執務室にて   −2−


 うっとりと閉じられていた菫色の瞳が開かれた。ぼんやりと映る景色は、見慣れた執務室に立つ、ルークの姿だった。深い青の瞳がこちらに向けられている。熱の籠った視線で、はっと我に返ったリエナはようやく自分がどんな姿になっているのか気づいていた。

 リエナはちいさく悲鳴を上げると、慌てて足を閉じ、まくれていたスカートを引き下ろした。

 あまりのはしたなさに、リエナはどうしようもなくなっている。いつもよりも更に大きく深い快感に呑み込まれ、放心状態に陥ってしまったせいで、灯りの元で秘すべき場所をさらけ出すという痴態を演じてしまった。いくら思いがけず執務室でルークに抱かれてしまったからだとしても、絶対に見せるべき姿ではないのだから。

 すぐに衣服を整えなくてはならない。ましてや、今の自分は執務机に腰かけている格好なのである。これ以上乱れた姿を見せないよう、片手でまだ露わなままの胸を隠し、もう一方の手を支えにして床に降りようとしたが、ルークに容赦なく攻められたせいでまだ腰に力が入らない。それに気づいたルークが両手を差し出した。

「ほら、下ろしてやる」

 そう言うと、リエナの細い胴を持ち、軽々と抱き下ろした。ふと見下ろすと、リエナの胸が目に飛び込んでくる。

 乳房はちいさな手からあふれ、柔らかそうに形を変えている。いくらリエナが必死になっていても、隠しきれないのだ。

 そういえば、結婚したばかりの時よりも大きくなったなとルークは考えていた。もとから華奢なのに豊かな胸の持ち主である。また着痩せする質らしく、はじめてリエナの乳房を目の当たりにした時、ルークは予想以上の大きさと輝くばかりの美しさに目を瞠ったほどだったのだ。

 夜毎、愛を交わすうちに、ますますしっとりと柔らかくルークの手に馴染んでいた。その感触はもちろん、愛撫の時に見せるリエナの反応もルークにはたまらないものだった。

「……ルーク、どこを……見ているの?」

 リエナは消え入りそうな声で尋ねた。抱き下ろしてくれたのはいいが、まだ手を離してくれないのだ。おまけにルークの視線は明らかに自分の胸にそそがれているのがわかるだけに、恥ずかしくてどうしようもなくなっているのだ。

「うん? お前のおっぱい、前より大きくなった気がしたんだ」

「……!」

 リエナは慌てて両手で胸を隠し直したが、ルークはまったく気にした風もない。それどころか、リエナの両手をそっと外して露わになった乳房をじっと見つめる。

「いつ見ても綺麗だな」

 ルークが感嘆の呟きを漏らす。たわわに実る乳房は透き通るように白く輝き、ひと刷毛紅を刷いたようにほんのりと染まっている。そこへ散る紅の花びらがより一層肌の美しさを強調し、桃色の乳首は緊張のせいか、存在を主張するかのように中心で固く尖っている。

 ルークはいきなり大きな両手で包み込んだ。下からすくいあげるように持ち上げると笑顔になった。

「俺の思った通りだ。やっぱり大きくなってる。――前はこんなに手からあふれなかったぜ」

 そう言いつつ、確かめるようにやわやわと揉み立てる。リエナは切なげな溜め息を漏らした。ルークは満足げに一つ息をはくと、両手の親指で乳首を同時に転がした。リエナの身体が震え、同時に声が上がる。頂点を極めたばかりの身体は実に敏感で、その反応の一つ一つがルークを駆り立ててやまないのだ。

「おっぱいが大きくなったのは俺が毎晩、かわいがったおかげか?」

 ルークの容赦ない言葉に、リエナは何も答えることができないでいる。気持ちは抗いながらも身体は嘘をつけない。リエナの表情がその事実をありありと物語っている。

「……お願い、手を離して」

「俺はこのままでも構わないがな――いい眺めだ」

 ルークは屈託なく笑っているが、言われた方はたまったものではない。リエナが喘ぎつつもほとんど涙目になっているのを見て、ルークはようやく解放してくれた。

 まだふらつくが、まず足元に転がっている靴を手に取った。ふと視線を移すと、数歩離れたところで足元に落ちているちいさな布――ルークにはぎとられてしまった下着である――が目に入った。すぐに拾いたいのをぐっとこらえ、ドレスの裾で隠せる位置に立つ。

