貴族階級に生を享けた者にしか持ちえないものだった。一時的にどこかに潜伏できたとしても、周囲の人間が不審に思い、そこから居場所がわかるはず――チャールズ卿はそう考えていた。

 だから、すぐにでも連絡が入ると期待していたのに、行方がまったくわからない。それどころか、碌に情報すら集まらない。

(誰かが匿っているのかと思ったが、その形跡もない。どうやって身を隠すというのだ!?)

 怒りに任せ、握りしめていた報告書を投げ捨て、更には火球の呪文で焼き払った。磨き上げられた床に、醜い焼け跡が残る。

 チャールズ卿は以前より、ムーンブルク国内の貴族の動向を知るために多数の密偵をあちこちの貴族の屋敷に召使いとして潜入させていた。領事館への捜索依頼と同時に指示を出し、二人を匿っている様子があるかどうか徹底的に調べさせた。しかし、次々と入る報告にはまったくそれらしき気配すらなく、領事館からの報告の直前に、チャールズ卿は最後の密偵からも手掛かりがない旨、報告を受けていたのである。

(残るは、ローレシア国内……いや、サマルトリアの可能性もある)

 もし、この二国のどちらかならば、見つけ出すことは非常に難しくなる。ルークが個人的な伝手なり王太子としての権力を振りかざし、特定の貴族に強引に協力を求めたのならまだしも、リエナ救出が目的で、『国家』が指揮している可能性も否定できないからだ。

 もっとも、ルークは先日の最終交渉が決裂するまで一貫して正攻法で来たことから、確率は非常に低い。だが、王を説き伏せるか、もしくはサマルトリアと密かに協力体制を敷いたとも考えられる。

(サマルトリアには王太子アーサーがいる。ルーク以上に、侮れない男だ)

 チャールズ卿は今まで、アーサーと直接対面したことはない。しかし、アーサーが類稀な交渉能力を持つ策謀家であることは承知している。ハーゴン討伐で長い旅を共にした仲間でもあり、ルークが協力を要請したことは十分に考えられる。もしサマルトリアが国家として二人を匿ったのだとしたら、捜索は困難を極めることになる。

 実際のところ、二人の行方が杳として知れないのも無理はなかった。ルークはチャールズ卿の予想外の行動を取っていたのだから。

 ルークは偶然知り合ったジェイクが求める仕事、それも村の用心棒という王族が請け負うなど有り得ない仕事を引き受けた。それどころか、ジェイクに対して貴族階級出身であることを隠さなかったのだ。しかも、金銭での報酬を求めないことと引き換えに、貴族出身であること以外、自分達の素性も流れ着いた事情も詮索せずに、村全体で匿う条件を呑んでもらっている。結果、出奔の夜からからわずか5日後に――ムーンブルクとローレシアの各領事館に通達が到着した日とほぼ同日である――山深いトランの村へ移動している。

 流石のチャールズ卿も、まさかルークがこんなに早く定住地を見つけたとは――いくら偶然と幸運に恵まれたとしても――想像すらできないのは仕方がない。

 チャールズ卿はぎりぎりと歯噛みした。

(早急に今後の対応を講じなければ取り返しがつかなくなる)

 リエナの出奔については今のところ、宰相カーティスとルーセント・オーディアール両公爵、直接世話に当たる女官長ら、側近中の側近にのみ知らされている。

 リエナは以前から病気を理由に公式行事にすべて欠席していることもあり、ほとんど人前に姿を見せなかったから、出奔の事実はまだ外部に漏れてはいない。絶対安静と発表されたままで、身の回りの世話も女官長に一任されている。しかし、出奔の日以来、女官長以外の侍女がリエナの姿を一度も見ていないこともあり、だんだんとリエナの出奔の事実を隠すことが難しくなりつつある。

 一刻も早くリエナを発見し、ムーンペタへ連れ戻さなければ、王位を奪還するという目標を達成できなくなる。チャールズ卿がリエナの王配にならなければ、野望を実現することは不可能なのだから。

********

 宰相カーティスも、チャールズ卿の使いからリエナ捜索がはかばかしい成果を上げられていないと報告を受けていた。

 予想していたこととはいえ、カーティスは肩を落としていた。と同時に、未だにリエナがムーンブルクを出奔した事実を受け入れられないでいる。

 しかし、リエナが単独でお忍び目的で離宮から姿を消した可能性は完全に否定されている。単にリエナの姿が見えないだけならまだしも、同じ日以来、ルークも一度も公の席に姿を現していない。報告では側近から勧められて湖畔の離宮に静養に行っているというが、遠乗りに出かけるわけでもなく、離宮に引き籠ったままだった。どう考えても、二人が手に手を取って出奔したと考える以外に辻褄の合わない話である。

(リエナ殿下は真実、ムーンブルクをお見捨てになられたのか……)

 あれだけ祖国の復興を願い続け、そのために2年にも及ぶ過酷な旅を耐え抜いてきたリエナが、どんな思いでルークとともに出奔したのか――その真意を量りかねてもいた。

 チャールズ卿はもっとはっきり『リエナがムーンブルクを捨てた』と発言した。次期女王が、復興が始まったばかりの祖国から出奔、しかも単独ではなく想い人と二人であれば、そう言われても仕方がない。これはカーティスも認めざるを得ない。

 ルークが好き好んでこんな方法を採った訳ではないことは理解している。ルークはリエナが暗殺に危機に晒されていた事実を知っていた。だからこそ、ローレシアへの転地療養という正攻法での救出の術を携え、ムーンペタへ公式訪問した。しかし結果は、チャールズ卿がすべて撥ねつけた。

 リエナはあのままでは遠からず生命を落とすことは避けられなかった。ルークはそれを見過ごすことがどうしてもできなかった――そこまで思い至った時、カーティスは重い溜め息をついた。

(ルーク殿下、あなた様はそれほどまでに、リエナ殿下を……)

 一国の王太子が、国を捨てる。

 義務も責任も放擲することがどれほどに罪深いことか、あのルークが理解できないはずはない。出奔という選択を採るまでにどれだけの葛藤があったのか。

 リエナもそれは同じはずだった。心からルークを愛していたにもかかわらず、一度たりともルークを王配に迎えたいなどとは口にしなかった。それどころか、想いを必死に抑えてフェアモント公爵家と戦い続け、ムーンブルク復興にすべてを捧げる覚悟を見せる姿は、痛々しいほどだった。

(ルーク殿下を、正式にリエナ殿下の王配としてお迎えできれば、どんなにかよかっただろうか……)

 今更ながら、この思いにとらわれる。カーティスは、ルークがムーンペタへ公式訪問した時に行われた個別会談を思い出していた。

 離宮の中庭に立つルークの堂々とした姿に、リエナとムーンブルクを託すことができればどれほど心強いか――カーティスが残念でならなかったと考えたのも、事実だった。

(リエナ殿下も、ルーク殿下のお申し出を最初は拒まれたのだろう。けれど、ルーク殿下もリエナ殿下がすぐに肯わないことはご承知のはず。言葉の限りを尽くして説得に当たられたに違いない。ルーク殿下のお心を知って、リエナ殿下もずっと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまわれたのかも知れぬ……)

 一国の宰相としての責任と、敬愛する王女の幸福を願う思いとがせめぎ合う。

(私にもっと力があれば。周囲すべてを敵に回してでも、リエナ殿下をお守りする覚悟を決めてさえいれば……このような選択をおさせしなくても済んだやも知れぬ。不甲斐ないことだ……)




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