 ルークに背中を向け、まず肌着を整えてあふれた胸を隠し、手早く袖に手を通す。ドレスの裾を直しながら、そっと落ちている下着を拾った。

 いざそれを身につけようとして、リエナは躊躇ってしまった。

 思っていた以上に濡れてしまっているのである。またもや自分がどれほどはしたない姿をさらしていたのかを突き付けられて、身の置き所がなくなる思いだった。

 そのほかにももう一つ困ったことがある。これを身につけるためには、再びルークの前でドレスのスカートをたくし上げなくてはならないからだ。やっと隠せた足と腰をまた見せることになってしまうのはつらかった。特に今日の下着は腰の横で紐を結ばなくてはならないから、その分ルークの目に触れる時間も長くなる。見ないでと頼んでも聞き入れてはくれないのはわかっている。

 悩みつつも、手早く畳んで手の中に隠す。すぐにいい考えが思い浮かんだ。何もわざわざルークの目の前で下着をつける必要などないのだ。執務室には身支度を整えたり休息を取るための小部屋が付随している。その部屋に行けばルークの視線を気にせず衣服を直すことができる。

 リエナは無言のまま、小部屋に向かった。

 こじんまりとしたこの部屋は執務室の中にある私室のような位置づけのもので、妙齢の女性であるリエナには化粧を直したり、休憩のひとときに側近の目を気にせずお茶を飲む場所も必要だろうと用意されたものである。

 内部は落ち着いた中にも華やかさを感じられる調度で纏められている。

 部屋の中央寄りには、小卓と椅子、隅のすぐには目につかない場所には寝椅子もある。反対の隅には、鏡台も備え付けられている。窓辺にはたっぷりと季節の花が活けられ、如何にも若い女王にふさわしい設えだった。

 小部屋の扉を閉めようとして、軽い抵抗に合う。見上げると、ルークが自分も一緒に部屋に入ろうとしていた。

「……ルーク」

「俺なら入室を許されているはずだぜ?」

 ルークは悪びれずに言い放った。この部屋はリエナのごく私的な時間のための部屋であるから、入室を許されているのは原則として側仕えの侍女のみである。特に男性は、ルーク以外は決して近づかないのだ。

「わたくし、衣服を整えたいの。だから、お願い。外で待っていて」

「今更そんなこと気にするのか?」

 リエナは内心で溜め息をついていた。予想通りの答えだったからである。

「でも……」

 リエナが言い淀んでいるうちに、ルークは部屋の内部に入ってきてしまう。

「今の俺はお前の護衛でもあるからな。側を離れるわけにはいかないんだ」

 ルークの言い分に、リエナは再び溜め息をついていた。ルークが執務室前に常駐している護衛兵を帰した時に、自分が代わりに護衛を務めると言ったであろうことは容易に想像がついた。だから、正しくないわけではないのだが、屁理屈としか言いようもないのも事実だった。

 もっとも手段を問わないのならば、ルークに部屋から出て行ってもらう方法はある。他者転移の呪文を発動して寝室まで強制的に移動させてしまえばいい。けれど、今回ばかりはそうもできない事情がある。かといって、力づくで追いだすのは到底無理だった。機会を見計らってうまく説得するしかない。

「それなら、せめて向うを向いていて。こちらを見ないでね」

 仕方なくそれだけ言うと、リエナは鏡台の前に立った。

 この鏡台は寝室の化粧部屋ほどではないが、優雅な意匠で鏡も大きく立派なものだった。髪を直してもらうこともあるため、椅子は背もたれのない、ゆったりと大きなものが備え付けられている。

 リエナはルークに背を向け、手に持っていた下着を気づかれないようそっと鏡台の椅子の上に置く。

「それ、穿かないのか?」

 いつの間に背後に来たのか、いきなりルークの声が頭上から降ってきた。完全に気配を消して近づいてきたらしい。こうされてしまうと、いくら普段は気配に敏感なリエナでもお手上げである。

「見ていたの……!? お願いだから、向うを向いていて」

 リエナは真っ赤になって反論したが、ルークは笑ってそれには答えず、別の事を言いだした。

「俺の目なら気にする必要はないぜ。――何ならそれ、穿かせてやろうか?」

 予想通りの展開に、リエナはルークから視線を外したまま、わざとため息をついて見せた。

「……自分でできるわ」

 ルークがわずかに笑った声が聞こえた。けれど、一向にその場から動く気配は無い。

 リエナは仕方なく、先にルークにあることを頼むことに決めた。自分の身支度を整えるための、最大の難関である。下着をつけてから頼むつもりだったけれど、先に済ませてしまった方がよさそうだった。

「ねえ、ルーク」

 リエナがおずおずとルークに話しかけてきた。

「どうした?」

「お願いが、あるのだけれど……」

「いいぜ」

 ルークはリエナが自分に何を頼みたいのか、最初からわかっている。自分では手が届かないドレスの背中のボタンを留めて欲しいのだ。リエナが続きを言う間もなく、ルークは彼女の背後に立った。

 いざボタンを留めようとして、目の前の光景にルークは目が釘付けになっていた。乱れた髪の毛の間から、うなじがところどころ覗いている。開いたドレスの中に続く背中の線がなまめかしく、普段は真っ白な肌も、まだ余韻を残しているせいかほんのりと染まっていて、匂い立つような美しさだった。

 たまらず、ルークはいきなり背後からリエナを抱きしめた。腰を押し付けながら、耳元で囁きかける。

「ものすごく色っぽい。――さっきのお前、最高だったぜ」

「……何を言うの!?」

 ルークは返事の代わりに、いきなりリエナのうなじに唇をつけた。

「……ルーク! 違う……わ」

 ルークはそのままドレスの背中を広げて、華奢な肩を露わにしてしまった。それどころか、また懲りずに両方の手を肌着の下まで滑り込ませてくる。

「もう……いい加減に……して」

 リエナは怒ったふうな口調とは裏腹に、はや息を乱しつつある。ルークの手がますます大胆に動き始めた。再びドレスの袖から腕を抜かせ、肌着まで引き下ろしてしまう。

 露わになったたっぷりとした乳房を、背後から両手ですくいあげるように揉み立てた。

 ルークはしばしの間、吸い付くようにしっとりとした肌の感触を楽しんでいた。むきだしになったままの白い肌がみるみる薄紅に染まっていく。

 ルークの右手が固く尖った乳首をつまむ。リエナの唇から甘い溜め息が漏れた。

 リエナの反応に気を良くしたルークは本格的に愛撫を再開した。うなじに続いて耳の後ろ側に沿って舌を這わせ、両手で乳房を揉みしだく。リエナは思わず喘ぎを漏らした。

 ルークが目の前の鏡に視線を移す。切なげに眉根を寄せる表情が、余計にルークを煽りたてる。

 鏡の中で、ルークとリエナの視線が合った。その瞬間、ルークが両方の乳首を同時につまんで転がす。

「いい表情だ」

 リエナも自分がどんな顔をしているのか、鏡のせいでありありとわかってしまう。これ以上見なくてすむよう目を閉じ、息も絶え絶えに訴える。

「……ルーク、お願い……もう……」

「もっとして欲しいのか?」

 耳元で囁きながら、執拗に両方の乳首を責め立てる。リエナは最後の抵抗を試みようとするも、もう言葉にならなかった。

 リエナの身体から力が抜けていった。ふらつく身体を目の前の鏡台に両腕をついて支えた。必然的に腰がルークに向かう。薄手のドレスのせいで、腰の曲線がはっきりとわかる。

 ルークは左手だけを離し、ドレスの裾をたくし上げはじめた。右手は乳房への愛撫を続けながら左手だけが中に入り込み、下着をつけていない肌の上を這いまわる。豊かな腰から臀部、更にはふともも周辺まで動き回った。再び足の間に入り込む。そこは既に、あふれるほどに潤っている。

「もうこんなになってるぜ」

 言うなりルークは指先に蜜を絡め、一番敏感な場所をこすりあげた。リエナは身体を震わせ、あふれた蜜がルークの指を濡らす。

「素直に声を出すんだ」

 快楽の淵に溺れるあまり、リエナは何も答えられずにいる。

「仕方ないやつだな」

 言うなりルークの指が花芯に沈み込んだ。しとどに濡れたその内部は、蕩けるように熱い。二本の指が中をかき混ぜる。同時に、リエナの声があがる。

「やっと素直になったな」

 ルークの指の動きはますます大胆になっていく。内側はそれに応えるかのように淫靡な音を立てながらルークの指に吸いついてくる。右手もまだ乳房への愛撫を続けている。固く尖った乳首を捏ねるように責め続けた。

「ルーク……意地悪」

 リエナは訴えるように呟いたが、吐息まじりのその声はルークを煽りたてるものでしかない。

「意地悪……? 人聞きの悪いことを言うんだな。俺は素直になれって言っただけだぜ?」

 その後も愛撫は執拗に繰り返された。あまりの快感の大きさに抗しきれず、リエナは高い声をあげ、同時に華奢な身体がその場でくずおれそうに揺れる。ルークは咄嗟に乳房から手を離し、右腕一本でリエナの身体を支えた。

 ルークは足の間に入り込んでいた左手の方も離したと思う間もなく、いきなり両手でリエナの胴をつかんで軽く持ちあげ、鏡台の椅子の上で膝をつかせた。まだ力の入らないリエナは鏡台に手をついたままである。椅子の上で立膝になり、位置が高くなったぶん余計に腰の豊かさが強調された。

 ルークはリエナの腰を両手で高く持ち上げ、後ろからスカートを思いきりまくりあげた。

 今度は見事な曲線を描く臀部が露わになる。ルークに向かって突きだされたその場所はドレスを着てガーターベルトをしているのに、肝心の下着だけをつけていない。おまけにあふれた蜜が内ももまで濡らしている。鏡には露わになった乳房も映っている。いつになく無防備で、とんでもなく煽情的な光景だった。

――まるで、リエナの方から誘ってるみたいだぜ。

 ルークは目を瞠りつつ、そんなことを考えている。もちろんリエナはそんなつもりなど皆無なのはわかっているが、だからこそ余計にルークの欲情をそそるものでしかないのだ。

――こんな姿を見せられて、もう一度抱くなって言う方が無理だろ。

 リエナの方は、ルークの行動があまりにも素早いせいで、一瞬どうされたのかわからなかった。けれど、自分がどんな姿になっているか理解した瞬間、再びルークに貫かれていた。

「ルーク……!」

 リエナの上ずった声が上がる。

 ルークが動き始めた。リエナはあっという間に快楽の渦に呑み込まれていく。先程よりも更に強い快感に、もうルークの為すがままに身を任せるしかなかった。

――わたくし、どうしてしまったの……。

 こんな恥ずかしい姿勢をさせられてしまっているのに、自らの身体は深い歓びにうち震えている――そして心もそれを嫌がっていない、それどころか、これほどまで激しく求められることを幸せにすら感じている自分を自覚していた。

 ルークは背後から見る、リエナの背中から腰に続く曲線の見事さにあらためて驚かされていた。ドレス越しにも豊かさがはっきりとわかる胸元とは違い、普段は完全に隠されているから、余計に新鮮だった。

 しばしその光景を堪能した後、今度はルークは鏡に視線を移した。正直なことを言えば、ルークはこの体位を試したことはあっても今まで特に好んでいたわけではなかった。刺激的であるのは認めるが、リエナの表情を見ることができないのがどうにも物足りなかったのである。

 けれど今は、鏡のおかげでリエナのすべてがありありとわかる。陶然とした表情はたまらなくみだらでなまめかしい。豊かな両の乳房は自分が腰を使うたびに重たげに揺れ、それがより一層ルークを煽った。

 リエナは必死に目を閉じていた。目を開ければ、自分がどんなふうにされているのかがわかってしまう。羞恥に耐えられないからそうしているはずなのに、視覚を封じられて感覚が鋭敏になるのか、むしろより大きな快感に襲われていた。

 ルークもリエナがどれほど感じているのかはわかっている。鏡に映る表情と締め付けの強さが証明しているからだ。

 ルークはリエナの腰をつかみ、鏡を凝視したまま無我夢中で突き続けた。リエナも知らず知らずのうちに、ルークの動きに合わせて腰をくねらせる。

 深夜の静寂の中、リエナの切なげな声とルークの荒い息遣い、互いの身体が発する湿った音だけが辺りを支配していた。

 再びリエナのひときわ高い声が上がる。搦め取るように締め付けられたが、ルークはそれに耐え、容赦なく攻め続ける。

「ルーク……もう駄目……!」

 リエナは髪を振り乱し、涙を滲ませつつ懇願した。頂点を極めたばかりの肉体は更に敏感になっている。どこまで快楽の深淵に突き落とされるのか、不安でたまらない。

「まだだ」

 ルークは声だけは冷静だったが、実際には自分の方も爆発寸前だった。リエナの表情を凝視しながら動きが一段と激しくなる。

「……お願い、許して……」

 閉じられた菫色の瞳が開かれ、涙がひとすじ零れ落ちた。

 その直後、互いの名前を呼びながら、二人同時に果てた。

********

 リエナはルークが身体を離すと同時に椅子の上でくずおれた。鏡台に突っ伏したまま動くことができない。完全に息が上がってしまっていて、むき出しになったままの細い肩が大きく上下している。ルークはいつになく積極的だったリエナが愛おしくてたまらない。背後から包み込むように抱きしめた。しっとりと汗ばんだ素肌と髪の香りに陶然としつつ、リエナの息が整うのを待った。

 しばらくして、ようやく身体を起こすことができたリエナは、椅子から下りようとしたがまだ腰に力が入らない。

 身体を支えようとルークが手を差し出したけれど、リエナは手を借りず、ふらつきながらもなんとか椅子から下りた。無言のまま、ルークの方を見ようともしない。

「無茶苦茶よかったぜ。――お前はどうだった?」

 ルークは満足げにそう問いかけたけれど、リエナは答えない。ルークも笑っただけでそれ以上は追及しなかった。返事はなくとも、先程のリエナの表情と敏感過ぎるほどの反応が答えを物語っているからである。

 リエナはまず胸を包む肌着を整えてドレスの袖を通して引き上げた。鏡台の椅子の上に取り残された下着を見ては溜め息をつく。もうここで身につけることはできない。仕方なく、鏡台の近くに置いてあった手提げ袋――ちょっとした身の周りのものをしまっているものである――からハンカチを取り出した。

 そのまま持って帰るしかないと、手早くハンカチに包んで手提げ袋にしまった。ルークの方もそれを見ていたけれど、特に何も言わずにおいた。これ以上何か言うのも気の毒な気がしたのもあるが、一番の理由は、これから廊下を歩くリエナが下着をつけていない、そしてそのことを知っているのが自分だけだという事実に気をよくしていたからである。

「……もう……なんだから」

 リエナは消え入りそうな声で呟いた。それを耳聡く聞いたルークがリエナに言う。

「悪い悪い」

 口だけはそう言いつつも、実際にはそんなふうには微塵も思っていないのはリエナにもよくわかる。

「……ひとりごとよ」

 リエナはちらりとルークを一瞥してそれだけ言うと、すぐに視線を外した。ルークの方はと言えば、恥ずかしさの余り頬を紅潮させているリエナが可愛くてまたもや見惚れてしまっている。

 ルークがリエナの背後に回ろうとすると、リエナは反射的に後じさる。

「今度はちゃんとやるから。背中のボタンを留めて欲しかったんだろ?」

「……本当に?」

 これ以上ドレスを脱がされないよう、両手で胸の辺りをしっかりと押さえながらリエナが言った。珍しいことに、軽く睨むような表情になっている。リエナからしたらとても信用できないと言うところなのだろうが、そんな表情は滅多に見られないだけに、ルークにとっては可愛くてたまらないものなのである。

「当たり前だ。お前のその色っぽい姿を他のやつらに見せてたまるか」

 真剣とも冗談ともつかない口調でそう言いながら、ルークは再びリエナの後ろに立ち、今度はきちんとボタンを留めてくれた――もっともその間、乱れた髪を無骨な指先で梳いたり、うなじを撫でたりと、懲りずによからぬことばかりしながらだったけれど。リエナの方はもう抵抗しなかった。自分では手が届かないから、ルークに頼むしかない。諦めが半分、残りは下手に動いてまた脱がされては――状況次第では三度目がないとは言い切れないだけに困ってしまうからである。

「できたぞ」

 声がした瞬間、リエナは逃げるようにルークから離れた。と、その時、肩先で髪が揺れた。首の後ろに手を伸ばしてみると、結い上げた髪はひどく乱れ、ほとんど下ろしているのと変わらない。さっきはここまで乱れていなかったはずなのにとリエナは不審に思ったけれど、すぐさま原因に思い当る。ルークがボタンを留めながら、やたらと髪に触れていたせいだった。

「もう……」

 リエナはルークに気づかれないよう、何度目かの溜め息をついた。ムーンブルクでは、夫のある身で髪を下ろすのは大変な不作法とされている。そんな無防備な姿を見せていい相手は夫であるルークを除けば、身支度を手伝う侍女達だけなのである。いくら深夜とはいえ、まだ立ち働いている召使いたちはいる。このまま室外に出るなど論外だった。

 すぐに結い直す必要があった。鏡の前で直したい気持ちもあるけれど、今の自分の顔を鏡に映すことすら恥ずかしい。鏡に視線を向けないように鏡台の上のブラシを手に取った。

 ルークに背を向けたまま、いったん全部ほどいて梳かしはじめた。

 ルークは一瞬目を瞠ると口の端に笑みを滲ませた。髪を梳く姿はルークにとって懐かしい仕草――旅の間、リエナはこうして自分で髪の手入れをしていたのを思い出したのだ。

 無論、王女であるリエナは身支度を自分でするなど有り得ないし、ましてやその様子を他人、しかも男に見せるなど本来あってはならないことである。あくまで旅の途中、それも野宿でそうせざるを得ないから、ルークも時々その様子を目にする機会があったにすぎないのだ。

 豊かにうねる白金の流れが、夜の灯りに照らされて煌めいているのはこのうえなく美しい。

――結婚後は髪を結わなければならないのも当然ってわけか。誰だって、自分の女のこんな色っぽい姿を他の男には見せたくはないだろうからな。

 そんなことを考えつつ、ルークは感慨深げにリエナの後ろ姿を見つめ続けている。

 リエナは背中に痛いほどルークの視線を感じていた。と同時に、旅の間もルークに時折見つめられていた――もっとも、こんなあからさまな視線ではなかったけれど――のを思い出して、当時のルークがどんな想いで自分を見ていたのかを思うと、それだけで顔に血が上るのを感じる。けれど、気づかないふりをしながら淡々と髪を梳き続けている。

 全体を梳き終わると一つにまとめ、ゆるいシニヨンをつくってピンで留める。今まで隠れていた細いうなじが露わになった。

 ルークはやはり髪を結った姿もいいものだと見惚れている。うなじにかかる後れ毛から続くまろやかな肩の線に、何ともいえないなまめかしさ――しっとりとした人妻の色気としか言いようがないものを感じているのだ。

 髪を結い終わったリエナは、最後に後ろ姿を確認する。ルークの視線を気にしつつ、恥ずかしさに耐えながらちらりと鏡を見遣った。ふだんは侍女にやってもらうから自分で髪を結うのは初めてである。いつも通りにとはいかないけれど、それでも見よう見まねでやってみたわりには形になっている。ルークに頼んだ背中のボタンもきちんと留まっている。

 これで廊下を歩ける姿になれた。リエナはようやくほっと息をつく。

「お待たせ」

 リエナは身なりを整え終わって、ようやく自分からルークに声をかける気になっていた。けれど声音はやや素っ気ない。ルークの方は気にした様子もなく、上機嫌のまま頷いた。

「じゃあ、部屋に戻るか」

 リエナがルークの方に向き直ると、すこしばかり呆れた表情で、声をかけた。

「ルーク、あなたその姿では……」

 ルークの方はといえば、上着は肩に引っ掛けただけ、おまけにシャツの裾をズボンにきちんと入れていず、少々はみ出したままである。リエナの身支度の間に自分もすればいいのに、愛する新妻が髪を結う姿が妙になまめかしくて、ついそちらばかりに目がいってしまっていたからである。ましてやリエナが自分で結うことなどないから、物珍しさも手伝って、余計に見惚れてしまったのだ。

 リエナに言われてようやく、ルークは自分がかなりだらしない姿であるのに気づいたようだ。

「悪い悪い」

 先程同様、まったく悪いとは思っていない口調で、それでもきちんと整えてくれた。ルーク自身、リエナを執務室で抱いたことを他人に知られるのは本意ではない。決して褒められた話ではないし、第一いくら正式に結婚した夫婦であっても、リエナはムーンブルクの女王である。誰よりも尊重すべき存在である以上、不敬罪にあたると言われても仕方ない行為なのだから。

 ルークがリエナのために、小部屋の扉を開けた。執務室に入ったところで、ルークが後ろからリエナに囁いた。

「リエナ」

「……なあに?」

 リエナは思わず身構えた。今度は何を言われるのか――とてもルークと視線を合わせられず、呟くように答えた。

「たまにはこういうのも悪くないな」

 リエナの華奢な肩がわずかに震えた。もう何も言えず、真っ赤になってうつむくばかりである。

(終)

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